42話


レイニードと中庭で火花を散らして数日。



その後騎士団長に直々に頼み混んで、エレーンはレイニードと一戦交える運びとなった。以前なら、噂を気にして目立つ行動は極力控えていた為に、今回こんな行動を取るのは珍しいどころか初めてだ。流されるのでは無く、自信から願った行動をするなどいつ振りなのか。けれど、それだけ頭に来ていたのだ。もしかしたら、レイニードが口にした言葉は、エレーンを直接知らない王城内の誰もがそう思っている事柄なのかも知れない。けれど、違うものは違うのだから、これは主張したい。そうでなくとも、アレクシスとはどんどん距離が出来ているのだ。未だにまともな会話は無いままで、もし、そのお妃候補に上がったせいでこんな思いをしているのなら、ちょっと主張しても良いと思うのだ。主に、今日対戦した戦いの中で。



それは、ある種の八つ当たりであったが、当のエレーンは気付いていなかった。



前に対戦してから早数ヶ月。勿論、様々升目の中で模擬試合をする中、埋もれる様に対戦するつもりだ。と、埋もれる様に願っているのはエレーンのみで、周りはうずうずとしていた。前回負けたレイニードが、どう受けて立つのか興味津々であったからだ。しかも、今回は第一王子殿下がわざわざ見学しに見えているのである。

彼の登場はエレーンの噂を増長するもの以外何物でもなかった。妃候補の筆頭である、と。実に迷惑な話しで顔を見た時は今にも頭痛がしそうな思いだった。けれども、彼の尊い身分の御仁に見に来ないでくれと頼める程、仲良くも無ければ接点も無いので彼の動きを止められるのは、直属の側近しかいないのだから仕方が無い。あるいは見合い仲間のカレイラも可能性はあったが、彼女も特段王子の登場には言及しなかった。しても意味が無いのかも知れない。



順番になり、エレーンは升目の中に足を踏み入れた。目の前にレイニードが佇む。


「……?」


彼は数日前よりも一層目の下に隈がくっきりと浮き、心なしか痩せた様に思える。一体何があったのだろうか。具合の悪い相手とやりあったとしても、自分を誉められないでは無いか。


「具合が悪い様でしたら、今回は止めに致しましょうか?」


レイニードは隈が縁取るギラギラした目をエレーンに向ける。


「……心配無用です。情けを掛けられるなど、こんなに腹立たしい事は無い。」


「……そうですか。では、お互い悔いの無い様に致しましょう。」


二人は互いに礼をした。審判役の隊長が開始の宣言をする。

素早く突きをお見舞いするレイニードに、エレーンはタイミングを合わせて躱して行く。やはり、ルーカスよりも遅いのだ。この日の為に、職務で忙しい彼を無理矢理引き摺って教えを乞うた甲斐がある。それにしたって、顔を狙って来るなどちょっと酷いのでは無いだろうか。相手も本気なのだろう。此方もうかうかしていられない。


「レイニードさん。ご家庭の思想の話しは伺いました。」


剣を持つ手を休めないまま、レイニードは憮然とした顔をする。


「ですが、それで私の人となりを見もせず決めつけるのは子供のやる事ではございませんか?」


尚も躱し続けるエレーンに、レイニードは焦りを感じたのか、一歩踏み込んで来る。


剣が交わる鈍い金属音が鳴る。

剣越しに顔を近付ける二人。必然的にエレーンが押され始めた。


「私、そんなに性分の悪い顔をしてますでしょうか?結構ショックです。」


ギリギリ掛かる力を流すと、そのままエレーンは踏み込んでいるレイニードの腹に思い切り蹴りをお見舞いした。上部から腹に落とす、最早踏みつける形の蹴りだ。騎士の剣術には勿論体術が組み込んであるので、反則では無いし、前回も投げ飛ばしたので許容範囲なのだが、それにしても激しい蹴りであった為に、ダメージよりも驚きが勝り、レイニードは顔を歪めた。


「そう見えるなら、そう行動致します。お覚悟なさって下さい。」


にっこり笑顔のエレーンに、レイニードは顔を青くしながら体制を整えた。





剣姫を怒らせてはならない。



騎士団はこの日、しかと胸に刻んだ。



レイニードはことごとく剣筋を避けられ、柄で小突かれた。一発一発は小さなダメージだったが、一つも自分の技がかすりもしない事が一番痛かった。背中も、恐らく打ち身だらけな筈だ。


最後は心の傷でふらふらになったレイニードをまたもや投げ飛ばし、試合は終了となった。投げ飛ばし方は派手で、いきなり襟首を掴んで寄せたかと思ったら、懐に深く入られそのまま前に回転する様に投げ飛ばされた。地面に向かう頭を避けて受け身を取ったレイニードを良くやったと誰か褒めても良いかも知れない。試合終了の宣言直後、そこには前回上がった歓声も悲痛な視線も無かった。只、終わるべくして終わった、悲壮感とも喪失感ともなんとも言い表せない静かな空気が漂うだけだった。


去り際、


「怪我をさせない様に。それが騎士の技術力の評価になりますので、今日の試合は殿下の手前、私のした事は騎士団の中で最悪でしょう。マルシュベンの品位も疑われたかも知れません。ですが、私、やる時は徹底的にやります。レイニードさんも、また言いたい事がありましたら何時でも受けて立ちますよ?」


にっこり笑顔のエレーンに、レイニードは最早何も言う力は残っていなかった。前回はまともに打ち合ってもいなかったのかと、むしろ早く締めて貰ったのだと認識して、更に項垂れた。怪我をさせない?それは動きを奪う程の話しであって、今回の怪我は打ち身程度、何ら問題は無いのだ。


殿下の手前この程度だが、次は覚悟しておけ。含みはレイニードに十分伝わったのだった。勿論、前回はエレーンが怒りの為に即効試合が終わってしまったのだが、彼の知る所では無かった。




「良い試合だったぞ。面白かった。流石はエレーン嬢。」


ご機嫌なオレリアスにエレーンは深々と頭を下げた。こんな大勢の前で話し掛けて来るなんてこの方、今飛び交う噂を分かっているのだろうか?それとも、楽しんでいるのか。


「勿体ないお言葉でございます。」


「また機会があれば見に来ても良いかも知れん。その時は今度こそエレーン嬢に相手して貰いたいな。」


「……私には身に余るお話。どうか再度検討をお願い致します。」


オレリアスはきょとんとした顔を、エレーンに向けた。……これは、不敬になるかも知れないと、すました顔の裏でエレーンは少し後悔していた。そんなエレーンを余所に、オレリアスは口元に手を当て笑いを噛み殺す。


「それは、俺をさっきのレイニードみたいに倒してしまうのを怖れての発言か。成る程、やっぱり面白い。」


「あ、いえ、ちょっと面倒そうだと……」


慌ててエレーンは両手で口元を隠したが、時既に遅し。オレリアスは濃い青色の瞳を輝かせている。……笑いを我慢した結果、涙が滲んだらしい。プーッと、何とも間抜けな音が漏れる。それにしたって、最近の自分はどうしたと言うのか。色々心労があるとはいえ、迂闊が過ぎる。


「いや、思っているよりも面白い天然娘だ。これは、あの愚弟も毎日面白く過ごしているんじゃないのか?最近せっせと仕事に打ち込んでいる様だが。」


アレクシスの話題に、エレーンは体がぴしりと固くなったのを実感した。面白く?とんでも無い。『彼は毎日眉間に皺を寄せて書類とにらめっこしておりますよ。兄殿下からも何か言ってやって下さい!』なんて、口が裂けても言えないし、ここは無難に返事をするしか選択肢は無い。


「……そうでも無い様だな。何、その内また大丈夫になるだろう。手を止めて悪かったな、今日は良く頑張った。」


返事が遅かったせいなのか、他に何か知っているのか、オレリアスは手でエレーンのお辞儀を制すと、供を連れて王城へと戻って行った。



「……殿下にも困ったものだな。」


後ろから、エレーンの肩にポンと手を乗せたカレイラは困った様な顔をしてオレリアスを見送った。


「それは……」


どっちの、と言いかけて、エレーンは口を噤んだ。常に平常心をと心掛けているのに、これは存外重症だ。これでは、きちんとした心持ちで作戦に挑めるのか分かったものでは無い。

せめて、今回の作戦の為にだとか、噂の事を考慮してだとか、何でも良いから彼の口から説明を聞きたい。ドレスの件でまだ怒っているのなら、どんなドレスで出席するのか説明したって良い。



最近本当にどうしたのだろうか。こんな事を考えると目頭が熱くなって泣きそうになってしまう。まだここは人目が多いのだから、こんな考えを思い返して泣く暇があったら、早く訓練に戻らないと。少し涙で滲んだ目元を、訓練用の制服の袖で押し付けた。化粧が剥がれるかも知れないが、構うものか。どうせ、さっきの試合で汗でぐちゃぐちゃなのだから。


拭いた後に顔を上げる。ふと、王城の三階の通路にアレクシスが此方を見ているのが分かった。端ないが慌てて手を振ろうと右手を挙げた時には、ふいっと顔を逸らされて姿が見えなくなってしまった。手のやり場に困って、エレーンはそのまま静かに挙げかけた手を下ろした。




アレクシスの行動が、とてつもなくエレーンの心を引き裂いた。



何でこんなに苦しいのだろうか。今まで経験した事の無い胸の痛みが、再び目頭を熱くする。ロイは感激屋だなんて自分の事を言うけれど、こんな気持ちがあったのなんて知らない。こんなに直ぐ泣く事なんて無い。こんなに頭の中は煩くて、心臓が自分のものでは無い様に大きく脈打つなんて知らない。こんなのは、自分であっても自分じゃない。



ずっと一点を見詰めて項垂れた様に立ち尽くすエレーンの手が、急に引っ張られた。手の方を見ると、ニコルが走って来たのか額に大粒の汗を光らせて、息を切らしている。ニコルの方も訓練で馬術場に居た筈なのだが、突然の事にエレーンは言葉が出なかった。



「カレイラ様にお許しを頂きましたの。貴女、今日は私と共にお休みしましょう。こっちへ一緒に来なさい。」



ぐいぐいと力強く引っ張られ、エレーンは訓練場を後にした。







「レイニード様とやり合うなんて聞いてから、可笑しいと思ってましたのよ。」


ニコルとエレーンは女性用の宿舎にある大浴場へ来ていた。流石王城の誇る大浴場である。侍従用とは言え大きく造られ、鮮やかなタイルで装飾された壁は圧巻だ。浴槽は騎士団小隊ぐらい易々と入れそうだ。それが大小2つ。日によっては片方だけ湯を入れたり、両方入れたりと使い分けられている。今日はまだ昼間と言う事もあり、小さめの方に湯が張ってあり、二人はそこに肩を並べていた。他には誰も居ない。まだ交代の時間でも無いし、静かなのは今のエレーンには有り難がった。


エレーンは元々温泉で慣れていたが、ニコルは流石に王城勤務も年数が経ち、慣れた様だった。二人共化粧を落として、人心地着く。


「貴女、目立つの嫌いでしょう?それが今日に限って何でまたと思ったら、オレリアス殿下の御成に驚きましたわ。てっきりアレクシス殿下がいらっしゃると思ってましたのに。」


「……。」


「……まだ、アレクシス殿下の態度は戻っていませんのね?」


こくりと力無く頷く。何となくだが、その事について話題に出ない様になっていたのだ。周りの気遣いなのか、もしくはエレーンの何でも無い振りが成功していたのか。……恐らくは前者なのだろう。


「今日オレリアス殿下がいらしてまた貴女の婚約者筆頭説が有望になりましたわ。これでは更にアレクシス殿下は距離を空けるかも知れない。」


エレーンは目を見開いた。そもそも、婚約者筆頭説とは何なのか。小難しい検分でもされたお話しなのだろうか。それよりも、更に距離を空けられたなら、……自分は王子付きの肩書きは要らないかも知れない。ぼうっと空を見つめるエレーンに、ニコルはずいっと顔を近付けた。


「正直に言いなさい。」


「……?」


目の焦点は合わないまま、首を傾げる。何か言う事はあっただろうか。


「あの、今日はありがとうございます……?」


ニコルは口をあんぐりと開けて目を剥いている。ああ、可愛い顔がなんて事に。


「え、貴女嘘でしょう?エレーン、分かっていないの??」


あ、名前読んでくれた。慌てるニコルを余所に、エレーンは関係の無い事を考えていた。


「貴女、どう考えてもアレクシス殿下の事を好いているんじゃなくて?!」


「……?殿下の事は好きですよ。」


そう。どんなに距離を空けられていようとも、これは変わらない。でなければ、彼に付いて王城へと来たりしなかったのだから。


「え?あら、随分素直なんですのね?!こっちが恥ずかしくなりますわ。」


「?、ニコルさんの事も好きですよ?」


何がそんなに慌てる事なのだろうか。顔を見合わせていると、ニコルの顔が驚愕の表情からみるみる憮然とした様な表情へと変わる。じっとりとした視線は、何度か経験があったが、今日は最たるものだろう。


「何を頓珍漢な事を言ってるの、この娘は!!此方は恋愛での好きかどうかを聞いてるって気付きなさいよ!」


「……ええ、恋愛の?」


「殿下の一挙手一投足で気分が左右されるのでしょう?それってもう好きになってしまってるんじゃ無いの?!」


もう立ち上がっているのも忘れてニコルはエレーンに顔を近付けて来る。裸なのだから自重して貰いたい。目のやり場に困り、エレーンは視線を逸らした。


好きって、そんな事ある筈無い。だって、アレクシスは尊敬出来る上司であって、それ以下でも以上でも無い。そう思っていては仕事にならないでは無いか。例え自分に笑顔を向けなくなったとしても、あの可愛らしい拗ねた顔を見れなくとも、信頼関係さえ在れば十分だろう。彼をお守りする為に自分がいるのだから。そんな不純な感情を抱いているなんて……


「私はそんな事……」


ニコルは湯に浸かり直して、溜め息を付いた。


「そんな事無いのなら、何故泣くんですの……」


言われて、エレーンは目元を指で拭った。気付かなかったが、既に涙は頬を伝い、幾つもの跡を作っていた。


「だって……私は……」


まだ、王城へ来てそんなに経っていない。それなのに、アレクシスを守り支える役目の自分が、恋慕しているなんて。それはとても不純じゃないだろうか。頭の中に幾つもの否定の言葉が浮かんで、その度に涙が流れた。


「……さあ、顔を洗い直して上がりましょうか。これでは逆上せて倒れてしまいますもの。」


ニコルは只黙って見守っていたのだが、エレーンの手を引いて立ち上がった。胸が一杯で言葉にならない。



エレーンは頷くのが精一杯だった。


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