ひなかご 4


 初聖体のあとでジォンの職業の話をすると、父はなぜか不快そうな顔をした。

「おじさんは、お前に教えてくれなかったのかい?」

「うん」

「子供に教えられないような仕事なんか、やらないほうがいい」

 不穏な口調に好奇心をそそられたのか、テーブルでカモミールティーを啜っていたコレットが話に横槍を入れてきた。

「お父さんの不機嫌な顔の原因はなに」

「ジォンおじさんの仕事の話」

「ああ、あれね」

 台所からブランデーの香りをただよわせた紅茶を持ってきたコレットが話に加わった。

「ジォンの話?あのいくじなしの」

「話をまぜっかえさないで、コレット。朝から酒びたりで、頭がイカレてるんじゃないのかい」

「あんたよりはまともだよコレット婆さん。カモミールで病気がなおるなんて古くさいこといってないで、とっとと医者へ行けばいいのにさ」

「カモミールは胃にいいんだよ」

「だからジォンおじさんの仕事ってなに?」

「あのいくじなしの」

「年寄りはしつこくて嫌だね!」

 婆さんたちの繰り言に耐えられなくなったアランが、カミーユにいった。

「飛行機の操縦士だよ」

「え?」

 カミーユは意外そうに目をしばたたかせたあの温和そうな顔をしたジォンが、そんな危険な職業についているとは思えなかった。

「そんなふうには見えないわ」

「あれはジォンの父親の病気だよ」

「そう、病気さ」

 コレットとコレットが同意するのは相手の悪口のときだけである。

「どんな病気なの?」

「機械病」

 紅茶をすすりながら、コレットがいった。

「あれの父親の宝物が、リンドバーグの飛行機の翼なのさ」

「リンドバーグって、誰?」

「七年まえにアメリカからパリまで飛行機で横断した英雄だよ。そのときに、飛行機から翼の一部をひっぺがして、持ってきたのさ。聖遺物みたいにね」

 そんなことをして、怒られなかったのかしらとカミーユが聞くと、コレットは鼻を鳴らして肩をすくめた。

「飛行機はパリの市民がバラバラに解体しちゃったのさ。だから、誰も怒られなかった」

「どうしておじさんにはいくじがないの?」

 コレットが酒臭い息をカミーユに吹きつけていった。

「豚さ」

「豚?」

 カミーユはコレットに続きをうながしたが、コレットは人の悪い笑みで顔を皺だらけにしながら宙をみあげた。

「ジォンは肉が食べられないんだ。どうしてだか聞いてごらん」


 ジォンに二回目に会ったのは、九歳のころだった。家のそばの岩山でローズマリーを摘んでいたときだった。

 白茶けた岩が露出する岩山には、さまざまな香草が生えていた。ローズマリーやカモミール、タイムなどの香草は、料理につかったり、陰干しにしてお茶にしたりする。岩山のローズマリーの群生地まで歩いていくと、カミーユは腰の高さほどのローズマリーの葉を揉んで、指に匂いを移した。

 指の残り香をかぐと、ツンとする匂いがした。カミーユは布袋をひらいてローズマリーを袋へ詰めていった。

「カミーユ!」

 道のほうから男の声が響いてきた。一瞬、誰だろうといぶかしんだが、それが教会で会った叔父であることに気づいて、カミーユは手をふった。

「やっぱり君だ」

 聞き覚えのある独特な口調。駆けよってきたジォンは、以前会ったときと同じように目を細めていた。

「遊んでたの?」

「ローズマリーを摘んでるの。サラダに使うのよ」

 ジォンは手にさげていたワインの瓶を置くと、カミーユの手伝いをしはじめた。

「飛行機の操縦士なのね」

 ジォンは一瞬動作をとめたが、何事もなかったようにローズマリーを摘みとった。

「怖くない?」

「怖いけど、好きなんだ。飛ぶのが」

「どうして好きなの?」

「鳥の目になれるからかな」

「奥さんは反対しないの?」

 答えがかえってこないので、カミーユが顔をあげると、ジォンがカミーユの目をじっと覗きこんでいた。

「聞いちゃいけないことだったら、ごめんなさい」

 当時飛行士は野蛮な職業だといわれていたが、カミーユは、ジォンがそんな危険な職業に就いているとは思えなかった。

「鳥と同じ高さで空を飛べるの?」

「鳥よりも高いよ」

「星や月より高い?」

 ジォンはまぶしそうな表情でカミーユを見た。

 午後の光が、白茶けた岩山を金色に染めあげていた。思いだしたように山鳥の鳴く声がきこえる。

 ジォンは白い岩に腰をおろした。地面に座って、カミーユはジォンの話に耳をかたむけた。

「星は地面からみる様子とあまり変わらないよ。ずっと遠いところにあるからね」

「月も?」

「ああ。月もかわらない。太陽もかわらないよ。かわるのは地面の景色だけだ」

「怖くない?」

「怖くなんかないよ。きれいだ。紫色の線がつづくラヴェンダー畑や、白い雪をかぶった山や、一面黄色いアフリカの砂漠なんかね」

「鳥よりも高く飛ぶの?」

「ああ。カマルグの平原を飛ぶときは、すごいよ。あそこは渡り鳥の通路なんだ」

 ジォンの言葉に連れられて、カミーユは岩山から世界を旅した。鮮やかな布をひろげたアフリカのバザール、白い建物が林立する地中海の沿岸部、沿岸が薄緑に染まる地中海の水の色。

「もう摘み終わった?」

 ジォンにきかれて、カミーユはようやく自分の仕事が途中だったことに気づいた。あわててローズマリーの葉をむしるカミーユをみて、ジォンは苦笑した。

「今日はよく笑うんだね」

「どうして?」

「教会で会ったときはもっと怒ってたよ」

 綺麗なドレスを着てあんなに不機嫌そうな顔をしている女の子ははじめてだ、とジォンはいった。

「帰ろうか」

 ジォンは地面に置いていたワインの瓶を手にカミーユをうながした。

「ドレスが嫌いなわけじゃないけど」

 布袋をみたして家へ帰ろうとしたまぎわに、カミーユは拗ねた顔でそういった。

「話せば長いわけがあるのよ」

 ドレスの受難話はひとつ緩い丘をこえたところで終わった。

「君だってお婆さんたちに負けずにわがままを言えばいいのに」

「そんなことできないよ」

 カミーユが憤然としていいかえす。

「だって家には五人も子供がいるんだもの」

「五人?」

 首をひねるジォンに、カミーユは手のひらを広げて突きだした。

「ライサおばさんコレットおばさんコレットおばさん、そして双子の妹! これだけの人数のわがままを聞くだけでうんざりよ。母さんがかわいそう」

「僕は父さんに同情するよ。すさまじい女系家族だ」

「じょけいって何?」

「女ばかりってこと」

 しばらく二人は無言で道をあるいた。ワインの瓶からこもった水音が規則ただしく響く。

「君だって子供なんだから、そんなに思いつめて考えることはないんじゃないか?」

「好きで子供をやってるんじゃないわよ」

 ジォンが急に立ち止まった。えにしだの茂みを挟んで、カミーユと向き合う。

「そんなに早く大人になりたいのかい?」

「ひとりで暮らしたいもの」

「急がなくてもすぐに大人にはなれるよ。でも本当の大人になる人間はすくない」

「うちのおばさんみたいに?」

「いや、あのひとたちは充分大人になりすぎたんだな。いまは子供に返ってる」

「大人になりすぎたら子供に返るの?」

「君は子供に返りたくない?」

 返りたくない、というと、ジォンは忍び笑いをしながらふたたび歩きだした。

「いつか年を取りたくないと思うときがくるよ。そのとき君は大人になって、もう元には戻れないんだ」

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