30話

アレクシスとロバートは城の西側、奥まった部屋の大きな扉の前で息を整えた。重厚な扉は、古めかしかさはあるものの名匠に丁寧に造られているだけあって、威圧感がある。

帰城してからというもの、バタバタしていて失念していたが、まさか兄殿下が帰城しているにも関わらず、第二王子に連絡が来ないなどとは、相変わらず手回しの早いことである。誰も逆らえないと言うことは即ち、この城の上位権力者、第一王子の通達に他ならない。


「…兄上も質が悪過ぎだろう…。」


髪を撫で付けながら、アレクシスはぶちぶち呟いた。


「オレリアス殿下は遊び心の塊ですから…。私とした事が面目ありません。」


「大方、いつ気付くか見ていたんだろう。側近が増えてる話しは聞いていただろうに、のんびりした事だ。」


「まさか。のんびりどころか、殿下よりもお忙しく過ごされたと思いますよ。」


ロバートを見もしないまま、扉をノックする。


「そんなのは分かってる。俺が言いたいのは…」


話途中で、大きな扉は中の従者によって内側へとゆっくり開かれた。


第一王子の執務室は三重構成になっており、第一に受付、第二に待機室、第三に執務室兼応接室に続いており、余程の事が無ければ直属の側近以外では貴族で在ろうとも、面通り出来る機会は中々無い。大抵の事は、待機室で側近の手によって書面にてやり取りされる。

勿論、細かな事柄は専属の官僚や文官が処理して行くが、以前女王陛下の執務室だった頃には、それなりの地位の者で在れば陛下と直接顔を合わせ、要望を申請する事も出来た。しかし、陛下自ら北の城へと移ってからは、第一王子の一存でこの形式となった。

始めこそ、古参から猛烈な反対は有ったが、今は直接話をしない分、回転が早くなったと好評だ。

受付と内勤の側近は独立しており、書面も残る為、第一王子の目に届かない書類は無い。万が一にも書面紛失がなされても、受付記録が有れば誰が不正したのかは明らかであり、逆も然りなのだ。


当たり前の様なこの形式ですら、王族のコネクション作りを考えると導入は容易では無かった。貴族との密な繋がりは、国にとって何より大事な要素でもあるが、その反面しがらみが多く面倒事だったのだ。陛下も懸念していたその古い悪習を一蹴し、整えたその決断力こそが第一王子の評価へと繋がった。


効率かつ、目が届きやすく、尚且つ流されない。

前王陛下よりもその手腕には期待が集まっている程だ。


二人が第三室に通されると、大きな仕事机の前側に腰掛けている兄殿下の姿が在った。

どこかアレクシスに似た面持ちの青年は、入って来た来客を一瞥すると、また書類に目を通す。従者に人払いを指示して、また無言になる。

言葉を切り出す間が取り辛いのが、アレクシスを余計緊張させる。兄弟なのに、未だ慣れないのは、この兄独特の雰囲気に他ならない。が、黙っていても仕方ないので、仕方なく口を開いた。


「…兄上、お帰りなさいませ。視察は如何でしたか?」


んー…と気の無い生返事をしながら、オレリアスはぽんぽんと判を押して行く。


「随分遅い挨拶だな。俺は3日前に帰って来たんだが…。何をしていた。」


ちろりと見詰められて、アレクシスは一瞬たじろぐ。


「…申し訳ありません。その、忙しくしていたもので。」


しどろもどろ答えると、オレリアスはふと笑ったかに見えた。


「俺には敬語で無くても良いと、何度言えば分かる?それに、またじいを伴ってか。いい加減自立しても良いんじゃないか。お前はもう、13歳になったんだろう?」


「オレリアス殿下、アレクシス殿下はもう14歳になられました。この間もお伝えしましたよ。」


ロバートがすかさず訂正を入れると、オレリアスはやっと書類から顔を上げた。弟の顔をじっと見詰める。


「…話方を改めろと視察に回したのは、兄上ですが?」


少し不機嫌になりつつアレクシスも言ってみる。


「…そういえばそうだったかな、それで申し付けたんだった。いや、どうもいつまでも子供の気がして。」


暗雲が立ち込めたかの様な気配が、アレクシスを取り囲む。全くいつもこの兄は。


「子供扱いは止めて下さい。じいを伴って悪い事は無いでしょう。目付け役なんですから。」


弟の苛立った様子に、オレリアスはくっくっと笑いを押し殺す。


「悪い悪い。仕方ないだろう、兄弟なんていつまでも昔のイメージが抜けやしない。そんなものだ。それより、俺に報告が有るよな?」


憮然としながら、書類を差し出す。


「大まかな報告はそちらに記しています。新しく側近を迎えたので、その内に面通りをお願いします。」


書類に目を通しながら、オレリアスは大きな椅子へと座り直し、二人にソファーへ座る様に促した。


「ふん…まあ、俺のお陰で良い人材が手に入ったと言っても良いだろうな。感謝してくれてもバチは当たらないぞ?側近だけでは無いだろう。他にも大変だった筈だ。」


ロバートも書類を手渡す。


「それでしたら私からご報告をと思っておりました。相変わらずの地獄耳。恐れ入ります。」


「じい、良いのは耳だけでは無いぞ。新しい側近は何やら可愛らしい娘じゃないか。俺ですら、まだ女性を近衛に投入はしてないと言うのに、手が早い。一体誰に似たのだろうな?」


「…誤解を招く言い回しは止めて下さい。何も、側近は男性のみという決まりは無い筈でしょう。っていうか、こっそり見に来る暇があったのなら、なぜ帰城を知らせないのですか?!毎回毎回困るんですが?」


「こっそりしたつもりは無い。知らせないのは、お前が城内をどれ程気に掛けてるかを判断してるだけだ。今回は遅かったな。まあ、今日辺り新しいお付きの坊主も到着して、忙しかったんだろう?」


この言葉に、二人は呆気に取られた。驚いた表情を見て、そうさせた本人は実に愉しげだ。また鼻で笑う。

早朝到着したとはいえ、リンを把握しているなんて。どこで見られているのか、背筋が寒くなる思いだ。二人を無視して書類を読んでいたオレリアスは、顎に手を宛てながら思案している。


「……。東では不穏な空気は無かった様に思えたが…。これは面倒そうだ。捕まえられなかったのは誤算だったな。あいつにしては珍しい。」


「その点に関しましては、返す言葉もございません。」


ロバートは恭しく頭を下げた。


「…アレクシスがマルシュベンへ向かわなければ、俺が南下して挨拶をと思っていたんだが…。さて、狙いは俺か?弟か?……俺を失脚させて、こいつをすげ替えて得になる者なんて居たか?検討がつかん。」


なんとも酷い言い種だ。相変わらずの兄の暴言に、額の血管が浮いて来そうだ。


「何れにせよ、王族を狙ったのは間違いの無い事実。それが東か南か…はたまた内部の者なのか判断が難しく、解決には時間が掛かるかと。」


「…じい、今思い当たる見解を述べてみよ。」


ロバートは顎髭を撫でながら、暫し考えを巡らせた。


「…断言が出来ないのでなんとも……恐れながら一番最悪な、回避したい予感めいた戯れ言でも宜しいですかな?」


「良い、話せ。」


「西側からのちょっかいだと、少し厄介ですね。」


オレリアスは机に肘を掛けて、手の平に顎を乗せた、なんとも行儀の悪い体制で話を聞いていたが、直ぐ様顔を上げた。


「……協定を反故にする程、あの実りの少ない国に資金が有るとは思えないが?まず、水はどうするつもりだ。」


「他に強大な支援者が付いた。もしくは資金を生み出す方法が見つかった。色々と考えられますが……。それでもかなりの金額が必要となるでしょう。只の自治区反対派閥などの動きなら、特定しやすいのですが。」


「あー…そうだな。あいつらなら、少々過激な手を使う事も有るかもな。だが、王族を狙うとは思えない。……仕方無い、此方は今のところ後手だ。各自通達と、国境警備を2割程増やすか。とにかく、尻尾を出してくれないと動こうにもままならん。」


話は一旦お開きとして、二人は立ち上がる。緊張やら怒りやらがごちゃ混ぜになっていたアレクシスは、こっそりとため息を吐いた。


「今マルシュベンのクロードどのが参られてるな?挨拶したい。じい、案内を頼むぞ。一緒に夕食にするか。」


「……クロードどのとお知り合いなのですか?」


この人の情報網は出鱈目だな…アレクシスはこの兄がどうやって此方の内情を知り得たか聞く気にもならなかった。


「クロードどのは数年だが、王城に務めてたんだぞ?弟君が西の砦に勤務する様になってから、故郷に戻られたが。」


オレリアスは立ち上がり、アレクシスへ近付いたかと思うと、突然弟の頭を鷲掴みにした。


「俺だって、屈強な戦闘の民、マルシュベンの側近が欲しかったっていうのに、こんな小さき弟に盗られるなんて思ってもみなかったんだからな?」


手に力がこもる。


「痛!小さき弟とは何ですか?!俺だってもう少しすれば元服ですよ?!」


「大体、俺がその位の年にはもう少し大きかったわ。」


「言うに事欠いて背の話か!いたたっ!」


「……あのお姫様は、マルシュベン代表でもあり、ノーマン家縁者なんだ。王城内での扱い、気を付けていろ。肝に銘じておくんだな。通例を無視するのは、余程気力が要るぞ。」


痛みに堪らず、掴んでいる手を払う。


「ご忠告、痛み入ります!!失礼します!」


頭を擦りながら、アレクシスは乱暴に執務室を後にした。


「もう、いい加減に子供扱いはお止めになられた方が良ろしいかと思いますが?」


アレクシスの後ろ姿を眺めながら、ロバートは苦笑いした。


「あれが小さい時は構ってやれなかったから、つい…な。許せ。ガス抜きだ。」


ロバートは笑顔で会釈して、執務室を後にした。



広い廊下を、アレクシスは大股で歩く。

顔を会わせればからかうか、馬鹿にするかの悪魔の様な兄には、いつもしてやられて腹の立つ事この上ない。なるべく会わずして過ごして居たが、これからはそうも行かないだろう。

ずんずん進む後ろから、ロバートが早歩きで追い付く。


「少し落ち着きなさい。ありがたい事に助言も頂いたのですよ?」


「分かってる!…まったく、兄上の子供扱いには本当に困ったものだ。いつまでも幼子相手にでもしてるかの様だ。」


「…止めて欲しければ、それ相応の態度と結果を見せるしか無いですな。」


ピタリと足を止め、アレクシスはロバートを見上げる。


「分かってる!」


言い放って、また勢い良く歩き出す。


進み行く背中を見守り、ロバートは一人ため息を吐いた。





「え!クロードどのは王城勤務してたんですか?」


時は少し遡り、アレクシスとロバートを見送り、第二王子執務室に残された側はわいわいと話に花を咲かせていた。クロードの話に、ルーカスは興味津々だ。


「とは言っても、ほんの少しだけですよ。一度は領地を出るのが習わしなので。男は特に。外を知らずして、内側は理解出来ないってね。弟が西の砦に勤務し始めたので、自分は戻った次第です。」


「へー。それ何年前ですか?知らなかった。」


「うーん、何年だろう?十六歳の頃だから、もう十三~十四年前に入城して、それから戻ったのは…七年前か。そう思うと、 あまり居なかったね。」


「えー、その頃俺まだ王城に居ないな…西の砦には入隊してたと思いますけど。」


「あれ、その前、ギル坊っちゃんが西の砦に入ってたんじゃなかったですか?若。」


アーガスが身を乗り出す。


「そうそう、そうだったな。ご存知ありませんか?ギルバート・ラ・マルシュベン。西の砦と言っても、大小ありますが。」


「ギルバート…?……。大剣使いの?…あ〜、そうだった。マルシュベンって聞いた様な…」


「そうです!いや、ご存知でしたか。」


クロードは嬉しそうにまんべんの笑顔をみせた。


「……ご存知も何も、有名でしたよ。強くて。マルシュベンの出だってのもお偉方以外、俺ら周りに隠してましたけど。大剣のギルバートって通り名の方が一人歩きしちゃってたし。初めて手合わせした時には驚いたのなんの。」


「マルシュベンの出だって言うと、良くも悪くも皆さんと距離が出来ますから、初めは言わないかも知れないですね。」


クロードは苦笑いした。屈強の民、そして自治領故の悩みと言った所だろう。


「今は一番隊副隊長でしたか。坊っちゃんも頑張ってますよ。」


にししっと笑うアーガスに対して、な?!と声を上げてルーカスは思わず立ち上がった。


「一番隊副隊長?!嘘でしょ?もうそんな所に居るのか!」


「あの、先輩…?」


エレーンは慌てるルーカスに驚いた。

途端に、ノックも無く扉が勢い良く開いた。入って来たアレクシスが、立ち上がったままのルーカスを凝視する。


「何か有ったのか?」


怪訝な表情で首を傾げる。続いたロバートも首を傾げた。





ロバートがクロードを第一王子執務室に案内して、そのまま夕食も食べるとの事で、残された者達はアレクシスの執務室に隣接する応接室で夕食を取る事にした。遅れて、リンとロイも合流し、自然とわいわいと賑やかになる。


「あー、こいつにとってギルバートどのは常に目の上のこぶ…もとい、ライバルの様なものだったと聞いているからな。」


アレクシスは先程の不機嫌もどこへやら。恨みを払うかの様に嬉々としている。日頃やられている分、仕返しの際は存分に楽しむようだ。


「目の上のこぶとかじゃないですー。勝手に話を捏造しないで下さいー。」


「えー、ギル兄ちゃんそんな強いのかー。俺もちょっとしか会った事無いからなー。」


制服に着替えたリンは、少しサイズが大きいのか、袖を捲り上げて、せっせと食事を口に運ぶ。手を止めはしないが、ワクワクした面持ちで、話を聞いている。


「先輩で、班も同じだったから、何かとお世話になる事が多かったし、剣の基礎も教えてくれたのあの人だし。」


ルーカスは素知らぬ振りで、今日のメイン料理、川魚の丸焼きにかぶりつく。


「この前の西の大会で、こいつ二位だったんだが、一位はなんと…。」


「あ!それって兄様…。」


エレーンはふと思い当たった。確か、手紙で知らされ、皆喜んでお祝いしていた。もちろん、当人不在でも呑めや歌えのどんちゃん騒ぎだった。


「そう。どうやっても一歩届かない。負けず嫌いのこいつには、腹立たしい話だって事だ。」


アレクシスはにやりとしながら、ルーカスを指差した。指された本人は何とも微妙な表情で、鋭い視線を向ける。


「あのね、俺がそんな狭量な事を考えてると思ってるの?俺にとって、ギルバートどのは目標にしてる方なの。そもそも、俺は剣を握ったのは入隊してからだよ?基盤が違う。それでも、追い付ける様に鍛練するのが面白いんでしょ。そんで、追い越すのが何より楽しみなの。ちょっと、さっきは差が開いたかと思って焦っただけです~。」


ルーカスはぷーっと頬を膨らませてみせた。鍛練が面白いだなんて、思ってもみなかったアレクシスは不服な声を漏らした。


「兄を目標だなんて、何やら恥ずかしいですが、ありがとうございます。」


エレーンは少し照れた。ギルバートは兄弟でも年は近い筈だが、エレーンが9歳の頃にはマルシュベンから出ていた為、あまり遊んだ記憶は無い。それでも、身内が誉められると嬉しくなる。


「坊っちゃんは、物心付いた頃には剣に興味を示して、剣を握るのも早かったし、飲み込みも良かったけど、剣馬鹿と言うかなんと言うか…。でも、他の方から話を聞くと嬉しいもんですな。」


ルーカスはエレーンとアーガスの素直に喜んでいる姿に、照れた様子でばたばたと手を振る。


「いや、本当凄い人だからねー。騎士の鏡の様な。品行方正、有言実行、質実剛健。堅い方なのかと思えば、めちゃくちゃ接しやすいし。」


「どうせ目標にするなら、そうゆう所も真似すれば良いのに。」


「王子が兄殿下の真似するって言うなら、俺もやったって良いんですよ?」



アレクシスはにやにやしていたが、ルーカスの冷ややかな眼差しに、直ぐに真顔になった。それを見て、周りは苦笑いを溢すばかりだ。




今日はアレクシスにとって悲しいかな、微妙な一日となってしまった。

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