エボルブルスのせい


 ~ 七月六日(金) 母親と子供 ~


   エボルブルスの花言葉 ふたりの絆



 『早く大人になりたい』



 俺たち高校生が、手を空に伸ばして掴もうとするチケットは。

 勉強という苦難から逃げ出すための片道切符。


 そんな言葉を聞いた大人たちは、鼻で笑い。

 口をそろえて同じことを言う。


 『出来ることなら学生に戻りたい』


 この事象は、お互いが現状与えられた幸せを当たり前のものと錯覚して。

 足りないものを欲するがゆえに起きること。


 だから、大人たちよ。

 鼻で笑うなかれ。


 俺たちは望むのだ。



 ……テストの無い世界を。



 ~🌹~🌹~🌹~



 やっと終わった期末テスト。

 俺たちはあと何回。

 この惨苦さんくと戦わなければいけないのでしょう。


 とはいえ、かりそめの平和ではありますが。

 しばらくはのんびり過ごすことが出来そうです。

 

 しかし、そんな俺たちの羽目も、素直に外させてはもらえず。

 よりによって、テスト終了と同時にロングホームルームが行われておりますが。


 クラスの有様を一言で表すなら。

 『気もそぞろ』。

 とっとと学校を飛び出して、翼を限界まで広げたいのです。



 まあ、テスト期間ではバイトもできず。

 派手に遊ぶには懐具合が厳しいのですけれど。


 ……大人になれば。

 お小遣いも派手に使えるようになるのでしょうか?



 『早く大人になりたい』



 テストもなくて。

 好きなことにお金を使えて。

 家でゴロゴロしていても、勉強しろと追い立てられることもない。


 なんて幸せな世界。

 妄想が膨らみます。


 ……お金をためて。

 自分の家に住んで。

 そして仕事から帰ってくると…………。


「お疲れ様なの」

「うおうい!? ななな、なんです? びっくりさせないでください!」

「こっちがびっくりなの。道久君、どうしたの?」


 ホームルーム中だというのに教室から出て行ってしまった自由人。

 ドアを開くなりおかしな挨拶をして、俺を動揺させた女の子。

 彼女の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はサイドに大きく結わえて。

 そこにエボルブルスを巻き付けているのですけれど。


 アメリカンブルーという別名通り、鮮やかな青いヒルガオが。

 まるで俺たちに、夏の始まりを教えてくれるよう。


 そんな、夏を運んできた妖精さんへ。


「こら! ホームルーム中にどこへ行っていたんだ!」


 当然のように、先生の雷が落ちたのですが。

 こいつは謝る気も無いようで。

 口に指を立てて、しーなどと言いながら。

 廊下にいる誰かに声をかけています。


「静かにするの。ぴかりんちゃんが驚いちゃうの。ねー」


 穂咲が声をかけた扉の影。

 そこからびくびくと顔をのぞかせたのは、小さな小さな女の子。


「可愛い!」

「二才くらい? 女の子?」

「静かにするの、驚いちゃうの。しーなの」


 穂咲が再び指を立てると。

 クラスの大騒ぎは一瞬で収まりましたが。


 それでも、女の子は怯えた様子で。

 扉にしっかりと掴まったまま動こうとしないのです。


「大丈夫なの。怖くないの」


 穂咲の言葉に合わせて。

 一同そろって、ぶんぶんと頷くと。


 二才になったばかりくらいでしょうか。

 小さな小さな女の子が、穂咲の手をぎゅうっと掴んで。

 よちよちふらふらと歩きながら、教室へ入ってきました。


 そのかわいらしさたるや。

 騒いではいけないと分かっていながらも、黄色い悲鳴がそこかしこからあがってしまうのも納得なのです。



 …………が。



 みんな、落ち着いてください。



 この状況、変。



「……穂咲? その子はどなた?」

「ぴかりんちゃんは、ひかりちゃんなの。ご挨拶も出来るの」

「いや、そういう話ではなく」


 どなたのお子様なのか。

 そもそも、なんで君が連れて歩いているのか。


 聞きたいことはそういうことでして。

 ひかりちゃんのお名前を聞きたかったわけじゃないのですけど。


 でも、そんな俺の願いもこいつに届くはずはなく。

 さっきから、怒ったものか無視するべきか葛藤する先生に並んで立つと。

 ひかりちゃんをこちらへ向けて、得意のご挨拶とやらを促しました。


 すると、おどおどとした様子からは想像もできないほど。

 元気いっぱいなご挨拶が飛び出しました。


「あいかわひかりです! にさいです!」


 黄色い歓声ばかりでなく。

 男子からも、超かわいいと声が漏れて。


 にわかに騒々しくなった教室ですが。

 それがぴたりと止まります。


「ん?」

「あれ? 今、なんて?」

「……藍川?」

「えっと、妹じゃないわよね? どういうこと?」


 クラスの皆さんに、一斉に見つめられたひかりちゃん。

 怖くなったのでしょうか。

 穂咲の足に体の全部でしがみついて隠れると。


 今にも泣きだしそうなタレ目で穂咲を見上げながら。

 衝撃的な言葉をつぶやきました。


「まま!」

「なあに?」




『えええええええええええええええええ!?』




 全員が席を立って上を下へ。

 慌てふためき右往左往。


 史上最大の大パニックに、先生すら腰を抜かしていますけど。

 みなさん、違うのです。


 ……今の一言で思い出しました。

 君の姪っ子、大人のことをだれでも『まま』って呼んじゃうのでしたよね。


「おじさんの弟さん、まーくんのとこの娘さんですね?」

「そうなの。今夜まで面倒見なきゃなの」


 席を立って、初めましてとひかりちゃんに挨拶すると。

 この子は、俺のズボンに両手でしがみつくのです。


 まあ可愛い。

 まるで天使のよう。


 ……それに引き換え。


「みんな揃って騒がしいのです。この子は穂咲の姪っ子で…………、聞いちゃいませんね」


 誰一人として俺と穂咲の会話を聞いていなかったようで。

 未だに教室は大混乱なのですが。


「はっ!? 気づけば穂咲ちゃんの子供が道久に懐いているぞ!」

「ま、まさか、秋山のことパパとか言い出さないわよね!?」


 このセリフに、今度は水を打ったように静まり返って。

 ごくりと固唾を飲んで見つめるみんなの視線の先。

 ひかりちゃんは、俺を見上げて声をかけてきました。



「……まま!」



『えええええええええええええええええええええええええええええええええ!?』




 …………だーいぱにーっく。




 頭を抱えておろおろする人。

 口を開いたまま呆然とする人。

 あと、出席簿を慌てて確認してる先生。


 俺がママなわけあるかーい。


 ……まるで学校が口を開いて大声を上げたような騒ぎになってしまいましたが。

 絶対、ご近所からクレームが入ることでしょう。


 これで今日もまた、関係各所への謝罪行脚が確定です。



 ……テストは終わったというのに。

 俺は一人、肩を落として校長室を目指しました。


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