檻の中③
大分市内にある病院の廊下をふたりの刑事が歩く。白衣姿の医者と看護師たちとすれ違った刑事がしばらく歩みを進めると、第六病室が見えてくる。
その病室の前に立ち止まった三浦は、隣にいる須藤警部に視線を向けた。
「ここですね」
「はい。では、行きます」
涼風がドアをノックすると、ドアを挟んで若い女性の「どうぞ」という声が響く。
そのまま、ドアを開けると、その先には、ベッドに腰かけた黒髪短髪の少女と、少女と雰囲気がよく似た髪の長い若い女性がいた。
「田川留美さんと奈美さんですね? 大分県捜査一課の須藤と申します」
「同じく三浦です」と涼風の隣に立つ三浦が警察手帳をふたりに見せる。
「警察って……」
ベッドに腰かけた病衣姿の少女、奈美が首を傾げると、近くにいた姉の留美が頭を下げた。
「この度は、妹を助けていただき、ありがとうございました!」
「その前に事情を聞かせてください。奈美さん。なぜあなたは、廃工場の中にあった檻の中に囚われていたのか?」
三浦からの問いかけに、奈美は体を小刻みに震わせる。そんな妹の心情を察した姉は、病室を訪れた刑事と顔を合わせた。
「奈美の代わりに、私が説明します。奈美は4時間ほど前、何者かに誘拐されたんです。私のスマホに誘拐犯から連絡があり、警察に妹が誘拐されたことを話せば、妹を殺すと脅されました。犯人の要求は、奇妙なことに、あの時間帯に緊急生配信動画を投稿することで、とても困惑したことを、今でも覚えています」
「なるほど。特に金品の要求はなかったんですか?」
三浦の隣で涼風が問いかけると、留美は首を左右に振る。
「身代金の要求なんて、ありませんでした。いや、正確に言うと、午前十一時に大分中央公園に行け。そこの滑り台の近くにあるゴミ箱にある茶色い紙袋を拾って、中に書いてある指示に従えって指示されました」
留美の答えを聞いた涼風が頷く。
「その指示が、緊急生配信だった?」
「はい。急いで、家に戻って、機材やらを準備して、また公園に戻ってきました」
そのあとで、涼風は右手の人差し指を立てる。
「では、誘拐事件が起きていたことを示す証拠を見せてください。例えば、犯人とのチャット記録です」
「はい。だったら、これを見てください!」
留美がスマホを取り出し、一枚の写真を刑事たちに見せた。そこには、両手足を縄で縛られた状態で椅子に座らされた田川奈美の姿がある。
「この写真が知らないアカウントから送られてきて、私は要求に従いました」
「分かりました。それでは、あなたのスマホを預からせていただきます。念のため、奈美さんのスマホも調べます」
「えっ、スマホを警察に!」
黙り込んでいた奈美が目を見開き、身を乗り出す。それと同じように留美も驚き顔になった。
「一時間ほどで返却します。捜査に不必要な個人情報は収集しませんので、ご安心ください」
「……それなら、預けてもいいけど、なるべく早くね」
しぶしぶ納得した留美が、涼風にスマホを差し出す。一方で、涼風はスーツのポケットから透明な手袋と白い手袋を取り出した。
白い手袋を両手に嵌めた涼風は、留美のスマホを透明な袋の中に入れる。
「まあ、調べてもいいけど、私のスマホ、今朝修理に出してるから、今持ってるの代替え品なのね。だから、何も出てこないと思うけど……」
奈美が眉を潜めながら、自分のスマホを刑事に差し出す。それを見て、涼風は留美のスマホを同じように、別の袋にそれを収めた。
そのあとで、三浦は右手を挙げ、スーツから自分のスマホを取り出してみせた。
「ところで、こちらの人物に見覚えは?」
スマホに竹中将司の免許証写真を表示させた三浦が留美たちに写真を見せる。
すると、姉妹は目を見開き、あんぐりと開いた口元を右手で隠した。
「その反応、ご存知のようですね?」
涼風からの問いかけに対して、留美は首を縦に動かす。
「はい。三年前まで通ってた進学塾で勉強を教えてもらっていました。それから、偶然、街中で何度か会っていて……」
留美の話を遮るように、奈美はハッキリと声を出した。
「この人です! 目出し帽で顔は見えなかったけど、、目が私を誘拐した人に似ています」
「つまり、あなたと竹中さんは面識がなかった?」
涼風が首を傾げながら、視線を奈美に向けると、留美が頷いた。
「ええ。妹は竹中さんの塾には通っていませんでしたから。まあ、よく私のスマホのホーム画面を見せているので、妹の顔は知ってるかもしれませんけど……」
「ホーム画面って……」と三浦が首を捻ると、留美はクスっと笑う。
「そうそう。私のスマホのホーム画面、妹とのツーショット写真だから!」
「ちょっと、お姉ちゃん。警察の人の前でバラさないで。恥ずかしい!」
奈美が顔を赤くして、両手をバタバタと動かす。
それから、奈美はジッと姉の顔を見つめた。
「そんなことより、お姉ちゃん、悲しくないの? 塾の先生があんなことになっちゃって」
「もちろん、悲しいよ。でも、ちゃんと、裁判でどうして、あんなことをしたのかを本人の口から聞ければいいから」
姉妹の会話に注目したふたりの刑事が姉妹に会釈してから、病室を出て行く。
すると、涼風は思い出したようにドアの前で体を半回転させ、奈美に視線を向けた。
「あっ、そういえば、忘れていました。奈美さんのスマホはどこの業者に修理を依頼したのでしょう?」
「えっと、サンユウショップ大分店ですね。あの店にスマホを預けた帰りに、二人組の男に拉致されて……」
「分かりました。それでは失礼します」
大分県警へと戻る覆面パトカーの中、助手席に座る須藤涼風が右手でスマホを握り、メッセージを打ち込む。
「B班から一組、サンヨウショップ大分店に向かわせました」
運転席に座り、ハンドルを握る三浦にそう声をかけると、三浦は頬を緩める。
「あの周辺の防犯カメラ映像を調べたら、奈美さんが連れ去られる映像が残っているかもしれませんね」
丁度その時、涼風の手の中にあったスマホが震えた。画面には被害者の人間関係を調べていた刑事の名前が表示され、涼風はすぐにスマホを耳に当てる。
「はい。分かりました。引き続きお願いします」
そう部下に伝えると、涼風はすぐに電話を切り、運転席に座る三浦に視線を向けた。
「刑事からです。被害者の家宅捜索をしたところ、寝室から田川奈美さんの盗撮写真が大量に出てきたそうです。それと、被害者の自宅にあったパソコンも押収したようです」
「つまり、被害者は奈美さんのストーカーだった?」
「これで監禁されていた奈美さんにも動機があることが分かりました。同じく、姉の留美さんにも彼を殺す動機があります」
覆面パトカーは赤信号で停まり、ハンドルを握ったままで三浦は一瞬、助手席に座る上司に視線を向けた。
「ちょっと、待ってください。事件現場と留美さんが生配信を始めた公園は車を使っても往復二十分はかかります。それに、奈美さんだって、手足を縛られて身動きが取れない状態で檻の中にいたんですよ。あのふたりに被害者は殺せません!」
「そのアリバイを崩すために、スマホを提出してもらいました。県警に戻り次第、サイバー犯罪対策課に顔を出し、風丘くんに調べてもらいます。三浦刑事は、田川奈美さんのスマホを鑑識課に持っていってください」
大分県警のサイバー犯罪対策課の一室に須藤涼風が訪れたのは、田川姉妹の事情聴取を終えてから十分が経過した頃だった。
その部屋に入った涼風は、一目散に黒ぶち眼鏡をかけた若い男性の背後に立ち、彼に声をかける。
「風丘くん」
その声を聴き、風丘は椅子を半回転させ、自分を尋ねてきた女性刑事と顔を合わせる。
「涼風さん。そろそろ連絡しようと思っていましたよ。頼まれていた例の生配信動画は、大分公園のフリーWi-Fiを使ってネットにアップされていました。特に合成や予め撮影しておいた動画を生配信と偽って投稿した形跡もありませんね。それと、被害者と最後にやりとりをしたツバサと名乗る人物のスマホの契約者も特定しておきました。こちらをご覧ください!」
風丘は自分の席の前に置かれていた二台のパソコンの内、右側の画面を指差す。
「……なるほど。そういうことですか?」
風丘のパソコン画面を覗き込む涼風が頬を緩める。
丁度その時、涼風のスマホが震えた。
「失礼」と声をかけてから、彼女はスマホを耳に当てる。
「なるほど。公園で目撃者が見つかりましたか? ありがとうございます」
「どうやら、これで彼女は鉄壁のアリバイを手に入れたようですね?」
スマホの通話ボタンを切る涼風の前で、風丘が首を捻る。
「そのようです。ところで、風丘くんに大至急調べてほしいことがあります。このスマホに記録された誘拐犯とのチャット記録です」
「ああ、それなら、五分もあれば余裕です! まあ、その前に、報告します。まず、被害者が電池切れのスマホを持っていたと聞いて、気になって、科捜研から借りて、調べてみたら、興味深いことが分かりました。電池切れの原因は、このアプリです」
風丘が再び、右側のパソコンのエンターキーをタッチすると、アプリのダウンロード画面が表示された。
「ボイスチェンジャーアプリ。これを立ち上げて、スマホで電話をしたら、声を変えて通話可能って代物です。このアプリにコンピューターウイルスが仕込まれていました。時間になったら、電源が切れるようプログラムされているもので、被害者は今日の午前七時にダウンロードしているみたいですね」
「なるほど」
「それと、こっちは、さっき須藤警部の部下が押収してきた被害者のパソコン。今は、パスワード解析中。あと十秒くらいで終わりそう」
左側に置かれていたUSBメモリが刺さっているもう一つのパソコンを風丘が指差す。その直後、パソコン画面が開き、文書ファイルが表示された。
「これは、犯罪計画書のようですね?」
被害者のパソコンを須藤涼風が覗き込む。それを見て、風丘はマウスで画面をスクリールした。
正午、田川留美に身代金一億円を要求するよう電話する。
そんな文字が飛び込んできて、涼風は眉を顰める。
その右隣で風丘はクスっと笑った。
「それにしても、この事件の犯人は、慎重な人みたいですね。トラブルが起きた
時の対処法まで書いてありますよ」
「慎重な犯人?」と首を捻りながら、涼風は風丘が表示させた、一番最後に記されたページを目にした。
「……なるほど。犯人は誘拐事件を利用して、被害者を殺害したようですね。では、誘拐犯とのチャット記録の解析をお願いします」
自信満々に答える風丘に対して、涼風は頭を下げた。
それから、サイバー犯罪対策課から立ち去ると、涼風の前に三浦とマミが駆け寄った。
「須藤警部。あの指紋が誰のものかが分かったよ! これが鑑定結果!」
そう言いながら、マミは右手に持っていたタブレット端末を涼風に見せる。
丁度その時、涼風のスマホが震え出した。
「はい。須藤です」
「清水です。軽トラックのレンタル業者が判明しました。トラックをレンタルしたのは、それと、廃工場を出入りして檻を作った人物の内、二人は同じ業者の男性です。なんでも、被害者に金を渡され、協力したらしいです。鑑識も呼んだので、すぐにゲソ跡と照合できるでしょう」
「清水警部補。あなたに頼みがあります。……」
「はい、すぐに聞いてみます!」
部下からの報告を受けた涼風は、真剣な表情になって、大分県警の廊下を歩き出した。
その直後、涼風のスマホに通知が届く。
「これで犯人が分かりました」
そう呟いた彼女は、真実を見抜いた表情で、一歩を踏み出した。
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