四日後 -1-

 目が覚める。最初に飛び込んできたのは、穴の開いた木の天井だった。雨が降っているのだろう。雨粒が通り抜けて、辺りを濡らす。まるで霧がかかったかのように、なにもかもがぼやけている。

 

 ここはどこだろうか、おぼろげに考えつつ、身体を起こす。どこもかしこもが痛かった。頭の中から、足のつま先まで。口の中も、身体の中さえも、痛んでいる。



……ここはどこだろう?



 寝ていたのは、粗悪な麻布が敷かれただけの木床の上だった。周りを見る。窓はない。それでも外の様子が見えるぐらい、壁は荒れていた。どうやら森の中のようで、木々が少し遠くに見える。それとろくに整備のされていない小さな道と、小さな看板がひとつ。見覚えはない。


 痛む頭。それでも我慢して頭を動かす。



……どうして、私はところに?



 思い出すことができない。なぜ私はこんなところで寝ているのか、こんなにも身体が痛むのか、記憶がない。



「くしゅっ!」



 くしゃみをひとつ。ようやく、衣服がかなり乱れていることに気がついた。

身体が痛むのと、なにか関係があるのだろうか。濡れた衣服。はたしてその原因は、本当に雨だけなのだろうか。



……誰かいないだろうか。



 とりあえず、乱れていた衣服を着なおす。少し不快な臭いがする。けれども、今はこれ以外に着るものは見当たらない。まだ乾ききれぬ血の痕も見える。かなり汚れている。私は何をされたのだろうか。



……酷く頭が痛む。



 でも何かできるわけではなく、大きなため息をひとつ漏らし、頭を垂らす。ここはどこだろう。なぜ私はここにいるのだろう。



……そもそも、私は誰なのだろう?



 -----



 あれから四日目。足指の骨が折れるぐらい探し回ったけれど、結局はあの方を見つけることができなかった。どこに連れて行ったのか。誰に聞いても、わからないとだけ返ってくる。


 嘘に決まっていた。私にだけ知らされていないのだ。


 私があの方を大事に思っていることを、皆が知っているから。あの方は今や、大事な人質である。それなりの名を持つ貴族の、ひと令嬢。もうその貴族はなくなったけれど、けれどもその娘を見殺しにしたとなると、他の関係のある貴族の名が廃ることになる。


 だから、あの方は利用されているのだ。だから、私が助けなければならない。その為には色々な手段を講じた。なんでも利用した。食べる間も、寝る間さえも、自分の身体でさえも惜しみ、蔑ろにして、あの方を探し回った。遠くには連れて行かれていない、そんな確信だけがあった。きっと、この町の近くにいる。


 町の中か外か、わからないけれど。



 その日は雨が降っていた。あの方が連れ去られて、五日目の朝だった。町中はすべての場所を見て回った、はずだった。それでも見つけることはできない。もしかすると、見て回っていない場所があるのかもしれない。だから今日は最初に探した場所から探すつもりだった。


 認めたくなかった。あの方はもう手の届かない場所にいることを、信じたくなかった。



 -----



 協力してくれる人はいなかった。誰しもが敵に見えた。敵でないとしても、誰かが協力してくれるとは思えなかった。この町の人々にとって、あの方は敵なのだから。

だから独りで探していた。独りでも、探すことができると思っていた。



「無茶をするよね」



 そう声をかけられても、無視をした。あの預言者と自称する少年の声だった。



「つれないね」



 足は止めず、むしろ早める。その声の主さえ視界に入れたくない。声さえも、本当ならば聞きたくはない。でも聞いてしまう。頼ってしまう。イヤなのに。


 次第に足が鈍くなる。水の中のように。鉛のように。



「……予言、しようか?」



 その声を聞いて、足を止めてしまう。けれどもその声の主のほうへと顔を向けることはない。精一杯の強がりだった。



「良いよ良いよ、誰にも頼りたくないんだろ?」



 まったく同じ声。なのに、なんだろう。妙な違和感がある。まるで二人で会話しているかのように。



「でも、おにいちゃん……かわいそうだよ」



 おにいちゃん? 本当に二人、いるのだろうか。でも同じ声。まったく同じ声が、二人いる? 考え込む。なぜだろうか、と。笑い声が独りぶん、後ろから聞こえる。



「気になるだろ?」



 これが一人目の、お兄ちゃんと言われたほうの声。



「協力したいんだ、おねえちゃん。だからおねがい」



 これがもう一人の、預言者の声?ついに好奇心が勝り……振り向く。まったく同じ姿のあの少年が二人、そこに立っていた。



 -----



 悪いとは思っている。でも、僕たち二人のためだ。ゴメンなさいとは言わないし、お詫びをするつもりはない。でも彼女に手を貸すのは、あいつらの所業が許せないからに他ならない。


 あの子には乱暴をしないといったのに、あの有様だ。何もせず、彼女に譲り渡すと約束したのに、この惨状だ。だから彼女に手を貸すことにした。弟もそれを望んでいる。



「信じろ、と言うの?」



 その言葉も当然だろう。僕は彼女を不幸に陥れた張本人なのだから。だけれど、そうとわかっていても彼女は僕たちを頼らざるを得ない。僕たちぐらいしか、味方となり得るものは存在しないはずだから。


 そう思っていた。



「放っといて頂戴」



 拒絶の言葉。右手で結んだ弟の手に、力が入ったのを感じた。そちらを見ると、顔を伏せている。ショックを受けていることは、僕にもよくわかる。だからこそ、諦めるわけにはいかない。



「キミは愚か者ではないんだろ?」



 聡明ならば手を借りるはずだ、と。せっかく手を貸そうって言っているのに、それをないがしろにするのか、と。それでも彼女は、頑なに首を縦に振らなかった。予想外だった。僕たちが差し伸べた手を、素直にとるかと思っていた。


……率直に言えば、彼女のことを舐めていた。



「愚か者よ」



 今にも泣き出しそうな表情。力が入り、かすかに震えているのがわかる。右手に結んだ弟の手も震えている。彼女が泣けば、弟も泣き出してしまうだろう。そんな子なのだから。



「……あの方を不幸に陥れた、愚か者なのよ……」



 ついに彼女も顔を伏せり、それ以降は黙り込んでしまった。

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