Scene 7.
「いや、猫は撲滅すべきなんだ!」
あろうことか、弁論者一号が断固とした声でそう叫んで一同は愕然とした。
「えっ!?」
「今、話がまとまる流れではなかったのですか?」
「弁論はまだ終わっていない!
この弁論の間は、私はどこまでも自分の役目を貫いてみせる!」
「なんと頑固な……」
すでに、一号以外の弁論者たちは皆呆れ果てていた。
しかし、収束に向かいつつあった弁論の流れを無理矢理に渦巻かせる剣幕で、弁論者一号は声を張り上げて全員に問いかける。
「皆さんはこの状況をおかしいとは思わないのですか?」
「一号さんがちょっとおかしいっていうのはわかります」
四号のぼけた一言は無視して、一号は大真面目に発言を続ける。
「これだけの人間が集まり、長い時間をかけて何度も意見を交わし、過去には猫の害悪について否定しようのない事実が明らかにされた。
にもかかわらず、いまだに猫を擁護する声は大きい。撲滅に反対する者が多い。
それはこの場にいる弁論者だけでなく、これを視聴している世界中の人々にもですよ!」
「それで……?」
「今回で四回目となるこの中継弁論、一度として撲滅賛成に意見が傾いたことはない!
弁論者はそれぞれ公正に、説得力のある弁論を行っているというのに。
むしろ、回を重ねるごとに撲滅反対の意見が優勢になっている。
おかしいとは思いませんか?」
「それは……」
一号の弁論がどんな結論に向かっているのか――それを見通しかねて、弁論者たちはじっと息を詰めて一号の言葉を待った。
一号は叫んだ。
「やはり我々人類は、猫によって洗脳されているのです!」
「え、話そこに戻るんですか?」
「そうとしか思えないでしょう!
地球はもはや、宇宙人による洗脳実験に取り込まれているのかもしれませんよ!
この中継すら、実はとっくに猫に乗っ取られているかもしれない。
我々は知らないまま、猫が全世界を洗脳する手助けをしてしまっているのかもしれないんですよ!」
「まさか、さすがにそんなことは」
一号の疑念を否定したのは、今まで黙って議論の様子を見守っていた議長だった。
「この議場のある場所は非公開です。
厳重な警備体制の中この弁論が行われているということは、ここにお集まりの皆様が一番よくご承知のはずです」
「しかし、おかしいでしょう!
私はおかしいと……いえ、何より私は、自分で自分がおかしいと思うのです!」
「あ、自覚あったんですねー」
四号のぼけたつぶやきはここでも無視された。
弁論者一号のシルエットが悩ましげに頭を抱え、そして再び告白をはじめた。
「近頃、私は本当にどうかしているんです。
確かにもともと猫は好きでした。今だって好きです!
けれど……その愛情がこの頃どうも、尋常でない気がして……」
「と、いうと?」
「言葉ではうまく言い表せません……。
好きという言葉では足りない。愛してると言っても、まだ違うんです。
とにかく、猫がいないと不安というか、落ち着かなくて、他のことが手につかなくなる。
猫がそばにいないと……あの瞳で見つめていてくれないと、自分がふわふわとしたものになって、あちこち散らばってしまいそうな気分になるんです。
声が聞こえないと、真っ暗なところに置き去りにされたみたいで、不安で……けど、声が聞こえると、そんなことすっかり忘れて気持ちが穏やかになる。
もう猫がいないと、私はダメなんです。
こんなこと、同じ人間の女性に対しても思ったことないのに」
「確かに、ちょっと……」
「尋常じゃないね」
紳士の赤裸々な告白に、全員どう反応したものか困惑しているらしかった。
しかし、もはや自分の苦悩にはまり込んでしまっている弁論者一号には、そんな周囲の様子などもう認識できなくなっているようだった。
弁論者一号は、深く溜息をつくと天井を仰いで言った。
「これほど猫に想いをかけてしまっている私は……もはや猫と結婚するしかないのではないかと!」
「そのお気持ちはわかります」
「わかるの!?」
なぜか慈母の如き口ぶりで七号が賛同したのに、となりの八号がとっさに気安くツッコんだ。
しかし、そのやり取りももう一号の耳には入ってこないらしい。
どこか呆然とした声で、弁論者一号は聞き取りにくいつぶやきをこぼしていた。
衝立に映ったシルエットが、ふらり、ふらり、と振り子のように小さく左右に揺れているのを、卓上カメラはじっと見つめている。
「いや……結婚するなんて、そんな形式的なつながりじゃない。
私は、猫と一体になりたい……同化したい、いや……そうじゃなくて……」
振り子の動きがふっと止まった。
シルエットはカメラの方を向いている。
しかし、彼の焦点はカメラに合っていないことが、なぜかわかるようだった。
まるで深い淵の底に、抗いがたい力に引っ張られて堕ちていくかのように、弁論者一号の発した声は間延びして、嫌な余韻を伴って部屋に響いた。
「私は猫になりたい」
ふわん、と、言葉の反響が目に見えない波紋となって広がっていった。
波紋に触れて、弁論者二号も、そして三号、四号も……とその言葉の響きをつなげていくのを、卓上カメラが無言で従順に追っていく。
「猫になりたい?」
「猫になりたい……」
「……猫になりたい……」
「猫に、なりたい」
「猫になりたい」
「猫になりたい」
「猫になりたい」
波紋は円卓から広がって、灰色の部屋の隅々にまで届く。
揺れる空気が壁に当たり、天上ではね返ってまた、ふわん、と細かく波立った。
ふっと静まりかえった円卓で、議長だけが不審げに八人の弁論者たちのシルエットを見回した。
壁際のカメラが、議長の背後から円卓全体を映し出す。
「皆様、どうしました――」
その語尾をかき消すように、甲高い声――鳴き声が部屋の中から聞こえた。
「……にゃぁぉ……」
「なんですか?
弁論者一号、いくら猫が好きでも、鳴きまねまでしてみせなくて結構ですよ。
この場ではいささか悪ふざけが過ぎます」
「えっ? いえ、私は何も言っていませんが……」
「では、先程の声はなんですか?
弁論者四号、あなたですか」
「ええっ、自分も何にも言ってないですよ?」
「しかし――」
議長の言葉は、またその鳴き声にさえぎられた。
「……にゃぁぁおぅ……」
「ほらまた」
「誰です、おかしなまねをして。ここは真剣な議論の場ですよ」
「いや……これは、鳴きまねじゃない……?」
弁論者六号が神経質そうに言う。
それを弁論者五号が制止してじっと耳を澄ませている。
「……にゃぁああぉ……」
「猫がいるのか!?」
「そんな! この場に猫が入り込めるはずがありません。
誰が連れ込んだのですか!?」
弁論者三号が慌ただしく立ち上がって叫んだ。
ほとんど同時に弁論者七号も席を立って周囲を見渡す。
「……にゃぁああぁ……」
「……にゃぁぁぁぉぅ……」
「……待って、ください」
「うそだろ……」
弁論者二号の声がおびえたように震えた。
弁論者八号は立ちすくんでそれ以上声を出せずにいる。
議長の抑揚のない声が、ここにきてはじめてうわずった。
「一匹じゃ、ない――?」
密閉された箱のような、灰色の部屋の中。
余分なものは一切排除されたこの部屋に、甲高い鳴き声が響いている。
ひとつ、ふたつ、と増えていき、どこまでも切れない余韻を長く引いて、壁に当たり、天井にはね返って、部屋中に響く――猫の声。
……にゃぁぉ……。
……にゃぁぁおぅ……。
……にゃぁああぉ……。
……にゃぁああぁ……。
……にゃぁぁぁぉぅ……。
……にゃあぁぅ……。
……にゃぁあぉ……。
――にゃあぁぁぁぁおぅ……。
愕然として立ちすくむ議長の目の前で、八人の弁論者の前に立った衝立に影が映る。
弁論者のシルエットに被さって、床からせり上がるように伸びてくる、その影。
小さな頭の上の三角の耳、ほっそりとしてしなやかな体躯の後ろで、長いしっぽが揺れていた。
白い照明が影を引き延ばしていく。
影は床を這い壁を上って、天井から議長の姿を見下ろした――その小さな存在に覆い被さるように。
八つの猫の影、八本のしっぽが、ゆらぁりと揺れているのを、カメラはただただ見つめていた。
了
全世界家猫撲滅協議会 宮条 優樹 @ym-2015
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