31話

明後日にはクロードが王都を発つと言うので、久しぶりの手合わせをする為、エレーンはクロードと共に、兵士訓練場に朝早く集合した。アーガスも昨晩の内に誘ったが、長旅だった為、老体に鞭打てないと辞退された。ロイとリンはライルと共に夜勤で、王子とルーカスには、昨晩の雰囲気を思い返すと、なんとなく遠慮しておいたのだった。


城の北側に位置する訓練場は広く、高い塀に囲まれている。大会同様、升目に区切られているが、自主練の為に集まった者達はあまり気にして使ってはいないらしい。そこかしこに対峙している者。外周を走る者。筋力トレーニングしている者等、様々な者達で、朝だというのに大盛況だ。


エレーンは、この場所にまだ訪れた事が無かった為緊張していたが、クロードは慣れた感じでずんずんと空いてる所へと進んで行く。二人に気付いて、手を止めちらちらと此方の様子を伺う者が出始める。が、気にも留めない。


「さて、どうしよう。ここなら土も柔らかいし、体術でも良いけど。エレーンはどうしたい?」


クロードは、久しぶりの手合わせにうきうきしているらしかった。

エレーンは何にしようか少し迷ったが、せっかくなので兄とは体格差も有るし、普段やらない体術にしておいた。


「いつぶりでしょう?兄様との手合わせは?」


内心、自身も楽しみで仕方ない。王城内はとにかく事務的仕事が多く、体を動かすのも久しぶりだ。


「軽く半年振りかな?行くぞ。」


お互い向かい合って、礼をする。

顔を上げて、直ぐエレーンから仕掛けてみる。兄の襟元へ手を伸ばすが、どの手も弾かれて届かない。ならば、腕を取ろうとするが、豪腕で、返しが早く、掴めやしない。

クロードがにっと笑って、エレーンの腕を捕まえて引っ張る。足元を払われそうになるが、何とか回避する。腕はそのままだ。

手首を返し、勢いよく抜く。何とか脱出出来た。


「上手い上手い。どう?難しいかな?」


「ええ、さすがに。」


「うん、打撃も有りで良いんじゃない?」


クロードが言った途端に、エレーンは軽く走り、上段から蹴りを出す。


「おっとー!危ない。」


軽口を叩きながらも、クロードは軽く避ける。そのまま、数発蹴りを出すが、交わされてしまう。

そうこうしていると、クロードが胴目掛けて拳を繰り出す。エレーンは咄嗟に後ろへ下がる。そのままクロードが蹴りを連発するので、後退りながらも回避する。腕のガードに蹴りが来るのを狙って掴もうとするが、読まれていて、逃げられる。長年やっているので、二人の手管はお互い把握済みなのだ。


「……うーん。」


クロードは呟くと、右の拳をエレーンの顔面へと向ける。咄嗟に、肘でガードするが、左手が襟元を捉え、ぐいっと引かれる。更に内側から足を払われそうになったが、エレーンも足を上げて避ける。今度は襟元を強く引かれ無理矢理懐に入られる……が、そのまま、クロードの背中を片手で掴み、半転する。そのままクロードを掴んだまま倒したかったが、直ぐに手を放され、エレーンは勢いのまま地面に膝を着いた。。


クロードはくるっと振り向き、エレーンを引っ張り起こした。


「はい、膝を付いたからエレーンの負け!」


「えぇっ!?そんなのずるい!」


確かに着地で片膝着いてしまったけれど。


「だって、これもう本気でやり合わないと、結果出なそうだしね。」


言い合う兄妹を、いつの間にかがやがやと野次馬が囲んでいた。



「何を騒いでいる!」


人垣を分け入り、背の高い女性が二人の前に進み出た。黒く、軽くウェーブのかかった長い髪を揺らし、勇ましく向かって来る。女性の後ろに、対照的に小柄な少女も付いてきている。こちらは、金髪をショートにしていて、かなり幼く見える。


「この騒ぎ様……喧嘩など下らん事をしてはいまいな?……ん、君は誰だ。」


女性は、エレーンに気付くと、首を傾げた。腕を組むと、豊満な胸元が強調される。


「ここは、兵士達の鍛練する場であって、使用人が遊び気分で訪れる場所では無い……そなた、そもそも使用人か?どなたかのご息女だろうか?それならば、失礼した。しかしだな、物見遊山でー」


「あれ、もしやカレイラどのじゃないか?」


エレーンに気を取られ、カレイラと呼ばれた女性はクロードに気付いていなかったらしい。呼ばれて、声のした方を向くと驚愕の表情を表した。


「クロードどの?!いつ此方に参られたのですか!一言教えてくれても良いものを……。なんだ、水くさいでしょう!」


途端に、嬉しそうに笑顔を見せる。


「妹が世話になっていてね。直ぐに発つから、他の皆にも挨拶はしてなかったんだ。すまない。」


「妹!」「妹!」


女性と共に、少女も驚く。


「なんだ、ニコル。知っているのか?」


ニコルと呼ばれた少女は、ついっとカレイラの前に進み出た。


「カレイラ様、あれです!第二王子殿下が側役に呼んだらしい、マルシュベンの小娘ですわ!」


その言葉に、場内はざわざわと騒がしくなる。当然と言えば当然だが、初の女性の側近採用は、王城内で噂になっているらしかった。


「こ……」


エレーンは、ニコルの剣幕に押され、言葉にならない。


「小娘とは失礼だろう。どうしたのだ。普段のお前らしく無いぞ。」


「あら、私より年下の筈です。呼び方など小娘で結構!!側役に選ばれたと聞いて、どんな屈強な方がみえるのかと思えば。こーんな、細い頼りない方だとは思いませんでしたわ!私。」


カレイラの制止も聞かず、ニコルは一人憤慨している。

そもそも、王城勤務では、貴族間の爵位では無く、役職の上下官位に従うものと定められてはいるが、エレーンは腐っても公爵令嬢。加えて第二王子の側近故にここ数日皆遠巻きにしていたが、これ程気にせず話して来る人物は初めてだ。いっそ清々しい。内容は概ね失礼だが。


「年下……?」


どう見繕っても、小柄な体躯にアレクシスと年が変わらなそうに見えるが……。それどころか、寧ろ下に見える。


「ええい!何だ!つまらぬ嫉妬など、馬にでも喰わせておけ!クロードどの、妹君、大変失礼した。どうか許しては貰えぬだろうか。」


カレイラは、ニコルの頭を掴み無理矢理に頭を下げさせる。


「ちょっ……カレイラ様ぁ?!私悪い事などしておりません!」


暴れるニコルを、それでも押さえつけ、カレイラも頭を下げる。慌ててクロードは頭を下げる二人を止めに入った。


「大丈夫だから、二人共。頭を上げて欲しい。皆が見ているし、何もそこまで……。」


エレーンも横でうんうんと頷く。


「いや、こやつを教育しているのは私だからな。けじめは着けねばならん。ほら、ニコル!」


カレイラは更に強くニコルの頭を押し付けた。


「きゃー!痛っ!カレイラ様痛いですわ!」


「こういう時は、何て言うんだろうな?ニコル!」


掴んでいる手に更に力が込められる。


「だっ!だってカレイラ様~……。」


身長差がありすぎて、何だか虐めているかの様な光景に、その場に居る全員がいたたまれなくなって来た。



「何の騒ぎー?」


はらはらして見守る野次馬達を掻き分け、ルーカスがひょっこりと顔を出した。


「……何してるんですか、カレイラどの。何かお嬢ちゃんが可哀想な事になってるけど……。」


衝撃的な光景に、流石の彼ですら少々引き気味だ。


「……出たな、軽薄男。貴様には関係無い。」


カレイラはぎろりとルーカスを睨む。


「関係無くないですー。この二人は此方の関係者ですからー?俺にも関係有りますー。」


ルーカスは素知らぬ風に、エレーンの側へと進み出た。


「相も変わらず、騎士とは思えぬその言葉使い……。恥を知れ。軟弱者が!」


更に風向きがおかしくなって、とばっちりが来るのを恐れて、野次馬は一人、また一人と散り散りに後退して行く。


「はいはい。俺の事はどーでも良いですから。何?エレーンちゃん何が有ったの?」


ルーカスは全く気にせず、エレーンに聞く。どう説明したら良いのか、返答に困ってしまう。


「いや、相変わらずカレイラどのは真面目だね。此方は気にしていないから、もうこの辺で終いにしよう。えーと、ニコルさん?も、もう良いから。」


クロードは場を治めるべく、二人を宥めようとする。

突然、ニコルが手から逃げ仰せて、エレーンに向かって指差した。


「納得行きませんわ!カレイラ様なら未だしも、何で殿下の側近がこの小娘なんですのよ?!」


「ニコル!!」


カレイラはニコルを捕まえようとしたが、素早く逃げられる。


ルーカスは暫く二人の追いかけっこを見ていたが、突然パンっと両手の平を打った。


「分かった!せっかくだから、手合わせでもしたら良いんじゃない?まだ就業時間まで時間有るでしょ?二人共。」


「えっ?!」


驚いたのはエレーンだ。何故そうなるのか。


「それは良い。俺では、慣れすぎてエレーンの鍛練にならなくて。困ってた所だったし。」


「兄様?!」


慌てるエレーンを他所に、カレイラまでもが、名案だと喜んでいる。ニコルはどこから出しているのか、太い声で不敵に笑い始めた。


「ふっふっふっ良いですわ~。望む所です!小娘!まさか逃げる何て言わないですわよね?」


「え……と、ニコルさんが良ければ……。」


エレーンは渋々了承した。



野次馬が遠巻きになったおかげか、空いた空間に二人は対峙する。



「さあ!かかって来なさい!!」


ニコルは、自身のパルチザン(槍)の矛先をエレーンに向かって指した。対して、指された当人は一人、礼をする。


「へー、槍かー。面白いじゃん。」


ルーカスはどっかりと腰を降ろし、わくわくしながら観戦している。その隣に、クロードが腕を組み、立ち見を決め込む。


「今日は手合わせだから、突きは無しとする。お互い、正々堂々、怪我の無い様に力を尽くせ。始め!」


カレイラは升の直ぐ外で、二人の試合を見届ける。


ニコルはやや下げ気味に構える。槍は長さが有り、遠間を掴むのも、懐に入るにもやや慎重になる。しかし、エレーンは合図と共にニコルに突進した。

ニコルは直ぐにエレーンの脛を狙う。外側からの当たりをエレーはレイピアの刃先に当て、力を流す。そのまま勢い良く進み、ニコルの胸元を左手で掴むと、強く引き寄せ、懐へすっぽり入り、ほぼ片手で投げ飛ばした。

投げ飛ばされる刹那、ニコルの驚愕の声が高い塀に木霊した。


余りの断末魔に、野次馬どころか離れて自主練している者までが、声の発生源に釘付けになる。


「早っ?!」


ルーカスが驚いてる間に、ニコルは地面に叩きつけられた。


「それまで!勝負有り!!」


カレイラの宣言に、エレーンはまた一人、礼をした。ニコルに駆け寄り、手を差し出す。


「ゆっくり投げたつもりですが、あの……。大丈夫ですか?」


エレーンの手をちらりと見たが、ニコルはそっぽを向いて、ペタんと座り込んだままだ。差し出した手を収めるのが少し寂しい。


「……気は治まったか、ニコル。ありがとう、妹君。手を煩わせてしまったな。」


カレイラはエレーンの肩を軽く叩き、ニコルの首根っこをむんずと掴むと、強引に起こして顔を近付けた。


「今日こそ、己の無力さを感じた事は無かったぞ。私の教育は間違っていた様だ。なあ?ニコル。早く決着が着いて良かったじゃあないか。これからみっっっちり猛特訓出来るのだからな。今後のメニューも、改善の余地有りだ。喜べ、頑張り次第では、お前も側近になれるやも知れぬぞ?」


「いや、その、カレイラ様ぁぁぁあ!!」


カレイラはまた後でとクロードに挨拶して、嫌がるニコルを引き摺って颯爽とこの場を後にした。離れても、ニコルの叫びは木霊する。


残された三人は、少し苦笑した。


「どうやらカレイラどのは部下を持って生き生きしている様で、安心した。」


「生き生きどころか、親子揃ってタフですよね。アロイス家は。エレーンちゃんお疲れ様!まさか投げるとは思って無かったけど、面白かったよー。」


エレーンは剣を収めて、喜々とするルーカスへ微妙な笑みを返した。


「剣と槍ですと、近接では打ち合えばお互い手に傷が出来るなと思ったので……。突きが出来なくて、横から来るのは分かっていましたし。それに……。」


「ん?」


「先程、兄様を投げ飛ばせなくてちょっと物足りなかったので……。」


「……。」


ルーカスが何やら言葉を発しようとして、モゴモゴと止めてしまった。


「それを言ったら、俺だって物足りないな。ルーカスどの、まだ時間有るかな?」


ルーカスは待ってましたと勢い良く立ち上がった。


「そのつもりで二人を探してたんですよね。お願いします!あ、俺の事は呼び捨てで。 」


手合わせ出来るとあって、うきうきと伸びをする。


「それはありがたい!じゃあ、体術で良いかな?さっき途中だったから。」


「うっ?!」


クロードの屈託の無い笑顔に、ルーカスは嫌とは言えなかった。




その後、投げたり投げられたりと奮闘し、クロードはすっきりした面持ちで、にこにこと上機嫌だ。ルーカスも中々健闘していたが、気分は晴れやかとはいかなそうだ。二人の激しい攻防に、訓練場内はざわつき、城内から観客が来る程だった。その観客は、主に女性が多かったが。




人が捌け、汗を流そうと訓練場横の、城に程近い水汲み場に三人で向かうと、黒髪の男性がひらひらと手を振った。


「げっ。」


気付いて、ルーカスは声を漏らす。クロードが、つかつかと男性の元へと向かった。


「オレー」

「いや、クロードどの、久方振りではないか?相変わらず元気そうで何より。見ていたが、なにやら面白そうだったな。俺も誘ってくれたら良いものを。」


「は、?いえ……。」


クロードは呆気に取られている。男性はふっと笑ってみせた。


「ルーカスどのも、元気そうで何より。ところで、そちらの娘さんが噂の姫君だろうか?」


ルーカスはにっこりと微笑んでみせた。


「これは、お久しぶりです。相変わらず、冗談が過ぎますね?確かに、こちらはクロードどのの妹君、剣姫ことエレーン・ラ・マルシュベンその人でございます。」


エレーンは何とも微妙な空気に戸惑ったが、直ぐにお辞儀した。


「エレーンです。はじめまして。あの……。」

「そうか、いや、エレーンどの。先程の手合わせ、とても面白かった。今度は是非、俺とも手合わせ願いたいものだ。」


「はぁ……。」


被せ気味の一方的な言葉に、気の抜けた返事になってしまった。それにしても、一体いつから見ていたのだろう。


「初の女性の側近とあって、何とも頼もしい限りだ。これから是非ー……と、そろそろ時間だ。失礼。」


さっと男性は王城の奥へと消えてしまう。エレーンは何だったのかぽかんと見送ったが、反対からバタバタと従者らしい男達が駆け抜けて行く。


「……あれ、絶対抜け出して来たんですよ。」


ルーカスは呆れながら、従者らしい人影を見送った。

クロードははっと、乾いた笑いを溢した。最後まで、エレーンの頭には疑問符が飛び交っていた。

二人に聞いても笑うだけで、彼が何者なのか謎のままだ。






ー暫くして。


「……兄上、朝から何でしょう……。」


アレクシスは、朝から訪ねて来た兄に不満たらたらだ。そうで無くとも、朝はからきし弱いのだ。直ぐにベッドから這い出し、隣の私室へと向かったものだから、少し寝癖が跳ねている。


当人はアレクシスの机の上に散らばる書類を眺めて、一人楽しそうだ。


「ん、お前起きるのが遅すぎるな。お前の側近二人は、朝から鍛練に励み、汗を流していると言うのに。」


「二人?」


大方、ルーカスに違い無いが、まさかロバートまで鍛練に出たのだろうか?アレクシスが考えていると、オレリアスはにやりとしてみせた。


「剣姫は、噂に違わぬ戦い振りだったぞ?」


「!……まさか、直接お会いになったとか……。」


この神出鬼没癖の兄を誰かどうにかしてはくれないだろうか。


「そのまさかだ。話も少ししたぞ。」


「……兄上、人には礼節をとか言っておいて、ご自分はどうなんですか!」


「大丈夫だ。まだ俺が何者か知らないだろう。」


「時間の問題です!」


ああ、朝から眩暈がしそうだ。自然と額を押さえる。


「お!段々ロバートに似て来たな。」


「兄上!」


アレクシスの小言も何処吹く風。オレリアスは笑いながら、部屋を出て行った。


「……何なんだ。」


一人残され、オレリアスの用件も無くただ早く起こされただけの現状に、アレクシスはどっと疲れが込み上げて来た。


「……こんな早く起きられるとは、何かありましたかな。」


ロバートは、起こす予定の人物が、何故かぐったりした様子で椅子に座っているのを発見して、驚いていた。






机の上に書類が一枚増えていたのを、執務が終わる夕方頃に見つけ、アレクシスは朝以上に疲れるのだった。


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