10話
マルシュベン家に仕える者達は主に兵士が多く、一族は公爵家であっても自分の身支度は自分でする。
料理も、時には自分達で作る。使用人も居るには居るが必要最低限であり、料理人は兵士の為の食堂に専属で居るので、他の者と一緒に食堂で食事を取る事が多い。
今回は王子殿下が訪問するとあって個室での晩餐を用意していたが、急遽一番広い食堂での食事になった。アリーシャの手紙を読んだサイラスが、祝いの宴を催したのだ。兵士も非番の者から入れるだけ続々と食堂へと入る。
準備に少し時間も掛ってしまい夜も遅い時間だったが、今日は特別と言うことでダニエルもアレクシスの隣にちゃっかり座って居る。嬉しさの余り、床に届かない足をブラブラさせて、セシルに窘められていた。
皆にグラスが回った辺りで、サイラスが立ち上がった。
「突然の召集すまなかった。今日は皆に報告が二つ有り、祝いの席にて報告したかったのだ。先ずは娘のアリーシャが懐妊した。」
堂内からおぉ~!と歓声が上がる。何処からか勝手にカンパーイとの声も聞こえて来た。
「乾杯が早すぎるだろう…。」
サイラスに突っ込まれて、堂内のそこかしこからどっと笑いが上がる。お決まりのやり取りなのは明白だ。
歓声が落ち着いた所で、サイラスは更に続ける。
「二つ目が、末の娘、エレーンが王城に入城することに決まった。こんなに目出度い日は無い。皆大いに祝って欲しい。」
「「「えええええぇぇぇっ?!!」」」
突如堂内全体からどよめきが起こる。
「えっ?!お前知ってた?!」
「何でですか、一体どうして…」
「王城なんて、お一人で行かせるおつもりか!」
「お嬢~!嫁に行かないでー!!」
しかし、堂内で一番驚いたのはエレーンだった。
あの後一度も話し合っていないのだ。時間が掛かっても、まだまだ説得しなければと思っていたのに。
一方アレクシスも動揺していた。まだその話しの打診もしていないのに、結果を伝えられたのだから当然だ。大きな目を、更に見開いてサイラスを見る。その視線には、疑問が色濃く出ていた。
ざわざわと騒めく堂内で、椅子が引かれる音が響く。
「ふっ…ざけんなぁぁ!!このくそじじい!!」
突然、レオナルドが机を大きく叩いて立ち上がったのだ。何事かと皆レオナルドに注目し、一瞬場が静かになる。
「散々、エレーンが入城決めたのは俺が付いて行かなかったからだ!!首だなんだとぶち切れてたクセに、人に相談も無い所か、何清々しく言ってんだ!!」
そう叫んで力強くサイラスを指指す。その勢いは、今にも掴みかからんばかりで、周りが必死に彼の服を掴む。しかし、大男なので三人がかりで羽交い締め状態になった。主に対しての態度では到底無かったが、マルシュベンでは見慣れた光景でもあり、誰も苦言をかける者はいなかった。
「すまん、レオナルド。エレーンの心意気を汲んで気持ち良く送り出そうとさっき決めたのだ。許せ。」
怒髪天のレオナルドとは対照的に、すっきりとした顔のサイラスがそこには居た。
「さっき?!はあぁぁぁぁぁぁ?!じゃあ俺が散々キレられてた時間は何だってんだよ?まじでふざけんなぁぁぁ!!」
言葉を受けてレオナルドは一瞬ぽかんとしたが、叫びながら直ぐに頭を抱えて悶えた。周りの兵達がまあ呑め呑めとレオナルドを囲んで慰める。
ざわつく兵達を余所に、サイラスは何事も無かったかの様に話を続ける。
「皆も知っていると思うが、この度のアレスの剣術大会で、見事エレーンは入賞した。その腕を買われて、第二王子付きの側役として入城が決まったのだ。」
それを聞いて、場は収まる所か収拾が付かない。レオナルドの席もそうだが、声は大きくなって行くばかりだ。
「だから、アリーシャ様の二の舞になるって言ったんだよ!」
「お嬢の腕なら入賞するに決まってんだ。」
「やっぱ、嫌がられても付いて行くべきだった…。」
「何か有ったらどうするつもりだ…。」
エレーンも、この騒然たる堂内に如何に対処するべきか困っていた。もっと手放しで喜ばれるかと思っていたのだが……自分の決めた事とは言え、皆に納得して貰いたい。皆を説得しようと席を立とうとしたその時だった。
奥の席に座っていたアレクシスが立ち上がった。それを見て、エレーンは自分が立つのを躊躇してしまい、出鼻を挫かれた状態になってしまった。
「自己紹介が遅れたが、ウェリントン国第二子アレクシスだ。発言失礼する。」
王子本人の登場に、更に堂内がざわつく。今回の来訪を知らない者の方が多いのだ。途端に、蜂の巣をつついたかの様に騒がしくなる。
「えっ!本物?」
「おいっ誰か入城取り下げて貰えよ…」
「王子とか初めて見た。」
「何のつもりだ?」
動じることも無く、アレクシスは大きく息を吸った。
「……突然の事態に、皆の不信は最もだと思う。この街の皆がエレーンどのをどれ程大切にしてきたのか、今日訪れて目の当たりに出来た。王都はここから遠く、一人行かせたら頼る者も無く、送り出すのが心配になるのも仕方がない。」
「そうだそうだ!」
何処からか野次が飛ぶ。
有り得ない事態に、サイラスは諫めようと前に出るが、アレクシスはそれを手で制した。
「では私自身が王城で頼れる者なのだと、皆を安心させるには何を証明したら良いのかずっとそればかり考えていた。まだこの国の王子として結果も実績も何も持たない身で、何を信じて貰えるのか。」
堂内は徐々に静かになって来た。皆アレクシスの話しに聞き入る。
「私が今皆に証明出来る事は、人を見る目が有る。と言うことだ。これだけは自信を持って言える。」
「「「…………?」」」
それが何だと皆困惑の表情だ。
「剣技に優れ、皆の信頼に応えようと何事にも直向きで努力家のエレーンどの。此度の大会での入賞も大きく知る事となり、王城での勤めも遜色無くこなすだろう。だが、反対する者は、彼女よりもっと相応しい人物が他に居ると言う意味で反対しているのだろうか?ならば、その『他の者』を今すぐに連れて来て欲しい。」
アレクシスは堂内をゆっくりと見渡す。一瞬、エレーンとも目が合うが、直ぐに前を向いてしまった。
「……居ないだろう。王都中を探しても、きっと代わりは居ない。彼女の持てる力は彼女だけのもの。たった一人、唯一なのだから。そのエレーンどのを私は見付けた。これを見る目が有ると言わずに、何と言うのか。」
皆が注目する中、アレクシスはゆっくりと息を整える。その姿すら、堂々としていて誰も言葉を発しない。
「だが、エレーンどのの剣士としての力量を私よりもここに集まる皆の方が良く知り、信頼を置いているはずなのだが、どうか?」
「当たり前だろ!」
「俺らの方が知ってるに決まってんだ。」
この言葉に、一気にまた騒がしくなる。しかし、更に大きな声でアレクシスが叫ぶ様に語り出した。
「それなのに、無理だ、出来ない、止めさせろと反対するのは、彼女の力量を信頼している所か、何も出来やしない無力な娘だと貶めて侮辱している行為だと思わないか?」
「「「…………!!」」」
皆一気にばつの悪そうな表情に変わる。また静かになった堂内だったが、アレクシスは声の大きさを落とす事無く話を続ける。その姿は小柄ながら、なんと威厳に満ちていることか。
「彼女の力量を信頼しているならば、此度の入城は良くやったと誉め称え、叱咤激励して送り出すことは有れど、反対や責められる言われは無いと思うが。それとも、マルシュベンではこれが剣士としての流儀だと言うのだろうか。」
「それは…そうだけど」
「だってさ…」
まだ兵士達はざわついている。
アレクシスは深い溜め息を付いた。それは疲れている様でもあったし、少し演技がかっている様でもあった。
「……さて、長くなってしまったが、私の伝えたい事は、皆も認めるエレーンどのの力量が、王城内でも遺憾なく発揮出来るものだと確信していると言う事だ。詰まる所、エレーンどののその人となりを私自身が信じているに他ならない。これははっきり言える。……だが、同じ同胞の者達がこんなにもエレーンどのの決意を認めないなど、私も誤算であった。」
兵士達のざわつきは、ますます大きくなる。野次が飛ぶ事は無かったが、収拾が付きそうに無い。
エレーンはアレクシスの言葉を静かに聞き入っていたが、密かに感動している…場合ではない。流石に自分も何か動かなければと再度席を立とうとする。が、アレクシスの視線に気付き、遠慮した。彼が、この状況において自信ありげににっこりと微笑んだからだ。
直ぐに前へ向き直した時には、また真面目な表情に戻っていた。アレクシスは堂内に響く様に、テーブルを軽く叩く。その音に、皆再度王子に注目した。
「失礼。さて、もう夜も遅い。私としてもこの騒然たる状況が非情に残念に思うが、そもそも私の演説など必要の無いものだったな。今この場は、エレーンどの自身が決めた決断を皆で祝う席だ。公爵どのの許しも出ているのだし、快く送り出せる者だけで乾杯と行こう。」
アレクシスはサイラスに視線を投げる。
サイラスは何とも言えない苦笑の表情で頷いた。その隣で妻のイザベラはにっこりと微笑んでいる。
「では乾杯の音頭も私が挙げよう。宜しいか、サイラスどの。」
サイラスは再び頷いた。アレクシスがグラスを高く上げようとする。すると、折角静かになっていたというのに、堰を切った様に、皆がそれぞれ野次り出した。
「ふざけんなー!」
「俺らのお嬢だぞ!」
「俺らが祝わず誰がするんだ!」
「王子だからって全部持って行くな~!」
「「「お嬢おめでとう!!カンパーイ!!」」」
その宣言と共に沢山のグラスが高々と上がった。
その光景に、途端に嬉しさが込み上げて、エレーンは危なく泣いてしまいそうだった。ぎりぎりの所で堪えて、アレクシスを見つめる。気付いて、彼はさっきよりも何倍もの眩しい笑顔をエレーンに向けた。そのせいで、せっかく我慢した涙がまた零れそうになるのを、そっと指で掬い、自分も笑顔を返すのだった。
すっかり夜も更け、大人に囲まれ飽きてしまったダニエルは、とうとう寝てしまった。セシルは息子を抱えて早々に部屋へと戻って行った。
わいわいと宴会が進むなか、アレクシスは何故か兵士達に囲まれていた。次々に手に持つグラスに酒が注がれる。
「王子~お嬢を連れてっちまうんだ、俺らの祝いの酒、呑んでくれますよね?!」
「十四才?社交会に出てるなら立派な大人でしょ!呑んで呑んで!」
「お嬢に手ぇ出したら王子と言えども只じゃおかねー!ほら、呑んで!」
「ほら!さっきの威勢はどうした!」
「~!!」
浴びる程呑んでアレクシスは顔が真っ赤だ。
「ちょっと、貴殿方程々にして下さいよ。」
ロバートが止めに入ろうとするが、ロバートのグラスにも次々注がれてしまう。
「兄ちゃん、顔の割りにいける口だね~!おら、どんどん呑め!」
「は~?顔関係ないね!俺今日までどんだけ我慢したと思ってんのー。十日だよ!十日!!今日は呑むぞ~♪あ、唐揚げも持って来て~!!」
ウィンチェストでは晩餐会ですら挨拶廻りで呑めなかったルーカスは、次々に運ばれるお酒に上機嫌だ。
一方エレーンも、兵士達に囲まれている。
「お嬢~!気を付けて行って下さいね…」
「向こうの男なんて見た目だけだから!甘い言葉に気を付けて下さいよ!」
「お嬢が嫁に行かないなら、良いんです。俺ら。」
次々に飛び交う言葉に、始終笑顔で頷く。
「ありがとう、皆。」
「エレーン、ちょっと良いか。」
グラスを片手に、クロードが声を掛けた。
食堂の熱気を避け、二人は裏の中庭へ出た。エレーンも少しだけ酒を口にしていたので、顔が熱い。春の夜風はまだ冷たいが、今日は火照った体に心地良い。中庭は早咲きのさくらがちらほら咲いているだけで、冬の名残を残した淋しい装いだ。程無くして中央の長椅子へ揃って腰掛けた。
「まだちゃんと言って無かったな。入賞おめでとう。」
「ありがとうございます。兄様。」
「これで兄妹全員入賞出来たな!」
そう言われて、エレーンは少し怒った様に、口を尖らせて見せた。
「でも兄様達は十五~十六歳で出場したのに、私だけこの歳になるまで出場すら出来なかったんですよ?」
ぷりぷりとご機嫌斜めの妹を横目で見ながら、クロードは少し笑った。末の妹が可愛くてしかたないのだ。
「エレーンは歳が離れての末っ子だったから、親父の過保護ぶりが酷かっただけだよ。…今もだけど。」
「でも父様は何時もとても厳しいんですよ?」
「それは…エレーンが負けない様に、誰かに泣かされ無い様に。心が挫けない様にって愛情の裏返しさ。知ってるだろ?」
クロードはじっと妹を見つめる。エレーンは少しだけ答えに躊躇ったが、何を答えるかは決まっていた。
「……はい。知っています。」
「今日だって、相当言われただろうけど、心配し過ぎた結果だからね。愛情表現が下手くそなんだよね、本当に。」
確かに、今日の居間での出来事だって、怖かったけれど内容は自分の身を案じたものだった。
「そうですね…。入城した後の私へ降りかかるだろう困難を心配していました。」
エレーンはぎゅっと自分の手を握りしめた。
「俺もさ、エレーンは歳が離れているから、娘の様な気持ちなんだよね。だから、レオナルドに聞いた時は突然の入城に納得出来なくてさ。正直反対だった。勝手に決めて、腹も立った。」
「はい…。」
「でも今日見ただろ?ダニエルのあの懐き方。いくら憧れの王子様だって、ダメな奴は絶対近付かない。見ててさ、エレーンを任せてもきっとこの人なら大丈夫だろうなってぼんやりと思ったんだよね。……もうさ、相当な親バカで笑っちゃうだろ?」
クロードは恥ずかしそうに笑う。エレーンは直ぐに首を横に振った。
「それから、さっきの演説聞いて納得した。まだ数日しか一緒に居ないのに、剣士としてエレーンを認めてるんだなって。言い方は違うけど、あれ、お袋と同じ考え方なんだよ。」
エレーンは母が庇ってくれた時を思い出した。確かに、そうかも知れない。そう思うと、先刻の演説が余計嬉しくなる。あんなにしっかりと自分を評価してくれていたなんて。そう思い返すだけで、胸が温かくなる気がした。
「あの演説が、皆を納得させるだけの只の咄嗟の詭弁だとしたら、それはそれで末恐ろしくて将来が楽しみだけどね。」
クロードの言葉に、エレーンはここ数日を思い返してみる。
話し方や所作がまだまだだとロバートに叱られ、思いの通りに行動してはルーカスにからかわれていたアレクシス……きっと素直なだけなのだ。
さっきの演説だって、話し方こそ気を付けてはいただろうが、思った通りの事を話してくれていたに違いなかった。そして、それがどれだけ自分にとって嬉しかったか。
エレーンはクロードに向き直した。
「いいえ、あの方はそんな計算高い行動をする筈が無いんです。きっと、素直な気持ちで述べられたんだわ。」
柔和な表情を向ける妹を見て、クロードは驚いた表情で尋ねた。
「エレーンも、数日で殿下の事が良く分かっているんだね?」
「いいえ!それが全く。只素直なだけなのか、演説の時の様な大人びた方なのか、私には判断出来ないんです。」
エレーンは保々反射的に否定していた。
だって本当にそうなのだ。軽い気持ちで入城を提案したのかと思いきや、真摯に謝って来たり。かと思えば、温泉でいじけてみたり。とは言え、アレクシスは今まで自分が取り零してしまいそうなものに気付かせてくれる。剣士の矜持や、皆の信頼を。それが、彼らしさの言わば核の部分で、どんな言動を取っていても揺るがないものなのだろうと少し分かって来たけれど。
思案する姿を見て、クロードは妹の頭を撫でた。
「いつまで経っても、エレーンは俺にとって『小さい妹』なんだなぁ。」
しみじみ呟く兄に子供扱いされて、エレーンはもう!と頬を膨らませたのだった。
その後、アレクシスは呑み過ぎて潰れてしまい、ロバートとルーカスによって部屋へと運ばれた。サイラスもレオナルドにこれでもかとしこたま呑まされ、妻のイザベラに支えられてふらふらで部屋へと戻って行った。エレーンとクロードも切りを見て部屋へと戻り、残された者達も徐々に脱落者が増えて、リン達が見回りの交代で戻った時には、宴はお開きになっていた。
「……なんじゃこりゃー!!」
あらゆる物が散らかり、散々たる宴の余韻を残す食堂に、乗り遅れたリンの叫びが虚しく響いたのだった。
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