第9話 ステワニ

 キャンプ当日、晴天の中、三人は街から随分と離れた湖に来ていた。


「二人とも、まずは木の枝とか燃料になりそうな物を拾ってきてくれないか。パパは食事の準備をしているから」


 二人は林の中に入って行き、枝や倒木の切れ端などを拾い集めた。お互いどちらが多く集められるか競争をしながら。


 二人が戻ってくると、ステワニパパはまだ食材を切っている途中だった。


「おお、二人とも早いなあ。じゃあ、火を点けてくれるかい。それが終わったら、ご飯ができるまで二人で遊んできなさい」


 二人は言われるままに火を点け、焚火を作った。


「行ってきます」


 ステワニがパパに一言告げ、湖の方に歩いて行く。ノンジもそれに続いた。

 ステワニは夢の本を常に持ち歩いていた。ノンジも勿論そうしていた。人に盗まれないようにという事の他、何か選択を迫られたときに夢の本が無いと不安になるのだ。もしもストーリーから脱線してしまうような選択肢を選んでしまったら大変だ、と。

 湖に着くまでの間、坂を下りながら話をした。


「ステワニは順調? 夢の本の通りに進んでいる?」

「うん。この本を買って貰って良かったよ。何か迷ったことがあった時、何をすべきか書いてあるし、書いてない事は未来に関係のない意味のない迷いだってすぐにわかるから。細かい事を気にせず、迷いの無い判断ができるから。ところでノンジが持っているそれも夢の本なの?」


 ステワニはノンジが持つ本を指した。


「これは、違うんだ。結局買って貰えなくてね。お父さんが真似して作ってくれた。お父さんが居なくなってしまったから、もうこれはお守りみたいなもので、手放せなくて」

「そうなんだ。夢の本じゃあないのは残念だけど、素敵なお守りだね」

「有難う」


 湖に着くと、二人は服を脱いでストレッチもほどほどに泳ぎだした。

 川と違って湖の水温はやや高く、泳ぐのには丁度良かった。

 しばらく泳いで遊んでいると、遠くから大人の声が聞こえた。誰かを呼んでいるような声。どうやらステワニパパらしい。ご飯が出来たのだろう。二人は急いで湖から上がり、テントへと走って行った。


 お腹を空かした二人は、ステワニパパが作ったカレーを美味しく平らげた。


「夕食分も兼ねて作ったつもりだったんだけれど、参ったなあ。二人とも全部食べちゃうとは」

「美味しかったんだもん。ねえノンジ」

「うん。美味しかった」

「じゃあ二人にはたくさん釣ってもらわないとね。そうしないと、夕食は無しになってしまうかも知れないよ」


 ステワニパパはそう言いながらも笑顔で、二人に釣竿を渡した。


「パパはここで休んでいるから、太陽が少しオレンジになったらすぐ帰ってくるんだよ」

「はーい」


 先の湖に行き、二人で釣りを楽しんだ。


 ノンジは湖で釣りをしているアラガネを思い出していた。

 今ならまだ孤児のままで終われるけれど、どうするね。そう問われたとき、ノンジは今更何を言っているのかとすら思っていたが、今は隣の友人の明るい笑顔を見て、決心が鈍りそうになるのを感じていた。

 元気がなさそうな友人に声を掛け、少しでも励ましてやろうという気で、キャンプに連れてきてくれるのだ、この友人は。その上パパまで優しい。

 この隣人が住まう街でただぼんやりと過ごす事もまた、幸せなのかも知れない。

 しかし、ノンジには夢がある。まずは夢を持つという夢だ。

 子供が夢を叶える為に必死になって何が悪いだろうか。死ぬ気で努力をする事をとがめる大人はいないだろう。ただ死ぬのが自分ではないと言うだけだ。それ以外は何も変わりはしない。


「ノンジ!」


 突然大声を出されてノンジは心臓が止まる思いだった。


「なに?」

「来てる来てる! 上げないと!」


 ステワニが指す方向を見ると、釣り糸が水面をぐるぐると旋回していた。

 見るなり慌てて釣竿を上げると、見事な大物が釣れていた。


「凄いねノンジ! これならパパも喜ぶよ」


 それからも二人は釣果を競い合い、西日が茜色に染まる頃、テントへと戻って行った。

 ステワニが言った通り、パパは大喜びで魚を捌いた。料理が好きだというよりは、子供にパパとして料理を振舞える事に喜びを感じているようだった。つくづく良いパパだとノンジは思った。

 それからステワニパパが作った魚料理を三人で食べて、談笑をし、夜は更けて行った。


 ノンジは料理を作ってもらったお礼に、鍋や金網などを洗っていた。ステワニもそれを手伝った。


「ステワニ、この後湖いかない?」

「え、でも暗いし、怒られるよ」

「じゃあ、パパが寝た後にこっそり行こうよ。なんだか、ワクワクして眠れる気がしないんだ」

「あっ! それは僕もそう! なんか全然眠れる気がしなくて。トランプやろうかと思ってた」

「トランプはいつでもできるから、どうせなら湖で泳ぎたいなあと思ったんだ」

「じゃあ、そうしよう。夜に泳ぐのも面白そうだよね」


 二人がそんな話をしていると、パパが後ろから声を掛けた。


「二人ともありがとうね。パパは疲れちゃったからもう寝るけど、二人とも夜の間は出かけてはいけないよ。テントの中でトランプでもしていなさいね」

「はーい」


 二人は明るく返事をした。

 鍋を洗い終わり、水道を止めたところで、寝息が聞こえた。テントの中からだった。


「ステワニのパパ、もう寝たのかな」

「そうみたい。行こう」


 二人は夢の本を持って湖に出かけた。


 桟橋の上でストレッチをして、服を脱いだ。その時。


「あれ、ステワニ。肩になんか付いてるよ。あ、背中の方にいった」

「え! 嘘、虫? 取って取って!」


 後ろを向いたステワニを見て、ノンジはポケットからナイフを取り出した。父親を殺したナイフ。


 両手でナイフを構え、突進するようにステワニに向かう。


「痛いっ!」


 突然の衝撃に何が起こったのかわからなかったのだろう。ステワニは虫が噛んだのかと一瞬勘違いしたようだったが、背中から零れ出る熱い物が太もも、脹脛ふくらはぎ、足へと伝わり、桟橋の板が黒く染まったのを見て、ゆっくりと振り返った。


「ノンジ……?」


 ノンジはステワニの口を押さえ、もう一度深々と突き刺す。悲鳴が喉の奥だけで響いた。今もしも大声を上げられたらパパが来てしまうだろう。


「何を言っているんだ、ノンジは君だ。僕がステワニだよ。君は自分の父親を殺す悪い子だ。悪い子は死ななきゃあいけないんだ。お父さんのかたきはステワニである僕が討ったんだ。僕は良い子だ。パパの寵愛ちょうあいを受けるに値する。ノンジ、今まで有難う。さようなら」


 ノンジは自分の服をステワニに着せて、自分の本を持たせて、湖に突き落とした。

 その後自分も返り血を洗い流す為、湖に飛び込んだ。

 湖から上がり、ステワニの服を着て、夢の本を抱えた。

 髪が乾くまで、しばらく夜風に当たっていようと、桟橋に腰掛けた。


 見上げると、白々しいまでに綺麗な月が見降ろしていた。紺色の夜空は馬鹿みたいに騒がしかった。


「僕がステワニだ」


 呟いたノンジの足元にはステワニがぷかぷかと漂っていた。

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