第一王子殿下のお妃選び

39話

「煙草……ですか」



久方振りにライルが調べ先から王城へと戻って来ていた。エレーンの婚約騒動から一ヶ月経ち、季節は春から夏へと差し掛かっていた。


人払いをして、第二王子付きの配下達が一斉に応接室へと顔を合わせる。応接室のソフアは小さく無いのだが、ライルとリンとロイは立ったまま話し合いは始まった。

マルシュベンを襲った者の情報が全く無い中、少し気になる物があると言うのだ。


「はい。煙草です。ウェリントン国内でも嗜好品として煙草は出回っていると思うんですが、その煙草はちょっと違うらしいです。これを見て下さい。」


ライルは布袋から、一本の棒と紙に包まれた薬の様な物を取り出した。紙を広げると、中には紅茶の様な葉っぱが入っている。


「この棒は……」


アレクシスはしげしげと棒を手に取ってみる。


「煙管……と言う物で、この先の丸い窪みにこの葉を入れて、火を付け、反対の方から煙を吸う……らしいのですが……」


「……これ、東大陸の物では無いですか?」


エレーンは記憶の片隅に、これを見た覚えがあるのを思い出した。


「そうです。これは東大陸の特に何の変哲も無い煙草の道具です。ウェリントンは葉巻ですからね、この国ではあまり入手出来ない代物です。流石、貿易が盛んなマルシュベンの麗しの令嬢です。」


「それは止めて下さい……。」


これは…ライルにも噂が回っていると言う事だろうか?!恥ずかしいを通り越して、エレーンは胸が不快で一杯になりそうだった。少し顔に出たかも知れない。


「それが、何が変だって?」


ずいっとアレクシスが前のめりでライルに質問する。そんなに前に出られると、隣だから被って前が見えなくなる。気分を害したのも忘れて、エレーンは少し体を左右に動かした。アレクシスが庇うような仕草をしたのを見て、ライルは少し驚いた顔をしたが、直ぐに話しを進める。


「……えーと、はい。これは、東大陸の物なんです。しかし、南大陸に異常な程に流出しています。これは、隣の国から買って来ました。シュンベルから。」


「共和国を謳っている国、ですか。」


「東大陸との交易がそんなに盛んだったか?」


「東大陸は今、民族間の争いが多くて、国が落ち着いていないんです。多種多様の民族がそれぞれの部族で国を造っていますから、東大陸の国と言うより、それぞれの部族と懇意にしている……が正しいかと。だから、我が国も国交が少ないのです。大きな力を持つ部族としか契約していませんから。」


ロバートの言葉に、一同頷く。マルシュベンでも、東大陸の国では無く、商人と直接契約しているのだ。


「で、煙草が……?」


「今更爆発的に流行った……とかじゃないよな?」


「勿論です。その葉は、普通の物です。ですが、流行っているのは……薬物です。毒薬とも言っても良い。」


「薬物……」


「見た目は綺麗な花が咲く植物らしいです。それを、乾燥させてこれで吸うと。」


「吸うと?」


リンがきょとんとした顔で首を傾げる。


「気持ちが良くなる。」


「……。」


リンとロイが顔を見合わせた。それは……毒薬と言って良い物なのだろうか。皆の困惑を察知して、ライルは苦笑いを浮かべた。ロバートのみ押し黙って、眉を潜める。


「依存性が高く、これ無しでは生きていけなくなります。最初はふわふわと、それこそ酒を上手に飲んだ時みたいに高揚感が溢れ、夢を見ている様に起きながら幻覚を見続け、その世界へ入り込み、挙げ句食事も取らなくなり、無くなれば人を殺してでもその葉が欲しくなるのです。その葉の効果が無くなれば、徐々に激しい苦しみが体中を支配して、幻覚は悪夢に変わり、自分で自分を傷付け、痙攣を起こし意識が無くなり、……酷ければ大体死にます。」


「「「…………。」」」



説明の淡々さが、逆にその葉の悲惨さを大きくしているようで、室内には重い空気が流れた。


「そんなの、欲しがる人が居るのですか……。」


居るから、売れるのだ。分かってはいたものの、声に出さずにはいられなかった。


「入り口は酒と同じです。飲めば飲む程楽しくて、飲み過ぎたら吐いて苦しんで……でもケロリとまた飲んでしまう。あの、飲んでいる時の幸福な高揚感が忘れられずに、苦しんでも結局飲んでしまう。それと同じです。只、酒は飲む量が減ったり自ら絶ったり……と、一部の残念な人を除いては皆調節します。しかし、この毒薬は違います。抗えないのです。それこそ、体を拘束して、誰かに見て貰っていないと、欲求が抑えられなくなるのだそうです。手に持っていなければならない、と。」


「……。」


「そして、酒より急激に体の機能を奪います。体と言うよりは、頭の中身そのもの……ですね。それが、生きる全てになるんですから。」


「……奴隷を使うのに最適なのかも知れません。褒美に薬物の葉を与える……と。体を壊さない程度に、少しずつ与えて。必要無い者には少し多めに渡してから突然与えなくなれば、勝手に死にますから。そもそも、奴隷を集めるのにも楽に使えますね、やや安くばら蒔いて、葉が欲しければ此方に来て働け……と。」


その言い種に、ロバートへと皆顔を向ける。


「では、マルシュベンは……あの賊は……」


「そうされた罪の無い人達……かも知れませんね。もしくは、何処かの国の罪人……の可能性も捨てきれ無いですがね。」


「……。」


何とも言い表せられない渦巻いた感情が、鳩尾辺りを重く押さえ付け気持ちが悪い。無実の人が……奴隷だと言う時点で、分かっていた筈なのに。エレーンは眉を潜めた。


「しかし、そんな物は国で大々的に流行れば、民が死に結果国が死にますよ?流出を上の者が放置する筈が……。」


「なので、あくまでも只のこの煙管が流出しているのだと思います。葉は、一部の金持ちへ……って感じですかね。南大陸の国の貧民街で行方不明が多い上に、病気の様な風体で原因不明な死体が増えているそうで調べたのですが……出所がまだ分からず……。ですが、貧民街で葉の噂がちらほら出ていました。一度でも手を出せば、例え国の王ですら、全てを捨てて嵌まるかも……知れない代物だそうですから、皆用心してるのか数が少ないのか、中々しっぽが見えないですね。」


「それに手を出す馬鹿に、国の行く末を委ねる国民は最悪だな。死ぬしか無いとは。」


アレクシスは忌々しげに唇を噛み締めた。王まで……の例え話に少し憤慨している様だ。ライルは言葉選びを間違えた、と苦笑いを浮かべた。


「そうそうクロードさんから手紙を預かってます。他の街で人拐いの賊を壊滅したらしいですよ?」


「「「?!」」」


「兄様が?!一体何故?!」


「たまたま出くわしたから、ちょっとマルシュベン襲った奴かと思ってやっちゃった……とか言ってましたけど?元気そうでしたし、今頃は領内に帰られたのでは?」


「……。」


エレーンは内心頭を抱えた。護衛数人連れとは言え、単独で何をしているのだろう、自分の兄は。ライルの口振りからは無事らしいけれど……。皆の視線がとても痛い。


ロバートはざっと手紙を読むと、アレクシスへと顔を向けた。


「最近、各地で人拐いが増えたそうです。」


「それは、南大陸もですね。西側もちらほら噂になってます。そもそも、西側は西側で、頑なに情報を開示しないので未だ調査中です。もっとあるかも知れない。人拐いの賊は、王都に増えるのも時間の問題かと。」


「……どうする。」


ロバートは少し思考を練っている様だった。髭を触り、俯く。


「……とにかく、これはもうマルシュベンと私達だけの話では無いですね。陛下と兄殿下にも伝えて、ですが他の貴族には内密で。誰が繋がっているかは分かりませんから。報告は、私とライルがやります。勿論、サイラス公爵にも連絡を付けましょう。皆さんはこの話を絶対に口外しないで下さい。人拐いだけは、軍部で警戒する様に指事しますが。」


「言えないでしょ……これ。」


ルーカスは溜め息混じりに呟いた。規模が大きくて、噂話ですら笑えない内容だ。


「後は、……恐らくですが。」


皆、ロバートがどんな策を出すのか固唾を飲んで待ち構える。その真剣な眼差しは、途端に悪戯な笑みで掻き消えた。


「今季一番の盛大な舞踏会を開催すると思います。」


「?」


「うん?」


アレクシスは首を傾げた。


「ですから、王族主催の舞踏会ですね。派手にやりましょう。貴方がた親子はそういうイベント大嫌いなのは有名ですが、我慢して下さい。開催する頃には、社交シーズンも終盤ですからね。締めにどーんと他の国からも招待致しましょう。陛下にも連絡を入れませんと。」


「うん???」


アレクシスの疑問の頷きに、エレーンも続いて首を傾げたが、アレクシスは輪をかけて頭に疑問符が浮いている様だった。確かに今社交シーズン真っ只中だが、それどころじゃない感じが拭えない。実際、それどころじゃないのだ。


「方針が決まったらちゃんと言ってよ?またこの前みたいに流されるの嫌だから。それまで大人しくしてれば良いんでしょ?」


ルーカスは何やら不服そうだ。この前とはいつの話だろうか。


「あ、そうだ。実家に連絡しとかないと。変なの扱うなって。」


「ルカ兄ちゃんとこ、商売人なんだっけ?」


ルーカスはリンにこくりと頷く。中々どうして、そんな話しをする程には仲良くなったらしい。


「俺以外皆だからね。まあ、うちは大丈夫だと思うけど。」


「そうだ、貴方のご実家にも助力を頂こうと連絡してます。明日お休みあげますから行ってきて下さい。」


「おいジジイ、何でそう断りも無く……」


「誰がジジイですか。どっからどう見ても素敵な紳士でしょうが。せっかく貴方の長年の女性関係の悩みを解決して差し上げたのに。」

「はああ?!これっぽっちも悩んでませんから!てか、頼んでませんから!」


「そんな事言ってご自身が今一番不利ですからね?」


「……。」


ルーカスの喉の奥でぐっと堪える音が鳴る。


女性関係の悩み……など一人しか浮かばないが、他にまだ何やら抱えていたのだろうか?流石モテると謳っているだけの事はある。エレーンとアレクシスは静かに顔を見合わせたのだった。






それから、瞬く間に王族主催の舞踏会が開催されるらしいと、城内の話題は持ちきりだった。何故なら、催し嫌いで年に一度か二度行えばマシな方……な、あの女王陛下直々にいきなり開催される事が決定したのだ。しかも、第一王子殿下のお妃候補を募る為とあれば、色めき立たない訳が無い。これには、久しぶりに王宮に華やかさが戻って来ると、侍従や侍女も見るからにに舞い上がっていた。







そんな中で、エレーンとアレクシスは執務室で二人とも眉間に皺を寄せて睨み合っていた。机を挟んで向かい合い、微動だにしない。



「……っ何でドレスを着ないんだよ?!着れば良いだろう?」


「いえいえ、私は王子殿下付き騎士ですから!騎士の正装で参ります!一人だけ特別扱いは良く無いです!」


「いやいや、他の女性騎士もドレスだからな?!この日ばかりは男どもが警備をして、女性騎士は休みで舞踏会に出席して貰うんだから!」


「絶対嫌です!ならば私は宿舎におります!」


「そこまで?!そこまで嫌なのか??何で!」


堪らずエレーンはプイッと顔を背ける。


だって、ドレスでアレクシスの隣にずっと居たら、また在らぬ噂が飛び交うでは無いだろうか!しかも、そうしたら、何でも無い様に誰かと踊らなければいけなくなるしっ!そう思えば、制服で警備をしている方が数万倍マシに思えた。


「……どうしても駄目か……?」


声の主をちらっと見ると、しょんぼりと肩を落として悄気かえっている。ありもしない耳と尻尾がだらんと下がっている様だ。子犬だ。久しぶりに見た。……エレーンは虐めている様で胸がチクチク痛んだ。


駄目駄目、これは何度も引っ掛かって来た罠なのだ。どうしてか、この姿を見せられると、自分は縦に首を振ってしまうんだから質が悪い。


「……駄目と言ったら駄目なんです。そもそも、噂話に気をつけなきゃいけないんだからね?!アレクシス、ちゃんと分かってる?ドレスに拘り過ぎだわ!」


「……!それは、……。」


怒りなのか、焦りなのか分からない焦れた気持ちをぶつけてしまった。でも、下手をしたら死活問題だ。心を鬼にしなければ。


アレクシスは此方に体を向けたまま、視線だけロバートへと投げた。


「……じい。ドレスで出たら駄目なのか?」


子猫と子犬の喧嘩を見る様な、眩しいものでも見る様な細めた目で眺めていたロバートは、はたと気付いて姿勢を正した。


「……個人的な意見は、是非エルさんにはドレスを着て頂いて、坊の横に常に佇んで頂けると嬉しいのですが……今回の舞踏会は名目上は兄殿下の妃選びです。エルさんも最有力候補ですが、騎士団の正装姿で本当にそれで宜しいのですか?」


「?!」


「そんな馬鹿な?!兄上には侯爵や近隣諸国の姫が候補に居るだろう?」


アレクシスの声が遠くに聞こえる。


エレーンと言えば、一人頭の中が煩くなっていた。何で自分が候補に?!第二王子殿下付きでも関係無いのだろうか……。働いている内は関係の無い事だと、この前の騒動で自分の好きに出来るのだと、傲慢にも何処かで思っていたのかも知れない。でも、まさか自分が選ばれるわけは無いだろう。王子殿下なら、もっと国益になる素敵な方と婚姻を結ぶ筈だ。自分より素敵な女性は沢山いるのだから。



……それは、第二王子も当て嵌まる話だ。



考えがそう告げると、先程とは比べ物にならない程、エレーンの胸は痛んだ。何故痛むのか、自分でも理解に苦しむ。これでは、まるで…


そうエレーンが思い悩んでいる間にも、アレクシスとロバートは言い合っている。


「……なら、俺も舞踏会に出」

「出ないなんて、無理に決まってるでしょう。目的を忘れたのですか?」


「……言ってみただけだ。」


アレクシスは口をきゅっと一文字に結ぶ。そのままストンと椅子に腰掛けた。腰掛けたと言うよりは、力無く落ちた、が正しい様だ。


「全く、少しは冷静に考えて下さい。そもそも、エルさんはマルシュベン家令嬢ですよ?とっくに女王陛下から招待状は届いているのです。警備ではなく、妃候補として。なので、ドレス以外は論外です。」


アレクシスの顔がこれ以上無い程苦渋な様子で顔をしかめていたのだが、思いに耽っていたエレーンは気付いていなかった。

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