8話

結局、直ぐに女湯からエレーンの声がかかり、リンは元気に返事をして浴場から出て行ってしまった。さながら良く仕付けられた番犬の様だ。


取り残された二人は、無言で湯船に浸かり直す。


「さっきの何だ?本気だったのか?」


アレクシスは上気した頬をパチパチと叩きながら、やや離れて浸かるルーカスに聞いてみる。問われた本人は物憂げに髪を掻き上げた。


「そんな訳無いでしょ~。ノリです、ノリ。あのノリが分かんないとは、王子もまだまだだね~?」


軽口にも反応せず、アレクシスは行儀悪く顔半分湯船に沈めてブクブクと息を吐いたが、直ぐにパッと顔上げる。


「……何かさ。」


「はい?」


「エレーンて、恥ずかしがり屋なのか大胆なのか時々分かんないな。」


「あー……。まあ……俺らが思うより、ずっと育った環境が逞しいんだろうね。きっと。」


ルーカスは空を仰いで呟いた。露天風呂の上空から月明かりが柔らかく降り注いでいた。アレクシスも空を見上げる。


本当に、一緒に過ごしても彼女に関しては謎が増えるばかりだ。強く、そして優しく、礼節を重んじるかと思えば、今みたいに温泉で声をかけたり、街中で抱き合ったり…………。


……何だかモヤモヤするな。湯に浸かり過ぎたか。


そう思って、アレクシスは徐に湯から上がるのだった。






その後、待っていたロバートがウキウキと温泉を満喫して、大好評の唐揚げに舌鼓を打ち、マルシュベン領の見所や名物をリンに教えて貰い、夜も更けて行った。


いざどう寝るかと揉めるかと思ったが、奥にエレーンの布団を横向きにに、真ん中にリンも横向きに、入り口側に縦向きに3つ布団を並べて敷くので落ちついた。凝縮しきりのエレーンに、王城組は心良く配置に納得した。


「そう、野宿と同じですってこんなの。」


リンは何を気にする必要が?とでも言いたげにあっけらかんとしている。


「そうじゃなくて、殿下に扉の近くに寝て頂くなんて失礼でしょ?!」


エレーンは配置について最後まで粘ったが、


「いいえ、紳士たるもの女性にその様な気苦労させる訳には行きません。坊にも良い勉強になりますので、お気になさらず。」


ロバートの鶴の一声で場は納まった。


皆気にしていた割に、旅と温泉の程良い疲れで直ぐに寝息が聞こえてきた。







朝、まだ日も昇って無い時間。


「……お嬢、お嬢。」


小声で起こされ、エレーンは声の主を確認する。出掛ける準備万端のリンが、エレーンの肩を揺さぶっていた。


「……もう朝?リン行くの?」


こちらも小声で返す。


「はい。もうこの時間だからお嬢の身も大丈夫でしょうし。まだ日も昇ってませんから、跳ばせば朝の会議の時間迄に城へ着きます。」


エレーンはゆっくりと上体を起こし、リンの手を取る。


「元々私の身は安全なんだけど……リン大丈夫?手袋は持って来たの?」


リンはにかっと笑った。


「大丈夫ですよ、ちゃんと持って来ました。帽子も鐔の大きなのにしましたから。もう子供じゃないんですから、心配要りません。」


エレーンも少し微笑んだ。


「分かった。気をつけてね。」


「はい。お嬢もね。」


リンは音も立てずに部屋から出て行った。後ろ姿を見送り、まだ早いと寝直してみるが、すっかり目が覚めてしまった。エレーンは朝風呂の用意をしてこっそりと浴場へ向かう。




「おはよー、エレーンちゃん早いね。」


後ろから声を掛けられ、エレーンは体がビクッと反応する。振り向くとルーカスがダイナミックな寝癖頭を掻きつつ、向かって来る。手にはお風呂セットを携えて。


「お早うございます。すみません、起こしてしまいました?気をつけてはいたのですが……」


ルーカスはんー、と言いながらエレーンへ追い付いた。自然と二人は並んで歩き出す。


「いや、あの坊主が身仕度始めてる気配で起きてたんだよね。こういう所だと眠り浅くてさ。」


そうなのか……。


自分は全く気付かなかった手前、エレーンは何だか恥ずかしくなる。


「すみません……修行が足りず。」


「いや、エレーンちゃんには慣れた気配だから、安心して寝てたんじゃない?」


「そうでしょうか……いえ、気を引き締めます。」


決意新たな少女をルーカスはふふんと鼻で笑って上から見下ろす。


「何で坊主は出て行ったの?一緒に行けば良いでしょーに。」


「先輩。リンは凄く肌が白いでしょう?」


「?うん。」


「リンの一族は体の色素が薄いんです。髪も、肌も。瞳だって、あれは血の色が透けてしまって赤くなるそうなんです。それで日光にも弱くて、あまり浴びると肌が火傷みたいになったりもするんです。なのでリンは活動出来るのが夕方から朝方で、正直来てくれて驚きました。手袋や帽子で隠して、真昼を避ければまだ平気らしいのですけど……。」


「へー苦労してんのな、あの坊主。確かに、珍しい瞳の色だと思ったんだよね。」


ルーカスは頷いた。そんな彼を見つつ、エレーンはふと疑問が浮かんだ。


「そういえば、部屋にお二人だけ残して大丈夫なんでしょうか?」


「あー大丈夫。あのじいさん結構強いから。」


「じいさん……だなんて、ロバートさんに失礼です。」


「ぜーんぜん大丈夫。俺らの仲だしね。」


いたずらっ子の様に笑うルーカスを見て、エレーンは少し羨ましくなった。あの軽快なテンポに自分も混ざれる日が来るのだろうか?


「エレーンちゃんも早い所慣れちゃえば大丈夫。」


「えっ?!私今声に出してました?!」


考えていた事の返事を返された様で驚いた。慌てて口元を手で隠した。ルーカスは一瞬驚いた表情を見せたが、一拍間を置いて笑い出した。


「あっはっ、何、以心伝心?」


「あっ……その……。羨ましいなと思いまして……。」


か~っと顔が熱くなるのが自分でも分かる。そんな、以心伝心なんて。ルーカスは何がそんな易々面白いのか、くっくと笑いを噛み殺している。……笑い過ぎではないだろうか。


「は~っ、良かった。エレーンちゃんがそう想ってくれてて。」


「はい?」


「こっちに帰って来て、里心ついたんじゃないかとちょ~っと心配してたわけよ、先輩は。向こうは何か入城して欲しく無いみたいだしね。」


「えっ?!そんな訳無いですよ!私が決めたんですから!」


エレーンはむきになって否定した。すると、ルーカスに思いの外優しい眼差しを向けられる。初めて会ってから、冗談なのか本気なのか分からない言動が多い彼だが、初めて見せる表情に、はしたなくもぽかんと口が半開きになってしまう。まるで彫刻の様に容姿が整っているルーカスは、表情一つで女性を黙らせる力があるようだ。そして、効果覿面である。


「よし!じゃあやっぱりタメ口で俺らに突っ込める様になんないと始まんないから!」


「うっ……!」


旅の初日しか言われ無かったのですっかり安心していたエレーンだったが、やはり言葉使いを変えなければこの先ルーカスにずっと言われそうだ。きっとアレクシスも言うんだろうな……とうっすら憂鬱になる。


「仲良く一緒に王子を助けて行こうよ。あんなんだけど、付いて行く価値がきっと有るよ。」


真面目な顔にドキリと胸が高鳴る。冗談を言われ続けるのも大概だが、これもこれで質が悪い。


「そうすると俺が楽出来るしー♪」


直ぐにいつものおどけた雰囲気に戻り、ルーカスはそのまま男湯へと向かって行ってしまった。



一人廊下に残されたエレーンは、まだ胸が落ち着かない。けれど、これだけははっきりしている。


「価値を見つけて貰ったのは、私の方ですよ。」


小さく呟き、此方も浴場へ向かった。






ゆっくりと温泉を満喫して部屋へ戻ると、ルーカスは先に戻っていた。残りの二人も起きて仕度を始めている。何だかアレクシスの機嫌が悪い様な気がする。待たせてしまったかとエレーンも急いで仕度した。


「……二人して朝風呂なんてズルい。」


仕度を終えて朝食もゆっくりと取り、さあ出発……と言う時にアレクシスがポロっと溢した。それでご機嫌斜めだったのかと呆れを通り越して、つい笑ってしまう。ロバートもうんうんと乗って来たのは驚いたが。


リンの事はルーカスが説明してくれたらしく、ごたつく事無く四人は出発した。


これから、小さな町と村を経由し、夕方にはマルシュベン領貿易港イスベルに着く算段だ。ゆっくり出たからもう日が結構な高さに昇っている。リンは無事に着いただろうか。エレーンは心配しつつ、道を急ぐ。




昨日難所の山を越えたので、後は小高い丘やなだらかな平原を突っ切るだけだ。四人はひたすらイスベルへと向かう。

海へ向かうので、徐々に川も広がり大きくなる。


豊かに広がる田畑を駆け抜ける。途中、エレーンに気付いた領民が、大きく手を振る。手を振り返したり、声を掛ける者達に応えたりしていると、少し時間が押してしまった。アレクシスはその様子に驚いていたが、マルシュベンでは、領主と領民の間に垣根は無い。エレーンにとって、当たり前の光景なのだ。



遅れた分急いで馬を走らせ、辿り着いた小高い丘の上から四人は港を見下ろす。


何とか日が落ちる前に、イスベルへと到着した。






眼下に広がる街並みが、アレクシスの不安を掻き立てた。壁どころか、建物も道も全て白亜で出来ていて、それが沈む夕陽に照らされて煌々と輝いている。今日は天気が良かったからか、遮るものが無い真っ赤な光が街並みを照らし出して、全て炎に包まれてでもいるかの様に浮き立つ。本来ならとても力強く、且つ幻想的な景色の筈なのだ。しかし、何故か身構えてしまう。


『マルシュベンの男達には気をつけて。』


脳裏にアリーシャの言葉が過る。



まるでマルシュベンに生きる者達の闘志を表しているかの様な色に、アレクシスはゴクリと生唾を飲み込んだ。



剣姫を雇うには、まだやらねばならない事が沢山残っている。


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