48話

カイスト・ラ・グエル公爵は、マルシュベン、ノーマンと同格の自治領、グエル領を統治する御歳三十八歳の若き現当主である。婚姻は未だしておらず、世継ぎは居ない。しかし、当人は年齢よりも若々しく見え、尚且つ模範的な紳士然としていて、物腰柔らかなその所作は婦女子の年齢を問わず人気を誇り、彼さえ選り好みしなければ世継ぎなど直ぐに出来るだろう…というのが、周りの評価である。早くに両親を相次いで無くし、若くして後を継いだ彼は、周りの支えもあり今日までグエル領を動かして来た。


中央大陸の中の右寄りとはいえ、保々真ん中に位置するウェリントン国において、グエル領は最も西南に位置し、南大陸へ続く云わば境界線を管理している。中央大陸から、そして南大陸からの流通が一挙に集まる大きな交易の中心地として栄えていた。


彼の噂が囁かれていたのは、春先のまだ種蒔き前の時期に遡る。城内の侵入者との捕り物があってから、その後一切顔を出していないと。

城の者が全員、姿を見ていないという不可思議な事態にグエル領の城、ユニシア城は図らずも陥っていたのだ。しかし、何事か指示されていた補佐官、それから家令と執事長はだんまりを決め込み、居ないという異常事態が嘘の様に侍従達に普段通り凄させ、当主不在を頑なに隠していた。


そして、また不可解な事態が起こる。


何処から聞き及んでいたのか、彼の姪御、通称『赤珊瑚夫人』こと、バスティア・ル・イグリスが城へ押し掛け居座り、好き勝手し始めた。彼女はカイストの年の離れた実姉、ミリーアンの一人娘で、若くしてイグリス伯爵へ下家したのだが、嫁いで数年もしない内に夫は病に倒れ帰らぬ人となり、バスティアがイグリス当主として継いだものの、領主としての知識も閃く才能も、誰かの真似をする腕も無く、残っていた大量の遺産を食い潰し、地方院から通達が行った王族から直々に統治していた領を取り上げられて、代わりに与えられた小さな屋敷へと移り住み、余生を送っている……筈だった。唯一、今世限りで消す予定のイグリスという名前だけは残っている…状態の、他に何も持たない夫人の来訪に、グエル城に勤める全ての者達は渋い顔をしていた。


こんな事態に何をやらかすのか分からない夫人が来るなどと……これには補佐官や家令、及び執事長は事態悪化を懸念した。確かに里帰りしたと言えばそれまでなのだが、このままではグエル領が混乱へ陥り、武力行使は滅多にしない隣国シュンベルだが、彼奴らに何らかの隙を与えてしまうのではないか…と。


しかし、我が物顔で城内を闊歩する割には、バスティアは城での世話を受ける以外では、グエル領の予算に手を出す事は無かった。寧ろ、残りわずかと予想される彼女の資産の筈が、ドレスを全て新しく揃え、宝石を買い替え、社交へとせっせと出掛けている。社交界で赤珊瑚夫人と名高いバスティアである。パトロンの一人や二人捕まえたのではないか……と、城内は派手な噂が飛び交った。


それに加えて怪しげな商人が数人、バスティアに商談しに来る様になって、城の侍従やメイド達は怯え始め、取り纏める者達は慌てた。主人に指示されていたとはいえ、この現状は予想外なのだ。領地は指示通りに管理出来ても、この女の行動如何では主人の身にまた危険が及ぶかも知れない。ユニシア城は、ぴんと張った糸の様に、いつ切れても可笑しくない程張り詰めていた。



そこへ手を差し出したのは、第二王子付き、ロバート・オルクである。



ライルから聞き及んでいた情報により、早々にカイスト公爵が行方不明になっていたのを察知していたロバートは、手助けを申し出たのだ。


指示だけ残して、何処へ消えたのか分からない公爵を探し出す手助けを。


全てに無言を貫いていたユニシア城の者達は、藁にも縋る思いで第二王子に助けを求めた。ただ、公爵は病床に伏せている事になっていた。それがまさか、自身が命を狙われているのを懸念して身を隠している…と、ハウエル家が調べていたとは、予想外だった。


ハウエル家は長年自治領廃止を唱えて来た家柄である。牙城を崩すネタを知りたいと、自治領について事細かに調べるのも頷ける。だが、しかし…。


リンが盗み見た手紙には、誰が起こした殺害未遂なのかは記されていなかった。只、殺害未遂と行方不明という事柄のみ触れていた。それはつまり、ハウエル家の可能性もあると言う事にもなる。


レイニードはその翌日から長期の休みを取り、自治領へと一時帰郷している。彼の反応からすれば、与り知らぬ所で起きた話なのだが、果たして彼の取る行動は如何様か、監視する必要がある。


同じく、赤珊瑚夫人とて油断ならない。先日の舞踏会ではイザベラが同じ自治領同士として、それとなく話しを聞きに行っていた。それは丁度、エレーンが壁の花になろうとしていた時だった。


当たり障り無い会話をして、最後にグエル公爵の体調を聞いてみる。世間的には、体調を崩しているとされているからだ。勿論、そう答えるのは予想出来た。そして、バスティアは沈痛な面持ちで、公爵は寝台から起き上がれないと答えた。……続いて、もしかしたら長くは無いかも知れない…とも。彼女は明らかに何かを知っている。城内の混乱を気取られたくないのかも知れないが、伏せっているとだけ言えば住む話しなのだから。


知っている所か、彼女は何かを握っているのかも知れない。


舞踏会ではシュンベルの特使の第四皇子とヴァレリー侯爵が接した様子は見られなかった。しかし、もし赤珊瑚夫人が間に入っていたら…?グエル領主が襲われた事と、マルシュベンが襲われた事は繋がっている可能性がある。



「……成る程分かった。して、じい。俺は、いつグエル領から頼られたんだったか?覚えが無いんだが。」


説明を受けて、アレクシスは仏頂面だ。また、この大人達は話しもせずに事を進めていたのだから、当然の反応かも知れない。


今、オレリアスの応接室に、リンを除いたアレクシス側五名と、オレリアス、それからオレリアスの側付き騎士のグロウリットとアゼルディアがオレリアスの後ろで静かに控えている。ロバートはその中で皆に説明をしてくれたのだが、聞いていたアレクシスはこの反応になったのだった。


「大丈夫ですよ、きちんとお手紙を頂いておりますから。」


「いや、そういう意味で言ったんじゃない……はぁ、もういい。」


いつもの様に躱され、アレクシスはげんなりしながら話しを終わらせた。そうでなくとも、昨夜はルーカスに嫌と言う程稽古をつけられて、疲れているのだ。おかげでエレーンとじっくり話す事もままならなかった。いや、彼女は大喜びでルーカスに挑戦していたから、良かったと言えば良かったのだが…とにかく、これ以上心労を増やして疲れたくはない。


「それで、ヘンベルクの所からも面白い話しが聞けたからな。其方も手を広げて調べてみようかと思っていた所に、丁度良い理由が出来てな。」


そう言うのは、第一王子殿下こと、オレリアスだ。アレクシスの反応をさっきからにやにやと悪い顔をしながら見ていた彼は、とっくにこれらの話しを聞いていたらしく、平然と話しに乗って来たのだ。


「例の毒草、アルブダで栽培されているらしい、との情報だ。」


「……そんな…」


エレーンはクシャナディアの顔を思い浮かべて、思わず驚愕の声を漏らしてしまった。


「何者かによって…の話しだ。姫は知らないのかもな。寧ろ、知らない方が身が安全かも知れん。だが、そのクシャナディア姫だが…やはり今朝方帰国したいとの申し出があった。三日後に発つ。」


「許可を出したのですか?!シャリフ王子が襲われ、毒草も流通し、危険では!」


「出すに決まっているだろう?そもそも、客人の動向を縛れるものではない。寧ろ、此方がアルブダへ行くのに理由付けにもなるからな。」


「………。」


黙ってしまったアレクシスを無視して、オレリアスはエレーンへ視線を向けた。


「で、だ。エレーン嬢には姫と同行してアルブダへと行って貰いたい。陛下の名代として。姫とは打ち解けただろうか?彼女には友として接して欲しい。」


「……え?」


「なっ?!」


突然の要望に、エレーンはぽかんとしてしまった。陛下の名代なんて、国の代表だ。それを自分が?


対してアレクシスは驚き、乱暴に声を上げた。


「な、何故エレーンっ…どのが、行かねばならぬのですか?」


「大臣のどれかを送ろうとも思ったんだが、仰々し過ぎて何か勘付いているのかと邪推されるかも知れないからだ。アルブダと、その他の何者かに、な。その点、友人ならば自然だろう。只、招待するのに姫の方も理由が必要だろうからな、名代で行って貰うだけだ。」


「……しかし…。」


「エレーン嬢は腕も立つからな。姫も安心して連れて行けると、嬉しそうだったぞ?良かったな、エレーン嬢?」


「っそれは…」


既にクシャナディアに話が通っているということではないか。


「っ、兄上!些か横暴ではありませんか!」


「納得するまで説得しろと言いたいのか?アレクシス、そんな事を言っている場合か?事態は刻一刻と変化して、俺達は常に後手なのだぞ。お前、解決したくは無いのか?飲み込めないのでは無く、今直ぐに飲み込め。これは陛下も了承済みの決定事項だ。」


「…っ!!」


アレクシスはそのオレリアスの言葉に、二の句を告げられず、俯いた。確かにそうだ。けれど、誰だって大切な人を進んで危険な場所へと行って欲しがるわけが無いではないか。


「…さて、皆見苦しいのを見せてしまったな。と言う訳だ、エレーン嬢。急な決定で申し訳無いのだが、行ってはくれないか?他にも供を付けるし、ギルバートどのにも途中まで送って頂くから、安心だろう?」


「は…い。承りました、オレリアス殿下。私で務まるか些か不安もありますが、クシャナディア姫様をお守りし、アルブダの様子を見て参ります。誠心誠意、努めさせて頂きます。」


「うむ。我が愚弟より頼りになるな。宜しく頼む。では、貴女も準備に大変だろう、もう今日は休んで、旅支度を始めると良い。」


「……はい。失礼致します。」


そう言うと、エレーンは立ち上がった。アレクシスは不安げにエレーンを見つめたが、彼女は困った様な笑みを浮かべ、会釈してその場を後にした。


「…昨日俺はお前の成長を見せて貰うと言った筈だが?その顔は何だ、アレクシス。」


エレーンが退出した後、気付けば…というか、無意識にアレクシスはオレリアスを睨みつけていた。


「…何でも無いです。」


「何でも無いなら、その顔をどうにかしろと言っている。」


「…生まれつき、この顔なんです。」


その言葉に、オレリアスはくっくっと笑いを噛み殺す。


「殿下、お気を鎮めて下さい。ギルバートどのに付いて行って頂きますし、他にカレイラ嬢とニコル嬢にも行って頂きますから。」


「…は?」


「自治領公爵令嬢のエレーンさんだけ代表で遣わすのはバランスが悪いですから、中立派閥のアロイス家に同行して頂けると助かりますからね。侯爵家からも選出したかったのですが、なにぶん、腕が立つ方に行って頂かない事には…。」


「………。」


ロバートの言い草に、アレクシスは脱力した。本当に、いつもいつも自分達を除け者にして話を進めて……。成長云々よりも、先ず子供扱いをどうにかしろ…と、またもやオレリアスを睨んだ。それを受けてオレリアスはまだ笑い出すのを抑えるのみだ。




ニコルにとって、アルブダ行きは悪夢そのものであったのだが、ギルバートとニコルの合同訓練でのやり取りを見ていたのはこの場においては唯一ロイのみ。そしてロイはそんな事を報告する筈も無いので、着々とニコルの悪夢は実現されようとしていた。が、当然だが誰もそれに気付いてはいなかった。

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