40話

舞踏会開催が決定して、早三週間。後一ヶ月半程でで舞踏会当日になってしまう。そんな中エレーンは一人悩んでいた。



今回、女王陛下直々に開催する舞踏会は、その陛下があまりにも開催しなさすぎが祟って、名目困窮のあまりに第一王子殿下の妃選びと名打って開催される事になったのがそもそも頭痛の種だった。


本来ならば社交シーズンの幕開けを告げる為に王族が一番に開催するのが常であるが、女王が北の古城へかかりきりなのを理由に、開催したり、しなかったり…まあ、ほとんどしなかったりで、突然盛大に開催するなんて何を勘ぐられるか分かったものでは無い…として、妃選びを隠れ蓑に企画されたのだが……。


あまりに第一王子殿下が仕事を理由に見合いを断り続け、特定の許嫁さえ作らずにいたものだから、これ幸いに本当に探そうと言うことになってしまったのだ。


そもそも公爵、侯爵、近隣諸国の姫君など候補は上がっていたのだが、何せ待たせ過ぎなのである。成人してから早十年。先代王陛下が崩御されて九年。引き継ぐ仕事が増え、当時十七歳だった第一王子殿下が、女王陛下を支え仕事詰めになるのは誰しも予想出来ていた。が、それにしたっていつ相手を決めるのか分からない殿下を待って、自分の娘が婚期を逃し尚且つ選ばれなかった時は目も当てられない……等と思ったかは不明だが、多くの殿下と釣り合いが取れそうな年頃の娘は既婚なのだ。それによって、幅広く候補が集められる事になった。


その中で、肩書きだけ見れば、エレーンはカレイラと並び数少ない有力候補として召集されてしまったのだ。女王陛下の名で招待状も届いてしまったし、……父から何故か怒りに似た手紙が届き、本来の目的の為にやむ無し、と締められていたが。そもそも今回舞踏会を開催した本来の目的の為には出席しないなんて自分自身あり得ない。アレクシスの噂を考え…とか、この前の婚約者の騒動なんて可愛いものだ。今、城内でのエレーンへ向けた視線は、第一王子殿下のお妃候補、そして選ばれるのかどうかと値踏みや、嫉妬を含んだもので溢れていた。有力候補になるくらいの立場なのだから、直接何かを物申して来る勇者はいなかったが。


けれど、エレーンは内心では王城へと入城してから、王子付き側近として初の女性起用で既に好奇な目を向けられていたのだから、それらと変わらない気もしている。只、自身の噂話でアレクシスに迷惑がかからない様に心掛ける。これだけが一番の基準なのだ。


だから、どんなに視線を浴びようとも、舞踏会の為に新しいドレスを仕立てなければならなくて、採寸やらデザイン決めやら細々面倒…とか、ダンスの練習をしなければならないとか、作戦の為に国内の貴族名鑑どころか近隣諸国の王族有力貴族を覚えなきゃいけないとか、それらは仕方ないがやるべき事であって、悩む事では無い。まさか、自分が妃に選ばれる事も無いだろうと思っているし。第一王子殿下とはあのアレクシス寝室侵入未遂事件以来、話した事も無いのだから。




では何故エレーンが悩んでいるのかと言うとー、




ここ三週間アレクシスとまともに会話が無い…と言うことだった。





勿論、業務上の会話はしている。が、それだけ。笑いかけられる事なんて以ての外で、視線を貰う事も無い日があるくらいなのだ。アレクシスは、 只ひたすらに書類と向き合い、舞踏会前後の調整をする為に仕事をこなしている。勿論、日々の勉強や訓練、あれだけ文句を言っていた公務まで積極的に受けて、その同伴はロバートとルーカスが主で、エレーンやロイは騎士団の当番を回るばかりなのである。


仕事を頑張っているのだから、会話が少ないなんて、何の悩みだと自身も意味が分からない。分からないまま鬱屈として悩んでしまうのだ。



「あの、アレクシス……」


「すまない、俺は今から城下へ視察に行って来ないと。何か大事な用か?……急ぐんだが。」



勇気を出して話しかけても、これである。仕事が充実しているのは良い事だ。応援もしたい。役にも立ちたい。けれど……何か胸がつかえる。会話が無かったって、ちょっと面白い事があれば以前なら顔を見合わせて視線を交わすだけで、なんとなく意志疎通が出来ていた気がしていたのだ。距離が近くなっていたと思っていた。それが、今はアレクシスが何を思っているのかが分からない。以前だって全てが分かっていたとは思わない。でも、今よりはもっとましな筈だ。



只、本当に仕事が忙しいだけなのだ。


そう自分を言って聞かせるにも、あまりに彼の態度が変わり過ぎて、納得が出来ない。ロイにもどうしたのかと心配されて、これでは仕事を共にする仲間にも悪い。自分の悩みは自分の中の話しであって、周りに迷惑をかけては働く者として失格だ。私事は関係無いのだから。






「……何かありまして?」


訓練が終わり、着替えに向かう途中でニコルは気遣わしげにエレーンの顔を覗き込んできた。ぼーっとしていて、自分に話しかけられたと気付くまでに時間が掛かってしまった。エレーンは慌てて顔を見合わせる。


「いえ、何でもありません。」


「その割には心ここに在らずでしたけど。訓練は黙々としていたみたいですけれど、ここ最近覇気が無いと言うか。」


「そう見えましたか……。」


気をつけているのに、何をしているんだ自分は。訓練中に気の抜けた態度を取ってしまうなんて。王子の側近として振る舞わなければならないと言うのに。



「王子殿下の件でしょう?」


どきりとして、エレーンは目を見開いてニコルの顔を見つめる。途端に彼女は悪戯っ子の様に唇の端を上げて、鼻を鳴らした。まさか、


「ニコルさん、それはー」


「嫌だ、オレリアス殿下の事よ。妃候補に選定されて、戸惑っているのかと思ったのだけれど、違ったかしら?」


「いえ、あの、そう……なんです。どうにか、お断り出来ないものかと……。」


そう、これも悩みの一つと言えばそうなのだが、今頭を埋め尽くしている悩みに比べると小さく思えた。それにしても何を自分は考えていたのだろうと、一人焦ってしまう。ふとニコルへ目をやれば、大きな目を更に大きく見開いて直立不動している。


「貴女、そんな事滅多に口にしては駄目でょう?!何処に耳があるのか分からないっていうのに!……そうですわ。着替えたら、着いてきて欲しい所があるんですの。」


「?ではロイに伝えてから、向かいますね。」


そんなに変な事を言ったのだろうか?もう自分が何を言ったのかすら覚えてもいないエレーンは、頭に疑問符を浮かべながら直ぐに騎士団の女性専用更衣室に移り、着替えるのだった。



着替えを終えて、通路で待っていたロイに用事を伝えに行くと、彼はすかさずエレーンの頭にぽんぽんと手をやった。これは彼の昔からのお決まりの行動だし、表情はいつも通り無表情だったが、なんとなく心配している様な感じを受けて、エレーンは苦笑いを返した。ここでも、自分は心配をかけてしまっている。気をつけなければ。

横にいたニコルは、女性の頭に軽々しく触れるなんて……!と少し眉間に皺を寄せていたが、ロイがすかさずニコルの頭にもぽんぽんと手をやるどころか、わしゃわしゃと撫で始め、された本人はまるで驚いた猫の様に肩が跳ねた。それにもロイは相変わらず動じてはいない。


「……ニコル嬢も良い子。」


「はあ?!何をどうしたらそうなるんですの?!ロイ様は喧嘩売ってますの?!ちょっと、お止めになってっ」


ニコルはアワアワと魔の手から逃げようとするが、顔は真っ赤に染め上がっていた。


「……ニコル嬢妹みたい、俺妹いないけど。」


「?!」


ロイの言葉にニコルは驚愕の表情で固まったが、ロイは撫でた手をパッと離すと、ニコルの様子も気にせず通路を後にした。二人のやり取りが笑いを誘って密かに肩を震わしていたエレーンは、ニコルのじっとりとして恨みがましい視線を受けて、直ぐになんでも無い様に取り繕ったのだった。






「悪いが、候補から外れる手立ては思い付かないな。」


ニコルに連れられ着いたのはカレイラが居る執務室だった。他の隊長は外回りなのか誰も居らず、三人はソファへと座り、お茶をしていた。カレイラは候補であることに特になんとも思っていない様だったが、ニコルからエレーンの発言について話しを聞いても咎める事も無かった。


「私はオレリアス殿下の顔馴染みだからな。ここ最近は言い逃れの為の見合いも何度か殿下としているし。」


「え?!カレイラ様は見合いをしているのに、殿下の許嫁になりたいと思わないのですか?」


カレイラはカップを口元へ運んでいたが、ニコルの言葉ににやりと不敵な笑顔を向けた。


「思わない。他のご令嬢はどうか知らないが、私と殿下はお互いに好みでは無いと言い合っているからな。煩い見合いの話を一時的に沈静化させる為に偽装の見合いをしているだけなのだ。考えてもみろ、私は妃になっても剣を取って前線に行くぞ。それは殿下の望む妃では無いのだろう。」


「殿下の望む妃……」


「だからといって、殿下に嫌われる様な行動を取っている訳では無いからな?エレーンどの。殿下は……あんな感じだからな、何を由として行動しているのか私には理解が追い付かないのだ。私では駄目でも、貴女なら剣を取っていても構わない、寧ろ好ましい。と思うかも知れんし。」


カレイラの言葉にどきりとして、エレーンは茶目っ気たっぷりに笑うこの妖艶な程に美しい女性を見つめる。この女性が殿下の相手では無いのなら、世の中の女性がお眼鏡に叶うのは夢のまた夢では無いだろうか?


「私は、そのような……。」


「うん。私が言うのもなんだが、貴女も中々変わっているな。今回の話しは誰もが飛び上がって喜び勇んで参加すると言うのに。……でも、今回こんな大々的に開催するのも、また他の側近どもが見合いだなんだと煩いから仕方なくやっているのかも知れないのだし、そう構えるほどでは無いと思うんだよ。あの方は、必要な時にご自身でぱっと決める様な気がする。」


作戦の為とは言え、半分その通りの推察にエレーンは少し驚いたが、最後の言葉で少しほっとした。恐らく、殿下は今回誰も選ばない様な気がしたのだ。そうなれば、自分も有力候補だろうが気にせず事に当たれる。参加する女性達には夢が無くて可哀想な気もするが、もし素敵な女性が舞踏会で現れたら、それはそれで第一王子殿下にとっても良い事の筈なのだし。


エレーンは少し心が軽くなった気がしてお茶を口に含んだ。アレクシスの様子はこれで変わる訳では無いのだが、こうやって話しをして時間を共にしてくれる存在が居るだけで、こんなに有難いものかと、しみじみする。


「私の事は、どうかエレーンと呼び捨てになさって下さい。ニコルさんもどうかその様に。」


「ええ?!」


「そうか?ならば遠慮無く。」


ニコルの驚きに反して、カレイラはすんなりと受けいれていた。ニコルはカップを両手で持っていたが、少しふるふると手が震えている様に見える。


「かっ考えておいて差し上げるわ。」


真っ赤になって目を泳がすニコルへ、カレイラはにやにやと笑みを溢していたのだが、その目は存外優しげな視線を落としていた。


「そういえば、アレクシス殿下が最近変わられたと噂になっていたな。」


突然のアレクシスの話題に含んだお茶を吹き出しかけて、エレーンは慌てて口元を押さえた。


「それ、私も聴きましたわ。最近は、騎士団の訓練にも率先して参加しているとか。忙しいから、夜の部の方らしいですけれど。」


「それは初耳です……」


「貴女側近でしょう?殿下のスケジュールは把握していないの?」


ニコルは怪訝な顔をしながらエレーンを見る。その目は、訓練のみならず、仕事も出来ていないのかと、咎められている様にも思える。


「……スケジュール表は頂いているのですが、最近殿下は忙しく会話も出来ていないので、予定外なものは把握仕切れていないんです。舞踏会の為に調整しているのは理解しているのですが。」


ちょっと愚痴が入ってしまったかも知れない。でも、このくらいは許して欲しい。


「ああ、何かフラりと立ち寄るみたいだな。団長が喜んでいたから、何事かと思っていたのだが……。」


「こう言ってはなんですが、あの殿下がどうしたのでしょう。」


あの、とはこの前の食事会の事なのだろう。あんなに幼く感じていた殿下が、今やきびきびと王子然として行動しているのだ。違和感が拭えないのだろう。


「……オレリアス殿下がもし妃を選ばれたら、次はアレクシス殿下に目が行くからな。それに対して指針を決められたんじゃないのか?やっと重い腰を上げたと言うか……」


「そうですの?あまり気にする様な方には見えませんでしたけれど。」


カレイラもニコルもアレクシスに対して酷いのでは無いだろうか?だが、違和感があるのはエレーンも同じだった。


「……私も気になるんですが、教えても頂け無いんです。最近は目も合わす事が無いので……。」


「何か怒らせる様な事でもしたんですの?」


「ええ?そんな筈は……」


途端に不安になって来た。そんな、何か不興を買ってしまったのだろうか?いつ?何を言ったのか……。そう言えば、ドレス云々で言い合った後からだった気もする。まさか、ドレスで参加は決まったのに。まだ怒っているのだろうか。


「……側近に目も合わせない、会話もしない……それは、全員なのだろうか?」


「……いえ、私だけかと思います。」


カレイラは何だか物思いに耽っていた様だった。エレーンもそう言った自分の言葉に傷付く。そう、何故自分だけなのか。

何か思い付いた様に、カレイラは下げていた視線をエレーンへ向けた。


「……もしかしたら、エレーンの為に距離を取っているのかも知れんな。」


「何故、そうなるんですか?!」


その言葉が、あまりの意味不明さで驚いた。思わず大きな声を出してしまったが、カレイラは気にした様子は無かった。


「いくら、アレクシス殿下付きとは言え、オレリアス殿下の妃候補筆頭なのだから、あまり仲良さげにしていると変に邪推する者もいるからな。これ以上噂を作らない様に距離を取っているのかも知れん。」


「そんな……」


思っていたよりも衝撃が大きく、エレーンは肩をがっくりと落とした。自分の為に距離を置かれているのかも知れない。それが、アレクシスの余計な手間を取らせているのがショックなのか、そのせいで避けられている事実にショックなのか、そもそも、何に対してこんなにショックを受けているのかもう分からないでいた。今、頭の中が真っ白だ。



「それと殿下の根を詰めた働き方は解明しないがな。あまり酷い様なら、私からロバートどのに進言してみようか?」


「……それは、お言葉だけ有り難く受け取ります。有り難うございます……」


ニコルはそっとエレーンの膝へ手をおいた。ぼうっとしていたので、びくりと体が反応して、慌ててニコルの方へ顔を向ける。


「食事会の時はあんなに仲良さげでしたもの。きちんと話しをしてみては如何?それぐらいなら、オルク卿に相談しても罰はあたりませんわ。」


「ニコルさん……」


エレーンは気遣わしげに眉毛を八の字に下げるニコルに、思いっきり抱き付いた。慌てるニコルを余所に、エレーンは何度もこの場を設けてくれた彼女に感謝するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る