Ⅲ 「今、人生ではじめて」

 校舎の外へ出て行こうとした彼女の細い肩が、びくりと跳ね上がる。

 彼女が足を止めた隙をついて、一気に距離を縮めた。


 雨宮さんが、おずおずと振り向く。そのときはじめて想像以上にオレに距離をつめられていたことに気づいたらしく、彼女はひゅっと息を呑んだ。

 

 雨宮さんは、オレよりも頭二つ分小さかった。

 セーラー服からのぞく細っこい足は、恐怖からかぶるぶると震えてる。

 風に吹かれたら、折れちゃいそうにちっこい身体。


 長い前髪に隠されているせいで相変わらず表情は読み取れないけれど、まるでストーカーに目をつけられてしまったかのような悲壮感だけはありありと伝わってくる。


 なんつーか……ここまで露骨に拒絶されると、やっぱりショックだ。


 幸いにも、まだ人気のあまりない昇降口付近で、見つめあうこと数秒間。

 このままでは一向に拉致があかないので、とりあえずこちらから話しかけてみる。


「オレさ、雨宮さんと話したいことがあるんだよね」

「…………私には、あなたと話したいことなんて一つもない」


 …………初っ端から、取り付く島がなさすぎないか?


 ちゃらい女の対極を地でいっているような子だ。

 うーむ。これは、どうやら中々、心を開いてくれなさそうだ。


 彼女は不審者を見上げるかのように、オレを見ていた。

 このまま踵を返して、逃げ去りそうな雰囲気すら醸し出している。

 

 仕方ない。


 徐々に距離をつめていく作戦が通用しないのなら、ここは一つ、一か八かの勝負に出ようじゃないか。


「今日さ、雨が降って、体育祭が中止になっただろ。雨宮さん、なにか心当たりがあるんじゃないか?」


 その瞬間。


 たったそれだけの何気ない一言に、雨宮さんはあからさますぎるほどに動揺した。

 ぎゅっと唇を噛みしめて、元々白い顔を見ているこっちが心配になる程に蒼白くさせている。


 ややもして、


「……な、なに? 雨が降ったのは、私のせいだとでもいいたいの…………?」


 彼女は、矢継ぎ早に、憔悴しているような苛立ちの混じった声で言った。 

 それは、誰が聞いても肯定しているのとほとんど同じようなものだった。


 やっぱり、本当だったんだ。少なくとも、本人にもその自覚がある。


「ん。まぁ、半分は正解かな」


 ニッと八重歯を見せて微笑むと、雨宮さんは呆然とした。得体の知れないものに出くわしてしまったかのような顔で、オレのことを見ている。


 その時、何故だか無性に、彼女には知っていてほしいと思った。


 この高校に入ってから、誰にも晒したことのなかった、オレの秘密を。


 こんなに緊張するのは、いつぶりだろうか。


「もしも、雨宮さんが雨を降らせてくれたなら、オレは、キミに感謝しないといけない」


 彼女がハッと息を呑みこむ。


 心臓がバクバクと脈打って、苦しい。息も浅くなって、頬も熱くなってくる。知らなかった。誰かに、心の柔らかい部分を曝け出すのって、こんなにしんどいんだ。


 でも、ここまで口にしてしまったからには、もう引き下がれない。


 だって、雨宮さんには、言わなければならない気がした。


 今日の雨が、雨宮さんが覆い隠してくれた、オレの抱える最大の弱点を。


 だから、すっと、息を吸い込んだ。


「………………オレさ、絶望的に足が遅いんだ」


 しばしの間、沈黙の精がオレらの間に舞い降りた。

 校舎の外で降りしきる雨の音だけが、オレらを満たす。


 目の前の雨宮さんは、文字通り、あっけにとられている。


 やばい。これは、想像以上に恥ずかしい。このまま発火して燃え死ぬんじゃないかってぐらいに顔が熱いけど、一度、放ってしまった言葉は今更取り消せない。


 自棄になったオレは、無我夢中で洗いざらい暴露してしまった。


「……今まで、陸上系の体育の授業はサボり続けてなんとか誤魔化してたけど、体育祭じゃ、流石に誤魔化しきれないっしょ? こんなちゃらそーな見た目してんのに、実は足が遅いなんてめちゃめちゃダサいじゃん。だから、今日、雨が降って中止になったこと、ほんっとに感謝してるの」


 言い終えて、ぎゅっと瞳を瞑る。


 時間にして数えれば、たったの数秒間。

 それなのに、まるで永遠のような長さに感じられた。

 

 少しして、目の前の彼女から、くすくすと鈴を転がしたような可憐な笑い声が漏れ始めた。


「……はじめて、言われた」


 ハッとして再び瞳を見開いたら、ずっと強張っていた雨宮さんの唇が花開くように綻んでいた。


「……速水くんの言った通り、私が楽しみにしている日には、絶対に雨が降るの」


 彼女は、ぽつりぽつりと、その小さな体に秘めていた思いを語り始めた。


 雨宮さんは、皆で一丸となって楽しむ学校行事というものに、密かにずっと恋い焦がれているのだと。


 本当は、もっとクラスの皆と仲良くなりたいと思っていたし、今でもそう思っているのだと。


 中学時代も全く友達がいなかったというわけではないが、口下手が災いしてその子たちともなんとなく距離感を感じていたらしい。元々、大人しく緊張しいな彼女のことだ。たしかに、雨宮さんが教室の中で、自ら積極的にクラスメイトに話しかけにいく姿は微塵も想像できない。


 そこで、雨宮さんは、考えた。


 例えば、体育祭や遠足等の行事があれば、口下手な自分でも皆の輪に溶け込むきっかけになるのではないだろうかと。


 そう考えてうきうきしていたけれども――その結末は、百瀬から聞いたものとまったく同じ通りのものだった。


「……雨は、私から、友達を奪ったわ。雨なんて、大嫌いだった。まるで、私から皆を遠ざける分厚いカーテンみたいだと思ってた」


 でもね、と雨宮さんがオレの方へ一歩踏み出してきた。


 彼女がオレの顔を覗き込むように見上げてきたその時、その長い前髪がはらりと揺れた。


 思いがけなく現れた大きな瞳はきらきらと透き通っていて、心臓がドキリと飛び跳ねる。


「今、人生ではじめて、雨女でよかったなって思えた。ありがとう、速水くん」


 ふわりと微笑んで去っていこうとした彼女の細い腕を、衝動的に掴んでいた。


「雨宮さん。その……オレと、今度、クレープたべにいかない?」



 そんなことがあった翌日。

 今日は、体育祭の振替日……だけど、心のどこかで安心しきっていた。


 今日も、雨宮さんが、雨を降らせてくれるって信じきっていたから。


 それなのに。


 カーテンをひっつかんで開いたら、爽やかに晴れていた。

 オレを嘲笑うかのような、見事な青空だった。


 …………ええと。

 これは、どういうことだ?

 雨宮さんは、どこぞの神様よりもずうっと信用がおける雨女じゃなかったのか!?


 憔悴しきって、昨日交換したばかりの彼女の連絡先に、猛然とメッセージを叩き込む。


『……なあ、雨宮さん。今日、めちゃめちゃ晴れてるんだけど、これはどうゆうこと?』 


 唸りながら、ぐるぐると部屋を回っていたら、ぴこんとメッセージが返ってくる。


『たしかに今日も楽しみだったけど、速水くんとクレープを食べに行く日の方が、ずっとずっと楽しみ。だから、その日に比べたら、今日はそんなに楽しみじゃなかったのかも』


 くすくすと無邪気に微笑んでいる雨宮さんが脳裏に浮かんで、頬が熱を帯びた。


【完】

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ちゃらいオレが雨女のキミに感謝を捧ぐ理由 久里 @mikanmomo1123

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