32話


朝の一件で、瞬く間に噂が広がり、あのカレイラも手を焼く暴れ馬を瞬殺した強者だ、それもマルシュベンの出だ、何だかんだと好奇の目で見られて、エレーンは少し疲弊していた。


そうでなくとも、執務中でも王城内を歩いているだけで、遠巻きにじろじろ見られて気が張るというのに、こう四六時中では息も吐けない。


遅めの夕飯を、多くの者が集まる大食堂で取るのは判断を間違えたかと、少し気分が鬱ぐ。存外クロードが王城内での知り合いが多く、先程から社交場の様に、テーブルへと人がひっきりなしにやって来て、その度に挨拶合戦になってしまい、何度も代わる代わる紹介されて、気が休まる暇も無いのだ。兄と言えど流石領主嫡男。社交術に長けているらしい。初めて見る兄の意外な一面に最初は面食らったが、あまりの客人の多さに感動は何処かへ行ってしまった。


クロードは挨拶する者がやって来ては酒を注がれ、やや上機嫌になっている様だ。アーガスはこの(面倒な)状態を遠慮して、ちゃっかりルーカス共々他のテーブルへと呑みに移ってしまったし、ロイはリンと共にライルに引き摺られて夜勤へと行ってしまった。アレクシスはまだ執務が終わらないらしい。そもそも、第二王子殿下が大食堂へと顔を出すのは稀なのだ。何もかもがマルシュベンと勝手が違う。


人の流れが少し落ち着く頃には、食事はすっかり冷めてしまっていた。


冷めたスープを口に運びながら、明日出立するクロードに、王城内での勤務のコツを教えて貰う。騎士や兵士は確固たる強さに敬意を払うので、今朝の騒動で然して心配は要らないだろうとの事で、内心ほっとする。それと、代わる代わるの知り合いに紹介して貰ったのも効果がありそうで有難い……様な大変な様な。好奇の目で見て来る者も、その内修まれば良いのだが。


イスベルを出てからまだ一ヶ月程だが、クロードと話していると懐かしさが込み上げる。家族の事、レオナルドの婚約者は実は隣町の花屋の娘でー……など、話しは尽きない。


食事も終わり、すっかり話し込んでいると、今朝方振りのカレイラが、ワインのボトル片手に二人の元へやって来た。

ニコルも誘ったらしいが、すっかりへそを曲げてしまって部屋から出て来ないと快活に笑う。エレーンは何だか申し訳ない気持ちになったが、良い薬だ。と上機嫌なカレイラにほっと胸を撫で下ろした。


カレイラはクロードの直属部下として近衛騎士団に入隊し、基礎を叩き込まれて、クロードが辞めた後に自ら志願して騎馬隊に移ったらしい。


「だから、クロードどのは私の師匠と言っても過言では無いのだ。いや、兄貴分かな?」


ワインで頬を少し染めて、にこにこしながら、カレイラは思い出話にご満悦だ。


「師匠なんてとてもとても、言う程大したものでは無いよ。それにしても、カレイラどのも今や一騎馬隊の隊長にまで登り積めているとは、時が経つのは早いなあ。」


「私はクロードどのの様な、頼れる人物になるのが目標なのだから、部下に手を焼く内はまだまだ。」


「いやいや、ちょっと俺の評価が誇大気味だろう、カレイラどの。」


クロードはべた誉めな上に妹も居る手前、少々照れた様だ。酔ったのも手伝ってブンブンと手を大袈裟に振る。エレーンは微笑ましく思いながら、二人のやり取りを見ていた。


「所属は別だが、クロードどのの妹君ならば、私の妹も同然だ。何か困る事が有れば、いつでも頼って欲しい。」


カレイラの申し出に、エレーンは嬉しさ一杯に笑顔で返事をした。アレクシス殿下の側が嫌になったら、いつでも騎馬隊に入隊して欲しい、即戦力だとも言われたが、そちらは丁寧に断った。

ワインのボトル二つが空になる頃、そろそろお開きにしようとテーブルを片付け始める。


「そうそう、明日、西の砦に向かうでしょう?」


「ああ、弟に会いにね。何処からそれを?」


当面の動向は、近しい者にしか伝えていない筈だったが、カレイラの唐突な質問に、二人は少し驚き、手が止まる。周りに人が居ないのは、カレイラ自身確認済みの様だ。


「オレリアス殿下に、明日我が隊から数人 伴を出す様に言われたのです。クロードどのの腕前は殿下も私も百も承知だが、流石に二人旅は心細かろうと。私は行けませんが、腕の良い者を用意致しましょう。」


「それは……有難い申し出だけど……。心配要らないのに。あの方は全く。」


「あの方は、クロードどのの王城復帰を強く望まれてましたから、ここらで一挙に心を鷲掴みする作戦なのでは?」


カレイラはくすっと笑いながら、さくさく皿を重ねる。食堂では食べ終えた皿を返却口へと戻さなければならないので、身分は関係無いのだ。


「オレリアス殿下は、アレクシス殿下のお兄様なんですよね。私、まだご挨拶もしていなくて。」


エレーンもテーブルを拭きながら、カレイラを見る。が、彼女はきょとんとした顔でエレーンを見ていた。


「うん?今朝訓練場の水汲み場に居られただろう。私も通りがけにご挨拶したのだが……。」


「えっ?!」


エレーンはついつい食堂内に響き渡る程の声を上げてしまった。だって、誰も一言も教えてくれていない。確かに、アレクシスに似ているとは少し思っていたけれども。


「あー……。エレーンは面通りがまだなんだ。あの方は、ほら……。」


「成る程。殿下も相変わらずのご様子みたいだな。妹君もあまり気にしない方が良い、いずれまた挨拶する機会もあるだろう。」


朝、あの場できちんと挨拶も出来ず、失礼は無かっただろうか。エレーンは朝の自分の態度を改めて思い出していた。


兄殿下はどうやらかなりの悪戯好きなのだろう。




「兄様、教えてくれたって良いのに。」


カレイラと別れて、エレーンはぷりぷり怒りながら、クロードを部屋まで送る。


「そうなんだけど、何か秘密にして欲しそうだったからなあ。」


クロードは苦笑いしながら、妹のやや後ろを歩く。夜も更け、廊下に人通りは無い。照明の蝋燭が、ゆらゆらと廊下を照らす。長い廊下の突き当たり、二人の向かう先の窓辺に、件のオレリアス殿下が窓枠に腰掛けている。驚く二人に気付いて、オレリアスは手招きした。






「……兄上……。」


手招きされ、挨拶もさせて貰えないまま連れて来られたのは、アレクシスの私室だった。

流石に殿下の寝所に夜中入れないと、エレーンは頑なに拒んで、何とか手前の応接室に落ち着いた。突然押し掛けられ、アレクシスは少し苛立った様子で、応接室に入って来ると、直ぐにオレリアスに噛み付いた。


「確かに、新しい側近の面通しをお願いしましたが、何故俺の部屋で、しかもこんな時間に!ましてや、この場の側近はエレーンどののみだし、クロードどのも巻き込んで俺の寝所に入れようとするし!」


アレクシスの抗議も、オレリアスは全く聞いてない。それどころか鼻歌混じりにお茶を飲む始末。その姿に、益々アレクシスの機嫌が悪くなる。


「あの、アレ……殿下、落ち着いて下さい。兄殿下におきましては、私も是非ともご挨拶したいと思っていましたから……。」


「そうそう、お前、部下の前でそんなに取り乱してちゃあ、面目も何もあったもんじゃない。少し落ち着いたらどうなんだ。」


ブチッと何処かで管が切れる音がした。


「兄上!」


アレクシスの様子に、オレリアスはくっくと笑って、悶える。エレーンはどうしたら良いのか、あわあわと慌てた。


「はー……、エレーンどの、どうだろう。我が愚弟はこの様な奴なのだが、支えて行って貰えるだろうか?この姿を見て呆れはしないか?」


オレリアスは一頻り笑って、目に涙まで滲んでいる。またもや兄上!とアレクシスは怒り心頭だ。

そんな事を言われるとは思いもよらず、初めはきょとんとしてしまったが、直ぐに姿勢を正した。


「そんな事はございません。私はアレクシス殿下のお陰で、騎士になろうと腹を決められたのです。殿下でなければ、今私はここにおりません。何が有ろうと、側を離れる気は毛頭無い所存です。」


エレーンは真っ直ぐとオレリアスを見つめた。オレリアスもじっと見つめ返して来る。本当に、そっくりな兄弟である。深い青は、ずっと見ていられそうだ。

そう思っていると、綺麗に整った顔がにやりと笑みを含む。それは何処か悪巧み的な雰囲気があり、エレーンに緊張が走った。


「ふむ、その覚悟や良し。ならば俺は弟の決めた事にこれ以上何も口は出さん。王城勤務は色々と面倒だろうが、よくよく励む事だな。」


オレリアスは立ち上がると、クロードどのを借りるぞ、と連れて出て行ってしまった。

アレクシスとエレーンは、扉が閉まった瞬間、はあぁーと深い溜め息を吐いた。


「……何かすまない……エレーン、疲れただろう?」


そう言ったアレクシスは、項垂れたままだ。


「あ、いえ。緊張はしたけど、きちんと気持ちを伝えられて良かったです。」


「……そうか。」


心なしか起き上がった彼の機嫌は良くなった様に見えた。


「…王城に入ってから話す機会もあまり取れなかったな。何か困った事は無いか?兄上はあんなで迷惑かけたと思うけど……。」


「え、えーと……。」


正直、遠巻きに見られるのが地味に疲れるのだが、そんな事を伝えても良いものか悩む。


「そう言えば、朝方、騎馬隊所属の者と派手にやり合ったとか聞いたな。」


「!やり合ったなんて。手合わせして頂いただけです!もう、噂になってしまって、困っていて……。」


黙っていたのに、まさかアレクシスの耳にまで噂が入って来ていたとは!エレーンは慌てて否定する。


「いや、折角なら顔を売ったんだと前向きに捉えたら良い。皆知らないと勝手に想像して、勝手に決め付けたりするし。変な噂だけが独り歩きしたらもっと困るだろうし。……どうせなら俺も見たかったな。」


そう言って、アレクシスは悪戯っぽく笑う。笑う顔がオレリアス殿下に似ているとは、言わないでおいた。大体、此方は困っているというのに、先程とは打って変わって楽しそうなのがちょっと腹立たしい。


「では明日の午前の合同訓練は、アレクシスも是非一緒にしましょう?」


面白がっていたアレクシスは、エレーンの反撃に目をぱちくりさせる。その姿を見て、今度はエレーンが笑うのだった。




応接室とは言え、夜遅く第二王子の私室に長居出来ないので、エレーンは部屋を後にした。


噂も含めて王城勤務なのだと、一人気合いを入れ直した。アレクシスの言葉に、気が紛れたのを感じる。何だか胸が温かくなった気がした。






翌日、クロードとアーガスは、護衛二名を従えて、早朝に出立した。昨晩、護衛は必要無いとオレリアス殿下に進言したらしかったが、取り合って貰えなかったらしい。苦笑いしながら、頬を掻いていた。これでも譲歩して減らしたらしいが、最初は何人付けられる予定だったのだろうか。挨拶もそこそこに足早に向かって行った。

見送りは皆顔を出したが、夜勤明けのリンやロイは宿舎に帰り、アレクシス達は執務が滞っていると王城内に戻ってしまった。



一人合同訓練へと移動したエレーンは、やはり皆の注目を集めてしまう。少し心細いと感じながらも準備運動していると、覚えのある高い声が聞こえて来た。


「殿下の側近だというのに、主の側を離れて、一人だけ合同訓練に参加するなんて、随分余裕がおありですのね?」


不適な笑みを浮かべて、ニコルが隣へやって来た。カレイラは合同訓練の指揮を取るのか、列の前へと向かって行く。


「これも、仕事の内ですから……。」


「昨日は油断しましたけれど、今日の訓練は馬上での弓の早打ち。私の得意中の得意技ですわ。貴方、そんな余裕の顔をしていられるのも、今の内でしてよ?」


「……。」


エレーンの様子を全く気にせず、ニコルはペラペラと自慢話を喋り続けて、終いにはカレイラに雷を落とされるのだった。

訓練の結果も、エレーンが高成績を叩き出し、ニコルの悔しがる叫び声が、馬術訓練場どころか王城全体に響き渡る事態となった。それにより、またエレーンは噂の的になってしまうのだったが、もう諦めて受け入れるしかないと、自分に言い聞かせる。



「良い?小娘!ちょっと腕が立つからって良い気にならない事ね!訓練では日々結果は変化して行くものですのよ!昨日今日調子が良い程度で、この先は私が上に行って貴方なんて置き去りにしてみせますわ!」


悔し涙を浮かべて叫ぶニコルだが、それでも一人寂しかったのが彼女のお陰で紛れたのを感じていたエレーンは、内心感謝していた。遠巻きにされるより、直接話をしてくれる方が有難い。


「はい。また宜しくお願いします。ニコルさん。」


笑顔のエレーンに、ニコルはまた苛立ち、ぎゃあぎゃあと話出す。得てして、エレーンにとって王城勤務は刺激の多い始まりになったのだった。






オレリアスは王城の通路から、訓練場を眺めていたが、元気なニコルの声はここまで聞こえて、笑いが止まらない。


「また従者も付けず、自由過ぎますよ。」


それを見つけたルーカスは、大量の書類を抱えながら、人通りの無い通路を選んで歩いた自分を悔いていた。しかし、無視して通れる相手では無いので、観念して話しかけた。


「……相変わらず嫌われているな?俺は。」


とは言いつつ、微塵も気にはしていない様子に、ルーカスは溜め息を吐く。不敬極まりない態度だったが、目の前の御仁はやはり気にも留めない。


「いや、昔兄殿下が毎度毎度自分の下に来いとか仰るから、俺も顔見れば逃げなきゃいけなくなったんですよ?自重して下さい。」


ルーカスの心底うんざりした顔に、オレリアスはくっくと笑いを噛み殺す。


「もう、流石にエレーン嬢にはしないで下さいよ?貴方様がわざわざ確認しなくとも、うちの殿下は見る目を養いましたから。進んで悪い役を買わないで下さい。周りが面倒なんで。」


オレリアスは予想外な言葉だったのか、きょとんとした顔でルーカスを見る。それは年齢に似つかわしくない、とても幼さを感じさせて、アレクシスの兄弟なのだと思わずにはいられない。


少し間が開いて、また笑い出す。


「うん……いや、ルーカスどの。意外に俺は嫌われていない様で嬉しいぞ?」


「いや、その話は良いですから。」


「面白かったから貴殿の今回のマルシュベンでのミスは問わないでおいてやろう。次は無いぞ?しっかり励めよ。」


「……心よりお詫び致します。二度と、この様なへまは致しません。って言うか、俺自身許せないので今後無いですね。」


オレリアスはにやりと意味ありげに笑って、廊下を後にした。




「……やっぱり苦手なんだよねー。」


ルーカスは脱力しつつ、第一王子殿下の背中を見送った。


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