南部せんべい~ハトと密室5

 1時間後――。新田刑事がせんべいを持ってルーフバルコニーに顔を出した。


「古河さん、買って来ましたよ」

「悪いな」


 答える古河刑事は、ドアに新しいかんぬきを付けている。釘打ちをするほどの本格的な大工仕事ではなく。両面テープを使っての簡易な作業だ。


「これと、せんべいで密室を解き明かすわけですね?」

「ああ。密閉されていないのに密室も変だがな。最初、犯人は手すりを乗り越えて、外廊下に下りて、脱出したと思ったんだ。そうしないと、かんぬきのかけがねをおろしたルーフバルコニーから犯人自身が出られないからな。だが、違ったんだ」


 言いながら、古河刑事は、かんぬきのかけがねを上げてその隙間にせんべいをはさんだ。かけがねは、外側に少しだけ傾けておく。そうしてドアを閉めた。

 ハトが数羽寄ってきて、せんべいをついばみはじめた。数羽が食べ始めると、さらに多くのハトが集まってくる。

 群がり、無心に食べ続けるハト。

 またたくまに、かけがねにはさまれたせんべいは小さくなっていく。一度に食べられる量はそう多くはないが、ついばまれてひびが入り、かけらがどんどん落ちていくので、かけがねの支えとしては用をなさなくなる。

 ついに、かけがねがそれ自身の重さに耐え切れず、落ちた。かんぬきのかかった密室のできあがりだ。


 新田刑事が息をついた。

「なるほど……」

「となると、考えられるのは……」


 その日の夕方。

 取調べ室には、刑事2人と、野上食品の娘の姿があった。


「面白い推理だと思います。でも、私がやったっていう証拠はないでしょう?」

 娘は、口元をゆがめてこう言った。

 古河刑事は、ひとつ、咳払いをして言った。


「おっしゃるとおり、指紋も出てないし、目撃者もいない。せんべいなら日持ちがするから、現場のせんべいのかけらと野上食品のせんべいの成分が全く同じということが立証できたとしても、状況証拠にしかならない。ほかの人が買ったという可能性を完全には排除できない。あなたが犯人だと、断定するには至らない」


 野上の娘は黙っている。新田刑事が続ける。


「ハトは可愛がるけど、人の迷惑を省みなかった爺さんに、火事で亡くなったお父さんと同じように、熱さで苦しみながらの死を与えたいと思った。お父さんが作っていたせんべいで、復讐したかった。そんな筋書きですかね? でも、親御さんが丹精こめたせんべいをこんなことに使ってしまうのは……。お父さんは望んでいなかったと思いますがね。野上さん、全て、告白して自首しませんか?」


 野上はふん、と鼻で笑った。


「父を殺したあの男に警察は罰を与えなかったでしょう? この男を殺した人間だけが罰を受けるの? ずいぶんおかしな話ね」


「おかしな話かもしれませんね。せんべいだけに。ただ――」


 新田刑事は続けた。

「この国の司法では、自殺は自分で自身を殺したとみなし、追い込んだ人間は罪に問われることはまれです。しかし、他人を殺した場合はもれなく実刑を受けます。そのために我々はありとあらゆる手を尽くし、証拠と証人を探し続けます」


「見つからないと思いますよ。ハトだけにね。立つ鳥、後を濁さずって言うでしょう? あの男が父を殺したのと同じように、この男を殺した人も、完全な方法を取ったのでしょう」

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