南部せんべい~ハトと密室4


 刑事達が隣町の佐々木家に到着する頃、あたりは夕闇に包まれ、夕餉ゆうげの支度の匂いが漂っていた。

 もと隣人の佐々木一家は、まだ地区年数の浅いマンションの1階に暮らしていた。

「ああ、あのおじいさん」

 生活に倦み疲れたような様子の主婦は、だるそうに語り始めた。

「最初は子供の声がうるさいとか言ってきて。こっちだって、子供を24時間見張ってずっと口をふさいでおくわけにはいかないわよ。主人から『因縁つけるな』って言ってもらって。そうしたら、これみよがしにハトにえさをやり始めて。私、気管支炎になったんですよ。障害事件じゃないですか」

 母親が不機嫌な様子でしゃべり続けている間に、子供たちがやってきておながすいたと言う。

「うるさいわね! あっちに言ってなさい! お母さん用事があるの!」

 母親のヒステリーが爆発した。子供は慣れているのだろう。黙って向こうの部屋に行ってしまった。

「……結局、上の子の学校のこともあるから、必死でこの地域の空き家を探して、結局ここに落ち着いたんですけど。何しろ狭くって。……そう、死んだんですか」

 ここで母親はハン、と口をゆがめて笑った。今日はじめて見せた笑みだ。

「あのう…大変伺いにくいんですが、一昨日と一昨日、どちらのほうに……」

 おそるおそる、新田刑事が切り出す。

「毎日毎日、子供の世話と食事の支度と洗濯掃除で手いっぱいよ。一日それでつぶれるの。文句ある?」

 思うようにならない人生への怒りが見てとれる。二人の刑事は「特にアリバイなし」と解釈して退散した。


 二人が野上食品の娘の家についたときは9時を回っていた。

「夜遅くにすいません」

「いえ……」

 こちらも、生活に倦んだ匂いがした。先ほどの佐々木夫人よりも、ヒステリーや怒りの兆候がない分、余計に疲れた雰囲気がした。

「そうですか……亡くなったんですね。今ですか? ええ、食品会社で派遣社員として。成分ラベルの仕事。父が亡くなってすぐ、福田さんのところでこちらのアパートを紹介していただいて。正直、気の毒とは思わないですね。あの人がしたことを考えると。ええ、父が死んだのはあの人のせいです。あんなハトだらけの汚い環境で、食品関係の仕事ができるわけないじゃないですか……父も母も東北出身で……ふたりで故郷の味をということでせんべい屋を始めて、母が亡くなってからひとりで工場を支えてきた父を、あんな形で……」

 感情があふれ出しそうな娘を現実に引き戻す。

「一応みなさんに伺っているんですが、一昨日と一昨日は、どちらのほうに……」

「どっちも平日ですね。定時に自宅に帰ってからは、テレビを見たり、本を読んだり。特にアリバイはないですよ。ひとり暮らしなので」

 ふたりの刑事は、一日の聞き込みを全て終了した。


 翌日、朝――。

 古河刑事はひとり、現場に向かっていた。現場となったルーフバルコニーへのドアを開けると、ばっとハトが飛び立った。

 くるっくぅーと鳴きながら、あたりを乱舞するハトの群れ。それを見つめたまま古河刑事の頭の中では、昨日聞いた供述が駆け巡っていた。


 市役所の人間が、さほど根に持っていたと思えない。

 佐々木家の嫁とは思えない。ああいうタイプの人間が行う犯行はもっとわかりやすく短絡的だ。ダンナの方は夜遅くまで仕事だったことが別の刑事の調べでわかっている。

 戸田老人の体格では体力の面で被害者を縛り上げるのは無理か……。

 不動産屋の福田か、野上食品の娘か――。


 そういえば、このルーフバルコニーの密室の謎もまだ解けていない。犯人は、一帯どうやって、このドアのかんぬきの掛け金をかけて出て行ったのか……。


 足元では、一旦飛び立った後、舞い戻ったハトが何かのかけらを啄ばんでいる。

 ルーフバルコニーの床全体を見渡すと、ハトのフンがドアの前あたりに集中している。それらはまだ真新しい。


 古河刑事は、ハトを蹴散らし、啄ばんでいたかけらを一粒ひろった。


(続く・次回は解決編!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る