マルシュベンの洗礼

9話

高く聳え立つ外壁をくぐり、一行はイスベルの街へと足を踏み入れた。日が山側へ沈み、辛うじて残った夕焼けの名残が紫色に輝き、空は夜の黒へと移ろうとしている。


中へ進む程、白色で塗り固められ一色に統一された街並みが、薄暗い中でも美しく映える。道は意外に狭く、一行は馬を降り手綱を引いて一列に歩く他ない。股がっていたら、すれ違う人を蹴り飛ばしてしまいそうだ。

暫くすると、後ろで外壁の門が閉まる音がした。


「良かった、閉門に間に合って。」


一番先頭でエレーンはほっとしていた。続くロバートが尋ねる。


「何とも道が狭いですな、蛇行もしていますし。賊対策ですかな。」


そう言って、興味深く辺りを見回す。


「そうです。街全体が広場へ出るまで細い路地が続きます。上から対応出来る様に、わざと建物も密集してますし。」


「しかし、それでは貿易港なのに荷の搬入がしにくいのではないのですかな?」


「海側にそのまま街道へ出る道が続いています。もちろん、通り抜け出来ない様に関門場所が二ヵ所設置しておりますので、大丈夫です。街への荷物も、一応小型の荷馬車が通りますから問題有りません。」


何とも堅牢な街の造りに、ロバートは感心している。各領地に関して資料で読んでいても、実際に目にするのとでは印象が違うのだろう。実に楽しそうだ。


「でも、街自体が真っ白だからあんまり殺伐感出ないね。」


ルーカスも興味津々で街を眺めていた。


「そうそう、実に美しい街ですな。」


二人はイスベルの景観を気に入った様だ。その様子にエレーンは少し嬉しくなる。自分の故郷を、少しでも好きになって貰えたら良い。



「坊、どうしました。」


街に入って暫く経つというのに、アレクシスはさっきからずっと黙っているのだ。堪らず、ロバートが様子を見る。


「いや…。」


「…まさか、マルシュベン公爵に会うのびびってるんじゃないですよね?」


「!違う…」


「いやいや、バレバレですって。」


ルーカスが列の一番後ろから顔を出して突っ込んだ。お互い狭い道を馬を降りて引いて歩いているので、会話するのも大変なのだ。


「ここまで来たら、きちんと納得する様に説得するしか無いですよ。」


ロバートの助言に、むー…と声にならない相づちを打つアレクシスに、先頭のエレーンは後方に向かって振り向いた。


「私が自分自身で決めた事です。父様に文句は言わせません。」


「…そんな簡単な御仁には思えないけど…ま、成るようになるでしょ。」


ルーカスが鈍く光る海を見やった。アレクシスも海を見下ろす。後少しで日没になる。何とも美しい景色は、いつまでも見ていたくさせる。


しかし、正味な話し、アレクシスはイスベルの美しい景観を無条件に眺めていられる程の余裕は無かった。


何と説得して、納得を得るか。


交渉術は少々習っているとは言え、マルシュベン公爵相手に上手く出来るか分からない。相手はあの、戦闘民族やら屈強の民やら言われている、その中でも最も上に立つ人間なのだから。兄から半ば無理矢理送り出されて、まさかこんな大舞台が待ち構えていたとは、エレーンに出会うまで微塵も考えていなかったアレクシスである。今更、自分の判断にこれっぽっちも後悔は無いが、不安が募るのだった。






何となく無言のまま長い間坂道を歩き、狭い道を通り抜けると大きな広場へ出た。ちらほら人通りが有る中、一行は見覚えのある人影を見つけた。


「お嬢~!!お帰りなさい!!」


大きなレオナルドが、大きく手を振る。声も大きい。何事かと通りの人達が振り向く。すると気付いた者からガヤガヤと集まって来た。


「エレーン様、お帰りなさい!」

「聞きましたよ、何でも、大会で入賞したんですって??」

「いやはやアリーシャ様同様頼もしい。」

「噂だと『剣姫』ってあだ名が付いたとか。」

「さすがイザベラ様の娘だよ。」

「いやいや、マルシュベン家らしい逞しさじゃないか?」


皆それぞれに話し出す。


すぐにエレーンは人垣に囲まれてしまった。その外から王城組三人は見守る。


「これは…エルさんは街の方々に大人気ですな。」


「連れてくとか言ったら、大騒ぎどころじゃすまないかもね…。」


「…。」


アレクシスは呆然と、目の前の光景を見守る。なんと繋がりが蜜な土地なのだろう。貴族に対してこんなにも民衆が和気藹々としている光景など、生まれて初めて目にする。領主への信頼が厚い証拠だ。


「おいおい、お嬢は長旅で疲れてんだ。その辺で勘弁してくれよ。」


レオナルドが人垣を分け入る。


「な~に言ってんだい!録にエレーン様の送迎もしないで!」

「全く、隊長が聞いて呆れるっての!」


女性陣にやいのやいの言われ、レオナルドも苦笑する。この街は、女性がとにかく元気らしい。


「皆、出迎えとても有り難いのだけれど、今日はお客様と一緒だから、また後日ね?」


「お客人て…。」


エレーンを囲んでいた大勢が、王城組を発見した。


『!!!』


三人は視線を受けて思わず身構えた。


人垣を作っていた人達が、一斉に此方へ駆け寄って来る。その光景は少し恐怖すら覚える程の勢いだ。


「あら嫌だ、良い男じゃないの!!」

「まあ、それに可愛らしい坊っちゃんまで!!」

「まあ!まあ!まあ!なんて素敵な紳士だろう!貴族様か何かかい?」


あっと言う間に女性陣に囲まれた。

きゃあきゃあ言われながら、アレクシスは女性の勢いに固まる。


「ちょっと、皆、それぐらいに…。」


「おいおい、勘弁してくれよ…。」


エレーンとレオナルドは、群がる皆を引き剥がすのに時間がかかった。




やっと騒ぎが収まり、一路マルシュベン公爵邸宅へと向かう。


「皆が失礼しました…。」


揉みくちゃになり、一同は疲れが出ている。ガタイの良いレオナルドすら、何だか縮んだ様に見える。


「いや、女性が元気な街は良い街の証拠らしいから、とても良いことじゃないか…。」


疲弊の色が一番濃く出ているアレクシスに言われても説得力が無い。


「俺が一言も発せられ無いなんて…」


ルーカスは別の意味でショックを受けている。


「いやぁ、幾つになっても女性から声が掛かるのは良いものですよ?」


「「?!」」


「ロバート様…どんだけ元気なんだよ…」


レオナルドは敬語も忘れて、老紳士のタフさに驚愕していた。


一同はとぼとぼと歩き、やっと奥まった小高い場所へと到着した。大きな鉄門が奥に向かって開いている。門の奥にこれまた白く輝く大きな建物が見える。高い外壁に囲まれて衛兵も上から見張っており、守りの堅さが伺える。

城と言うよりどっしりとした要塞の様だ。


門をくぐると、また朝見た以来の顔が出迎えてくれた。


「お嬢~!!お帰りなさーい!!」


リンが駆け寄って来て、またむぎゅっとエレーンを抱き締める。その瞬間アレクシスの眉間に深く皺が刻まれたが、気付く者はいない。本人ですら分かっていないのだから。


「ただいま。」


何時もの挨拶に、エレーンはさっと向かい合って、顔を向ける。注視してみたが、火傷は無い様だ。


「こら、抱き付き過ぎ。」


リンの横へ背の高い青年が並ぶ。


「ロイ!!ただいま。」


ロイと呼ばれた青年は、こくりと頷く。さらさらとした明るい茶色の前髪が目元を隠し、表情までは伺えない。身長はひょろりと高く、ルーカスと同じかそれ以上ありそうだ。


「お帰りなさい、お嬢。無事で何よりでした。」


言いながら、ロイはぽんぽんとエレーンの頭に手をやる。これも背の高い彼のお決まりの挨拶だ。子供扱いの様で、止める様に抗議していた時もあったが、改善される気配が無い為エレーンは半ば諦めている。


「俺らこれから海側の巡回なんですよ、皆と飯食べれなくて残念です。」


リンはちょっと不満そうにしている。それよりも気になるのは、今朝戻って夜当番なんて、ハードスケジュールではないだろうか?エレーンは確かめる様にリンの顔を見つめた。


「朝戻ったばかりなのに…大丈夫?」


「何かね、沖で怪しい動きが有るらしいんで…たぶん大丈夫でしょうけど。夜中には交代なんで俺は大丈夫ですよ!!昨日温泉にも入ったし!」


心配を他所に、リンは元気に親指を立てた。


「本当、温泉とかずるいよね。」


ロイは両手を拳に握ってリンの頭をぐりぐりとする。「やめろー」とリンはじたばた手足を動かしたが、ロイが止める気配は無い。相変わらずの仲良し振りに、何だかほっこりさせられる。


「良いから、とっとと行ってこい!王子様方がさっきから待ってるんだぞ!!」


ほっこりしているのはエレーンだけで、レオナルドが堪り兼ねたか、しっしっと二人に手で払う。


「何かレオの旦那疲れてません?」


「何か昨日主に怒られたんだよね?大丈夫すか?」


「あーもうウルセーな!早く行けっての!」


レオナルドは煩わしそうに手を顔にやる。しかしそんな彼の様子も我関せずに、リンはくるっと軽快に反転してアレクシスに向き直した。


「じゃあ、王子!無事に着いて良かったです。一緒に遊びたかったけど俺行きますんで。兄ちゃんもロバート様も後でねー!」


そのまま走って門へと向かう。ロイもペコリとお辞儀して行ってしまった。


「……何かもう色々すんません…。躾がなって無くて…。」


走り去った二人のせいなのか、レオナルドは更に疲れた様でその広い肩をガックリ落とす。


「いえいえ、元気でよろしいのでは無いですかな。」


ロバートはレオナルドの気苦労が分かるらしく、優しく労る。


「…遊ぶって何だ。何で?」


「あの子、面白いよね~。」


ロバートの気苦労の根元二人はお気楽そのものだった。




門中の広場を抜け、城へと入ると左右並んだ従者に出迎えられる。その奥で金髪の青年と、青年のやや後ろに控え目に立つ淡いグリーンのドレス姿の女性が待っていた。


「クロード兄様!!セシル姉様!」


エレーンはその二人に気付いて、思わず駆け寄った。


「エレーン、客人の前で端ないぞ。落ち着きなさい。」


クロードは毅然とした態度で妹を窘めた。


「あなた…エルさんが折角帰って来たのに、その様な言い方されなくても宜しいじゃありませんか…。」


セシルがエレーンの元へ向かう。


「エルさん、お帰りなさい。無事で何よりでした。」


手を取り優しく微笑む。エレーンもほっとして、安堵した表情になる。


「申し訳ありません、兄様。ただいま戻りました。」


うむと頷き、クロードはアレクシスの元へ姿勢正しく向かう。


「御初にお目にかかります。アレクシス殿下。マルシュベン嫡男クロード・ラ・マルシュベンと申します。本日は御多忙の中、遠路はるばるお越し頂きまして誠に有り難う御座います。」


ロバートが進み出る。


「これは丁寧な挨拶有り難う御座います。連絡も無く突然の訪問、大変失礼致しました。加えての温かいお出迎え痛み入ります。私は王子付き側役のロバート・オルクと申します。公爵どのにも御挨拶させて頂きたいのですが、お時間はおありでしょうか?」


「それは有り難う御座います。しかしその前に、長旅でお疲れでしょう。部屋と着替えを御用意させて頂きましたので、先にそちらへお通しさせて頂いても宜しいですか?」


「それは何から何まで誠に有り難う御座います。お言葉に甘えさせて頂きます。」


挨拶もそこそこに、一同はクロードの先導の元、廊下を移動する。


城の中も街同様真っ白で、日は暮れたのに明るく感じられる。丁寧に織られた絨毯の赤色が、照明に照らされて綺麗に映し出され、絵画の発色も心なしか明るく見える。廊下に施された細工の鮮やかさに、王城組は目を奪われていた。王城は元より、王宮も豪奢なものだが、マルシュベン家の城も中々のものである。


「御用意が整う頃に使いを出しますので、それまでゆっくりと旅の疲れをお取り下さい。何か有りましたら、廊下で待機している従者にお申し付け下さい。」


言い終えて、クロードは出て行ってしまった。エレーンも自室へと戻って行き、部屋へ残されたアレクシスはどっかりとソファへと座った。


「はー…堅苦しい。」


アレクシスは行儀悪くも上を仰ぎ溜め息を吐いた。とにかく、仰々しいのは苦手なのだ。


「何を言ってるんですか、こんなの王城で当たり前だったでしょうに。」


ロバートが主の外套を片付けつつ、答える。


「あの真面目さ。さすがエレーンちゃんのお兄様。」


言いながら、ルーカスはブーツを脱ぐ。ずっと馬に揺られ、街を歩いていたのだ。流石にもう脱ぎたくて仕方なかったのだ。


「…とにかく、隣は浴場みたいだし早いところさっぱりして支度するか…。」


アレクシスは体を重く感じながら、徐に立ち上がって、浴場へと向かうのだった。






一方その頃、自室へと戻り手早く支度を整えていたエレーンは、セシルに髪を整えて貰っていた。部屋のソファに、六歳になる甥っ子が横ですやすや寝てる赤ちゃんの妹の頬をプニプニつついて遊んでいる。


「セシル姉様、すみません手伝って貰って。」


鏡越しに姉を見る。器用に髪を結い上げる姿が映っている。


「いいえ、エルさんが怪我も無くて無事に帰って来てくれて本当に良かった。あの人、王子様の手前あんな態度だったけどエルさんが不在の時にすごい心配していたのよ?もうあの時笑いを堪えるの辛かったんだから。」


まあっと言いながら二人は鏡越しに顔を見合わせ笑う。


「アリーシャさんはお元気だった?まさか、大会にまた出場してないわよね?」


実はアリーシャは結婚した後も大会に度々特別出場していたのだ。時にはアレスを離れて、各地の大会に巡業する程で、いつ落ち着くやら…と、家族は心配していたのだった。


「それが、これから報告に行くのだけど、実は…。」


「まさか、おめでた?!」


聞くが早いかセシルはズバリ言い当てた。


「やっぱり分かります?」


「そりゃあ、分かるわよ!あーあのお転婆舞姫も母親なのね~。凄い逞しい子を産むわね!きっと!」


セシルはそう言いながら、楽しそうに髪を編んでくれる。



長兄のクロードと結婚して、マルシュベン家に嫁いでかれこれ七年一緒に居るセシルは、エレーンにとって二人目の姉だ。

五年前にアリーシャが嫁ぐまで、三姉妹の様に過ごしていた。ピンクブロンドの少しくせのかかった美しい髪を綺麗にまとめ、淡い緑の瞳がとても魅力的なこの姉は、見た目の可憐な感じと裏腹に性格は明け透けで面倒見が良い。アリーシャ同様、エレーンはセシルが大好きだ。


支度も整い、いざ父に会いに向かおうとした時。座って居た甥っ子が居ない。話しが盛り上がって扉の開閉音に気付かなかった。


「何処へ行っちゃったのかしら…。」


「外には出ないから大丈夫よ。この子を預けたら探すから、貴女はお父様にお会いした方が良いわ。クロード同様…ううん、それ以上に心配されていたから。」


エレーンは後ろ髪引かれつつ、姉の申し出に従って、父の待つだろう執務室へ向かった。







「んー?誰、キミ?」


王城組の部屋の扉にひょこっと男の子が顔を出す。三人は準備も整い、ソファで寛いでいた。そこへ、予想外の珍客来訪である。


男の子はたたっと足取り軽く部屋へと入って来る。


「坊主、従者はどうしたー?廊下に誰か居たでしょ。」


ルーカスは男の子の頭をガシッと手で掴んで尋ねた。


「余所見してる間に走って来た!」


男の子は掴まれてるのも気にせず元気良く答える。その図柄は側から見たら何とも奇妙だ。


「へーっ、それは中々素早い事で。将来は隠密にでもなるのかな?」


「ルーカス、もう少し優しく撫でなさい。」


ガシガシと男の子のピンクブロンドの髪を掻き回す。乱暴さに見過ごせず、ロバートはやんわり注意したが、ルーカスは直す気配が無い。


「お兄ちゃんは王子様?」


男の子はルーカスを新緑を想わせる色のキラキラした瞳で見つめる。それを受けて、言われた本人はにんまりと実に悪戯っぽい…悪い笑顔を浮かべた。


「……王子様に見えるー?」


「んー…見たこと無いから分かんない!!」


「えーっ俺王子様見たいでしょ~?こんな男前掴まえて何言ってんの。」


「お前な…。」


見守る姿勢を取っていたアレクシスは、さすがにルーカスの悪ふざけを見過ごせなかった。隣で繰り広げられる悪戯を止めるべく、ルーカスの手を男の子の頭からひっぺがした。


「王子様に会ってどうするんだ?」


アレクシスは座ったまま、きょとんとした顔を覗き込む。


「んー、妹を見せる!」


「妹?」


「うん、この前生まれたの。僕お兄ちゃんになったから!!」


「妹が生まれて嬉しいのか?」


「うん!」


「そうか、一番の『嬉しい』を見せたいんだな。よし、後で見せてくれ。」



男の子は零れんばかりに、目を見開いた。


「王子様なの?」


その瞬間、男の子のテンションが一気に上がった。







父、サイラスの居間へ入ったエレーンは、今迄あまり見たことの無い相当の怒りを纏った父に言葉が出ないでいた。アリーシャの手紙もまだ封を切って貰えていない降着状態だ。レオナルドから入城は伝えてあった筈だったが、サイラスが何故ここまで怒っているのか理由が思い当たらないのだ。


『……。』


「……何故勝手に決める。お前はこの私を差し置いて、一人で何でも決められる自立した身分なのか?」


余りの迫力に息を呑む。こんなに怒っている父を見るのは、何時振りだろうか。あれは、アリーシャが婚約した頃だったろうか?幼くてあまり覚えてはいないけれど。


「…私も十七です。剣士としては自立しても良い年頃かと思っております。」


ぐっと腹に力を入れて答える。気持ちを強く持たなければ、この雰囲気に呑まれそうだ。



『……。』



両者、睨み合いが続く。何故こんな事態になってしまったのだろう。手放しで喜んでくれると思っていたエレーンは、少し悲しくなってきた。


「よりによって、王城とは……。お前の兄も西の砦で騎士を勤めているとは言え、結局はお前一人で行かねばならぬのだぞ。お前は役人だらけのあの環境が如何に息苦しいのか知らぬから、軽々しくその様な振舞いをするのだ。女が側役など、更に苦労しか無かろうに。」


父はギロリと睨む。それは娘に向けるには、あまりにも厳しい目付きだ。


「……殿下は私に剣士としての矜持を持たせて下さいました。王城がその様な息苦しい所ならば、尚の事私が仕える事で殿下の心が少しでも軽くなる手助けをしたいと考えます。」


気迫に負けじと真っ直ぐ父を見据える。ここで負ける訳には行かない。自分は決心を固めたのだから。ここで引いては、アレクシスに会わせる顔が無い。しかし、想いと裏腹に、父の顔はそれまで冷静さがあった筈だったが、その表情がみるみる様相厳しく変貌を遂げてしまう。


「王子を慰めるなど、お前は嫁にでも行くつもりか!」


サイラスは怒鳴ると同時に、大きく机を叩いた。激しい音が鳴り響いたが、音よりも発言の内容にエレーンは驚愕した。


「は……?!一体何を…。私は剣士としてお仕えするんですよ?!」


「剣士など、王城に沢山居るだろう。この地を離れて、わざわざお前が行く必要も無い。」


「!!」


あまりの言葉にエレーンが対抗しようとした、その時。


「はーい!そこまで~!!」


勢い良く扉が開いて、小柄な女性が入って来る。金髪の髪が照明の火にキラキラ輝く。つかつかと公爵の前に躍り出た。


「エレーンをマルシュベンで剣士として仕えるのを許していたのは何処のどなたなのかしらー?剣士に、他に剣士が掃いて捨てる程居るなどと言う馬鹿者が何処にいます!!」


小柄故にサイラスと並ぶと親子程の身長差があるが、そんな事など気にならない程の迫力でサイラスを睨む。


「…掃いて捨てる程とは言って無いだろう。」


サイラスは憮然として答えた。それが彼女に更に油を注ぐ。綺麗な金色の眉尻がこれでもかと釣り上がった。


「同じ事です!確かに娘を心配するのは分かります。でも、エレーンは既に剣士です。名も上げました。王城勤務など誉められこそすれ、責められる覚えは無いでしょう!」


突然の援護に、少し安心したエレーンはうっすら涙ぐんだ。思っていたよりも、父の怒りに堪えていたのかも知れない。


「母様…。」


「遅れてごめんなさいね。お父様が最初は二人で話したいと仰るから。でももう我慢出来ません。」


「しかし…。」


「しかしも案山子もありません!!」


怒り心頭のマルシュベン公爵夫人イザベラである。取り付く島も無い。さすがは戦姫。その迫力は今だに衰えてはいないのだ。


「それになんですか、この様な名誉なお話し、そのまま王城へ行ってしまっても良かったくらいなのに帰って来て挨拶までしてると言うのに。良くやったと労いもしないとは…。これがマルシュベン家当主の礼儀ですか?」


「挨拶は当たり前だろう!近衛兵隊も休んで居る状態で投げ出して行けないだろう。」


イザベラは一瞬驚いた顔をした。


「貴方は…。」


気持ちを落ち着かせる為なのか、深い溜め息を吐く。


「娘扱いなのか剣士扱いなのかどちらかはっきりなさったらどうなんです!そう言う時だけ都合良く変えないで下さい。どっち付かずは貴方が一番嫌いな態度では無くて?!」


「……。」


「それに、何かアリーシャからの言付けも有りますでしょう?お読みになって、少し落ち着いて下さい。」



すっかり場はイザベラのペースになった。

サイラスが仕方なく、手紙の封を開け目を通す。すると、ノックの音がしてクロードが部屋へと入って来た。


「話し合いは終わったんですか?」


見回して、場に居る母に問う。それに対してイザベラは大袈裟に肩を上下して見せた。


「もう、今小休止中なのよー。アリーシャの時も苦労したけど、本当に過保護で困るったら。」


「お前な…。」


サイラスは妻を見やる。が、勝ち気な妻は、返事もしない。


「俺は、エレーンがそう決めたなら別に良いよ。成りたくても成れない奴の方が多いからね。…小休止なら丁度良いや、ちょっと面白いの見れるから来てよ。」


そう言い放つと、クロードはすたすたと先に行ってしまう。


「…あの子があんなに聞き分けが良いなんて…明日時化るわね。」


「母様…。いくらなんでも兄様が可哀想です。」


そのまま女性二人は話しながら付いていく。取り残され、仕方無くサイラスは遅れながらも渋々と後ろから続いた。




クロードに連れられて、着いたのは王城組に渡した部屋の前だった。


「あら、挨拶もまだなのに部屋へと訪ねるなんて、良いのかしら?」


「……。」


後ろを確認して、先行していたクロードは静かに扉に手をかけた。


「しーっ。良いから、こっから見て。」


「なんだか端ないわね~。」


言いながら、イザベラは扉の隙間から様子を伺う。中に可愛い孫と娘がお邪魔している。この前生まれたまだ赤ん坊の孫を囲んでわいわいと楽しそうだ。


「まあ…。」


「俺もさっきお邪魔したんだけど、ダニエルが王子様気に入っちゃってさ。クリシュナを見せてやるんだって聞かなくて。何回か部屋を出るよう言ったんだけど、王子様も側役の人も良い人でさ。」


「……。」


公爵であるサイラスは静かに息子を睨んだ。礼儀もへったくれもあったものでは無いからだ。それに気付いて、クロードは肩を落として見せた。


「失礼なのは重々分かってるよ。でも本人に良いって言って貰ったんだから、大丈夫でしょう?」


エレーンも母に続いて部屋を覗いて微笑した。アレクシスが楽しそうに笑って、自分の甥っ子の相手をしてくれている。本来なら有り得ない光景に、先程まで緊張していた気持ちが嘘の様に解れたのを感じた。


そうだ。この方達ならばきっと大丈夫。父だってきっと分からない筈が無いのだ。


そう思って、エレーンは後ろの父に振り返った。父もエレーンの頭上から、こっそりと覗いていたのだ。その姿は、とてもじゃないが、公爵らしくは無かったが。


「父様、もう遅くなります。皆様でご飯にしましょう。」


振り向き様にいきなり話を振られ、サイラスは戸惑いを見せた。あの光景を覗いて、すっかり毒気を抜かれたのかも知れない。先程の怒気は何処へやら、だ。


「しかし、まだ挨拶も済ましていないしな…。」


確かに、本来なら始めはきちんとした挨拶から、順を追って食事に取りかからなければならない。しかし、父の言葉に、エレーンは静かに首を振った。


「いいえ、その方が良いでしょう。そういう方達ですから。そうだわ、折角ですから今聞いてみましょう。」


館の主の返答も聞かず、エレーンは勢い良く扉を開けた。


ダニエルに乗っかられ、髪がぐしゃぐしゃになったアレクシスが扉を見て固まる。すっかり場に馴染んでいたセシルがあらまぁ…と呟いた。


「アレクシス殿下。こちら私の父、サイラス・ラ・マルシュベンと母、イザベラです。突然部屋へと連れて申し訳ありません。」


アレクシスはダニエルを抱えたまま、慌てて立ち上がった。乗っていたダニエルは急に目線が高くなって、アレクシスの肩越しにきゃっきゃと喜んでいる。


「こちらこそ、この様な姿ですまない。挨拶もせず大事な御令孫を預かっていた事、何と言ったら良いか。」


ロバートがサイラスの元へ向かう。


「挨拶が遅れて申し訳ありません。私、殿下の側役をしておりますロバート・オルクと申します。大事な御令孫を断り無く部屋へと連れてしまい、申し訳ありません。」


娘の礼儀をすっ飛ばした大胆な行動に、呆気に取られていたサイラスが、はっとする。


「は、いいえ…」


「して、どうされましたか。エレーンどの。」


ロバートの問いかけに、エレーンはにっこり微笑んだ。




「皆様、お食事に致しましょう!」


溌剌としたエレーンの声が、部屋へと響いた。

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