第10話 おしまの話し

 おしまの話し。

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 新さんとの待ち合わせが、六薬堂そばの地蔵前だったので、六薬堂に住んでいる詩乃と出会えば、幸せになるから。と言って出かけたかっただけだった。人は、幸せになると、誰かにしたくなるのだ。

 そして、格子窓が開いたので、幸せを分けたいと思って声をかけた。詩乃が祝福していないようで少し気分が悪かったが、やっかみだと思った。

 新さんと樽橋経由(長崎方面とは逆の方向)で、関所へと向かった。関所を破ったわけではなく、関所に努めている男が関所を開けてくれた。多少の金を渡していたのを見た。そのまま進み、夜が明けるころには、どこかの漁村に着いていた。そこで夜まで眠った。

 そしてまた夜になって出かけた。新さんは最初こそ話し相手にもなってくれたし、足元が悪いから気をつけろなど言ってくれていたが、いつ頃だっただろうか? 少し眠って、一刻ほど眠ってはすぐに歩くようになってから、まったくと言っていいほどしゃべらなくなったし、こちらを振り返りもしなかった。あたしもほとんど休まず歩くから顔を上げる元気すらなくなっていて、今どこを歩いていて、本当に、長崎へ向かっているのかどうかすらも解らなくなっていた。

 食事は、握り飯を歩きながら食べるので、満足のいくものじゃなかったし、ほとんど休まず、寝ることなく歩き続けたから、ふらふらで。ふらふらして歩いているあたしに比べて、新さんの足取りは確かでまったく衰えなかった。あたしはもう、声をかける元気もなくなっていた。そうなってきたころ、船に乗った。どこから乗ったのか全く覚えていないけれど、とにかく船に乗った。船の底に乗って、新さんは船で売っている飯を買ってくるとか言って出て行ったけれど、船がどこかに着くまで戻ってこなかった。

 船の底には、あたしと同じようにくたびれた女が数人いた。ぐったりしてもう動けないと足をさすっていた。そんなんだから、船が動くと、すぐに船酔いして、誰も起き上がることもなく、ただただ、気分が悪くてうめく声だけしか聞こえなかった。

 船がどこかに着き、新さんが抱え起こしてくれて、どこかに連れ出してくれたけれど、今まで船底にいたからまぶしくて、まともに目を開けられなくて、しかもぐったりしているうえに船酔いでフラフラで、気づけば、冷たい石の部屋に寝ていた。

 そこには、船で一緒だった女たちも居たし、それ以前にそこに居た人もいた。二十、三十はいたと思う。前から居た女たちの様子がおかしかったけれど、こっちも吐きそうだし、吐きそうでも、食事もとらず歩いていたこともあって、吐き出すものもなくて、ただただぐったりしていた。

 昼だか、夜だかわからない真っ暗い中で、時々一か所光りが差し込んで、

 最初こそ、全く何が起こっているのは理解できなかったけれど、体が動けるようになると、女たちはその差し入れされた食事のほうに這って行き、頬張っていた。 あたしはそれをぞっとして、生唾を飲んだけれど、参加する気にはなれなかった。なんだか、……地獄絵図を見ているようでね。

 そしたら、「食べない方がいい」って声がして、声のほうを見れば、石の床に正座しているきれいな着物を着た人がいたのよ。暗闇でも目は慣れてくるし、食事が運ばれてくるときに差し込む光の中で見えたからね。

 正座していたのは、田崎たさき 真咲まさき。という人で、武家の娘だと言った。彼女の話しでは、あの食事を食べると、泡を吹いて死ぬか、全く人としていられないと言い、何か変な薬でも混ざっているのだろうと言った。あたしもそれを聞いて、真咲さんと一緒に食べずにいた。

 確かに、食べた女の中には、急に笑い出したり、怯えて、体をかきむしったり、そういう動作をする人はまだいいが、ぼんやりとしたまま亡くなった人もいた。

 そして毎日、男が入ってきて遺体と、人間で居られなくなった人を連れだした。 真咲さんとあたしは、「ここがどこなのか、家に帰せ」と言ったから、閉じ込められ続けた。

 男たちが、無理やり食べさせるかとか、もう、捨てるかとか、話していたけれど、女たちが次々にやってくるので、いつも後回しにされた。

 十人前後で、三日ほどの間隔で女がやってくる。それが三回ほどしたある日、真咲さんがか細い声で言った。

「今回の人たちは、皆駄目のようね。……、私も、もう、駄目のようだから、今から言うとおりにして」

 とか細い声を振り絞るように言った。

「明日の朝に男がやってくるだろう。そしたら私はどこかに運ばれる。一晩私を抱きしめていれば、あなたにも冷たさが移るだろうから、そうしたら一緒に出られる。出て、何とか頃合いを見つけて、逃げなさい」

 と言ったのだ。

 以前、男たちの話しで、遺体を山から海に落として、事故に見せかけていると言っていたという。荷車に乗せて運ばれて、一人ずつ捨てられるようで、その作業中に、うまいこと荷車から逃げ出せというのだ。

 あたしは無理だと言った。だって、体力がないのだから。

 でも、真咲さんは、涙をこぼし、「無念だわ。家のために、お金を工面するから、長崎へ嫁げと言われてやってきたのに」と初めて感情を出した。

 こういう時、お武家様の娘さんというのは、かわいそうね。と同情した。

 真咲さんは、頭のいい人で、男たちが死体を捨てている場所の峠の名前を憶えていた。あたしには馴染みがないから、ふちが峠だったか、ふじだったか、ふきだったか、とにかく峠の頂上近くにおやしろがあって、少しやぶの中に、掘っ建て小屋があるって。その山で狩りをする猟師たちの小屋だろうという話。そこに、硬い干し肉と、服があるっていうのよ。何で知っているのかと聞けば、

「来る途中、そこを通った。雨が降ってその小屋で雨宿りをすることになって、干し肉とかは、旅人がそこに入ってきたとき用に食べていい肉だそうよ。着物も、善意で置かれているもので、礼は持っているものを代わりに置いてくれ。というような、そういう小屋だそうよ。私をここまで連れてきた案内の男は、すごく親切で、私がこういう目に遭うと思わずに案内してきたんでしょうね。小屋は、地元のものしか知らない小屋で、町のものや、役人すら知らないと、だから、ぜいたくをしてはいけないという条例の時には、みんなで此処にぜいたく品を隠したと言っていたわ。そこへ隠れて、夜になって逃げるの」

 それ以降の真咲さんの言葉は、どうも夢心地で、ふわふわとしたもので、最後には、「母上に会いたい」と言って黙った。

 あたしは真咲さん言われた通りに抱きついて横になってじっと我慢していた。とはいえ、疲れと空腹で我慢も何も眠ってしまっていたと思う。

 気づいたらゴロゴロという荷車の上に寝かされていた。夜だったから、人の声なんかしなかった。

 風の音と、波の音が遠くに聞こえる場所に来て、荷車が止まり、筵が除けられると、男二人があたしの前に居た女の人を引きずりおろして、呼吸を合わせて放り投げたの。

 ぞっとした。目の前には真咲さんの冷たい顔があった。あたしは腕と足が数人の下にあってこれを動かすと、生きていることがばれそうで、じっとしていると、

「おい、この女生きてるぞ」

 って声に身がこわばった。でもそれはあたしではなくて、別の人で、

「構やしない。役に立たないだろ」

 という声がした。そして波の音。風の音、男たちが、息をつく音がして、あたしはもう一度真咲さんの顔を見た。

 悔しいねぇ。無念だねぇ。と思うと、男たちが一人投げるために向こうを向いた瞬間そこから逃げた。草むらに逃げて音がして、男たちが辺りを見渡していたけれど、その時、タヌキだか何だかが草むらからひょいと出て、男たちを見て慌てて逃げたんで、

「なんだ、タヌキか。脅かしやがる」

 と言って、仕事を続けた。

 風が吹くたびに少しずつ動き、男たちの声も、波の音も聞こえなくなってから、頂上へと向かって進み、小屋を見つけた。

 確かに小屋には干し肉や、着物があった。あたしは着物を着換えて干し肉を頬張った。そして、日中眠った。真咲さんの話しでは、今の時期は小屋に人は近づかないらしい。狩りは秋に行うということだったので、人の気配がすれば逃げるだけだった。

 夜になって干し肉を懐に入れてそこを出た。来た場所と違う方へと下り、そこが本当に長崎で、そこから帰るには大変な思いをするだろうと思ったけれど、そのたびに、真咲さんや、ほかの人の顔を思い浮かべて、どこをどうやって歩いて、関所破りしたのかまるで記憶にないけれど、とにかく大江戸まで帰ってきて、不覚にも、吉原近くの葦が原で新さんに見つかってしまった。慌てて隠れたけれど、新さんが探しているので、家にも帰れない。番所へ行こうとしたが、そこにも芝居小屋で見た男たちが居たので行けない。


「あとは、もう、詩乃さんしか思い出せなくて」

 おしまはそう言ってまた顔を覆って泣き出した。

 詩乃は天井を仰いだ。―おいおい、田崎 真咲? って、あれだよな、―と記憶が蘇る。

 岡 征十郎が唸る。

「長崎、かぁ」

 おしまが首を振り、「長崎へ連れていかれた女たちは、大江戸で行方不明になっていた女たちもいたんですよ」おしまが絞るように声を出す。

「おい、こら、お前、何しやがる!」

 運び屋が急に大声を上げると、坊主が格子を叩く。全員がそちらを見た後で、おしまのほうに顔を戻す。

「芝居小屋でよく見た人がいたんですよ。梅の介のことが好きな人がね。その人がいつだったか、小屋の人に呼ばれて裏で話をしているのを見てね、数珠を買ってくれたから、今夜等々寺に来るように。そこで梅の介に会わせてやるって。その人、数珠の前には、浮世絵だとか、紅だとか、いろいろ買っていたのでね、よく買う金があるね、って話しかけたのさ。そしたら、怪鴟よたかやって稼いだって。その人いたのさ。その人はすでに虫の息でね、なんでここにいるんだ? って聞いたら、

 あの夜、等々寺に行ったら、梅の介もいたけれど、ほかにも数名女が居て、キセルをやっていて、一緒にどうかと誘われて、それを吸ったら、気持ちよくなって、気づいたら船に乗せられてここに来てた。あの時いた女たちはみんな死んだ。

 って言ってね、翌日には死んでた」

 おしまはそう言って唇をかんだ。

「芝居小屋と、等々寺が女をかどわかしていた。というんだな? 他の女もすべて?」

「そりゃ解らない。話せたのは、真咲さんとその人だけ。そういえば、一人泣いていた人が言うには、長崎屋で買い物をして外に出たら気を失って、気づいたらここに居たって言ってた」

「長崎屋で買い物した後に? 何を買ったんだ?」

「わからないけれど、だって、泣いて、泣いて、ただ、朦朧として言ってるだけだったから、でも、真咲さんが言うには、

 あの娘さんたちは、長崎屋で飴を買ったそうよ。それは梅の介の好きな匂いが出る飴で、それを店を出てすぐに舐めて芝居小屋に行けば、体中から匂い立つって言われたって言ってた」

「あめ? 飴玉一つで気を失うのか?」

 岡 征十郎が詩乃を見る。詩乃は頷いた。

 運び屋と坊主が格子を叩いて、大声を上げ続けている。外で人がその騒ぎを聞いて集まってきているようで笑い声が聞こえる。

 運び屋が頷いたので、詩乃が息を吸い、「いい加減にしろ! うるさい男どもだね、黙れって言ってんだろ!」と怒鳴った。

 店の前で笑い声が上がり、運び屋と、坊主店先にしょげて出てきた。

「なんでぇ、番頭や薬師だけ金もらえるなんて、」

「お前はネコババしてたんだろ?」

 と続けている。運び屋はその時、辻の向こうに消えていく男の影を見つけていた。―要するにあの男も「新さん」、芝居小屋の一味なのだろう―


 おしまに興奮を抑える薬を飲ませて眠らせ、薬屋と番頭、運び屋、坊主はそれぞれ帰っていった。

「つまり、女たちは長崎屋、芝居小屋、等々寺を介して集められたということか?」

「そういうことだろうね」

「なんのために?」

「長崎で売るんだろうねぇ」

「なんで長崎くんだりで?」

「長崎にはそれを買う人がいるからさ」

 岡 征十郎は眉をひそめた。

「外国に売るのか?」

「高く売れるんだとよ、日本人は従順だからね男に」

 詩乃がキセルを高く燻らせる。

「いや、しかし、え?」

「独り者の女、誰も探さないような女を連れて行けば、元手がかからない上に発覚するまで時間がかかる」

「それにしたって、何人もの独り身の女が消えたら、」

「今だって探してないじゃないか。いや、探しているだろうが、ほれ、見つかってるだろ、小菊姐さんたちのように、途中で暴れたか、その秘密を探って殺されたかした人が。それでおしまいだよ。それ以上は、多分、男ができてそこへ行っているんだろう。ってことで片付けているはずだよ。だって、無差別すぎるだろ? 似たような女じゃない。共通しているのは独り身だってことだけ。後は、行き遅れた娘だから、親は何も考えずに嫁に出した。可能性もあるけどね」

「嫁に出す?」

「あんたに頼まなきゃいけなかったんだが、忙しさに紛れて、忘れちまってたんだ。もしかすると、もっと早くに言っていれば。悔やまれるけど。実は、田崎 真咲さんを探してほしいと言われていたんだ。真咲さんの父上は元長崎奉行 開港掛与力で、一年前ご禁制品の横領で切腹させられている。真咲さんはその処分や事実に納得がいかず探っていたらしい。女一人が探ったところで、本当が解ったところで男子の居ない家だから、お家再建は叶わないだろうし、ただ、父親の名誉は守られるが、それもね」

「田崎 真咲と言えば、さっきの?」

「多分、同一人物だろうね。武家の娘で、石床に正座し続けたって剛毅な人らしいからね。長崎の商人が見染めて嫁にしたいと言ってきたって。病弱の母親が到着したかどうかだけでも知らせてくれと文を送ったら、知らないという文だったらしい。長崎へ確認に行くこともできないから、あんたに調べてもらってほしいと言われていたんだ」

 岡 征十郎はそう聞いて腕を組んだ。半月ほど前だった。ということも併せて聞いて、唸って、

「正直、半月前に聞いて動いたかと言えば、動いたとは言えないな」

 と、ぼそっと重く言った。

「その話だけで動くほど何の手掛かりもない。女の足じゃぁまだ着いていないのかもしれないし、その店の処間違いじゃないのかと、言っていただろうなぁ」

「今なら動くかい?」

「おしまの話が本当であるならな。だが証拠がない。長崎屋も芝居小屋も大して怪しいことはないんだ」

「そうだね、あたしも行ったけど、」

「お? お前が行ったのか? 動くのが死ぬほど嫌で、人を顎で使うお前が? 嵐が来るぞ」

 詩乃は「うるさいねぇ」と岡 征十郎の腕を叩く。

 襖越しにおしまと傀儡師が聞いていた。おしまが傀儡師に目配せをし、傀儡師は唇に指をあててほほ笑んだ。

「あの店に一人嫌な目の男が居たけど、それだけだった。店の中に変わったものはなかった。確かに、南蛮商品らしく、珍しいものが多かったし、値段も高かった。でも、店のつくりは普通だった。芝居小屋だって、行脚興行している芝居小屋特有の雑さがあったし、変わった作りじゃなかった。多少、怪談モノをするから、外の光が入らないように壁に布をかけて目隠しをしていたけれどそれだけだ。いやな目のやつが二人いたぐらいかぁ。後は、別に何もなかったね。……等々寺。……等々寺には、確か……そう、最近つぶされた藩の菩提寺で、塩崎という寺守の侍がいるとか言っていたな」

 詩乃が言うと、岡 征十郎が眉をひそめた。

「最近、お取り潰しにあったところはないぞ。等々寺には行ってないのか?」

「ああ、門が閉まっていた。飯炊きの言うには日に四度読経し、その元お抱えだった塩崎という元武士と、住職と、見習いが数名居るらしい」

 岡 征十郎はため息をつき、傀儡師や、運び屋が収集した情報を書いた紙を手にする。棚卸だと言いながら書いたものだ。

 独り身の女が傀儡師の調べただけで十数名。名前と歳と長屋の名前が書いてある。どういう女だったの詳細はそれぞれで、一人は、容姿や仕事、こまごまと書かれている時もあれば、女。としか書いていないときもあった。それはその長屋での人付き合いを現わしていた。

 運び屋が調べていたのは、長崎屋の荷物の行き来だった。長崎屋は大江戸に荷物を入れる同量の大江戸の荷物を長崎に送っていた。荷物は船を使って沖に停泊している長崎屋の船で運ぶようだった。

 長崎から来る品は、小間物が中心で長崎屋の店頭で売っている物ばかりだった。その反対に大江戸から贈られるものは、浮世絵や掛け軸だが、その量がものすごい。長持ちに三十も四十にもあるときもあるという。

「多分、この中に女が入れられているんだろうな」

「多分ね。気づけば船だと言っていたからね」

「荷あらためをしているはずなんだ」

 岡 征十郎は苦々しい顔をした。

 詩乃は何も言わずにキセルを燻らせる。

 岡 征十郎の中では、役人は正義だ。悪だくみや、悪行をする連中は役人や武士の中にはいない。と信じている節がある。とはいえ、そうでないことも理解はしている。理解はしているが、やはりそれでも、と信じているのだ。特に、荷検めをする役人などは岡 征十郎の同期の連中も中に入るだろうから、仲間を疑いたくはないのだろう。

「調べてみる」

 岡 征十郎やっと出た言葉だった。

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