41話

アレクシスと先ずは会話をしよう。



ニコルとカレイラに相談へ伺い、そう決心して既にあれから二週間経っていた。何度も話しかけても返事は冷たく、ロバートにお願いしても曖昧な笑顔で首を振られるだけ。ルーカスに至っては、無言で肩に手を置かれるだけ。一度溜め息混じりに言われたのは、


「こーゆーのって、第三者が手を回しても拗れるだけなんだよね。」


その一言だけで、彼が間を取り持ってくれる気が更々無いのだと分かり、エレーンは落ち込むのだった。



自分は何故こんなに落ち込んでいるのだろう。



それは、幼い時に町で一緒に遊んでいた子供に仲間外れにされた様な疎外感にも似ていたし、アレクシスが何を抱えているかは分からないが、それに対して力になれない自分の無力さに落胆している様にも思える。


けれど、これは外側には出さない様に。

そうやって何でも無いと振る舞っているが、ロイに関しては珍しく心配している様な、少し悲しそうにも見える表情で頭を撫でられ、ニコルは悩むよりも鍛練で体を動かした方が良いのだと朝から訓練場へと日々駆り出されている。リンなんて、


「王子を懲らしめてやろうか?」


と真顔で言われて全力で首を横に振るしか無かった。何をする気だろう、普段笑顔のリンが真顔だなんて恐ろしい事になるに違いない。そもそも、アレクシスが原因で落ち込んでいるなどと、口に出した事が無いのに、何故名指しなのだろうか?自分はそんなに分かりやすいのか……。エレーンは両手で自分の頬を押さえた。この顔に、思っている全てが出ているのかも知れない。




「……ここで何をしている。」


顔を上げると、レイニードが訝しげな顔を浮かべて、エレーンの前に仁王立ちしている。物思いに耽っていたから、人の気配に全く気をつけていなかった。これがまだこの場所だから良いけれど、王城では気を抜けない。気を抜けないから、ここに来ているのだが。


ここ、とは王城を通り抜け奥の王族の住まいである王宮の隅の極々小さな中庭だ。普段の昼間には多くの者が城内や、執務室や資料室が設けられている東搭に赴くため、空いていて一人考え事をするには持って来いの場所だった。最近は、話しの躱し方も覚えてルーカスにお墨付きを貰え、王城内でも一人で行動出来る機会が増えた。というか、アレクシスが忙しくなり、比例して周りも忙しくなって、ロイが四六時中エレーンに付いておく事が出来なくなったのも起因するかも知れない。ニコルに諭されたが、エレーンが害ある者に近付かれ無い様にと配慮がされてあったのだ。こんなに月日が経つまで気付かなかった自分にげんなりしたが、今ではアレクシスが最初に言った、『働き安い様に改善策も立てる』とはこの配慮だったのだなと何となく思っている。……今は働き安いがどこか胸が苦しいけれど。


さすがに王子付き騎士であり、公爵令嬢の肩書きを持つエレーンでも、王宮内を闊歩するのは憚れるが、外の庭に入る分にはとても気楽で、この小さな庭は最近お気に入りの場所だった。今、人があまり来ないという前提は脆くも崩れ去ったのだが。



「……考え事をしておりました。」


両頬を押さえていた手を離し、立ち上がり居住まいを正した。そのまま座っていたものだから、普段着用のワンピースに土が付いていた。それをそそくさと軽く手で払う。


「それはそれは。怪しげな人影があるから来てみれば、まさかエレーン嬢とは。何やら左右に体が揺れていたが、具合が悪いのでは無い様で安心しました。」


確かに不審な動きをしていたのかも知れないので、不振人物発言に反論出来なかったが、彼から心使いの言葉が出た事に驚いた。


「大丈夫です。お見苦しい所をお見せしてお恥ずかしい限りです。心配させてしまったみたいで、すみません。」


「心配などしていませんが。倒れられても衛生兵を呼ばなければならなくなるから、念のため確認したまでです。変な勘違いは迷惑ですね。遠慮して頂きたい。」


「……。」


あの騒動の後、顔を合わせても何も言って来ないどころか少しずつ疲れた様な窶れた様な、顔に陰りがあった彼は、相変わらずエレーンへ一物抱えている様だ。


「そうですか。それはお手間を取らせて申し訳ありません。変な誤解を生まない様に気を付けます。」


言ってペコリと頭を下げて、エレーンはこの場を後にしようと踵を返した。


「もうお妃になったつもりで、この様な場所で物思いに耽ってでもいたのでしょう?いや、気の早い話ですね。何とも欲の強い。」



今何と言った?



エレーンは反射的に振り向き、男へと足早に近付いた。


「この庭は王城勤務している者全てに開かれた場所の筈。王宮内ならいざ知らず、私が何処で休息を取ろうとも、そう言われる筋合いは無い筈です。今の言葉撤回して下さい。今すぐに、です。」


レイニードはエレーンの様子に一瞬怯んだ様子だったが、直ぐに姿勢を正してエレーンに背中を向けた。そのまま立ち去ろうとする。


「何を憤慨してらっしゃるのか図りかねますが、私にはそう見えただけ。そんなに気を荒立てるなど、何か思い当たる節でもあるのでは無いのですか?」


この前の事はやり過ぎたのかと危惧していたが、とんだ勘違いだった様だ。もっと足腰立たなくなるまで……いや、最早再起不能になるまで徹底的にやってしまえば良かった。けれど、ここで自分から決闘をけしかけるわけにも行かないし、それでも一矢報いたい。エレーンは懸命に頭を働かせた。ルーカスやニコルに対処方を習ったのだ。自分もここで成果を示さないと。



「……私と交際が出来なかったからと言って、嫉妬で八つ当たりされるのはどうかと思いますが?恥ずかしく無いのですか?」


「……何だと?」


そう、これだ。何と言ってもこの前の騒動でこの男は、エレーンに惚れていて勝負を挑んだ設定になっているのだ。本人の気持ちは全く違うとしても。これを使わない手は無い。

振り向いたレイニードは苦虫を噛み潰した様な、苦渋に満ち満ちた顔をして拳を握り絞めている。そのうち手の平から血が流れるのでは無いかと思う程だ。


「……あれは、貴女方が仕組んだ事でしょう。」


レイニードのその視線は、射殺すかの様にエレーンを捉えていたが、そんなものでは動じない。戦場では何度もその目に晒されて来たのだ。それに、アレクシスのあの何も映していないかのような無感情の視線よりも、エレーンの心を荒らす目付きなどこの世に無いかも知れない。


「……何を仰っているのか分かりかねます。貴方と違って、私は事実を元にして、言葉を口にしておりますから。もう一度お断りの宣言をしましょうか?」


そろそろその拳が繰り出されるかも知れない。そんなの、喜んで受けて立つのみだ。レイニードが一歩ずつ、此方へ近付きー



「エレーン嬢とハウエル侯爵の息子か?何をしている。」




声の方を見ると、庭に面した窓から、オレリアスがにやにやと意地悪な笑みを浮かべて此方を見ていた。

二人は気配も無く現れた御仁の顔を確認して、慌てながら最上級の礼を向けた。


「良い、崩せ。こんな人が来ない所で何をしていた。もしや、二人の会瀬の邪魔をしてしまったか?」


「!、いいえ、殿下。誤解でございます。」


とんでも無い話しに、エレーンは慌てて顔を上げた。当の御仁は、そんなつもりも露程も思ってはいないのだろう、唇は美しく弧を形作るばかりだ。


「ならば人気の無い場所で男女二人でいるなど、しない事に越した事は無いだろうな。違うか?侯爵子息どの?」


「……レイニードにございます。以後、気を付けましょう。申し訳ございません。……エレーンどのにも、配慮が足らず、失礼しました。」


「……私も、気付きませんで申し訳ございませんでした。」


ぎすぎすとした空気の中、二人は頭を下げあった。エレーンとしてはそれでも内心怒りが治まらず、次の合同訓練では目にもの見せてやろうと心に固く誓うのだった。隣のエレーンの思いは知らず、レイニードは宮内へ続く扉に向かい、歩き出す。


「レイニードどの、私の妃候補に異存があるのなら、はっきり言ってくれて構わないが?」


一瞬びくりと肩が震えた様に見えたが、レイニードは固い笑顔でオレリアスに向かい礼をした。


「まさか、そのような事は万に一つもございません。……失礼致します。」



レイニードがこの場を退出した後、オレリアスはくっくと肩を震わせ笑いを堪えていたが、全く堪えられてはいなかった。怒りの矛先が居なくなり、エレーンはどうしようかぼんやりと肩を震わす御仁を見ていたが、もうこの場にこのまま居るのも難しいだろう、と思い立ちオレリアスに再度礼をした。


「兄殿下、私も失礼致します。」


オレリアスは目にうっすら涙まで浮かべてエレーンを見た。この方は……一体どの部分から二人を観察していたのかと思うと、エレーンは少し背中が寒くなる思いがした。怒りに任せていたから、さぞや高飛車な女性に見えただろう。アレクシスの耳に届かなければ良いのだが。


…そう思った直ぐ後に、彼には関係無い事だったなと思い直して、その考えにまた少し落ち込んだ。こんな気持ちを無くしたい為に、休息日を利用して綺麗なこの場所を選んだのに。今日は厄日だろうか。


「いや、またさっきみたいのが沸いてもたまらん。エレーン嬢は俺が送ろう。」


「……は、いえ、恐れ多い事でございます。私は大丈夫ですので……」


「俺の可愛い妃候補だからな。変な虫が付いては堪らないし、送ろう。」


その言葉に目をぱちくりさせてオレリアスを見る。彼はまたぶふっと笑いを……堪えられずに口元を手で隠していた。いやいや、思ってもいない事を言わないで欲しい。もし誰かに聞かれていたらどうするつもりなのだろうか?


その後断り切れずに王宮内へ連れられ、エレーンはオレリアスから自信の兄クロードの騎士勤務していた頃の話しを聞いたり、この前の人拐い集団壊滅事件?の話しをしたりして話しが尽きないまま、王城まで送り届けられた。


「何だ、エレーン嬢は話すと面白いじゃないか。もっと堅物なものと思っていたのだが。」


拍子抜けした様なオレリアスに、エレーンはどう反応して良いのか分からず曖昧な笑顔を向けた。


「私、そんなに堅物に見えますか?」


「品行方正、真面目を絵に書いた様な女性だと思っていたのだが、こんなに正真正銘天然娘だとは思わなかった。うん、面白い。」


……今までの会話でどうしてその称号を彼から得たのか甚だ疑問である。小一時間問い詰めたい気持ちを押し殺し、エレーンはペコリと頭を下げた。


「お気に召して幸いでございます。……兄殿下、私はこれで……。」


「うん。今日貴女が休息日なのが残念だったな。勤務中なら、あいつの所に勇んで送り届けたのだが。」


「……?、勤務中なら彼処へは足を運びませんから、お目にかかる事も無かったかと。」


オレリアスはまたにやりとして見せた。意地悪な笑顔もとにかく美しい御仁である。水の女神の加護をどれだけ与えられれば、これだけの綺麗な存在がこの世に生まれるのだろうか。神は不公平だ。そんな明後日な方向へ思いを巡らしていると、オレリアスはまたくっくと笑い出す。


「天然娘はこれだからな。あのガキ臭い弟と同じぐらい面白い。」


「ガキ臭いなんて、酷い言い種でございますよ?」


オレリアスはエレーンの小言も何のその。ふふんと笑って、またなと言って王宮へ帰って行った。その背中を見送ると、エレーンは疲れがどっと押し寄せ、今日はもう自室で大人しくする事にしたのだった。



エレーンが溜め息を吐いて部屋へと踵を返した時、その後ろでさっと影が動いたのだが、疲れたエレーンには気付けないでいた。



その日レイニードが不慮の事故で、水の無い所で水浸しになったのは、王宮七不思議として、後に語り継がれる珍事と化したのだった。


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