第9話 十五夜お月さん、雲隠れ(4)

 更科尼は微笑みを浮かべている。詩乃は苦々しく、

「それじゃぁ、最初から。その前に、その方のお名前を教えてくださいな」

「言わなかった? 篠塚、」

「それは気をもんでいる方でしょ? じゃなくて、行方不明の方の名前ですよ、」

「あぁ。……何と言ったかしらね?」

 詩乃を迎えに来た白髪の男が外廊下から、「田崎 真咲まさき様です。田崎 勘兵衛かんべえさまのお嬢様です」と答えた。

「そうそう。田崎様。以前、長崎奉行、開港掛与力をなすってたんですけど、不祥事を起こして切腹。奥様とお嬢様は奥様の実家に移られて、細々と生活をしていたのよ。そりゃぁねぇ。主人が不祥事を起こして切腹した家族ですもの、以前のような贅沢はできませんよ。でも、篠塚様が言うには、田崎様は真面目で、勤勉で、不祥事、つまりね、ご禁制の品などの賄賂を受け取っていたというのよ。そういうことをする人ではないと。家探しの際に、ご禁制の真っ赤なガラスの水差しが一個出てきたけれど、たった一個が証拠として扱われるのもおかしい。そのうえ、それを調べに来た役人が、今では、その長崎奉行、開港掛与力になっているのが気に入らないというのだけど、そういうものでしょ、世の中って」

更科尼の言葉に詩乃が片手をあげて制するが、話は止まらない。

「男の世界ですからね、男っていうのは出世欲があるでしょ、足を引っ張るのもよくある話だし。ここぞとばかりに働けば覚えもいいし。でも、女ほど利口じゃないから、いつも失敗しますけどね」

 高笑いをしてやっと、詩乃が片手をあげているのに気付き、

「何?」

 と聞いた。

「整理していいですか?」

「整理? 何を?」

「蘭子さんの友達は、篠塚様。その篠塚様の幼馴染が、田崎様。ですね? それで、その娘さんの真咲様が、長崎に嫁がれたけれど、向こうはそんな事実ないという。それで、あたしのに、田崎様の娘さんの行方を捜してほしいと頼めって話ですね?」

「そうよ、そう言ったでしょ」

 そうですね。と詩乃は嫌そうに顔を背ける。

「長崎、ねぇ」

 詩乃がつぶやく。ここでもまた長崎だった。どうにもこうにもこの夏は長崎尽くしのようだ。

「遠いわよねぇ。はおいしいけれど。行くのならお土産に買ってきて頂戴ね」

「行きませんよ」

 詩乃は即答する。

「それで、その田崎様のお父様はいつお亡くなりに?」

「さぁ? 空蝉うつせみ? いつだったか覚えているかい?」

 外廊下の白髪の男、空蝉が「ちょうど一年でございます」と言った。

 更科尼は茶菓子の練り餡を美味しそうに食べている。

「そのお嬢さんに縁談が来たのは、向こうが是非にって話だったって?」

「……さようでございます」

 詩乃が空蝉のほうに膝を向けて話すので、空蝉は膝をずらし、額と膝小僧だけが障子から見える場所に移動した。

「お嬢さんはいくつだい?」

「27歳です」

「……どうだろうね? 落ちぶれた武家の娘を嫁にもらいたい? と思うほど性格がいい娘なら、若いころに行き手はあっただろうに、27になるまで貰い手のない女を見染めるような何があったんだろうかね? 相手は商人?」

「そう聞いておったようです」

「商売をするのに、武家の娘を嫁に欲しいと思うかね? いくら落ちぶれたとはいえ、一年そこらでは、まだまだ武家の娘だ。商売なんぞできるはずがないだろ? それに、いつ、見染めたっていうんだろうね? 商売人が、」

「真咲様は男に負けず勉学ができるご様子で―それで行き遅れたようでございますが―お家が失脚したのち、お父様の処遇に納得がいかず、方々でいろいろとお調べになっていたようです」

 詩乃が嫌そうに天井を見上げた。

「なんだろうねぇ、その人が調べちゃいけないことを調べて、連れていかれちまった。なんてことはないよね?」

「あら、もしそうだとして、女が一人調べたことでどうなるというのです? お父様はすでにおらず、男子がいる家ならばお家復興はありますけど、女しかいないのよ? もし、無実だとしても無実だったわねぇで済まされるでしょ?」

「……そうですね。だとすると、居無くなる理由がありませんね?」

「だから、お母様は床に伏してしまって、篠塚様は思い詰めているその方を不憫がっているのよ。お前のに頼んで、一、二もなく調べるように言ってちょうだいな」

「良い人って、」

 詩乃はそこだけ苦々しくつぶやき、そうします。と言って退席した。

 空蝉が六薬堂まで送ってくれることになった。提灯の明かりをちゃんと足元に照らし、歩調を合わせている。白髪頭だが身のこなしは軽く、今まで一度も草履の音が聞こえない。

「もうね、飽きたよ」

 詩乃がため息交じりに言う。

「飽きましたか?」

「蘭子さんにじゃないよ。あれは、飽きるより、呆れるだから。

 このところね、長崎という言葉ばかりがあたしの周りをまわっているんだよ。うろついてんのさ。もう、いい加減にして欲しいくらいね。で、とどめとばかりに蘭子さんから聞くと、どうにもこうにも、全てが長崎でつながっちまってるだろ? いやだなぁと思ってね」

「さようでしたか、」

「お前だって少しは調べたんだろ?」空蝉は小さく頷く。「じゃないと、蘭子さんがあたしを呼ぶわけないからね。調べても、どうしようもないから、あたし経由で、岡 征十郎を動かそうとしているんだろ? まったくねぇ。あの人も人使いが荒い」

 空蝉が少し顔の筋肉を緩めた。固まった柔和な笑顔は作り物だ。見知らぬものはその顔に安心させられるが、知っている詩乃や、番頭にとっては、この笑顔にゾクッとする時がある。

「田崎 勘兵衛さまは本当にまじめな方のようです。当時のお目付け役様の覚えよろしく開港掛与力職を賜り、なかなかいい働きをしておったそうです。ですが、一年前、田崎様が休職の時―二人で半月交代で仕事をする―田崎様宛の荷物の中にご禁制のブドウの酒が入っておったそうで、家宅を捜査しますに、花瓶が見つかったと」

「一個?」

「そうです」

「一個って、変な数だね」

「まことに。それを見つけましたのが、現在の開港掛与力筒井つつい 昌内しょうないさまでございます」

「筒井 昌内。それで?」

「その功績を認められ、戸梶とかじ 源勝げんしょう様より、役を配したということです」

「戸梶、戸梶、……お目付け役だね? 確か、お目付け役になって一年少し?」

「さようです」

「お目付け役が変わってすぐに大事件か」

「筒井様の江戸宿が、等々寺でございます」

 詩乃が嫌そうな顔をして立ち止まった。

「等々寺って、」

 空蝉が頷いた。

 夜の風が酔っ払いの声を運んでくる。

 詩乃はため息をつきながら空蝉に送ってもらって六薬堂に入った。

「暑い。はぁ、暑い」

 水瓶に杓を入れる。

 ―そうは言うけどね、いくらの岡 征十郎だってお目付け役を捕まえられないだろうに―詩乃は水瓶をばしゃっとかき混ぜ、杓を放って蓋をした。


 更科尼のところから戻って、岡 征十郎に話す暇などないほど忙しい日々に追われ、独り身の女の行方不明の話しも、米屋の女中おみつの逃亡話も、すっかり話題に上らなくなった九月も半月が過ぎたころ。すっかり秋風が吹いて、あの夏の暑さが嘘のような風が吹くようになった。

 詩乃も、「暑い」を連呼することもなく、気持ちのいい風におかっぱ頭をゆらしていた。

 それでも日中はまだ日が強く、通りに影が差してきたころ、番頭が打ち水をするのは変わりなかった。埃っぽいにおいが店内に入ってくるが、詩乃はこの匂いが嫌いではなかった。

「し、詩乃さん!」

 番頭の慌てた、ヒステリックな声に顔を上げる。

 番頭が見知らぬ何かを肩に担いで入ってきた。暖簾が動き、通りの向こうを何かを探して走り回っている男たちが見えた。別に関係ないかもしれないが、とっさに「あれ」を探していると思った詩乃は小上がりから飛び降りた。

 間を開けずに男が三人店に入ってきた。

 詩乃は薬棚の小上がりに上がって薬の引き出しを開けているところだった。番頭は勝手口から湯呑を盆にのせて入ってきた。

「いらっしゃいませ? あ、あの?」

 男たちは無粋に店内を見渡し、「女が入っていくのが見えた、隠すと為にならねぇ」とありきたりなことを言った。

「女? まぁ、居ますが、病人なんでねぇ」

「どこにいる?」

 男たちが凄みを見せ、小上がりの奥の襖を見つける。

「あそこか?」

 そういうなり、小上がりに上がって襖を開ける。

「ちょいと、草履ぐらい脱ぎなよ。それから、その人は、」

 詩乃が言うのを一人の男が制止、もう一人が番頭の前に立ち、一人が詩乃の私室である四畳半の部屋で寝ている布団をはぎ取った。

「い、いやぁ」

 えらく美人な女が赤い下着姿で寝ていた。

「し、詩乃さん? こいつら、何ですか?」

「もう、その人は風邪こじらせてうちで経過見ている人でね、下手すると移っちまうよ。ったく、人の部屋に土足で入って汚しやがって」

 詩乃が男たちを睨みつける。

「だが、さっき、この男が抱えて入った、」

「はい? 抱えて? あ、あぁ、その庇の一枚が落ちてしまってね、もうボロボロで、大きくて抱えきれないんで、詩乃さん呼んだんですけど、全く手伝ってくれなくて、」

「そんなの、番頭の仕事だろ?」

「そうは言いますけどね、これだけ大きいと、」

 番頭と詩乃が言い争っているのを三人は顔を見合わせて、鼻息荒く出て行った。

「ちょっと掃除して行ってよ」

 詩乃の声が追いかけるが、男たちはさっと散り去っていった。

「なんだい人の店を荒らしておいて、番頭塩! それから戸をお閉め、病人が寝ているってのに無粋な連中が戻ってくるとかなわないよ。さぁ、もう落ち着いて横になって」

 騒ぎで人だかりができている中、詩乃は布団をはぎ取られた女を奥の間に寝かせ、「まったく、まったく、まったく!」と怒りながら土足の後を雑巾で拭いていた。

 番頭は塩をまき、戸を閉めるにはまだ早いとか、もう戻ってこないだろうとか反論していたが、

「もう、仕事する気ない!」

「それはいつものことでしょうに。本当にもう、じゃぁ、戸を立ててますが、御用の方は読んでください。と紙を貼っておきますよ」

「お前が対応しろ」

「いつもしてますよ」

 番頭は不承不承に口をとがらせ紙にそう書いて戸に貼り、番頭台横の格子窓だけは少しずらして外を見るように座った。

「おや? もうおしめぇかい?」

「いや、うちの詩乃さんがね、乱暴ものが来て、小上がりに土足で上がられたのに怒っちまいましてね」

「あぁ、それで閉めてんのか、詩乃さんらしいや」

 常連や近所の人がそういて笑って通り過ぎる。番頭は「御用があれば、私はここにおりますのでね、腹痛、腰痛のお薬お売りしますよ」というと、店の奥のほうで、「うるさい!」と詩乃の声がする。通りはそれにくすくすと笑い声をあげ、六薬堂らしい。と行き交っていった。


 だが、番頭が戸を閉め、番頭台に上がった途端、番頭台の隅、衝立もなく、番頭が羽織をかけている下に蹲っていたを詩乃と、傀儡師とで抱きかかえると私室の布団に寝かせた。

 先ほど番頭が抱えてきたのは紛れもなくおしまで、駆けずり回っている男の姿を見た詩乃が、番頭台の隅に掛けてあった番頭の派手な羽織の下に蹲らせて、微動だにするなと言い、ちょうど来ていた傀儡師に女になって布団にもぐらせていたのだ。

 人間というのは、とっさの時には思いもよらぬ力が出るもので、この動作を無言のまま三人はあっという間に行い知らぬふりしてそれぞれの位置についていたのだ。

 おしまは動くな。と言ったが、動けるような状態でなかったので、気力さえ途切れなければいいと詩乃は気が気じゃなかった。だが、おしまの気力は相当なもので、布団に寝かされるまではっきりと意識を持っていた。

「とりあえず、体を拭くよ」

 そう言って水に浸した手ぬぐいで腕を拭いてやると、おしまは「気持ちがいい」って意識を失った。

 おしまの意識が回復したのはすっかり夜だった。

 番頭はいつものように帰っていった。気にはなったが、毎日通いなので泊まるわけにもいかなかった。それは用心のためなので、相当心残りのような顔で帰っていった。

 おしまが何とか必死で起きようとしているような顔をしかめ、しばらくして目を開けたが、片目しか満足に開いてなかった。体を拭いていて顔面には殴られた後、体中にどこからか転げ落ちてできたような痣や擦り傷なんかがあった。骨を折っているような個所は見られなかったが、しばらく食事はしていなかったようだった。

 傀儡師が重湯を口に運んで、落ち着いたころ、おしまがはらはらと涙を流した。

 詩乃はキセルを加えていたが火はつけていなかった。

「落ち着いてからでいいよ。あたしじゃなく、役人がよけりゃ、信頼できるやつを呼ぶ」

 おしまは唸って顔を両手で覆い、声を殺して泣く。傀儡師がおしまの側に寄ってその背中をさする。詩乃は―ああ云うことができるから、傀儡師は女に見えるんだろうなぁ―とぼんやりとその姿を見ていた。

「ごめん、なさいね。あんた、風邪こじらせてるんだろ?」

 おしまはこの期に及んで傀儡師を気にしていた。傀儡師は微笑み「あたしは病気なんてしちゃいませんよ。お芝居ですよ。お芝居」と笑って見せた。それにおしまは安心したのはふと力を抜いて、眠った。

「緊張と、痛みと、疲労と、いろんなもので、眠たったんだろうね。目が覚めるってこと自体がすごいよ」

 詩乃はそう言って首を左右に動かす。

「詩乃さんも眠ってくださいな。あたしが起きてますから」

「そう? じゃぁ、そうする」

 そういうが早いか詩乃はそのまま横に倒れ、そのまま眠った。

「早いなぁ」

 傀儡が低い男の声を出すと、詩乃の腕が上がり、傀儡師を指さした。傀儡師は右手で口元を隠し「失礼」とつぶやいた。


 おしまがちゃんと起きれたのはそれから三日後だった。

 その間六薬堂は営業していたし、店の中はいつもの番頭と詩乃だけ。私室の襖はいつだって閉めている。常連や、近所の人が証言するが、あの奥が開いているところは見たことがない。なんせ、詩乃さんの部屋なんだから、開いているわけがない。と別段普段と変わらない風景だった。

「ちょいと、詩乃さん!」

「おや、珍しい、薬屋。どうかしたのか? お? 三人がそろって、珍しい」

 六薬堂に薬屋、運び屋、坊主がそろってやってきた。三人ともがなぜだか怒っている。

 詩乃は相変わらず両足を投げだし、キセルを燻らせている。

「どうかしたとはずいぶんじゃないですか、」

「だから、何だと聞いてる?」

 詩乃の言葉に薬屋が懐から紙を取り出し、小上がりにたたきつける。

「私はね、ちゃんと、胃薬30、湿布を45、それと新薬、二日酔いのやつですよ、あれを作ったんですよ。ですのに、なんで給金が1両もないです? おかしいじゃありませんか」

「金は運び屋に渡したよ」

「俺は、番頭に」

 運び屋が番頭のほうを指さす。番頭は手を振り、

「私は詩乃さんからいわれた通りに計算してお渡ししましたよ、」

「おいおい、一両やて? 俺んところは無縁仏引き受けて荼毘だび代だのビタ一銭もらってまへんで」

「そりゃ、坊主はお布施が入るでしょうが?」

「んなわけないやろ、この店から無縁仏の始末代が来ませんで、運び屋に聞いたら、詩乃さんが出し渋ってる言うから、」

 目の前の男連中がわんやわんやと騒ぎ出し、詩乃がキセルを打ち付けて、「うるさい」と怒鳴る。

「珍しいなぁ、大盛況じゃねぇか」

 そう言って岡 征十郎が騒ぎを聞きつけて不信顔で入ってきた。

「やっぱり、この店はいろいろと胡散臭いと思ってたんだ」

「冗談じゃないよ。……、番頭、勘定するから、今日はもう店じまいだ。ついでだ、棚卸もする。岡 征十郎あんたも手伝え」

「なんで俺が、」

「どうせ暇なんだろ? じゃなきゃ、うちの店にのこのこ顔をださないだろ。それに、お上の前でうそを言えるほどの度胸があるとも思えないし、うそを言っていたら、その場でしょっ引いてもらうためよ。

 さて、まずは、薬の在庫から、帳簿と合わせておくれ」

 詩乃がそういうと、番頭と薬屋は、薬店のほうに上がって帳簿と薬を照らし合わせる。坊主と、運び屋が、商品代に乗っている小物類を数える。

 「すみません、」と客が来たら、「すまないねぇ。棚卸の最中なんだ。番頭、そう書いて貼っといて」と詩乃が言う。

「岡 征十郎、あんたの出番まで、まぁ、ここで茶でもどうぞ」

 と詩乃が小上がりを叩く、岡 征十郎は苦々しい顔と、文句を言いながら小上がりの方に腰かける。

 番頭たちが、あれがいくつで、これがいくつで、それじゃない、そっちだ。など大騒ぎをしながら帳簿と顔を合わせ、何とか終わったころ、話し合いをするべく店を閉めた。

 運び屋と、坊主が番頭台のほうに座り、金だ金だ。と騒ぐ中、詩乃が襖を開けた。

 岡 征十郎はそこに寝かされていたおしまを見て少し体を後ろに仰け反らした。

「これはひどい」

 薬屋がぼそっと言った。

 顔面の殴られた跡が何とか治りかけて黄色い部分と、まだ紫のままとで、なんとも言えない顔をしていたのだ。見せれる限りの場所と言って、袖をめくった腕も、打ち身や擦り傷やらで到底女の腕には見えなかった。

「この、女が?」

 岡 征十郎のもとに傀儡師が来たのは、見回りをしている最中だった。詩乃が至急の用があると、ただし、見張られているので、少々芝居をしているので話を合わせろ。ということだった。

 何をしているのか解らなかったが、六薬堂に近づくと、一人、見知らぬ男が角に立って六薬堂を見ていた。この男を縛ってもいいが、なんで見張っているのか解らないし、六薬堂のような薬屋を見張る理由が解らなかった。

 六薬堂に近づけば、給金が未払いだと大騒ぎをしている。なるほど、これに合わせろというのか? と思いながら、常日頃思っている、「この店はやっぱり怪しい」と言いながら入って、そうこうとそのまま居座る羽目になったと、迷惑な顔をして小上がりに座った。

 番頭たちが棚卸のチェックをして、終わった紙を小上がりに置いていく。それに詩乃が目を通し、「ちゃんとあってるだろ?」と岡 征十郎にも見せる。

 その紙には「奥の座敷におしまが寝ている。おしまは少し前に長崎に駆け落ちをした女だが、三日前にボロボロになって帰ってきた。殴られた跡がある。駆け落ちの相手が、南蛮芝居小屋の新さんとかいう男だが、芝居小屋にはそう言った男はいないという。話を聞くために、ちょいと呼んだ」ということが書いてあった。

 運び屋と、坊主が交互に納得したり、反論したり、格子を叩いたりしている。運び屋がにやにやと笑いながらやっているのを見ると、外で聞き耳を立てているのだろう。

「おしま、か?」

 岡 征十郎の言葉におしまが頷く。

「いったい、どうしたというんだ? 駆け落ちした先で殴られたのか?」

 岡 征十郎は優しく問うた。その言葉におしまはボロボロと涙をこぼし、

「駆け落ち? そんなんじゃなかったんだよ。あたしは、なんてバカなんだろうねぇ」

 そう言って顔を覆った。

 泣き治まると、おしまはぽつりぽつりと話し出した。







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