公爵令嬢としての使命

46話

華やかな舞踏会も終わり、エレーンはようやっと息が付けると思っていた。舞踏会まではアレクシスに対する想いで押し潰されそうであったし、想いを自覚してからはこれからの事を考えなければならないし…で、まだまだ考える事は山積みなのだけれど。襲って来た敵は不明瞭で、下手な自分は話しも上手く聞けず仕舞い。今後も油断ならない事は変わりないのだが、それでも、一先ずはやるべき事の一つが終わった…そう感じていた。


そして残る懸念は…ニコルの事だ。父母が来ていたからと二日程休みを取っていたニコルが、今日王城勤務へと戻って来ていた。ニコルの両親は父親が王城勤務の文官で、家も王都内に有るらしいのだが、騎士団に入ってからは滅多に帰る事も無いそうだ。エレーンは舞踏会後のニコルの事が気になって仕方が無く、気付けば彼女の部屋の前まで来て、自然とノックをしていた。





悩みの種の兄、ギルバートと言えば舞踏会の次の日、案の定嬉々としてルーカスと訓練で汗を流し(何故かそこへロイも参加して躍起になっていたが)エレーンは構って貰う処か、次々と稽古を付けて貰いたいと言う猛者達に割って入れず、一人でその場を後にしたのだった。クロードと良い、ギルバートと良い、兄二人は現在王城勤務でも無いというのに周知振りが可笑しな話しである。


隅っこで基礎練習を終えた後、訓練場の水汲み場へ移動し一人で汗を流していると、ぼろぼろになったロイがやって来て驚いた。どうやら相当無茶な追い込みをしたらしい。心配して側へと寄れば、ロイにしては珍しくエレーンをそっと抱きしめた。イスベルならそれでも何とも思わなかったが、ここは天下の王城。噂が一日で隅々まで巡る場所だ。エレーンは慌てたが、思いの外直ぐに離されて、またいつもの『頭ぽんぽん』をされたのだった。その表情は、穏やかな、それでいて寂しそうな感じに見受けられたが、そこは無表情で無口なロイ。何かを言う事は無かった。


ロイのその行動で、エレーンは薄っすらと懸念が湧いた。考えたくは無いが、まさかロイにまで舞踏会の後の事が知れているのかも知れないと。そう思うと、エレーンは内心羞恥に悶えるのだった。



…そんな余計な事を思い出しながら、ニコルの部屋の扉の前で待っていると、ゆっくりと扉が開けられた。その隙間から覗くニコルは……顔が物凄く疲れていた。


部屋へ入る様促され、示された椅子へと腰掛ける。ニコルはと言えば、只でさえ小柄な彼女が一回りも小さくなった様に感じる程に、とにかく疲労困憊に見える。しかし、黙っていても仕方がないので、エレーンは恐る恐る尋ねる事にした。


「あの、ニコルさん…その、うちの兄は大丈夫でしたか??」


「……ふふふっ」


「…?ニコルさん?」


ニコルはエレーンに目も合わせず下を向いているが、何故か肩が揺れる程笑っている。ある種の異様さを感じ、エレーンはもう少し強めに問いただしてみた。


「あのっ、兄が何かしたのであれば謝罪させますのでっ!何があったのか教えて下さい!」


「……何なんですの?!マルシュベン家は皆様ああですの?!お陰で母が倒れましたわっ!!」


「?!」


ニコルの説明はこうだ。


ギルバートが強引にニコルを引っ張って会場を後にした二人だったが、控えめに言ってもかなり人目を引いていた。尚且つ、ノーマン家特有の長身のギルバートに対してニコルは少女の様に小柄。いくら日々鍛錬を行なっているとはいえ、ドレスの上にヒールなのだから歩幅に付いて行けずに足は案の定縺れ、転びそうになったらしい。


「ほら、言わん事じゃあない。」


「な?!だ、誰のせいだとっ」


などと言っている側からひょいと横抱きされ、そのまま馬車まで送り届けられたらしい。


「………。」


「あの時の私の気持ち、分かりまして?!出口までの通路をずっと抱えられ、ちらほら帰る方々に目撃され…あんなに恥ずかしい思いは初めてですわっ」


しかも、馬車へ着いた時も横抱きのまま。そしてそのまま自分は西の大砦の第一隊副隊長、ギルバート・ラ・マルシュベンだとご丁寧にもニコルのご両親に挨拶したらしい。いや、確かに挨拶は大切だ。しかし、ニコルの両親はいきなりの自治領公爵子息が、お転婆娘を抱えて登場したものだから、父親は恐縮しきりでしどろもどろになるわ、母親は目の前の現状に付いて行けなかったのか、ギルバートが会場へ戻った後倒れたらしい。


「そ、それは…」


「父も母も優しいのですけど気が小さくて…。寧ろ目の前で倒れなかっただけマシと言うもの。…あの後は母は熱を出して寝込むわ、父は何をしたんだ、どんな迷惑をお掛けしたのだと煩くて。早く兵舎に戻りたくて仕方が無かったですわ。」


エレーンは予想よりも酷い結果に、何故自分も付いて行かなかったのかと内心責めた。


「しかもですわよ?」


「ま、まだ何か…?」


ギルバートは抱き上げた途端、


『……本当に成人してるんだよな…?』


「ですってよ?!何なんですのよ!!私の何処が成人前に見えるって話しですわよ!!」


ああああ…なんて事だろう。ギルバート…兄は盛大にやらかしていたのだ。


「あの、今から引きずってでも兄を連れて来て謝罪させますから!ニコルさんはどうぞ文句を言ってやって下さいっ」


「いいえ結構!!」


「?!」


「私は剣を手に取ってから売られた喧嘩は買いに買って参りましたの。どんな手段を取ってでも、負けない気持ちで。……けれど……あんなに私の話しを聞かない方初めてですわよ?!一体なんなんですのよ、あの方はっ!」


「……兄はマイペースでして……その」


エレーンはしょんぼりと体を小さくした。概ね自分のせいかも知れないからだ。付いて行かなかったのもそうだが、とにかくマルシュベンの皆は抱き癖が酷い。そして人の抗議を聞いていない。幼いエレーンをそうやって抱っこしてあやして来たものだから、癖になってしまっているのだ。レオナルドだって、エレーンを抱っこしたらその後どんな制止も聞かないのだから。


「悪気は無いのは分かるのですけれど、話しを聞いてくれないと困るんですのよ。…もう関わる事も無いでしょうし、犬に噛まれたと思って我慢致しますわ。エレーンの実のお兄様なのに申し訳無いのですけれど。」


「本当に兄がご迷惑を…」


「いいえ、エレーンの所為では無いのですから、謝罪は必要無いですわ。……けれど、私思いましたの。まだまだ私の話術も危機回避能力も甘いのだと。この舞踏会明けの合同訓練では、後が無いくらいの意気込みで挑みたいと思っておりますのよ。」



そう言ってふふふと不穏な笑いを洩らすニコルを、エレーンはとにかく申し訳無い気持ちで見守っていた。





次の日の合同訓練は久しぶりにエレーンも参加であった為、ニコルと共に訓練場へと移動した。そこには、悪夢の様な展開が二人を待ち構えていた。


「今日は西の砦から第一隊副隊長のギルバートどのが珍しくこっちへ顔を出してくれてな。せっかくだから一緒に指導をと思って連れて来た。皆、失礼の無い様にな!」


おおお〜っと頷く集団の中、ニコルは空想上の生き物、まるでドラゴンでも見たかの様な驚愕の表情で壇上のギルバートを見ていた。エレーンも聞いていなかったので、これには驚いた。


「お、エレーン。今日はしっかりと訓練見てるからな!ニコル嬢も、転ばない様に気をつけてしっかりな!小さいのだから無理するなよ。」


……なんて壇上の上から爽やかな笑顔でこっちへ手を振るのだから、目立つ処の騒ぎでは無い。妹ならまだしも、女っ気の無い大剣のギルバートが女性に声を掛けたのだ。しかし、その言葉は優しさから出たものなのだが、件の女性には禁句な言葉であった。


「誰が小さいですってぇ?!エレーン!貴女のお兄様は喧嘩売ってますの??買いますわよ?!一番の対戦相手はこの私にして下さいませんか?!騎士団長!!」


「だ、駄目ですニコルさん!!落ち着いて下さいっ!!小兄様!!失礼な言葉は慎んで下さい!!」


「小柄なのだから間違えて無いだろう?良し、やるか?ニコル嬢?」


「もう!!小兄様っ!!絶対駄目です!!」


ニコルの憤怒の表情も気にせず、ギルバートはにこにこと楽しそうで、エレーンは直様騎士団長へ絶対対戦させない様お願いするのだった。


その後、大剣のギルバートは小動物が好きらしいだの、暴れ馬を手懐けようとしているだの、騎士団に在らぬ噂が流れてしまい、エレーンは再度ニコルに頭を下げるのだった。



しかし、それよりも更に大変な事態がエレーンへと降り掛かっていた。まだニコルの怒り冷めやらぬ、訓練から数日。オレリアス殿下に呼ばれ、何事かと謁見したのがそもそもの間違いだった。いや、第一王子殿下の招集をエレーンは断れはしないのだが。






「申し訳ありません、エレーンさん。貴女様も色々とお忙しいでしょうに……。」


「い、いえ…。クシャナディア姫様も、他国で体調を崩されて心細いかと存じます。私の事はどうぞお気になさらず…。」


何故かエレーンはアルブダ国王女、クシャナディアとお茶会をしていた。王宮内の数ある庭園の中、中位の広めの庭内にある東屋で二人で対面した形で座り、王宮侍女が用意したお茶を飲んでいる。クシャナディアのお付きの侍女は、東屋の外で静かに待機していた。


カップを口へ運びつつ、エレーンはぼんやりと考えていた。一体、何故自分が……。そう思うものの、おくびにも出しはしないが。



事の発端は第一王子殿下の言葉だ。


『どうやら、クシャナディア姫は今蔓延している毒薬とは別の毒を少量飲まされた様でね?何処で盛られたのかも不明で、此方としてはアルブダ国へ潔白を証明しないといけない。完全に抜けるまで王宮で過ごして貰いたいのだけど、生憎王族血縁に同じ年頃の女性は居ないし、騎馬隊五番隊の女性騎士には姫の警護を任せたいから、悪いけどエレーン嬢が話し役になってくれないだろうか?あ、是非友達になってくれると此方としても嬉しいのだが。どうだろう?やってはくれないか?なに、ちょっとお茶をするだけだ。』


などとお願いされてしまったのだ。やんわり言われたが、明らかに断れない話し振りに、エレーンは硬い動きで頷くしか無かった。


さすがに女性の伴であるし、今回アレクシスは少し顔を顰めたものの、オレリアスに何か言う事は無かった。舞踏会の後、恥ずかしさにまたアレクシスと気まずい雰囲気になるかと思っていたのだが、執務室で会うと案外平常心になれるもので、エレーンはこっそりと胸を撫で下ろしていた矢先の出来事だった。


アルブダ国とは長年水を巡り領地争いが絶えず、終止符を打ったのが三十余年前のアルブダ側の侵攻で起こった大戦だった。


アルブダの国土の約半分程が砂漠であり、挙句ウェリントン国との境界線に聳え立つエイレナ山にアルブダ側のシーリア海から吹く風が堰き止められ、雨雲からの水は全てウェリントン側へと降り注ぎ、アルブダ国側は厳しい風により土地が乾く…という性質により、砂漠は広がるばかりであった。これを危惧した二代前アルブダ王が侵攻に踏み切った。


砂漠に慣れないウェリントン側は苦戦を強いられた。アルブダの騎馬兵力に押され、西の境界線での攻防は激化したまま実に半年以上続き、そこへウェリントン自治領のマルシュベン、ノーマン、グエルが加勢して何とか抑えたのだった。協定により資金の大半をアルブダ国が出して地下水路建設が決まり、十五年掛けて完成に漕ぎ着けだのだった。


「エレーンさん?どうかなさって?」


思い出してぼんやりしているエレーンを、柔らかな微笑みで問いかけるクシャナディアは、王族らしく凛とした佇まいに加え、薄水色の瞳を縁取る睫毛と同じ金髪の長い髪は、キラキラと光を反射してまるでそこだけ魔法がかかっているかの様に美しい。


見惚れつつ、エレーンは出来るだけ柔らかな笑顔を向けた。


「すみません、緊張してしまって…。」


「まぁ…そんなに固くならないで?私の事はどうぞシャナと呼んで下されば良いわ。姫なんて呼称を付けてしまうから、緊張してしまうのでしょう。」


「まさか、愛称で呼ぶなど、恐れ多いです。」


エレーンが慌てると、クシャナディアは困った様に眉尻を下げた。


「いいえ、私の国はこちらの様に厳格な礼儀など有って無い様なものです。皆が皆力を出し合って生きて行かなければならない程、砂漠での生活は厳しい。民達は家族の様なもので、とても気さくだわ。せっかく此方で仲良くして頂けるのに、距離がある様で寂しいもの。是非、ね?」


……アレクシスと良い、クシャナディアと良い、保々初対面で名前を呼ばせようとするのは孤独が付き纏う王族だからこそなのだろうか。


などと思いながら、それでも気さくな付き合い方を進めてくれるクシャナディアの意を汲んで、エレーンはゆっくりと頷いた。


「でしたら、シャナ様と。私の事もエレーンかエルと呼んで下さい。近しい方からはそう呼ばれていますから。」


「あら、それならエルさんと呼ばせて頂くわね。口調も是非、私の侍女と三人の中では砕けて下さって構わないわ。私もそうしますから。」


「口調は…ええと、善処致します…。」


それを受けて、クシャナディアはふふっと優雅に笑うのだった。




体調不良の件は、既にオレリアスの指示の下調べているのだろうし、エレーンはとにかくクシャナディアが退屈にならない様にと、好きなものや自分の仕事について話す事に努めた。


「まあ、では貴女は幼い頃から剣術を?」


「はい、マルシュベン領は貿易も盛んですから、物資を狙った賊も多いですし、結局家族皆が剣を取るどころか、領民も一丸となって戦います。」


「それは…少し我が国とも通じるわね。私は剣を持たないけれど…。此方は女性騎士も多いし、女性の社会的地位が認められているのね。」


「…そこまでかは私も分かりませんが、女性騎士の雇用が多いのは陛下のお陰なのかも知れません。」


「確かに。ベアトリクス女王自ら治世に尽力しているのですものね。アルブダはどうしても、女性は庇護対象、なるべく家から出るな、仕事なんて女性には無理だ…なんて考えが大多数を占めているから…。」


そう言うと、クシャナディアは寂しそうに微笑んでみせた。


「此方でも、同じ様な考え方が主流ですよ。只、陛下のお陰で少し門が開いたに過ぎません。やはり、女性が剣を持つなんて、と驚かれる方も今だに多いですから…。」


そうなのだ。女性騎士登用はまだ少ないのが現状で、カレイラやエレーンが特殊な立場なのだ。イザベラはかつての大戦では領主の代表の内の一人として兵を立ち上げ前線へと赴いていたが、その頃ですら女剣士止まりで、王城での騎士登用は少なかった。そう考えれば、開かれた門はまだまだ狭いものの、その意味は大きい。


「それでも、だわ。アルブダの私から見たら羨ましい事だもの。確かに、アルブダにだって女性には女性ならではの仕事もあるけれど…エルさんが羨ましいわ。私だったら立場云々よりも絶対兄上が許さないもの。」


「兄君様は、お厳しいのですか?」


「もう、笑った顔なんてここ暫く見ていないの。ちょっと根を詰め過ぎなのよ。……自分に厳し過ぎるの、此方が心配になるくらいに。」


大切な人の笑顔が見れない辛さが、ここ最近で見に染みて良く分かるエレーンは胸を掴まれる思いだった。


「それは…お辛いですね。大切な方と笑い合えない事程、寂しいものは無いですから…」


「そう…ね、そうなの。大体、仕事仕事と無理をし過ぎなのよ。私が何を言っても聞きやしないし、私に縁談を山程持って来る癖に自分はお見合い断りまくっているのもズルいと思わない?先ずは側で支えてくれる伴侶を見つけるのは兄上からでしょう?」


意気込んで此方を見て来るクシャナディアに、エレーンは困った様に微笑んで見せた。どこの家庭でも婚約者選びというのは大変らしい。


「そこは私には何とも……私の両親は恋愛結婚でしたし、兄も姉もそうだったので…」


「まあ!本当なの?貴女は公爵家でしょう?それは気になるわ!是非詳しくご家族の馴れ初めを教えて欲しいわ!」


「ええ?!えっと…」


「ねっ?是非!」


自身の家庭事情を話すのも憚れるのに、更に両親兄妹の恋愛事情…エレーンは困ったが、クシャナディアの期待に満ちた瞳を向けられて嫌とは言えなかった。しかし、両親の馴れ初めは両国の大戦なのだが…。どう言って良いのか、頭を悩ますのだった。



色々と誤魔化しながら、両親の恋物語?を話していると、庭園の入り口辺りが騒がしくなった。


「何かしら?今日は私達の貸し切りの筈なのに…」


クシャナディアは不安気に騒がしい方へと視線を向ける。遠巻きに警備も配置しているので、万が一という事は無いのだろうが、エレーンは自然と立ち上がってクシャナディアの側へと庇うようにして寄り添った。


そう動く間にも騒がしさはどんどんと近付いて来て……


「すまぬな、若い者同士話している所に。少し時間が空いたゆえ、クシャナディア姫の容体を見に参った。どうだ、足の痺れはマシになっただろうか?」


そう言って現れたのは……ベアトリクス女王陛下だった。

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