第14話

 セント・アリシアの多くの住民の予想を嬉しい形で裏切り、地獄旅団は大人しくしていた。彼らの給料を乗せた船が定期的にやってくるせいもあり、彼らは派手に遊んで金を落としてくれるようになり、セント・アリシアが急に活気づいたようだった。特にナポリ人街の成長はいちじるしくマンゴーやピラニアなど現地の食材で地中海式の料理をこさえる店や顔に傷のある連中が運営している賭博場などは地獄旅団の連中がひっきりなしに通ってきた。

 もちろん売春宿も大忙しだった。士官や兵卒たちには整理券が配られ、赤い灯明の下で下卑た笑いを浮かべながら、すべすべの肌や決め細やかなたてがみ、固い抱きがいのある蜥蜴娘たちの皮などについて、あれこれ好みを論じ合った。

 地獄旅団を避けて内陸の農園屋敷へ避難した女たちは地獄旅団に属する絶世の美男の士官の噂を聞き、自分の目で確かめるべく町へと帰ってきた。地獄旅団が乱暴狼藉をせず、町の治安も保たれていると聞いた上での帰還だった。例の青年士官は名をエルデナン・デ・レオン大尉といい、公証人の家の二階に部屋を取っていた。時おり町を散策する姿を見かけると、町の女性たちはなるほどセント・アリシアのような田舎では決してお目にかかれない素晴らしい美男子だと褒め称えた。貴顕紳士の奥様方が娘を連れて疎開したことにより閑古鳥が鳴いていたセント・アリシアの社交界は再び息を吹き返し、デ・レオン大尉はワルツの相手として引っ切り無しに誘われた。

 一方、デ・ノア大佐はといえば、何もしていなかったわけではなく、遠征にあたってのいくつかの問題を片付けようとしていた。

 デ・ノア大佐の戦略ドクトリンは砂糖とバターをこってり使って黄金色に仕上がった揚げリンゴを食べられない場所では戦争をしないというものだった。つまり彼は常に兵站を重視し、輜重担当参謀をしょっちゅう呼びだし、十分な食料と弾薬が供給されないかぎりは遠征を行わないよう厳命した。彼は一つ一つの物資集積基地を作り、基地と基地のあいだを荷馬車が通れるように道を整備することで方針を固め、また兵士たちが常に新鮮な肉にありつけるようにセント・アリシアの町に対して協力を要請した。断り切れるものではなく、泣く泣く牧場主たちは市場価格の四分の一で牛や豚を手放した。

 こうして食料の心配がなくなると、デ・ノア大佐はいよいよインディオ討伐のための進軍を開始することとなった。やってきたときと同じくらいの規模で地獄旅団を見送ったセント・アリシアの市民はこれまたホッと胸を撫で下ろしたのだが、それも地獄旅団が要請してくる物資運搬の無茶難題にぶちあたるまでの話。わずかな安息に過ぎなかった。

 六月二十二日、季節はずれの大雨が明け、晴れ間の見えたその日に最新型のスクリュー船十隻に一二〇〇名の兵が分乗して、南の上流へと進んでいった。増水した河を座礁の心配もなく、ぐんぐん進んでいき、十字型砦のある支流を通り過ぎて、あっという間にサン・ディエゴの淀みに着いたが、そこは十隻のスクリュー船が入れるような広さはなく、一隻ずつ船から人員と荷物を降ろすハメになった。一番最初に下ろされたのは工兵隊と歩兵分隊でデ・ノア大佐はここに策源地となる一大陣地を作ろうと考えていた。その陣地は周囲を塹壕と射撃ポストに囲まれて、全兵員のテントと士官の仮小屋。デ・ノア大佐の青と白の縞模様のテントのほかに山砲、野砲、馬も上陸させ、桟橋を作って物資の荷下ろしをもっと簡潔に行えるようにする必要があった。

 まず夜通しかけて、船から全人員と火砲、家禽を降ろすと、全兵士が工兵士官の指示に従って、陣地を囲う塹壕と逆茂木、それに喬木の上に作った狙撃兵用の足場を作った。デ・ノア大佐は二週間かけて、地獄旅団がすっぽり収まる町を作り上げた。物資は順調に届き、デ・ノア大佐の夕食は必ずパウダーシュガーのかかった揚げリンゴでしめられた。

 フランソアは要塞守備隊としてこの出征に同行していた。しかし、部下は七人足らずしかついておらず、他の大尉からは侮蔑の的になっているのが、ひしひしと分かった。ヴィンセン・エラン中尉とギリアム・レーゼンデルガー少尉は地獄旅団に正式に転任し、後方で十分な兵員を集め次第やってくることになっていた。

 六月ももう終わろうとするとき、デ・ノア大佐がフランソアを呼び出した。大雨であらゆるものが水の破裂音をけたたましく鳴らすなかマント姿で大佐のテントにかけていくと、大佐はキャンペーン・デスクに肘を置いて座り、細かく折った地図を手に持っていた。

「前回、お前らの軍隊をハチドリの巣に導いた男の顔は覚えているか?」挨拶もなしにデ・ノア大佐はたずねた。

「はい、旅団長大佐殿」

「明日、わしらはその帰順インディオの村へ行く。お前も同行しろ」

「はい、わかりました。旅団長大佐殿」」

 翌朝、カラリと晴れた早朝、フランソアは工兵隊一〇名と一二〇名の歩兵一個大隊とともに奥地へと進んでいた。デ・ノア大佐自らが馬にまたがって陣頭指揮を取り、歩兵大隊指揮官の大尉はお飾りのようなものだった。ただ奇妙なことにもう一人大尉がこの遠征についてきていた。例の美男の士官エルデナン・デ・レオン大尉である。なぜ彼を連れてくるのか全くの謎であった。ひょっとすると人類学に関する素養があり、この辺りのインディオの言葉に通じているのかも知れない。ただ、それだと途中でインディオのガイド兼通訳を雇った意味が分からなくなってしまう。

 そうこう考えているうちに坂道を下った向こうにインディオたちの村が見えた。椰子とバナナの葉で葺いた小屋が高い櫓の周りに作られた小さな村だった。櫓のてっぺんには木で編んだ籠があり、人間の乾いた心臓があった。賢い長老や勇敢な戦士が死ぬと、その心臓を取り出して櫓に保管し、死後もみなを守ってくれるというのが、この村での言い伝えであった。

 フランソアは隊をハチドリの巣に導いた家を指したが、ガイドは狩りに出かけて外出中だということだった。

「狩りか。奇遇だな。わしらも狩りに来たんだった」

 大佐は号令をかけると百名近い兵士たちが村じゅうに散らばり、村民を家や仕事場から引きずり出し、全員を櫓のまわりの一箇所に集めた。集められた村民は剣付き鉄砲で囲まれて、叢林越しに落ちてくる光がヤタガン銃剣の先でチラチラと明滅しているのを脅えながら押し黙って見ていた。

 大佐はまず問題のインディオの家族を囲いのなかから引きずり出した。また、その左右の隣に住んでいるインディオたちも引き出した。こうして、七歳の男の子から八十九歳の老婆まで後ろでに縛られて、七名の老若男女が横一列にひざまずいた。兵士たちはにやにやしている。これから何が起こるのか知っているのだ。フランソアも薄々感づいていた。どうしてデ・レオン大尉がついて来ていたのか?

「デ・レオン大尉」大佐が言った。

「はい、旅団長大佐殿」美しい天使のような大尉が落ち着いた声で返した。

「殺せ」

「かしこまりました、旅団長大佐殿」

 デ・レオン大尉は薄い手袋の上にナイフ付きの指ぬき手袋をはめると、穏やかな表情のまま近づき、すれ違いざまに老婆の喉を掻き切った。ゴボゴボゴボッという音を立てて血を沸き立たせながら、老婆はうつ伏せに倒れて痙攣していた。他の六人が自分たちに待ち受けている運命を悟ると、みな暴れて、「ウレ、マレアー! ウレ、マレアー!」と叫び出した。

 兵士たちがインディオを取り押さえているのを見ながら、デ・ノア大佐は葉巻を吹かし、たずねた。

「ウレ、マレアーってのはどういう意味だ」

「殺さないでくれという意味です」ガイド役のインディオはとんでもないものに関わってしまったことに気づいたのだろう、汗の玉が髪の生え際からこめかみを滑り落ち、そのまま顎の下からしたたり落ちた。

「殺さないでくれ、か」大佐は葉巻に噛みつきながら言った。「続けろ」

 二人目の壮齢のインディオは村一番の戦士で頑丈な体の持ち主だったが、ズアーヴ兵五人がかりで取り押さえられたまま為すすべもなく喉を掻き切られた。インディオの戦士はゴボゴボと喉を鳴らしながら暴れたが、三十秒もしないうちに動きがおさまり、痙攣を始めた。デ・レオン大尉は死の天使だった。穏やかな表情のまま、次々とインディオの喉を切り裂いていった。七歳の男の子の喉を切ったときはゴボゴボと鳴りながら首が落ちかけた。

「あの音だよ。デ・ボア大尉」デ・ノア大佐は葉巻でデ・レオン大尉を指した。「ゴボゴボという音。イチゴのジャムを鍋で煮たときの音に似ている。あの音を立てさせるには血管と気道を全部一気に切らなければならない。血が気管へと入っていくわけだ。これに関してはデ・レオン大尉が一番うまい。下手くそなやつが喉を切ると血管に傷をつけるだけで気管は無事かちょっと穴が開いただけ、だから三十分近くゲーゲーやって、ようやく死ぬ。だが、デ・レオン大尉は、温めたナイフでスパッとバターを切るように喉を切る。見たまえ、あの優雅な様を! 全くワルツでも踊るように優雅に喉を切り裂いていくじゃないか!」

 六人の痙攣している骸。最後は十五歳の娘だった。もはや叫ぶわけでもなく、ぶつぶつと「ウレ、マレアー」を繰り返していた。デ・レオン大尉は少女の脇にしゃがむと、少女の頬を黒い手袋をした左手で優しく撫でた。「大丈夫」大尉は微笑んだ。「すぐに終わらせてあげるよ」

 そう言って少女の後ろにまわると、手のひらにかくしてあったピアノ線を出して少女の首に絡めて、膝で少女の背中を押すような形で絞めた。

士官や兵卒から下品な笑い声が上がった。

「アッハッハ、大尉殿も人が悪いや」

「あの絞め方じゃ死ぬのに二十分はかかるぞ」

「そこまでかけねえさ。メスガキが小便を漏らすからな。大尉殿は軍服を汚されるのが嫌いなんだ」

 少女はうつ伏せになり、涙を流しながらカエルの鳴き声に似た音を口から漏らした。げえっ、げっ、げっ……

 五分くらい絞めたところでデ・ノア大佐は飽きたらしく、手のひらを上にあげて、上下に動かしせかさせた。デ・レオン大尉は力を入れてピアノ線をきゅっと引いた。皮を裂き、肉を裂き、血管と気道を一度に裂いた。デ・レオン大尉は背中を膝で抑えたまま、少女の髪をつかんで力いっぱい後ろに引っぱった。ベキッという音がして、少女は死んだ。

「これで分かっただろう」大佐は震え上がったインディオたちに向かって演説した。「いくらマヌケの集まりでもメイベルラントの軍服を着て、メイベルラントの軍旗を掲げた連中を伏兵の真っ只中に送り込むとこういうことが起こる。死ぬのはそいつだけじゃなく、そいつの家族も、それにそいつの家の両隣に住んでいるやつも殺す。明日また来るが、そのとき犯人の首がここに――」そういいながら、デ・ノア大佐は大きな平たい石を蹴った。「置いてなかったら、また殺す。村を捨てたくなかったら、ここに首を置け。わしに敬意を示せ」

 その後も村の探索が行われたが銃や弾薬はなく、狩猟に使う弓矢や棍棒などそのくらいのものしか見つからなかった。

「おい、見ろ!」櫓から少し離れた沼の近くで声がした。小さな網代編みの小屋があり、ズアーヴ兵が両手に手を持ち上げた――干からびた大きな白人の手を二つ。

 フランソアはまさかと思って、小屋のほうへ走った。

「手を見せろ。その手を見せろ!」

 腰抜け士官が凄い剣幕で迫ってきたので、ズアーヴ兵はついうっかり命令どおりに手を渡してしまった。

「間違いない」フランソアは手を持ったまま、後ろに二歩下がった。蟹を潰したあの屈強な手に違いなかった。

 デ・ノア大佐が馬にまたがったまま、小屋のそばまで下りてきた。

「知り合いの手か?」

「部下の手です」

 デ・ノア大佐はフムというとまた村のほうへ駆け戻り、通訳に訳させた。

「あの手の持ち主を殺したやつは出て来い」

 誰も動かず、何も話さず。デ・ノア大佐はため息をつくと、リヴォルヴァーを抜き、たまたま目が合った女の頭を撃ち抜いた。悲鳴。混乱。逃れようとするも銃剣に阻まれる男たち。女の頭蓋の半分は遠く離れた草地のなかでひっくり返っていて脳を保護する幕のようなものがとろりとろりと雑草のあいだへ流れ落ちていた。

 大佐はまた撃鉄を上げて一人撃ち殺した。その男が後ろに大きく倒れたせいで別の側の人々が思い切り押され、二人のインディオがズアーヴ兵たちが構えていたヤタガン銃剣の餌食にされた。

 三度目に撃鉄を上げると、二人の男が名乗り出た。二人とも二十代半ばで引き締まった狩人らしく、その体は太鼓の皮のように緊張していた。

「大尉」デ・ノア大佐はフランソアに言った。「何か聞きたいことはないか?」

「どうやって殺したか聞いてください」

 ガイド曰く、タバークル准尉が用を足して戻ろうとしたところを後ろから襲い、石の鎚で殴り殺したらしい。鎚はその小屋の床下に隠してある。手は勇者の証として切り取った。内臓は自分たち二人だけで抜いた。嘘じゃない。自分たちは狩人だ。獲物の処理はその場で行える。

「――だそうだ、大尉。どうするね?」

 遠くから見てもわかる挑戦的な目つきをした二人のインディオをフランソアは代わる代わる見た。オヤジが一体こいつらに何をしたというのだ?

「そいつら二人をこちらに下ろしていただけますか、旅団長大佐殿」

 そうこなくてはいかん、と大佐はニヤニヤしながら言うと、二人の兵士がインディオを引きずるようにして、沼のそばに連れて行った。フランソアはそのあいだに網代編みの小屋に入った。乾かしたトウモロコシの茎を敷いた寝床と弓矢以外には何も見つからない。トウモロコシの寝床を掘り起こしてみると血だらけになったオヤジの軍服と大きな翡翠がはめ込まれた鎚が出てきた。フランソアは翡翠の鎚を手に取った。外に出ると、すでに二人のインディオがひざまずかされていた。

 二人の若いインディオのうち、年かさのほうは不敵にまだフランソアを睨み返していた。もう一人は気合が尽きたらしい、うつむき加減で震えていた。

 フランソアは翡翠の鎚を手にしたままたずねた。

「オヤジがお前らに何をした?」

 翡翠のかたまりが年かさのインディオの横っ面にめり込んだ。目が飛び出して、折れた骨が肉を裂いて頬から突き出ていた。今度は頭のてっぺんを割った。インディオは倒れた。フランソアは倒れたインディオにまたがるように立つと、頭、顔、肩、胸といわず、あらゆる部位を滅多打ちにした。

 気づくと地獄旅団の士卒たちが村のある高台の縁に集まって、舌笛を吹いたり、いいぞ、もっとやれ、と歓声を上げていた。あの美しい天使のようなデ・レオン大尉も同様で軽く敬礼して彼なりのやり方で穏やかな応援をしていた。フランソアは足元を見た。インディオの顔は目や鼻、口の位置が分からなくなるほど晴れ上がり、土にめり込んだ死体のあちこちから骨が突き出ていた。

 次のインディオはすでに漏らしていた。

 フランソアは翡翠の鎚を引きずりながら、インディオにたずねた。

「オヤジがお前らに何をした?」

 インディオは急に立ち上がって、ズアーヴ兵を振り払うと後ろ手に縛られたまま、目の前――沼地へ真っ直ぐに駆けていった。フランソアは翡翠の鎚を小屋に立てかけると、銃を抜いて、撃鉄を上げた。そして、インディオが泥に足を取られて動きを止めた瞬間に引き金を絞った。背中の肉が弾けてインディオは倒れ、沼のなかへ沈んでいった。

「あの鎚はきみの記念品にしたまえ」デ・ノア大佐が上機嫌に拍手して言った。「勇者の証だ」

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