第八話 ジョイ・オブ・レイバー! さあ腰を据えて働こう

 セイリン牧場への移動は、フレイラ家が持つ馬車を使っていた。


 その道中で俺はアクアレーナからフレイラ家の、今の対外関係の状況を聞いていた。


「レン様も既にご承知と思いますが、以前やって来たリサベルさん達は私の家の資産である土地の権利を押収するのが目的で、それをされてしまえば今屋敷に残ってくれている使用人達への賃金さえ払えなくなるのです」


「もしそうなったら、トライザさんやバナリ君、料理人のガンコさんももう雇えなくなる?」

 アクアレーナは言葉には出さずと頷いて答えた。


「リサベルさんが親方様と呼ばれる人の遣いで動いている、というのはおさといレン様であれば既にご承知と思います」

 聡いって、またそんな俺を持ち上げる発言を混ぜて来てさ……。演出が巧みなんだから、もう。


 そういうのが無くても、寝泊まり食事と世話になってるフレイラ家の人達をただ見捨てるような事はしないさ。――キミの気持ちは、嬉しいけどね。


「――リサベルさんが土地の権利書を取りに来る実働的な役目を持ってたって事は、その彼女が仕えてる親方様は、ここら一帯の土地の利益を取り仕切ってる領主とかかな?」

 リサベルさんとの会話から出ていた情報の事は、俺なりに纏めて色々推察はしていたんだ。確かに彼女のバックには親方様と呼ばれる存在が居るって聞いた。


「そのような所です。名前はゲトセクトさんと申しまして、ご自身が持つ広大な土地を幾らかに分け、それぞれを各地方の裕福層に貸し与えて居られます。フレイラ家もまたその一つなのですわ」

 親方様の名前はゲトセクト、か。憶えておこう。


「その代りに裕福層が土地から出した利益の幾らかを、貸し入れ料として徴収するのが決まりなのですが、しかし……」

 アクアレーナはそこで良い淀んだ。


「この家は今、土地の運用が上手く行っていないんだよね?」

 彼女の代わりに俺から切り出した。言い難くはあったけど、現状を把握し合うのは重要だから。


「ゲトセクトさんは臨機応変な方で居られます。私がエンゲージリンクのコスト費用の借り入れを頼んだ際は、まだフレイラ家に利用価値を認めて心良く承諾して下さったのです」


『ニホン人の花婿を獲得し家の名に箔が付いたフレイラ家の女主人と、更なる仕事を共に出来る事を楽しみにしている』

 ゲトセクトはそう言い含めたとの事だった。


「しかし私がいつまで経っても結婚出来ない事を知るや、あの方は即座に対応を変えてきました。フレイラ家が持つ職人の仕事施設も含んだ家の土地の権利を、借り入れたお金の代替えとして、根こそぎ我が物にしようと画策してきたのです」

「成程……」


 ゲトセクト、その柔軟さ自体は凄く仕事が出来る人間の証しだって思える。


「実はセイリン牧場も、今現在ゲトセクトさんの圧力を受けています。だからその、例えレン様といえど一筋縄ではいかないと、思われた方が良いかもしれません……」

 アクアレーナは顔色を悪くして、俺にそう言ってきた。


「よし分かった、気を引き締めるよ」

「はい……」

 あれ? 彼女を元気付ける為に力強く返事したつもりだったんだけど、まだ気落ちしてるね……。


「アクアレーナ、もっと気をしっかり持って!」

「は、はい! ……でも、その……」

 彼女は言い難そうに俯いていたけど、なんか急に顔を上げて俺の事をガン見してきた。


「私の事、お嫌いになっては居られませんか!?」

 ――ええい! だから突然そういう女の圧力を出すんじゃあないってばもう!


「なってないよ! なんでそう思うの!」

「いえ、なんでという事は無いのですけれど……」

 俺が責めるような言い方をすると途端にまた俯いた。


 ……まったく。大方、これまでのエンゲージリンクで十回失敗してる事が、彼女の中に男に対する相当なトラウマを残してるって所だろうね。


「……キミは、俺に馬をくれるんだろう?」

 でもここでは優しくしないよ。そのトラウマからキミが、外面だけ良くして俺と接するようでは、この先キミと本当の意味で絆を深めるなんて出来ないんだからさ。


「それは、勿論ですわ……」

「ならちゃんと仕事する。俺もその為に付いて来てるんだから」

 ここまで言って、ようやくアクアレーナの表情に前向きな力強さが戻った。


「……はい! とにかく、今の私の力で出来る限りの事はしますわ。でなければ、先代が亡くなってからも屋敷に残ってくれている皆に申し訳が立ちませんから」

 そういった時のアクアレーナは気丈で、気高い令嬢の風格をしっかりと放っている。


「よし、じゃあ張り切っていこう!」

 優しく励ましたりとかせずに居てそれで何が張り切ってだよと、自分でもそう思ったけどさ。まあここはテンション上げていきたかったんだ。


 ――結婚の事はまだとても決められないけれど、キミのその決意と覚悟には出来る限り手を貸すよ。

 俺の、えと、元サラリーマンとしての労働スキルに掛けて、ね。


 大丈夫、自信は有るさ。


 ※


 俺とアクアレーナは、セイリン牧場へとやって来た。


「へえ、結構広いな。ていうかあれは、もしかして……」

 牧場の中に在るものを指した俺の疑問に、アクアレーナは答えてくれた。

「はい、馬を走らせてあげる為のレースコースですわ」


 風で草が波打つ平原に立つアクアレーナはやはり綺麗で、この開けた場所で彼女の傍に居られるという事実は、それだけで俺の心を軽くさせはする。


「成程。飼育する為の場所とはいっても、やっぱり適度に走れる場が有る方が馬にとっては良いんだろうね」

「ふふっ」


「急にどうしたの!?」

「ごめんなさい。コースを見るレン様のお顔が無邪気に見えたものですから、つい」


 アクアレーナが、俺の方を向いて口元を手で隠しながらも笑みを漏らしてる。

 えー? 俺そんなに面白い表情してたのかな。まあ気持ちがはしゃいじゃってたのは認めるけどさ。


「――よし、じゃあ今からは気を引き締めて行くからね。あそこの主人に、ちゃんとフレイラ家の言う事を聞くようにさせないと」

「はい。レン様と一緒で私は心強いです」


 また俺を乗せようとしてるな、こいつめ。でも、今は彼女にそれ位して貰える方が、俺も勇気が出るってものだ。


 一応これが、俺の異世界転移してからの初めての仕事になる訳だからね。


 ※


 俺達は牧場内の、ニホンでいう所の事務所的な所に足を運んだ。

 けどそこに居た人が言うには、主に当たる人は実際に馬を飼う為の厩舎きゅうしゃと呼ばれる建物の中で、直接馬達の世話をしている最中との事だった。

 現場主義、って言って良いのかはまだ分からない。


「アクアレーナ、キミは事務所で待たせて貰って良いよ」

「いえ、私はいつでもレン様のお傍に居ます!」

「気持ちは嬉しいけど、沢山の馬が集まってる建物ならきっとその、動物臭いよ?」


 しかし彼女は折れない。

「レン様。この牧場とフレイラ家の関係は、私が幼い頃から続いているものなのです。そしてその中で父に何度もこうして連れて来て貰っていたのですわ」

「あ、という事は――?」


「私、馬には慣れて居りますれば、御心配には及びません」

「そっか。余計な事を言ってごめんね」

「いえ。お気遣いはとても嬉しく思います」


 厩舎に入ってみると、そこには馬達と一人のおっさんが居た。

 俺達から見て今おっさんは後姿で、どんな顔をしてるのかは分からない。ただ手に柄の長いフォークを持って馬が食べる用の干し草を集めてる。


「ごめんくださーい」

 厩舎はそこそこの広さでおっさんとの距離も有ったので大きめの声で呼んだんだけど、おっさんは自分の作業に没頭してて振り向く気配が無い。


「レン様、近付きましょう」

 アクアレーナがそう言って俺の手を引く。

「奥に立ち入っても良いのか?」

「あまり大きな声で呼んでも馬の方が驚くので、致し方ありません」


 そうか。驚くだけならともかく、それで馬が暴れ出したら怖いもんな。

 彼女に倣って厩舎の中へと歩いていく。


「――げほっげほっ」

 やっぱり独特の臭いが充満してるよ……。


「レン様、大丈夫ですか?」

 俺を心配してくれているアクアレーナは至って普通で、これはちょっと格好付かない。


「だいじょうげほっ!……結構キツイかも」

 人間やはり正直が一番だな、うん。匂いってやつだけは、気合いで気にならなくなるようなもんじゃないからね。


「これを」

 アクアレーナがハンカチを差し出して言った。

「口元を抑えれば、少しは楽になるかもしれませんから」

 アクアレーナは、流石気遣いが出来るなぁ。


「有難う」

 素直にお言葉に甘えさせて貰う。……うん、なんかマシになってきた気がする。


「そんなヘタレな使用人しか居なくなっちまったのかい、お嬢」

 いきなりおっさんが背中から喋り掛けてきた。もしかして、ヘタレっていうのは俺の事を言ってるのか?


「ご機嫌麗しゅうダンタリアンおじさま。しかしその仰りようは、とても怖れ多いものですわ」

 アクアレーナがこのセイリン牧場の主人・ダンタリアンさんに、礼儀有る感じで挨拶した。けどその言葉はなんか張り詰めている感じがしていた。


「こちらに居ますのは私の花婿となる御方でしてよ」

 もしかしてキミ、ちょっと怒ってる?


「……ほう?」

 ダンタリアンさんが振り向いた。


 後ろ髪だけじゃ分からなかったけど、その頭頂部に届きそうな前ハゲは年季の入った男っぷりを感じさせてるって思う。

 そういう印象として受けるのは、きっと目つきが爛々としてるのと両腕が太いってのも関係してるかな。


「ふん。ニホン人召喚なんていう大層な術の事は、俺っちには分かるべくも無いが」

 そんな事を言いながら俺の顔をと見つめてくる。


「今回はまた随分な優男じゃないか。立派に見えるのはそのした眉毛位なもんか、ぶあっはっは!」


「ですからそのような仰りようは――!」

 アクアレーナが怒りを露わにさえしそうになった。


 ――けどちょっと待って。俺は今のダンタリアンさんの言葉、嬉しく感じてるぞ。


「この眉をそんな風に褒めてくれるなんて!」


「えっ?」

「ほっ?」

 アクアレーナとダンタリアンが揃って素っ頓狂な声を上げたけど、俺は構わずダンタリアンさんの方に近付いていった。


「貴方には分かりますか! 俺、イマイチ眉を細く見せるのって乗り気になれなくて、たまに同僚から眉を弄れって言われた時はいつもモヤモヤした気分になってたんですけども!」


 そうした方が女にモテるからとか、確かにそういう流行りを取り入れるのも良い事だとは思うけどさ。でもなんていうか、直感的に『これは自分にとっては違うなー』みたいに思っちゃう事ってあるじゃん?

 俺にとってはそれが眉を弄る事なんだよね。


「お、おお。これまでにも何人かお嬢が連れてきた男を見させては貰ったが、どいつもこいつも細い眉してやがってよ。俺っちにゃあ奴らの言うファッションってのは良く分からねえんだが、どうにもあの細眉を見るとむず痒くなっちまってたんだ」

 凄い、なんか嬉しいぞ。なんでか分からないけどなんか凄く嬉しい。


 いや、これはあれか。同じ男同士で分かり合えた瞬間に生まれる、いわゆる戦友感っていうやつか!


「……レン様?」

 声に振り向くとアクアレーナがなんかっとした顔をしてた。


 あー、これは女には分かり辛いやつだよな。それもまた分かるよ。


「ごめん、ちょっとはしゃいじゃった」

 一応のフォローを入れると、彼女も少し安心した顔になる。


「いえ、レン様の御気分が高揚なさるのは良い事だと思いますわ」

 そう言って微笑んでもくれた。こんな風に優しくしてくれるのと同じ分位には、彼女の事を置いてきぼりにする訳にはいかないよな、男としてはさ。


 とにかく、どうあれこれでダンタリアンさんとの会話の糸口は掴めたぞ。


 ――第八話 完――

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