49話

宿舎の部屋へと戻り、エレーンはと言うと…。


はっきり言えば準備どころではなかった。


確かにクシャナディアとは打ち解けたし、祖国へ帰れば彼女の身も心配だ。しかし、だ。外務担当でもなく、第二王子付きの自分が国の代表で国使として隣国訪問?!何をどうすればそんな事になるのだろう。いや、説明は聞いたのだから、分かってはいる。けれど…王子付きが御守りする主を置いて、どれ程の期間が掛かるかも分からない使いに出る事になるとは夢にも思っていなかったのだ。しかも、三日後なんて幾ら何でも急過ぎる。


大体、舞踏会が終わって早一ヶ月以上…季節は夏をとうに過ぎて、秋から冬へと移ろうとしている。その間アレクシスときちんと話していないのだ。それを、これから離れ離れに……?話さなければと何度も何度も思っていても、結局気持ちははっきりしてはいるものの、自分がどうして行きたいかなんて具体的な考えはまだ分からないままなのだ。側で御守りしたいのは変わらないけれども。


だからって、こんな急に仕事を押し付けなくても良いじゃないか。そりゃあ、まごついていた自分が悪いのだけれど。考えれば考えるほど、呆然として準備の手は止まったまま、エレーンの目には涙が滲む。第一王子殿下の応接室を退出する時のアレクシスの表情を思い返すと、今直ぐに彼の所へと相談しに向かいたくなる程だ。いやいや、自分がしっかりしないでどうするのだ。彼はああ見えて、自分よりも年下なのだから。


そんな相反する気持ちを抱えて、これでは今日中に準備を終える事は難しそうだ。


不意に扉がノックされた。エレーンは涙が滲んだ目元をそっと拭うと、居住まいを正した。



「エレーン?今大丈夫かしら〜?母さんだけど〜。」


母イザベラの何とも独特の話し振りに、エレーンは少し気が抜けて、先程よりはまだましな面持ちでイザベラを室内へと招き入れた。


「やっぱり!全然進んでないじゃないの〜!そうだろうと思って来てみて正解だったわね。さ、旅支度を始めるわよ!!」


そう言うイザベラは…王城メイドにかなりの量のドレスを持たせて部屋へと訪ねて来たのだ。


「あの、母様…?このドレスは一体…?」


自身の手持ちでどうにか凄そうと思っていたエレーンは、余りの量に後退った。


「勿論、万が一を考えて城から持って来たものと、陛下から頂いたものよ。アルブダは床に座る風習があるらしいですからね、それでも映えるドレスにしなければいけないわね!」


「陛下から頂いたドレスですか?!そんな、恐れ多いです!!」


恐縮して首を横に振るエレーンとは対照的に、イザベラはにっこりと不敵に笑ってみせた。


「大丈夫よ〜、陛下のお若い頃のものを、母さんが手直ししたものよ。本来なら欲しがる方に売ったり褒美に下賜されたりするらしいのだけど、今回は話しが急だったでしょう?そのお詫びですって。良かったわね?さ、直しを確認したいからエレーン、着てみて頂戴?」


そう言うと、今度は後ろに控えていた侍女達がすっと入って、エレーンの着替えに手を貸そうとする。


「えっ?自分で着れますからっ!」


「エレーン?見てみなさい?この精巧な装飾に加えて背中の着脱の複雑さ。…一人では無理よ、イスベルじゃないんですからね?さ、皆さまお願いしますね。」


「「畏まりました。」」


恭しく返事をすると同時に、エレーンはあれよあれよと囲まれて服を剥かれて行く。


「あの、ちょっと、脱ぐのは自分でっ…。」


「お許しを、エレーン様。あら、腰が細くてらっしゃいますね。これはドレスの時にコルセットをしていない筈ですわ。騎士団の方々は鍛えてらっしゃいますから、矯正下着が必要無いらしいですね。」


「やはり、舞踏会の時にそうだと思ってましたのよ。羨ましいですわ。」


「あのっ!!恥ずかしいですからっ」


「先ずはこの薄い水色はどうかしら?この前の黄色のドレスもとても良かったわね、あれは絶対持って行きましょうね。後は、若々しくピンクも良いわね、この陛下のドレスはどうやって染めてあるのかしら?とても色合いが綺麗ね〜。」


「あの、母様?話しをっ」


エレーンの懇願虚しく、陽が沈むまで着せ替え修行は続けられたのだった。



息も絶え絶えのエレーンに、明日は隣国訪問の心得を教えて貰う為に、外務担当大臣の奥方との面会があるからゆっくり休む様に言うと、イザベラは部屋を後にしたのだった。




疲れきったエレーンは、部屋で溢れる大量のトランクにうんざりとして、外の空気を吸いに宿舎から渡り廊下へと出てみた。宿舎の部屋にはバルコニーが付いていないのだ。王城から宿舎への渡り廊下は、きちんとした庭園では無いものの、一歩外へ出れば芝が手入れされ、廊下の目隠しの様に離れた所に広葉樹が等間隔に植えられていて、それだけでも自然を感じられてほっと出来る気がした。


丁度夕食の時間で誰も通らない通路の手摺に寄りかかる。連続早着替えの合間に軽食を口にしていたので、夕食は必要無さそうだ。本当なら王宮の庭園へと行きたいところだが、この時間から向かうのは流石に憚られた。それにしたって、


自分はどうしたいのだろう……。


アレクシスの側に居たいのは変わらない。けれど、形はどうしたいのか。確かに、アレクシスが舞踏会で他の令嬢と踊っていたのを見た時は何だか嫌な気分になったし、隣には常に自分が付いていたい。自分が居ない間、他の誰かが彼の隣に居たら……?想像するだけで面白くない。納得も出来ない。いつから自分はこんなに我儘になったのだろう。


アレクシスを好きだと気付いていなかった時は、あんなに心乱され、泣き虫な自分が居たなんて思いもしなかったのだが、今度はこんなに我儘な自分に気付いて落胆する。好きだと自覚したら、自分の思いもしない所ばかり出て来て、自信が無くなりそうだ。それで、このままアルブダへ行ってしまったら……。



また涙が出て来そうで、エレーンは慌てて上を向いて…声も無く驚いた。



「お嬢〜♬お疲れー!」


リンが渡り廊下の屋根からひょっこりと顔を出したのだ。




「良かった〜、流石にお嬢の部屋に忍び込む訳には行かないから、どうしようかと思ってたんですよね!」


ひらりと屋根から降り立ったリンは、すとん、とエレーンの隣に並んだ。


「リン…本当に驚いたから、次からはちゃんと声を掛けて?まだ心臓がドキドキしているわ。」


お嬢なら気付くと思って〜と、リンは気にした様子も無い。しかし、エレーンは姿を見るまで全く気付かなかったのだ。それは、考え事をしていたからでもあったし、リンが王城に来てから急激に密偵として成長したせいでもあった。


「なんかこうやって話すのも久々ですね。ここ最近お嬢は忙しそうなんですもん。ま、俺もちょっと忙しいんですけど。」


「あ、リンもアルブダ行くの?急なお話しで困ったね。準備は出来たの?」


エレーンがそう言ってリンに視線を向けると、少しだけ背が伸びたのかいつもより目線が上になった気がした。


「…お嬢と俺って、出会ってどのくらい経ちましたっけ?」


「ええ?もう十年は経ったのかな?…もうそんなに経つのね。…早いなぁ。」


話しを逸らされて、エレーンは戸惑いつつも思い出していた。小さな頃のリンの可愛さたるや、絵姿でも残しておけば良かったかも知れない。


「…俺の親族が全員断頭されると決まった中、俺に手を差し伸べて下さってありがとうございます。俺は、この御恩だけは絶対に忘れた事は無いですし、今後も消す事はありません。」


「リン…?」


急に真面目な面持ちでリンが言った言葉は、エレーンの記憶にも幼いながらに色濃く残っていたものだった。


リンの血筋は東大陸の一族から来ている。そして、皆リン同様、真っ白な髪と肌、真っ赤な瞳、そして…驚く程の目の良さと、身軽な身体能力を持ち合わせ……そして、一家は盗賊を生業としていた。それも、自身の体質を生かして、国を股に掛けての大盗賊へと変貌を遂げ、ウェリントンへと足を踏み入れたのだ。進んで殺しはしなくとも、その盗み出す額が大きく、そして何より貴族相手の盗賊団であった為に、義賊だと噂されてもいたのだが、その分捕らえる為に何処も躍起になった。


終止符が打たれたのは、マルシュベンに目を付けた時だった。強固な守りに次々と捕らえられた盗賊団は、その罪状の多さから私刑では無く、王都まで護送して、それから断頭する運びになったのだ。各国被害のあった国へ向けての見せしめであった。


そこでまだリンは五つになる前だった。詳しく報告をする前に、リンをどうするべきかとイスベルでは議論されたのだが、リン一人隔離した檻にどうやって入ったのか、エレーンは何度か顔を覗かせていたのだ。それから父サイラスへ、それはごく自然に言ってのけた。


私と彼はお友達なの、お願い連れて行かないで!と。



それから、盗賊団には子供は端から居ない事になった。虚偽だと言われればそれまでだったが、当時のレイモンド陛下は報告を受けても、知らぬ振りをしてくれたのだ。フェイという苗字は、イスベルに住む元東大陸商人の老夫妻にある程度の歳になるまでリンを預かって貰い、その夫妻から直々に貰ったものだ。そうしてリンはイスベルへ腰を落ち着けて、エレーン付きの従者となり、10歳になる頃からは兵士になる為に勉強もしていた。兵士になる時に、今の言葉と同じ事を言われた覚えがある。



考えれば出会ってからリンがエレーンと長い期間離れた事が無い。だから当然、エレーンはリンが一緒にアルブダへ行くと思っていたのだ。


「俺、仕事でハウエル領へ行きます。…ずっと監視していたからどうにも自分で見張ってないと気になって…。お嬢を御守りしたいのに、その気持ちは変わらないのに…すんません…。」


リンが自ら離れた土地へ行く事に、エレーンは衝撃を受けた。彼とは言わば姉弟の様に常に一緒だったのだ。ある意味兄姉よりも共にいる時間は長いかも知れない。頻繁に顔を会わせなくとも、こうやって王城も付いて来てくれて何時でも一緒だと思っていたのに。…が、彼が仕事に対してどうしても譲れないものが出来たとなれば、それを止めるなんて無粋な真似が出来る筈も無い。


「何でリンが謝るの?私は大丈夫よ。それよりも、リンが無理してしまわないか、それだけが心配だわ。一人で行くの?大丈夫なの?」


リンは何時もの晴れやかな笑顔とは違う、困った様な、今にも泣きそうな笑みを返した。それはとても大人びて見えて、エレーンはどうすれば良いのか落ち着かなくなる。


「ライルの兄貴から、一人密偵の先輩を派遣して貰えるらしいですから…今夜発ちます。お嬢も、くれぐれも無理しないで下さいね?お嬢は…無理を無理だと思ってない節がありますから。」


「今夜?!…て、リン?もしかして馬鹿にしてるの?」


エレーンがむっとすると、リンは何時もの笑顔でにかっと笑った。


「これは心配って言うんですよ、お嬢!」


そう言うと、むぎゅっとエレーンを抱き締める。イスベルでは何時もの事だったのに、王城へ来てから随分と少なくなった抱擁は、懐かしさが込み上げるよりも前にあっという間に離された。やはり、何処に目があるか分からないから当然だ。


「リン…気をつけてね。私も、お勤めが果たせる様頑張る。」


「お嬢は只元気で居てくれたらそれで良いんですよ。他の事はライルの兄貴がやりますから。だから、無事帰って来て下さい。約束ですよ?」


「うーん、それって私只旅行に行くみたいな……でも、分かった。リンも、無理はしないで。無事帰って来てね?」


「まあ、俺も只見てるだけなんで何とも…お嬢より楽かも。ドレス着ないし!」


「?!」


「あ、覗いて無いですよ?でも、あれ、黄色のドレスは絶対に持って行った方が良いと思うなー、俺は!」


「リン?!」


それは舞踏会の事を言っているのか、今日の着替えの事を言っているのか、はたまたアレクシス悩殺作戦?の事なのか…エレーンが慌て出すと、リンはまた笑みを深くして一礼し、さっと屋根に登って去って行ってしまった。エレーンは、見えなくなったリンを思いながら、部屋に戻る事にした。




『御守りしたいのに、その気持ちは変わらないのに…。』



それでも仕事に準じる事を決めたリンを。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る