婚約者は誰だ?!

33話



「とりあえず、謝って下さらない?」



エレーンの王城勤務も早三ヶ月を過ぎ、仕事も少し慣れてやっと身辺が落ち着いて来たある日。大食堂で遅めの昼食を一人取っていると、ニコルが目の前に着席したかと思えば開口一番にこのセリフ、である。


最近は事務仕事の量が増え、合同訓練に参加するのが少なくなって来たのだが、ニコルはエレーンの姿を見付けると、所構わず側に来ては色々話し始めるのだ。それは、前の様に攻撃的であったり、訓練の事であったり様々だ。お陰で、訓練中一人になる事も無く、ニコルの心中は不明だが、此方としては彼女に親近感が沸いている。


しかし、今日は一体何の話だろう。謝る事等(訓練で負かす以外)無い筈だ。


「……えっと、一体何の」

「私、大変迷惑してますの。」


しれっとしながら本日のAランチ、チキンソテーを優雅に口へ運ぶ。その所作はきちんと教養を身に付けた令嬢そのもので、いつもこうすれば良いのに。訓練での激しい?彼女を思い出して、エレーンの考えが脱線してしまう。


視線に気付いて、ニコルはジロリと此方を睨んでくる。


「……貴女、許嫁はおりまして?」


「え?、いえ……」


「私の様な、しがない下級貴族とは違って、貴女なら引く手余多ではなくて?家同士決められた方もおりませんの?」


「特にその様な話しは……」


一体何の話しなのか。家でそんな話しをされた事は無いのだけれど。エレーンは内心首を傾げた。


「……では、心に決めた方は?」

「え?!」


何となくアレクシスの顔が浮かんだ……気もしたが、これは絶対違う…と、エレーンは咄嗟にブンブンと頭を振る。ニコルは目の前で繰り広げられる突然の奇行に、元々大きな目をパチクリさせている。


……そんな目で見ないで欲しい。


エレーンは恥ずかしさで耳が熱くなった。


「と……くにおりません。それが何か?」


平静を装ってみたけれど、果たして効果は如何程だろうか。しかし、ニコルは何事も無かったかの様に話しを続けた。


「……貴女とお近付きになりたい殿方が、私の周りに沸いて出て迷惑してるんですのよ。」


「えっ?!」


「カレイラ様には畏れ多くてお声をかけられないからって、私に……なんて、失礼な話しですわ。」


そう言いながらも黙々と食べ進める。


「普段は……あの、貴女の同郷の背の高い方……なんて仰ったかしら?」


「ロイの事ですか?」


「そう、そのロイ様とルーカス様どちらかが貴女と一緒に居られるから、あのお二方相手では並の殿方は近付けないのでしょうし、分からなくも無いのですけれど。」


「いえ、あの二人は仕事で……」


「っなんてっ、無防備ですの?!」


ニコルは元々つり目気味な目を更に吊り上げて、憤慨する。


「ニコルさん、しーっ!」


ここが大食堂だと忘れていたのか、大声を出した手前、ニコルはこほんとわざとらしく咳をした。


「貴女は、公爵令嬢で、役職は第二王子付き、それに加えて腕も…………腹立たしいですけれど、腕もかなり立つ。そんなのが許嫁も持たずふらふらしてるなんて、鴨がネギ背負って徘徊している様なものですのよ?!」


「鴨がネギ……」


「……それに加えて、最近はそのロイ様とお近付きになろうと画策する者も増えて、私正直ぶん殴ってやりたくなりますの。だって、私はロイ様と話しをした事すらありませんのよ?貴女と話しをしてるからって、安易に私を宛にされてもどうしようも無いですのに。」


ニコルは深い溜め息を吐く。


……これは、深刻な事態なのかも知れない。彼女が誰か殴る前に、現状をどうにかしなければ。しかし、自分だけでなく何故ロイまで……王城勤務は常に気を付けろと父から口を酸っぱく言い付けられていたけれど、まさかこれの事では無い……無い筈だ。エレーンは努めて冷静さを装った。


「私の事は、その、ご迷惑をおかけして申し訳無く思うのですが、何故ロイまで……」


「……貴女、本当に公爵令嬢なんですの?察しの悪さに私、上京したての、ど田舎の、下位貴族の小娘と話しをしてる気分になりますわ!」


「……すみません」


「……仕方ありませんわね。よろしくて?ロイ様は騎士爵とは言え、役職は貴女と同じ王子殿下付き。加えてあの容姿、腕前。将来の有望株を、王城勤務の子女処か、他の貴族が放っておく筈無いじゃありませんの。是非養子に……なんて思う者も少なく無いんですのよ?」


確かにロイは腕が立つし、容姿……は荒々しくなって本人は以前へこんでいたけれど……。ううん、元々魅力的だもの。仕事だって、覚えが早いのだし。…でもそんな話しが、本人抜きに周りで飛び交っているなんて。本人に言えば済む話しなのに、エレーンは何だか腑に落ちなかった。


「今までは貴女の縁談なんて笑い飛ばすだけで楽なものでしたけど、流石に二人分は捌き切れませんの。廊下ですれ違う度に話しかけられて……どちらか片付いてくれてればと思いましたのに……」


ニコルはまた溜め息を吐いた。

そんな彼女に人知れず動いていてくれた事を感激している場合では無い。いっそ自分が婚約者がいる体にした方が万事上手く行く様な気がする。


「それは……、少し考えてみます。」


「……貴女、何かするのでしたら、きちんと殿下に報告して下さらない?面倒な事態になりそうですもの。この話を貴女に隠していたあの方達にも責任を取って頂きたいですし。隊の基本は?」


「報告、連絡、相談です……」


幼子に諭す様に説明され、無頓着な自分が恥ずかしくなる。それにしたって、最近の彼女は……


「ニコルさん……」

「なんですの?」

「ありがとう……ございます?」


ニコルは予想外だったのか、口をパクパクさせ、食事の手を止める。


「な……にを」

「私がもう少し気をつけていれば良い話でしたのに、こんなご自身が大変になるまで、気を揉んで頂いていた事、とても嬉しく思います。」


途端に彼女の顔が真っ赤に染まる。色白だから余計に赤みが目立ってしまう。幼く見える分、何だか虐めている様で申し訳無くなってくる。でも、感謝は伝えたい。


「ニコルさんは、優しい方ですね。」


遂に耳まですっかり赤くなって、目は泳ぎ、手はぶるぶると震えている。此方も何だか照れ臭くて、顔が赤くなって来たのが分かる。


「なな何を恥ずかしい事を口走ってるんですの?!わた、わたくしが、迷惑と言っていますのに、なな何を嬉しい等と……勘違いも甚だしいですわ!」


「勘違いですか……」


「そ、そそうです!私は、只、……好敵手!そう、ライバルとして貴女を認めておりますの!それが、こんな許嫁騒動ごときで貴女が辞めたりすると困るから仕方無く……」


ニコルは立ち上がっていたが、はたと気付いて着席する。その顔は恥ずかしそうに俯いてしまった。


「ニコルさん、」

「なんですの!」

「私は、ニコルさんが何と言おうと、貴女の事が好きですよ?」

「~!!」


真っ赤になりすぎて、瞳はうるうると滲んで、今にも泣き出しそうだ。変な事を言ってしまった……かも知れない。エレーンはちょっと言い過ぎたかと、一人反省した。そもそも、この様な人前で話す内容では無かったかも知れない。


「あの、ニコルさん」


「……ありませんわね。」


「はい?」


心ここに在らずボソボソと呟くニコル。その声は小さく、何を言っているのか聞き取れない。

エレーンが顔を覗き込もうとしたその時ー


「仕方ありませんから、おと、お友達になって差し上げてもよろしくてよ?!」


口調は上からなのに、真っ赤な顔が可愛いらしい。エレーンは突然の事に関係の無い事を考えていた。


「なっ何か返事はありませんの?!」


「あ、此方こそ、宜しくお願いします。とても光栄です。」


お互いギクシャクしながら、握手を交わす。組み手をした事もあったので、ニコルの手を掴むのは初めてでは無かったが、小さく華奢な手は熱を持って微かに震えていた。不味い。小動物の様で、端なくも抱きしめたくなってしまう。


エレーンが沸き上がる感動を噛み締めていると、ニコルはパッと手を離し、挨拶もそこそこにトレーを持ってそそくさと大食堂を後にしてしまった。


一方エレーンは、王城初の友達が出来て、幸福感に満たされているのだった。



後日、あの暴れ馬を手懐けただの、猛獣使いだ、等と噂が飛び交うのだが、それをエレーンが気にする事は一度も無かった。







お昼を済ませ、早速アレクシスの執務室へ赴き、自分の考えを伝えー


「………そんなの許可する訳無いだろう?」


……反対を受けてしまった。


「ニコル嬢に迷惑が掛かってるのは分かった。しかし、それでなんでロイと婚約するって話になるんだ?」


「二人分迷惑をかけているので、一挙に解決出来ると思いまして……。」



目の前のアレクシスの剣幕は凄まじい。額に手を当て、背凭れに深く沈む。明らかに、どす黒いオーラが彼を包んでいる。


今日は機嫌の悪い日だったのだろうか、一段落するのを見計らったのに、報告するタイミングを間違えてしまったらしい。ロイなら、快くこの話に乗ってくれると思ったし、あくまでも『振り』なのだから、そこまで大事にならずに済む筈なのに。


ルーカスは大笑いしているし、当のロイは両手で顔を隠して部屋の隅でプルプル小さく震えているし、ロバートに至っては先程から笑顔のまま時が止まった様に動かない。


唯一会話が出来る相手がアレクシスのみなのに、まさかの大反対されるなんて。エレーンは軽くショックを受けていた。


「……良いか、エレーン。その辺の一市民が口約束で結婚を誓い合うのとは訳が違うんだぞ?」


「それは、勿論です。」


「……エレーンの立場で婚約を発表したら、それはもう結婚が決定しているのと同義語だ。子供の時分ならいざ知らず。成人してからだと余計に意味が強い。それによってまた他の貴族は言い寄る為に策を練るし、……ましてやその後婚約破棄だなんて、下手をすればエレーンの名に傷が付く処か、一生結婚出来なくなるぞ?!」


「そんな、一生?!大袈裟でー」

「大袈裟なもんか!良いか?エレーンは平気だとしても、ロイの出世も危ぶまれるんだぞ……。貴族の噂は本当に恐ろしいんだ!」


被せて言い放った後、アレクシスは今度は机に向かって組んだ手に俯せに頭を乗せる。その直ぐ後に深い溜め息が聞こえてきた。


「……私は仕方無いとしても、ロイの足を引っ張るのはちょっと……」


「……そうだろうな。…………ロイ、お前随分嬉しそうだな?」


隅っこに小さくなっていたロイは、口に手を当て、もう片方の手を大きく、それはそれは大きく振っていた。


「……俺は公爵どのに怒りを通り越して殺意すら感じるぞ。まさか、娘可愛さにこんな事も教えてやらないとは……!!」


無知を指摘され、顔から火が出る程恥ずかしい。我ながら名案だと思っていたのが、余計救われない。兄も姉も好き合って結婚した様なものだし、婚約やら破棄の難しさ、そんな話聞いた事もなければ、疑問に思ってもいなかった……。今は只謝る事しか出来ない。


「……まあ、認識は改めて頂いた所で、どう対処致しましょう。」


固まっていたロバートが、ようやっと動き出した。


「……嘘の婚約発表は絶対させないからな。絶対に。」


「もう言いません、しません!」


これ以上傷をえぐらないで欲しい。真っ赤であろう自分の顔を両手で押さえる。しかし、そうは言っても、どうしたら良いのか、案が浮かばない。



重い沈黙が、室内を包む。



「……エレーンちゃんは、どんな人が好みなの?」


「えっ?!」


ルーカスがなにやら考えていたと思ったら、とんでもない質問を投げて来た。


「今、それは必要なお話しですか?!」


「だって、とにかく候補を削らなきゃいけないんでしょ?とりあえず、好みを言っといて、それっぽい人だけに絞って対処すれば良いんじゃない?」


「それは……」


「本来なら、あのお嬢ちゃんの所に行くんじゃなくて、直接エレーンちゃんに言い寄ってくれれば、振りまくってその内収まるんだろうけどね。」


「……私が常時一人で行動すれば、もしくは……」


「!それは絶対駄目だ。」


アレクシスが途端に声を荒げた。そんなにいけない事なのだろうか。


「ですが……」


「……。……エレーンは、……強い男が好みなのだろう?」


なにやら不貞腐れた様子で、アレクシスはポツリと呟いた。


何故それを?!

「何故それを?!」


エレーンは動揺して思わず声に出してしまった。それは、確かにそうだったけれど、子供の頃の話しでーって、本当にどうしてその情報を?!



「え、じゃあ俺にしとく?」


「えええっ?!」


「……えっ?」


ルーカスの軽口に、エレーンは驚き、アレクシスとロイは勢い良く立ち上がった。


「……だからっ!それをやったらエレーンの今後が大変だって話しだろうが!!お前、命が惜しく無いらしいな?俺自らってやる、そこへ直れ。」


「あの、アレクシス?!」


「ちょっと、冗談だってば!嘘!嘘ウソだから!」


ジリジリとルーカスへ歩みよるアレクシスは、立て掛けていた剣に手をかけて迫真に迫る。


本当に鞘から抜こうとしている?!



「さて、どうしましょう。この手は使いたく無かったんですけどね……」



それを止める事も無く、ロバートが、顎髭をさすりながら、一人言の様に呟いた。




ロイの驚いた声は小さ過ぎて誰にも届いておらず、彼は部屋の隅でほっと胸を撫で下ろしていたが、それすら気付く者は居なかった。



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