第11話 隣り合わせの絶望

 翌朝、久しぶりに体温検査に川原さんが来た。もちろん、本津さんはすんなり起きないし、セクハラもする。

 そして薄い味の朝食が運ばれる。

「澪ちゃん、夜に嬉しいことでもあったのか?」

 本津さんは塩気のほとんどない、お湯のような味噌汁を口に運びながら言う。

「ど、どうして」

「いやー、だってさ。バイブ音なってたし」

「ね、寝てたんじゃないんですか?」

「わいがあんな時間に寝るわけない」

 やっぱり薄い、と零しながら本津さんはお汁茶碗を置く。

「まぁ、たぶんいつも来てくれてた中筋って人からだろうな」

「どうしてそこまで分かるの……」

 あまりにも完璧に言い当ててくる本津さんに、唖然としながらそう零す。

「ごめん、澪ちゃん。私でも分かるよ」

 寝起きからいつものような元気がないように見えるまりんちゃんにもそう言われる。

「こ、ここにいる人ってみんなエスパーなの?」

「含まないで、この二人とは別だから」

 私の言葉に伴くんは短くそう言い放つ。

「連れないなー。わいとは親友だろ?」

「誰と本津さんが?」

「だから、わいと伴くんが」

「ありえない」

 短く切り捨てられ、本津さんは幼稚園児でもしないような泣きまねをして見せた。

「で、結局どうなってるわけ?」

 本津さんはすぐに素の顔に戻り、私に向き直る。

「どうもこうもないですよ。普通にLINEしてただけです」

「普通、ねぇー」

 そう言うや、本津さんはベッドから降りて私のベッドに近づいてくる。

「な、なんですか?」

「ちょっと、わいに見せてみ?」

「い、いやですよ!」

「告白でもしたか?」

 試すような口ぶりの本津さんの視線の圧から逃れるように、視線をはずしてかぶりを振る。

「なら見せれるだろ?」

 ぐいぐい来る本津さん。

「い、いまはいいじゃないですか! とりあえず、ご飯食べてください」

 私の言葉にちぇー、と吐きながらベッドに戻っていく。その背中を見てため息を零しながら、安堵を覚える。

「で、結局好きなの?」

 ご飯を咀嚼しながら、まりんちゃんは訊いた。

「もういいでしょ、私のことは」

「だめ。こういうことははっきり口にしないと。せっかく澪ちゃんが変わろうとしてるんだから」

「変わるって、私の何をしってるんですか」

 ベッドに戻った本津さんの言葉に、そう返す。

「澪ちゃんの経験人数も、カップ数も、何も知らない。でも、ここ何日間で澪ちゃんが病気を隠して学校生活してきたこととか、それを負い目に思って友達からも、恋愛からも距離を取ってたことくらいは分かる」

 最初の言葉は最低だ。でも、そこからは本当に私のことを理解してくれていた。ほんのちょっとしか一緒にいないのに。それなのに、たぶんみこっちゃん以上に私を理解してくれていて、石井先生よりも心温まる言葉をくれる。

「な、なんで……。どうして……」

 紡ぐべき言葉が見当たらず、私は繰り返し同じ音だけを零していく。

「なんでもくそもない。そんなの見てたら分かる」

「でもみんな分かってくれない」

 私はまた涙を零してしまう。溢れ出した涙が味噌汁の中に落ちる。


「普通の人は人の本質なんて見ない。そこを見るのは、親とかほんの一部だけ。そのほかは、みんな見ない。だって、見なくても生きて行けるし、人生って言う長い期間の中でそいつと一緒にいるのなんて圧倒的に短いから無視すればいいだけ。でも、わいらは違う。元になる人生が短いから、ほんのちょっとだとしてもそいつを知りたい。そいつの中に残りたい。でないと、わいらはこの世界にいた意味がないから。生まれた意味を持ちたいから」


 紡がれた言葉はずっしりと重い。私なんかよりも長い時間を病院ですごしているのだろう。いつもふざけている本津さんの真剣な言葉は、いつも大事なものを教えてくれる。だからこそ、私は言ってしまった。


「私、分からないの。みこっちゃんと岡本くんが手をつないで仲良さげにしてるのみると、妬ましくて、羨ましくて、憧れちゃう。でも、私はこんな体だし、恋愛なんかすると相手にすごい迷惑かけちゃう。だからそんなの無理だ。でも、なぜか中筋くんを見てると胸がきゅっと締め付けられるような感覚になって、一緒に話してると、嬉しくて胸が熱くなる」


「へ、へぇー」

 意外にも1番に声を上げたのは、本津さんではなくまりんちゃんだった。

「ま、まりんちゃん!」

 自分では言ったはいいが、同じ女子であるまりんちゃんに反応されるのはどこかむず痒くて、気恥ずかしくて、少し大きな声を出してしまう。

「そこまで自分で言えてまだ分からないのか?」

「分からない。だから、困ってるの」

「困る、か。ハッキリ言ってしょうもない」

 本津さんは困ると言った私に向かって、そう言い放った。

「せっかく言ったのに。何よ、その言い草は!」

 自分の気持ちを口にするという恥ずかしい行為をした私に、興味もなさそうな声音で視線すら外した本津さんの態度に腹が立った。

「だって相談する意味ないじゃん。もう自分で気づいてるでしょ? 自分の、中筋ってやつに対しての気持ちに」

「どういう意味ですか!?」

 食い入るように、しかし姿勢はそのままで言葉を紡ぐ。

「そのままの意味よ。難しく考えなくていいってこと」

「だから──」

 まりんちゃんはお箸を置き、私を捉えて淀みのない言葉で、一言一言を噛み締めるようにそう言った。でも、私には分からない。2人は簡単なことだと思っているに違いない。しかし、私には微塵も理解が出来ない。まるでその部分だけにもやがかかっているかのようで、どれほど目を凝らしても分からない。それを言葉にしようとすると、本津さんが声を合わせた。

「いいか? 澪ちゃん」

 言葉を切り、語りかけるように話す。

「気持ちは心の中にある。でも澪ちゃんは、それに自分で蓋をしている。自分でも理解してないと思うけど、蓋をしてるんだ」

「蓋なんてしてないよ!」

 モヤモヤと分からない気持ちがある。それだけが理解出来ていて、気持ち悪い。

「いや、してるよ。知らないうちに、ずっと。たぶんだけど、小さい時からね」

「してないよ……」

 そんなこと絶対にないもん。絶対に、絶対に……。

「じゃあ今までに彼氏がいたことは?」

「あ、あるよ」

「いつ?」

「中二の時」

「告白はどっちから?」

「向こうから」

「その時、澪ちゃんは相手のことほんとに好きだった?」

 本津さんの言葉1つ1つに私の体が蝕まれるような、そんな感覚に陥る。今まで意識したことのなかった思いが、心の隅から零れだす。

「た、たぶん」

「たぶんじゃダメだ。自分の気持ちを誤魔化さずにちゃんと言ってみろ」

 中二の時、 クラスの男の子に告白されて付き合ったのは覚えてる。でも覚えてるだけ。

 覚えてるだけで、思い出として残っているわけではない。

 えっと。

 過去を振り返り、当時の彼のことを思い返す。だが──。顔ってどんなだったっけ? 髪型ってどんなだったっけ? 一緒に遊びに行ったりしたっけ?

「うそっ……」

 初彼氏で浮かれていたのは間違いないはずなのに。私の中に彼の姿は記憶データとしてもまともに残っていないことに気づく。

「何となくって言うのは違うかもしれないが、好きで好きで付き合ってたわけじゃなかっただろ?」

 その通りだ。その通りだけど、認めたくない。認めたくないけど……。私は俯き、小さく頷いた。

「やっぱり。澪ちゃんは本当に人を好きになったことがないんだよ。好きになる前に自分でその気持ちを隠して、無かったことにしてる」

 本津さんはそう言いきった。

「人を好きになったことがない?」

「あぁ。それで今、その気持ちが解き放たれようとしてる。みこっちゃんのイチャイチャぶりや、毎日健気に通ってくれる中筋ってやつを見てな」

「そんな……。私、まだ知らないだけって言うの?」

「そうだ。ということで、わいと寝てみるってのはどうだ?」

 真剣な表情からいつものふざけた本津さんに戻って放った言葉に、まりんちゃんが枕を投げつける。

「キモイから」

「え? これをオカズにしろって?」

「キモイキモイ! 今すぐ返して!」

「えぇー、もう貰ったやつなんだけど」

 そう言いながら、楽しそうな本津さんを横目に私は朝食を食べた。

 脳裏に過ぎる私の好き。

 ──好きってどんなのなんだろう。


 数時間後。部屋のドアがガラガラと音を立てながら開いた。

「まりんちゃん」

 そして聞きなれない声が、私の隣でスマホを弄っている体温の低い女の子の名前を呼んだ。

「伊藤先生」

 そう零したまりんちゃんの声はどこか震えているように感じた。

龍馬りょうまー。まりんちゃんといちゃつきに来たのか?」

勇人はやと、俺がそんな理由でここに来ると思うか?」

「龍馬なら……」

 つい先ほどまでパソコンに釘付けになっていたはずの本津さんは、私の知らない白衣を纏った石井先生より一回りは若いと思われる先生といつもの調子で話す。

「よくわかってるじゃないか。でも、婚約者できちゃったからなー」

「院長の娘さんだろ?」

「なんでそこまで知ってんだよ」

 男性にすると高く、でも少し嗄れた声で少し驚きを見せる。

「逆玉?」

「しらねー」

 適当にあしらうように、そう言ってのけた伊藤先生はまりんちゃんのベッドの横に立ち、しゃがみ、ベッドの上で座るまりんちゃんと目線の高さをあわせる。

「体の調子は?」

「いまのところは大丈夫」

「そっか。それならよかった」

「うん」

 お互いが囁くような小声で、すぐ隣にいるはずの私にもはっきり聞こえないほどだ。

「じゃあ、そろそろだから。行こっか」

 優しく包み込むような声音で、伊藤先生はまりんちゃんの手をとる。それはまるで白馬の王子様が病弱なお姫様を迎えるような、そんなワンシーンを見せられているようだ。

「似合わねぇーことするなよ」

 それに茶々を入れる本津さん。

「うるさいわ、アホ」

 それに対し笑顔で応える伊藤先生。二人は仲がいいのかもしれない。

「顔と行動が釣り合ってない」

「分かってるよ。自分でもやってて恥ずかしいくらいだからな」

 そう言う伊藤先生の顔は少し朱に染まっており、言葉の通り恥ずかしそうである。

 差し出された手をとり、まりんちゃんはベッドから降りる。

「ありがと、先生」

 短い間ではあるが、まりんちゃんとは同じ部屋で過ごした仲だ。しかし、その間でただの一度も見たことのなかった、女の子らしい表情を浮かべたまりんちゃん。

「あ、あぁ」

 まりんちゃんの謝辞にどこか照れくさそうに、ばつが悪そうに、返事をする伊藤先生。

「龍馬、結果か?」

 部屋を出ようとするまりんちゃんと伊藤先生の背中に、本津さんは静かに訊いた。しかし、伊藤先生はそれに言葉を発することはなかった。代わりに首を縦に振り、肯定の意を示し部屋を出た。


「さっきのは?」

「伊藤先生だよ」

 そう答えてくれたのは伴くんだ。伴くんはそろそろ退院するらしく、最近はお母さんやお父さんの出入りが激しい。荷物を持ち帰ったり、担当の先生と話したりと忙しそうだ。

「そんな先生いるんだ」

「まぁ、澪ちゃんは知らないだろうな」

「なんですか、その言い方は」

「だって知らないだろ?」

「知らないですけど」

 私の返答に少しうれしそうにした本津さんはにたりと笑い、口を開く。

「あれは伊藤龍馬いとう-りょうまって名前でこの病院の先生」

「それは見てたらわかったけど」

「この病院の院長の一人娘と婚約が決まっている時期院長ってところだな」

「あの若さで?」

 見た感じだとまだ三十歳もなってないと思うんだけど。もしかして物凄い腕利きのお医者さんだったり。

「まぁ、まだ二十九歳だからな。石井なんかよりもよっぽど若いな」

「すごいんだね」

 私のその言葉に本津さんは吹き出す。

「龍馬がすごいわけない」

「え、どうして?」

「めちゃくちゃ適当だもん」

「適当!?」

 そんなで院長なんて務まるの!?

 驚きが隠せず、声を裏返すと本津さんはさらに笑う。

「適当だよ。でも、龍馬はあれでいいんだよ」

「どういうこと?」

「適当だけど、患者に寄り添えるんだ。わいみたいなヤニ野郎にもちゃんと話してくれた。まぁ、もうわいの担当は代わったんだけど」

「そう、なんだ」

 寄り添うって、どこまでのことを言うのかな。私は石井先生しか分からないけど、石井先生よりもいい先生なのかな。

「最初は完全に問題児って感じの先生だったけど、龍馬のやり方が認められて、いつのまにか時期院長にまでなるとはな。わいでも想像できんかった」

 どこか昔を懐かしむような声音でそう零した。

「いまはまりんちゃんの担当なの?」

「そう。わいの担当だったのに、代わった」

「なんで?」

「わいが知るわけない」

 どこか怒りを孕んだ口調の本津さんは、部屋の入り口付近を見つめて言う。

「わいの今の担当はほんとくそ」

「ど、どうして?」

 同じ病院の先生なのに、くそ呼ばわりされるほどに違うの?

「あの野郎は患者をただの金づるだとしか思ってない臭が半端ない。何を訊いても『わかりませんね』とか言いやがる。ほんとくそだわ」

 自分の置かれている状況に不満が募っているのだろう。本津さんはらしくない荒い口調でそういいながら私を見る。

「まぁ、石井もくそだけどな」

「どこが?」

「性癖だろ。なんてたって見合いで二回も断られてるからな」

 そんな会話をしているときだった。部屋のドアが音を立てて開いていく。

 今日は平日。そして今はまだその午前中。お見舞いに来るにしてもまだ早い時間だ。

「あれ? 川原さん?」

 私の声に、本津さんは素早い反応を見せてベッドから降りる。

「って、おばはん付きかよ」

 川原さんを視界に捉えたはいいが、その後ろに看護師長の姿があり露骨に落胆する本津さん。

「なんですか?」

 低く圧のある看護師長の言葉に本津さんは無言でベッドに戻る。それを見た看護師長は短くため息をつき、川原さんと共にまりんちゃんのベッドを囲んだ。

 そして二人は、シーツや枕カバーを順番に回収していく。

「な、何してるんですか?」

 思わず、私はそれが口から零れ出た。

「片付けているんです」

 看護師長は短くそう言い放つ。

「なんで……」

 まりんちゃんはここに帰ってくるんだよ? まりんちゃんにどうだった? って訊きたいのに。もっともっとまりんちゃんと話したいのに。なのにどうして、どうして片付けるの?

「そう言われましても、利用する人のいないベッドは片付けるのが普通でしょ?」

 看護師長は私の発言の意味が分かっていないのか、首をかしげながら答える。

「あ、そっか。退院するんだ」

 それならそれで言ってくれればよかったのに……。でも、そうだよね。あれだけ本津さんと話せて言い返せる元気があれば退院もするよね。少しさびしいような気がするけど、しょうがないよね。

「違うよ、たぶん」

 そう言ったのは本津さんだ。

「え?」

「たぶん、まりんちゃんは先が長くないんだ」

 意味が分からない。だって、さっきまで話してたじゃん。伊藤先生にエスコートして嬉しそうにしてたじゃん。なんで、なんで……。

 言葉にならない感情が涙となり、目から零れ落ちる。視界はぐちゃぐちゃに歪み、ぼやけて、喉の奥からは嗚咽が洩れる。

「どうして」

 頬を伝った涙は、顎を辿り布団の上に落ちる。シーツに染みができる。

「川原さん」

 看護師長の低い声が耳に届く。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。私、もっともっとまりんちゃんと話したい。もっともっと仲良くなりたい。仲良くなって、まりんちゃんと――。

 挙げればきりがない。溢れ出る涙は堰を切ったように、留まることを知らない。

 そんな私を宥めるように、川原さんは私の体を包み込み、背中を擦ってくれる。

「まりんちゃんは! なんで!」

 抑えていた声が破裂しそうな勢いで口から飛び出る。何もかもが剥き出しで、ここまで感情のコントロールができない子だとは自分でも思ってなかった。背中を擦る川原さんの手が、いまはすごく鬱陶しい。そんなのいらないんだよ。まりんちゃんの帰る場所を置いておいてよ。

 私と、本津さんと、伴くんと、まりんちゃんの大事な居場所を奪わないでよ。



 いつかは来るはずのお別れ。それはあまりも唐突で、私の想像を遥かに超える速さで私に襲い掛かった。

 どれだけ私が阿鼻叫喚あびきょうかんをきわめたところで運命は変わらない。まりんちゃんは戻ってこない。分かってるんだよ。分かっているんだけど……。

 隣にあるはずのベッドは無く、隣にいたはずのスマホを弄りながら話すまりんちゃんの姿は無い。それがこれほどまでに胸を締め付けるとは思っても見なかった。



 その日、まりんちゃんは私たちの病室に姿を見せることは無かった。いつも元気な本津さんですら、どこか元気が無いように見えたのは私の気のせいではないと思う。

 そして、文化祭当日まで残すところ一週間となった。

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