47話

いきなり現れたベアトリクスに、二人は慌てて礼をしたが、手で制された。


「ふむ。立ち上がれる程には回復した様で何より。構わず座ってくれ。私は直ぐに行かねばならぬから、少し顔を見たかっただけなのだ。邪魔をしてしまったな、クシャナディア姫、エレーン嬢?」


「城の皆様の手厚い対応のお陰でございます。陛下には、何とお礼申し上げれば良いのか…。」


「いや、遠路遥々出向いて貰ったのだから当然の事。今後も自身の家だと思って好きにして欲しい。…エレーン嬢も、きちんと話しをした機会は無かったな。我が愚息が世話になっている。今後とも宜しく頼む。」


「は、此方こそ勿体ないお言葉にございます。」


そう言ってエレーンが頭を下げると、ベアトリクスはにやりと実に愉しげに笑った。それはとてもオレリアスにそっくりだったのだが、頭を下げていたエレーンには見えていなかった。


「お二方、今後とも何卒宜しくな。何せ、うちの愚息と来たら…」


「……陛下。そろそろお時間です。宰相どのがお待ちですよ?」


いつもの様に気配を消して来たのか、オレリアスがベアトリクスの後ろからぬっと顔を出した。一度頭を上げたエレーンだったが、また再度頭を下げた。そのやや後ろで、クシャナディアも礼をする。


「っこれは、オレリアス殿下。ご機嫌麗しゅうございます。」


「ああ、女性の楽しみの場を乱してしまい申し訳無い。気にせず続けて下さい、クシャナディア王女殿下。エレーンどのも、母が邪魔をしたな。此方は退出するゆえ、楽にして過ごすと良い。」


「ありがとうございます。」


エレーンが頭を上げると、ベアトリクスはその綺麗な眼をじっとりと半目にして、自分の息子を睨みつけていた。


「何だ、つまらん。むさい宰相の顔を見ているよりも若い娘と話しをした方が何倍もマシだと思わないか?オレリアス。」


「城を空けておくから積もる話しが溜まるんです。さ、自分も暇では無いので、そろそろお戻り願えませんか?お二方が座るに座れないでしょう。クシャナディア王女殿下は病み上がりですよ?話し足りないのでしたら、また挨拶の場を設けましょう。でなければ貴女は直ぐに北へと帰るだの言い出しますからね。」


「積もる話しが面倒だから北へと戻りたくもなると言うのだ。」


そうぶちぶちと言いながら、ベアトリクスとオレリアスは庭園を後にした。座り直したクシャナディアとエレーンだったが、暫く嵐の様に去って行った二人の方を見ては目配せして、最後には苦笑いを交わした。


「私、驚いて声が裏返ってしまったわ。」


「ええ、私もです。まさか陛下御自ら挨拶に参られるとは…流石、オレリアス殿下の御母堂様ですね。」


「?、オレリアス殿下も良く顔を出すのかしら?」


「そうですね、以外に遊び心がある方です。とても気さくですし。」


まあ、遊び心があり過ぎて少し困る程だが…。エレーンの心中を他所に、クシャナディアは興味深げに微笑んでいる。


「まあ…我が愚兄にも見習って欲しいものだわ。いつも眉間に皺を寄せて…私が国を出る時もそれはピリピリとしていて、本当、嫌になってしまうわ。眉間の皺に効く良い薬効のクリームを土産にして帰ろうかしら?」


「まあ…」


そう言ってふふふと笑う二人は、初見の緊張も取れて、包む雰囲気が柔らかくなったのだった。その後、アルブダにも伝わっていると言うベアトリクス陛下とレイモンド前王の恋物語や逸話などを話して、二人の茶会は随分と和やかに終わったのだった。





それから何度かクシャナディアとお茶会をしていたエレーンだったが、それに比例してアレクシスとの時間が取れずにいた。


勿論、他の令嬢や、ベアトリクスやオレリアス自ら接待したりとクシャナディアに時間を割いていたのだが、イザベラとギルバートも王宮に滞在していた為其方にも会いに行ったり、訓練に出たりと、とにかくエレーンは忙しかった。


そうは言ってもそもそもがアレクシスと居る時間と云うものは、他の皆と共にいる時間の事なのだが、それすら取りにくくなっている。二人で会う時間など以ての外で、思っていたよりもクシャナディア姫の王宮滞在はエレーンにとって大事おおごとになっていた。クシャナディアをどうというのでは無く、答えを待っているであろうアレクシスに申し訳無かったのだ。


しかし、自分から呼び出すのもどうかと憚られ、結局二人は顔を合わせばそっと微笑むのみに留まっていた。時には執務室で。時には通路で。ただ視線を交わすその一瞬だけでも、エレーンの心は明かりが灯った様に暖かくなるのだった。



ギルバートを始め、母イザベラも何かしら聞き及んでいそうだったが、特に何も言って来ないのは助かっていた。何せ、兎に角忙しく、アレクシスと共に歩むのがどういう事なのか、そして自分はどうあるべきなのかをじっくりと考える暇が無かったのだ。常に頭にはチラついてはいたのだけれど。


実の所イザベラとギルバートが長く王城へと滞在するのも、別の意味があった。それは、偶々リンの習慣によるものだったのだが、まだ未確定としてエレーンやアレクシスには知らされていなかった。






そんなある日、エレーンはオレリアスに指示され、体の調子が戻って来たクシャナディアを建国由来の水の女神の神殿へ案内するから付いて来いと、強制的に湖の中央の神殿へ視察に三人と護衛二人で訪れていた。


意外にも、オレリアスは暇を見つけてはクシャナディアの所へと赴き、庭園を案内したり、書庫を案内しているらしかった。アルブダとの間に協定は結んでいるものの、そこは長年の軋轢がある二国間だからこその気遣いだろうと、クシャナディアが零していた。確かに、未だに両国の境界近くには砦が置かれ、目を光らせているのが何よりも物語っている。



湖畔にも礼拝堂は建てられているが、神殿は湖の真ん中の少しばかり隆起した小島に建っていて、ここだけはライルの勉強合宿ですら入れなかった特別な場所だ。初めて目にする白亜の神殿は美しく、エレーンとクシャナディアは眼を輝かせて魅入ったのだった。アルブダの信仰している神は太陽神である為、その神殿の様相も違うらしく、クシャナディアは興味深げにオレリアスの話しを聞いていた。オレリアスの隣で話しに相槌を打つその姿はまるで絵画から飛び出た様で、エレーンは微笑ましく二人を見守っていたのだった。


しかし、その穏やかな雰囲気は湖を舟で渡ってから乗り込んだ馬車の中で、無残にも打ち砕かれてしまったのだが。


先ず、乗車する前にオレリアスが侍従から耳打ちをされた途端、空気が一変したのだ。




「……アルブダでシャリフ殿下が何者かに襲われたらしい。」


暫く押し黙って何かを思案していたらしいオレリアスだったが、帰りの馬車の中で重々しく口を開けた。


「…まさか、そんな…」


クシャナディアは口に両手を当て、わなわなと震え出した。シャリフ王子殿下はクシャナディアの実兄で、次代の王に指名されている王太子である。シャリフとクシャナディアは二人のみの兄妹ではあるが、アルブダは一夫多妻制なので他に腹違いの兄弟が三人居る。次代の王は其々の市街を納める酋長の議決が必要なのだが、彼が王太子に決まってから、確かに城内外が緊迫した気がする…と、何度目かの茶会で聞き及んでいたエレーンは、何と言ったら良いのか分からず、只押し黙っていた。


「それで、兄は…兄は無事でしょうか?!」


震えながらも、辿々しく問いかけるクシャナディアの肩をそっと摩る。口元を押さえていた両手は胸の前でがっちりと握られていた。


「命に別状は無いそうだが…クシャナディア王女殿下、気持ちは分かるが落ち着いて下さい。詳しくは城へと戻ってからにしましょう。この場で不安になるような発言をしてしまい、申し訳無かった。」


クシャナディアは大きくかぶりを振った。


「…いいえ、取り乱して申し訳ございません。私は大丈夫です。寧ろオレリアス殿下のご配慮にお礼申し上げます。このまま知らぬ振りで城へと向かわれるよりもずっとましです。…そうですか、兄は無事ですか……。」


エレーンは固く握るクシャナディアの胸の前で組まれる手をそっと取り、膝の上に下ろさせた。その瞬間、彼女は儚げに少しだけ口角を上げて見せたものの、直ぐにその表情は陰ってしまった。


自分には何が出来るだろう…。


何度目かの茶会で随分と彼女と仲良くなったエレーンは、クシャナディアの様子に胸を痛めるのだった。


無言の三人を乗せたまま、馬車は王城へとひた進む。








日を少し遡る。


発端はリンの習慣であった。


リンは大体は夜に城の中を隈なく探索するのが仕事だったのだが、たまに昼間なども日が当たらない屋根裏へ隠れては城の情勢を見張っていた。

その日、リンは目の敵にしていたレイニードに、今度はどんな悪戯をしてやろうかと、彼の私室まで侵入していた。既にレイニードを脅かす事はリンの月数回の習慣になっていたのだ。大切な主人を乏した代償は大きい。しかし、これまで一切気取られないリンの手腕は恐ろしいものがあるのだが、それに気付いているのはリンを含め、誰も居ない。


そしてまたこの日もこっそりとレイニードの動向を見ていると、何やらレイニード個人の従者から手紙を受け取っていた。その中身を、待ちきれないかの様に急いで封を開ける慌てぶりに、リンは違和感を感じていた。


「…まさか、本当だったとは…。」


手紙を確認し、漏れ出たその呟きは空間へとか細く消えて行った。その後レイニードはぶつぶつと独り言を呟いて部屋を右往左往する。リンはそのまま息を潜め、手紙の所在を確認していた。レイニードはその手紙を書斎机の引き出しの中の箱の中へと仕舞い込み、また顎に手を当て悩んでいる風だったのだが、ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、足早に部屋を後にした。


ハウエル家の弱みでも握れるかと、リンはそっと部屋へ降り立つと、箱の中身を確認した。痕跡を残さぬ様に丁寧に折り目を開いて……


「…うーわ、ヤッバ…」


忍んでいる最中に声を上げるなんて言語道断である。ライルに知れたら大目玉ものだ。しかし、その衝撃はリン一人の心の中に留めておくには無理な話だった。


そこには、レイニードの父親、ヴァレリー・ル・ハウエル侯爵から、シュンベルへの使途不明な送金が事実だったとの報告書であった。


そして、グエル領現領主カリスト・ラ・グエルの殺害未遂と、行方不明の記述が書いてあったのだ。






神殿から王城へと戻ったエレーンは、クシャナディアに頼まれて一緒に話しを聞く為、オレリアスの応接室へと移動していた。そこへはアレクシスも駆けつけて、既に待機していた。アレクシスも数度クシャナディアのご機嫌伺いをしてはいたのだが、オレリアスに比べて回数は少なく、応接室で会ってもぎこちなく挨拶するのみとなった。


「シャリフ殿下は、視察で王都より離れ、郊外の街を訪れた帰りに襲撃を受け、幸い撃退したらしいのですが…腕に怪我を負われたそうです。此方の調べですので、これ以上詳しい事は分かりません。」


「…其方の調べ…。それはいつ頃のお話しでしょうか?私には何も報告がありません。」


オレリアスはちらと壁際に立つアルブダの侍女と護衛へ視線を向けたが、三人は目を伏せて黙って佇むのみだ。


「…この報告は今朝方着いて、事件は凡そ十日程前の話しだと。」


「…左様…でございますか…あの、申し訳無いのですが、私失礼しても宜しいでしょうか?少し気分が…。」


「さぞお疲れでしょう。エレーンどの、クシャナディア姫殿下を部屋へと送ってはくれないか?送り届けた後、また此方へ戻って欲しい。其方の侍女と共に向かってくれ。」


「畏まりました。…クシャナディア姫様、お立ちになれますか?」


クシャナディアはよろよろとふらつきながらも立ち上がると、エレーンの手を取り部屋を出た。


通路へ出ると、クシャナディアは震えた声で後ろに付く自身の側付きへ尋ねた。


「…何故、兄上から報告が上がっていないのかしら。誰か、分かる者は居ないの?」


「…申し訳ありません、姫様。」


「……そう、分かったわ。」


それきり、クシャナディアは黙ってしまい、そのまま与えられた自室へと戻ったのだった。エレーンは何と言ったら良いのか分からず、ただゆっくり休む様促すだけで精一杯だった。






エレーンが応接室へ戻ると、直ぐに座る様に促された。人払いした後に、オレリアスは真剣な面持ちで説明し始める。


「……恐らく、クシャナディア姫に毒を盛ったのは…彼女の侍女だろう。」


思いもしない言葉に、エレーンとアレクシスは目を剥いた。


「だが…致死毒でも無ければ、直ぐに体から抜けた所を見ると、侍女はシャリフ王子の命で盛ったに違いない。」


「兄君様が…ですか?」


エレーンの問いに、オレリアスは重々しく頷いた。


「王子は予め危険を予知していたのだろう。だから出来るだけウェリントンにクシャナディア姫が滞在出来る様に態と毒を盛った。そして、懸念した襲撃があった訳だ。」


そう言うと、オレリアスは何が面白いのか、にっと笑って見せた。


「いや、シャリフ王子とは数度しか会った事は無いが、相変わらず頑固な男だ。一言頼めば良いものを、内々で済まそうとするとは…余程借りを作りたく無いと見える。下手をすれば、此方が疑われた案件だぞ。どうにも、俺に頭を下げたく無いらしい。」


「…クシャナディア姫はこのまま国に滞在を?」


笑うオレリアスを胡散臭げに見ながら、アレクシスが口を開いた。


「いや、あの様子ならば明日にでも自国へ帰ると言い出しかねない。それに、ちょっと気になる事が出て来たしな…。俺に黙って事を進め、剰え謀るとは…一泡吹かせてやるか。」


「兄上?物騒な物言いは控えて下さい。大戦を再来させたいのですか?」


アレクシスに窘められると、オレリアスは更に笑みを深くした。


「そんな訳あるか。時に…アレクシス、お前の成長振りを兄に見せて貰う日が来た様だな。明日楽しみにしておけ。さ、二人共今日は終いだ。俺は大人共と話しがある。」


そう言うと、さっさと行けと言わんばかりに二人に向けて手をしっしと払う始末。仕方なく、エレーンとアレクシスは席を立ったのだが、『せいぜい今日は仲睦まじく過ごす事だな。』と何故か冷やかされ、アレクシスがオレリアスに怒る…などして、中々退出出来ないのであった。



やっとの事で兄弟喧嘩(?)が収束を迎え、通路へと退出した二人と入れ違いに、ロバートとルーカスが応接室へと入室した…が、中からルーカスの驚きの声が聞こえて、エレーンとアレクシスは踏み出した足を止めた。二人で様子を伺っていると、直ぐにルーカスが退出して来た。


「…王子、執務室まで送ります。」


明らかに気落ちしているルーカスが珍しく、二人共暫し無言になって返事すら忘れていた。そのまま三人で歩き出したのだが、ルーカスの様子がおかしい。


「…王子、頑張って下さい。俺はいつでも王子の味方ですから…。」


「…気色が悪いんだが…何だ、兄上から何を言われたんだ?言ってみろ。」


そう言うと、ルーカスは悲痛そうに眉を寄せて首を振る。


「俺から言える訳が無いじゃないですか…。せっかく…ねぇ?本当…タイミング悪いから、目も当てられないですよ。」


「はあ?意味が分からん。」


「あの、これからどうすれば?執務室へ戻って書類の整理ですか?」


そうエレーンが言えば、ルーカスはエレーンの眼をじっと見つめて来る。


「あの……?」


「……二人でイチャイチャさせてあげたいのは山々なんだけどさぁー。」


「えっ?!」


それは何時ものルーカス節なのだが、とんでも無い事を通路で言うものだから、エレーンは辺りを見回した。そこはルーカスか、はたまた人払いのお陰か、人影は見当たらなかった。


「ちょっと二人共俺が稽古付けてあげるから、 着替えて宮殿の第三庭園に集合でどうですか?彼処なら芝生が広々としてるし、今からの時間なら人通りも無いでしょー。」


「本当ですか??ありがとうございます!」


アレクシスのげっ、と言う不満の声はエレーンの喜びの声に掻き消えたのだった。

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