7話

嵐の様に去ったレオナルドを追う形で、一行はやや遅れて町を出発した。目標はマルシュベン領入っての最初の町だ。


すっかりレオナルドを気に入ったアレクシスだったが、あの後に他家に仕える、それも地位有る者をホイホイ欲しがるなとロバートに叱られ、仏頂面で馬を駆る。



エレーンは関所に預けられていた自身の馬に跨がり、嬉しさを噛み締めていた。


十二歳の誕生日に贈られたその馬は、エレーンの髪の色と同じ柔らかな栗色で、脚の先だけが靴下を履かせた様に真っ白なそれはそれは美しい馬だ。

主人に会えて嬉しかったのか、軽やかに走る。あまりに跳ばして走るので、途中皆を引き離してしまい、一人待つ……を数回やり、ルーカスに呆れられたりもした。


やはり二人を乗せて走るより格段に速くなり、余裕を持って小さな宿場町に着いた。宿屋はレオナルドが王子来訪は秘密にしつつ部屋を取ってくれていた様で、騒がれる事も無くすんなり休む事が出来た。



2日ぶりの入浴をした後に、エレーンは宿の食堂へ向かう。男性の入浴時間は短いのか、アレクシスとロバートがもう席に付いていた。


「ルーカスは先程浴場に向かったので、先に頂いてしまいましょう。」


メニューを回しながらロバートが促した。


「何だか先に頂いてしまって、心苦しいですね。」


エレーンもメニューを受け取り、眺める。やはり実家に近いだけあって、馴染みのあるメニューが並ぶ。さて、何を食べよう。


「全員丸腰になるのは避けたいですからな。いや、やはり水浴びと違って風呂は良いもんですな。」


「じいは本当にじいだな。」


アレクシスもメニューを眺めながら会話に参加する。ここまで水浴びにも文句を言わない辺り、王子殿下は相当旅慣れているようだ。


「なんです?じいを何だと思ってるんです。爺に決まってるでしょう、何か問題が有りますかな?」


寧ろ様式美のようにお決まりの軽快な二人の会話に、エレーンはくすくすと笑ってしまう。


「明日向かった所に温泉が有るんですよ?北の温泉郷みたいに大きな所では無いですが。」


「ほう!それは良いですな。もう老体は長旅なんてするとあちこちガタが来るんですよ。」


「じいは元気過ぎるくらい元気だろう。なんだ、エレーンは北の温泉郷に行った事が有るんだ?」


嬉しそうなロバートを横目に、興味津々の眼差しで、アレクシスはエレーンを覗き込む。顔が近くなって、エレーンは一瞬身構えてしまう。が、そこで疑問符が浮かぶ。何故だろう。これではアレクシスに対して失礼では……。と思い立ち、慌てて首を振る。


「いいえ、行ってみたいけど中々遠くて。母から聞いただけなんです。」


「そうですな、エルさんのお母上は北の方ですからな。私も何度か行きましたが、良い所です。お湯も白くて珍しい……ささ、それより何を食べるか決まりましたか?」


三人はメニューとにらめっこする。鳥の唐揚げや、牛もつの味噌煮。肉じゃが。川魚の丸焼き……どれも美味しそうで迷ってしまう。



「ここは香草使った鳥の唐揚げが名物らしいよー?」


三人が悩んでいると、まだ髪が少し湿った状態で、ルーカスが戻って来た。タオルを被っているが、長めの前髪から水滴が伝い、顔にかかっている。その様子に、アレクシスは片眉をぴくりと上げた。


「……相変わらず早いな。ちゃんと洗ってるのか?」


「しっつれ~な。ちゃんと洗ってますよ。出先じゃあ剣士足るものどんな事態も対処出来る様に、なんだって早く済ますモノなの。お坊っちゃんは分かんないかも知れないけどね~。」


言いながら席にどっかりと座る。その態度にアレクシスは眉間に皺を寄せた。


「は~?!」


いきなりの血気盛んな若者二人の不穏な空気を感じ取り、エレーンは慌てて割って入る。


「確かに、唐揚げ美味しいですよ。こちらの独特の香草風味が聞いてて、食べる前にあっさり柑橘系の果汁を回しかけるんです。」


「えっ!果物合うの?」


王都には無いのか、さっきの空気はどこへやら。アレクシスはおっかなびっくりしながらも注文していた。




「確かに旨かった。塩味が聞いてて、香草の風味が鼻に抜けるのがたまらないな。果汁もさっぱりして、いくらでも食べられる。」


食事を終えて、アレクシスは唐揚げの美味しさに大満足の様だ。


「気に入って貰えて、嬉しいです。」


「本当に素晴らしかった。この香草と果物は王都にも流通しているのでしょうか?」


「果物は輸入品で王都迄は分かりませんが、香草はこの地域の特産物ですので、きっと王都にも入ってますよ。」


「あー、移動中じゃ無ければあれをつまみに呑みたかった~!」


「本当、呑むの好きだな。」


アレクシスは呆れながら、不作法にも机に突っ伏し項垂れるルーカスに視線を投げた。


「分かりませんか、このぐあー!!と来る呑みたい衝動。」


「最早病気だと思うぞ、その衝動。」


いじけるルーカスを気にも止めず、アレクシスはさらっと毒づいた。呑兵衛の気持ちは分からないのはエレーンも右に同じなので、こっそり頷く。


「明日の町にも有りますし、そんなに気に入って貰えたなら、家でも出して貰うように言っておきますね。」


食べ物の話しなのだが、自分の故郷を気に入って貰えた様でエレーンは何だか嬉しくなる。しかし、アレクシスの表情は微かに曇る。


「家……。」


「何か?」


「レオナルドどのは慌てて帰ったが、その、何か不味い事でも有るのだろうか……。」


「……大方、エレーンちゃんが男連れて帰って来たからなんじゃない?」


「はぁ?」


「えっ?!おと?」


驚く二人に、ルーカスはにやりと意味ありげに笑う。


「そりゃ、俺みたいな色男と一緒に帰郷したら勘違いもするってもんだよ。参ったな~。今頃歓迎の準備されてたりしたら、どうしよう?ねえ?」


「……。」


突っ込むのも面倒になったのか、アレクシスは無視した。代わりにロバートがジロリとルーカスを睨む。エレーンは苦笑いしながらも、内心どぎまぎしていた。ルーカスの言葉が気になって仕方ないのだ。…でも、まさか、そんな事は無い……と思いたい。


「……全く。まあでも、当たらずも遠からず……と言った感じですかな。」


「えっ」


「まあ、こればかりは行って確かめないと何とも言えないでしょう。」


「……。」



ロバートの駄目押しにアレクシスの雰囲気が暗くなった。言い出した自分がいるのだから、彼がそこまで気落ちしなくても……。エレーンは心配したが、アレクシスの表情が晴れる事無く寝る時間になってしまった。







翌日。


早めに出発し、一路温泉町へと向かう。途中マルシュベン領随一の高い山にぶつかる。その山の頂上まで登りはしないが、街道は山を迂回し、随分と蛇行する。


道の周りは鬱蒼とした深い森が続く。日射しが届き憎く、辺りは暗く静まり還っている。


以前はここによく盗賊が出没して、旅人や商隊を襲っていたが、討伐により今は安全だ。

それでも、また日が経つと集まって来る。葉が重なり合い、光の差し込まないこの薄暗さが身を隠しやすいのだろう。


ひたすら走り、何とか日没迄に山を越えた。山を越えねば、街迄更に時間が掛かる。




道程一番の難所を越えて、今日の目的地である温泉町が見えてきた。






温泉町は何件かの温泉宿が立ち並ぶ。湯治専用の安宿が主で、規模はそこまで大きく無いが、いつも沢山の人で賑わい、直ぐに部屋が埋まってしまう。

着いたは良いが、レオナルドがこの町に有る何処の宿を取ってくれたのか探さなければならない。ここばかりは、混雑故にマルシュベン家と言えど、定宿が定まってはいないのだ。家族一同その時々空いている宿を取った結果、温泉町の全宿網羅している有様だ。


一行は馬を引きつつ通りを歩く。


行き交う人々は、温泉町特有のゆったりとした衣服に身を包み、土産屋を覗いたり、川沿いに併設された無料の足湯に腰掛けて川を眺めたり、皆各々温泉町を楽しんで過ごしている。


小さな町とはいえ、一軒一軒見て廻ると遅くなりそうだ。皆ばらばらに探すか……と話していると、通りの向こうから声が聞こえる。



「お嬢~!エルお嬢様~!」


帽子を目深に被った少年が駆けて来る。全体的に暗い色の変わった服装だ。王都とは違うが、一般的な兵服の割に立ち襟が長く、顔が半分隠れている。こちらからは目が辛うじて確認出来るかどうかだ。エレーンは少年に気付くと嬉しそうに駆け寄った。



「リン!何でここに?!」


リンと呼ばれた少年は、顔を隠す襟を指で引っ張り、にかっと笑ってみせた。続いて、直ぐにエレーンを抱き締めた。

さすがに抱えはしなかったが、恥ずかしいのは変わらない。慌てて離すように促すが、リンは笑って言う事を聞いてくれない。その様子を王城組三人は眺めていたが、人知れずアレクシスの喉の奥でぐっと声にならない音が鳴った。


その光景もすぐに終わり、リンは満足したのかパッと手を離し、向かい合った。


「はーっ、無事で何よりです、お嬢。宿はこの先ですよ。運良く空きが有りました。」


「ありがとう!でも何でリン?持ち場を離れて大丈夫なの?!」


「ひでえ、俺が来たら駄目なの?!」


リンは帽子で隠れがちな、けれどそれでも分かる程の大きな目をウルウルさせる。


「って、そうじゃない!宿へ行きましょう。話しはその後です。皆さんも、こちらです。」


リンに促されるまま、一行は宿へと向かった。


連れられると、町の路地裏の奥に堂々と佇む古びた旅館に到着した。木造の建物が、長い年月を経て独特な雰囲気を身に付け、大通りから隠れているというのに、その存在感は迫力満点だ。主に古さと言う点での話だが。


王城組三人は見上げて、その風貌に息を飲んだ。

まず、建物の建築様式が王都のものとは大きく異なるのだ。見慣れない木造が怪しさを醸し出して、初見で入るのを躊躇わせる。エレーンとリンは勝手知ったる何とやらで、入り口から入ると当然の様に靴を脱いだ。靴を脱ぐ事すら驚きで、アレクシスとルーカスは特に目を皿の様にして先導する2人を見ていた。




「改めまして、リン・フェイと申します。お嬢がお世話になってます。」


歳の頃に似合わず、リンは正座してしっかり挨拶した。


「こちらこそ……と挨拶したい所ですが……。」


「あっ!レオの旦那に聞いてますんで、大丈夫です。ロバート様ですよね?」


「これはありがとうございます。……ではなく。」


「あ、この旅館古くても、温泉に関しては源泉掛け流しで、すごい評判良いんで、安心して下さい!」


「いえ、そうでもなく。」


「はい?」


「部屋は一つしか無かったのですかな?」


畳の部屋約十五畳程の大部屋に五人は通された。畳事態始めてで興奮しきりな王子達だったが、落ちついてみて異変に気付いた。


「はい。この温泉郷って凄く人気で、その割に規模が小さいのでいつも部屋が一杯なんですよ。ここも奇跡的に取れて、後どの宿も埋まってるんです。本当、ラッキーですよね。」


「いえ、そうでは無くて……」


ロバートの言いたい事を察して、エレーンは割って入る。


「わっ私は気にしませんよ?!」


「いや、そこは気にして欲しいんだが……。」


まさかのアレクシスに突っ込まれた。それこそ、彼の方が気にしなそうな案件なのに、だ。


「野宿と訳が違うしね……。」


ルーカスまでもが心なしか気を使っている。


それもその筈で、部屋を同室にするのは紳士淑女にとっては大問題なのだ。男女問題どころか、家同士の問題になり、果ては責任問題になりかねない。野宿を経験した手前、最早気にする事でも無いかも知れないのだが、屋外と区切られた空間で一緒とは、訳が違う。



一行に微妙な空気が流れる。



「私が町の近くで野宿すれば……。」

「いえいえ、そんな事させる訳には……」

「でも殿下に野宿させる訳にも……」


あーでもないこーでもないと話しは平行線だ。


「あっ、俺もここに泊まるんで。主が超ぶち切れてましたけど、よく見張れって。非常時なので同衾じゃなければ良いって言ってましたよ?」



『『…………。』』




リンの明るい声が微妙な空気を更に微妙にさせた。







部屋が無いものは仕方無い。とりあえず、其々で温泉に浸かる事になった。

宿内の装飾は最低限だが、小綺麗に整えられている。長年磨かれた廊下は、艶やかに輝いて、古めかしいと言うよりは重厚感が出て、宿の趣ある雰囲気を造っていた。母屋の裏に続く木製の渡り廊下を渡ると、温泉の小屋に辿り着いた。


温泉は透明で、入ると肌がスベスベしてくる。内風呂二つに、外に露天風呂も有る。宿の簡素な造りとは反対に、温泉を重視した設計なのだろう。


「…まあ、旅の途中ではこう言った非常事態も有るんだし、仕方無いね。一々気にするなら、女性は側近にしない方が良い。」


温泉に浸かりつつ、ルーカスは珍しくアレクシスに言い聞かせる。ロバートが居ない時は、意外にきちんと側役の役割を果たしていた。


「そうだな……。」


そう言うものの、アレクシスは聞いているのかいないのか、お湯に視線を落としながら上の空で返事をする。


「えっ!お嬢の入城取り止めですか?!やったー!」


二人の横から元気な声が上がる。



「……。本当何で一緒に風呂入ってんの?キミ。」


ルーカスは物憂げに少年を見やる。


見張る筈のリンが何故かちゃっかり温泉に浸かっているのだ。さっきまで泳いだり走ったりするから、周りの客は早々と上がってしまった。行動は褒められないが、お蔭で気にせずゆったり入れる。


帽子を脱いだリンは、髪が銀色でとにかく肌が白い。髪とは対照的に真っ赤な瞳が良く目立つ。真っ白な睫毛が瞳を縁取り、まるで精巧に造られた宝飾品の様だ。身体は小柄ながら良く鍛えられている。



「だってお嬢も今入ってますし。上がったらずっと見てなきゃいけないんで、入れる内に入っとかないと。折角だし。」


リンは人懐っこく笑った。こうしてみると、年より幼い印象になる。


「だって、いつ上がるのか分からないだろ?見てなきゃいけないのに。」


アレクシスも、同年代だからかすっかり素のままだ。と言うか、リンのはしゃぎっぷりに、取り繕うのが面倒になったのだ。


「え?そんなの声掛けてくれますよ。女湯隣なんだから。」


きょとんとしたリンに、アレクシスは何故か敗北した気になる。その慣れた感じがどうにも引っ掛かるのだ。何故なのかは、良く分からないけれど。


二人のやり取りを恐らく聞いて無かったルーカスが一人はっとする。慌てて主であるアレクシスの肩を叩いた。


「王子!イベントこなして無いですよー!!早くしないと!!」


「?」


何の事なのか、アレクシスは首を傾げる。


「男は女湯覗いてなんぼですよ?!」


「はっ??」


「さぁ!いざ秘密の花園……」


「そんなんしたら、王子でも遠慮なくぶちのめせって主に言われてるんですよね。全部責任持つからって。」


被せ気味に物騒な台詞をにこにこしながら言うリンに、アレクシスはここで夫人の言ったマルシュベンの男の下りがやっと分かった気がした。温泉に浸かっている筈なのに、背中がヒヤリとする。一体、公爵どのはどんな人物なのか。過去王城勤務の誘いを何度も断り続けた人物としては有名なのだが、貴族間の中でも交流が少ない為、マルシュベン現当主は謎が多いのだ。それ故に、不安が拭えない処か、恐怖すら沸いて出て来る。


そもそも、マルシュベンは国から自治が認められた数少ない地で、その気になれば小国として立国出来る程の規模を有している。それなのに、当の主は良くも悪くも目立って行動しないのだ。それが更に輪を掛けて不気味さを助長しているとも言えるが。



「んー?ぶちのめす?それは王子付き騎士として聞き捨てならんな。」


変なスイッチでも入ったのか、ルーカスが立ち上がる。そもそも、事の発端は彼にあるのだが。


「兄ちゃん強そうだなー。でも、俺も仕事なんで。手は抜かないですよ?」


リンも立ち上がる。その顔は何故か楽しそうな、不敵な笑みが零れる。両者は向かい合い指の間接を鳴らし出した。ベキベキとこの場に不似合いな音がする。



……何故、覗いてもいないのに一触即発な状況なのか。そもそも、覗く訳が無い。アレクシスは、素っ裸で尚且つ笑顔で睨み合う二人を、気力無く只ぼんやりと眺めていた。

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