第10話 気づかない想い

 あれから数日が過ぎた。中筋くんはあいも変わらずに、毎日病院まで足を運んでくれる。


「お姉ちゃんっていつも来る人の彼女?」


 いつも通りなら、中筋くんがそろそろ来る時間。そんな時、伴くんが不意にそう言った。


「えっ? ち、違うよ?」

 その言葉は自然と出てきた。でも、それに対して胸が痛む自分がいることに気づく。

「でも、毎日来てるでしょ?」

 子どもの素朴な疑問ほど厄介なことはない。どうやって説明しようか。そう悩んでいるとき声を上げたのは本津さんだった。

「お子さまだな、伴くんは」

「何が?」

 お子さま、と言われたのが嫌だったのだろうか。伴くんはあからさまにムッ、とした表情を浮かべる。

「彼氏彼女じゃない男女関係ってのもあるんだよ。なぁ、まりんちゃん」

「ちょっと、何言ってるんですか! めっちゃ気持ち悪いんだけど」

「えぇー、ひどいなー」

 思ってもないことを口に出している気配の本津さんはそう言うと、伴くんに向き直る。

「冗談はここまでにして、彼氏彼女未満ってところだと思うよ」

「あとちょっとってことだね」

「わいの見立てやと、だけど」

 横目で私を確認しながら言う本津さん。

「ち、違いますって!」

「顔赤くして言われても、説得力無さすぎ」

「赤くなんてしてません!」

「してるじゃん、ほら」

 私の顔を指さす本津さんに、反論しようとした時病室のドアが音を立てた。


「御影ー、元気そうで何よりだ」

 そう言って病室に入ってきたのは、担任の武中先生だった。普通、担任なら入院したって分かればすぐにお見舞いに来るはずだと思ってた。でも、武中先生は今日までお見舞いに来る気配すらなく、挙句来たと思えば、第一声がこれ。なかなかに酷い先生だと思う。

「久しぶりですね、先生」

 嫌味も込めてそう放つと、先生はそうだな、と返した。

「ところで、昨日の試合見たか?」

「い、いえ?」

 いきなり何の話をしているのだろう、と思いそう零す。すると先生は大きく溜息を付き、口を開く。

「秋山のピッチングが素晴らしかっただろ! 9回ウラツーアウトまで零封シャットアウトしてたんだぞ! 打線も繋がっててなー、糸原、大山にいい当たりが出て点も取れて、あれは理想だ。まぁ、正直あとワンアウトで完封勝利だったからなー。最後の最後で一発ホームラン浴びたのは惜しかった」

 あぁ、いつもの阪神タイガースね。

「今日は1位のカープとかだからな。是非見てくれよな」

「どこのアニメの予告だよ」

 武中先生の言葉に本津さんが口を挟む。

「君は……誰かな?」

「わいはわい」

「え、ちょっと何言ってるか分からない」

 真剣な表情の武中先生に、本津さんは呆れたのかため息をつく。

「うん。ごめんね、今日午前診するって言ってたのに」

 タイミングを見計らったかのように、ドアが開く。

「あ、先生」

「うわぁ、きもっ」

 私の声に被せるように本津さんが声を出す。

「うん、本津くんってうん、結構酷いこと言うよね」

 脂を帯びた額に手を当て、うつむき加減になる私の担当医である石井先生。いつものように前髪に少し寝癖が残っている。逆にキメてるの? って感じくらい毎日同じ感じでついている。

「石井ー、いい歳してそのオーバーリアクションまじきもい」

 辛辣に言い放つ本津さんに、石井先生はやはりいつも通りのオーバーリアクションで応える。

「そんなことしてるから、見合い相手に逃げられるんだろ」

「うん、そうだけど……。うん、本津くんには関係ない話だよね」

「関係ないけど、澪ちゃんが可哀想」

「澪ちゃんに手出したら許さないよ?」

 本津さんの意見に同調するかのように、まりんちゃんが言う。

 まりんちゃんまで一緒になって言うの、珍しいな。

「澪ちゃん、何も変なことされてない?」

「う、うん。たぶん大丈夫だと思うよ?」

 記憶にある限りでは、触られたりとかしてないし……。軽く石井先生とのやり取りを思い返し答えると、まりんちゃんは安堵の息を零した。

「あくまで噂だけど、凄い性癖があって、それでお見合い相手に逃げられたって聞いたから」

「そ、それを本人目の前にして言えるあたり、うん、今の若者って凄いって感じる」

 大袈裟に落胆した様子を見せる石井先生に、本津さんはいたずらっぽい笑みを浮かべて放つ。

「童貞先生だな」

「ちょ、小学生の前で何言ってるのよ」

「そのうち分かるんだから大丈夫だって」

 まりんちゃんと本津さんのやり取りを横目で見、私はベッドから出る。

「いつもの場所ですか?」

「うん、そうだね」

 特別診察室。一般の患者さんが使う診察室と併設してあるが、使っているのは入院患者の、特にこの先状態が急変する可能性がある人のみ。

「タイミング悪かったね、先生」

 スリッパに足をいれ、武中先生の方を見る。

「え、どうしたの?」

 本津さんを見て、口をぱくぱくとさせている武中先生の顔色は悪く、まるで怯えているように見える。

「え、まさかのこっちも童貞?」

 本津さんは新しい玩具を見つけたとばかりの声色だ。

「う、うるしゃーい!」

 武中先生は裏声でそう言い放ち、病室を走って出て行った。

「……、何しに来たの?」

 私の呟きは武中先生の奇行で静まり返っていた病室に、響き渡った。


 先に病室を出た石井先生を追うように、私も病室を出る。青白い蛍光灯により照らし出される廊下は、どこか重たく、陰な雰囲気を醸し出す。

「あれ?」

 そこに似合わない快活な声音とともに、私の視界に飛び込んでくる姿。みこっちゃんと岡本くんだ。二人は手をつないで、廊下を歩いている。

「もしかして今から検査だったりする?」

 私の前方を歩く白衣を着た石井先生に目をやったみこっちゃんは訊く。

「うん。まぁね」

「まじか。せっかく来たのにー」

 くいっと、眼鏡を上げて言う岡本くんに懐かしさを覚える。

 私が入院を始めて、まだほんの数日前しか経っていないのに……。寂寥感、哀愁といった感情が全身を蝕んでいく。

「うん、ごめんね。本当は、うん、午前診のはずだったんだけど、うん」

 私のお見舞いにきた人だと判断したのか、両手を体の前で合わせて、何度も頭を前後に動かしながら石井先生は告げる。

「仕方ないよね」

 みこっちゃんは岡本くんの顔を見ながら、確かめるように言う。

「そうだな。仕方ないよな」

「また来るね」

 そう告げる二人の顔には、残念という気持ちのほかにも別の、よこしまな感情が透けて見えた。

「待ってるね」

 薄く微笑み、小さく手を振る。それに応えるように、みこっちゃんも手を振り、どこか照れくさそうに岡本くんも手を振ってくれた。

「お友達……かな?」

 遠慮気味に、言葉を選ぶように、石井先生は訊いた。

「はい」

「そっか」

 石井先生がどんな表情を浮かべて、どんな思いで言っているのかは皆目見当もつかない。そんなことよりも、仲良さげで、楽しそうに手をつないで話している二人の姿を見て、胸が痛くなっている自分がいる。

「私が……恋のキューピットだったのに」

 今でも思い出す。スタボでぎこちない面持ちのまま告白をしていた岡本くんの様子を。それを受ける、照れているけど、どこか嬉しそうにしているみこっちゃんの様子を。

「どうしてこんなこと思っちゃうんだろ」

 二人の背中が見えなくなる。

 私が恋のキューピットをして、仲睦まじくしているのはいいことのはずなのに。それなのに、どうして? 心の中がぐちゃぐちゃして、もやもやして――

 妬ましく思っちゃうんだろ。

「あまりね、うん、気にしないほうがいいよ」

 石井先生はそんな言葉を投げかけてから、特別診察室へと足を進める。

 なんて響かない言葉なんだ。どこまでも他人に踏み込まず、傷つけず、上辺を撫でるだけの言葉。そんな言葉じゃあ、人の心には届かないし、逆に適当にあしらわれているように感じられてまう。

 そこからは何も話さず、私と石井先生は特別診察室に入った。


 中には川原さんもいて、川原さんはすぐに診察が始められるように準備を整えていた。

「あ、澪ちゃん。体調はどう?」

「普通って感じですね」

「最近忙しくて、朝の体温検査行けてなかったからどんな様子かなーって思ってたの」

 メディワークデスクの上に私の名前が書かれたカルテをおきながら話す。

「全然平気ですよ。でも、本津さんが残念がってましたよ。毎朝来るのおばちゃんだから、お尻触れないって」

「なんで私だけ触るのおっけーみたいになってるの」

 そう言いながらも、表情には本気でやめてほしいといった感じは出ていない。

 医用X線写真観察器に光を灯し、入院初日に撮った心臓部のレントゲン写真を貼り付けると、川原さんは石井先生が腰をかけた椅子の後ろに立つ。

「座っていいよ」

 石井先生は自分の眼前にある椅子に手をむける。

「入院当初の状態の検査結果が返ってきた。お母さんにはもう伝えている」

 いつものうん、という口癖をはさむことなく、真剣な表情を浮かべた石井先生。

「本当は一緒に伝えたかったんだけど、お母さんの都合がつかずに昨日の夜に来てもらって伝えた」

「そうですか」

「単刀直入に言うと、思った以上に進行が遅い」

「えっ?」

 重苦しい雰囲気から、状態は悪いと思っていた。だから覚悟もしてるつもりだった。でも、聞かされた言葉は肩透かしのようなそれ。

「東京帝京大学院医学部で、日本最高峰の検査結果だから間違いはないと思う。安心はできないけど、一先ずそういうことだから」

「そう……なんだ」

 嬉しさなのか、安心感なのか、それとも全然違った感情なのか。自分でもわからない感情が体の奥からこみ上げてきて、涙となり、目から零れ落ちる。

「よかったね、澪ちゃん」

 川原さんがそう声をかけてくれる。

 頭が理解する前に、私は何度も首肯し、その場に崩れ落ちた。

 学校に通っているころの私でも、こんな風に喜べたのかな。早くこの状況から逃げたい、とか思ったのかな。病気のことを隠して、隠して、それでも隠してきた日々。いつばれるか分からない恐怖に抗い、その重圧に押しつぶされるかとすら思った。でも、武中先生やみこっちゃん、美羽ちゃんに病気のことを伝えて、それでも今ま通りでいてくれて、私の気持ちは変わった。

「よかった。みんなと、もっと一緒にいたいよ」

 崩れた私を支えるように、川原さんが抱きしめてくれた。

「そうだね、もっともっとやりたいことあるよね」

「うん。もっと、もっと生きて……、みんなともっと、もっと遊びたいよ」

 院内に響き渡るほどの声量で泣きわめいた。



「今日はあと、採血だけして終わりだよ」

 泣き終え、涙を拭き、落ち着いたところで石井先生はそういった。

「はい」

 今日採血したものを、また東京帝大に送り、更なる検査をしてもらうらしい。

 これから先、どうなるか分からない。でも、私は絶対生きて、みこっちゃんや美羽ちゃん、岡本くん、それから中筋くんとも遊ぶんだ。文化祭も参加して、体育祭も参加したいな。

 そんなことを思いながら採血を済ませ、病室へと帰る。


「おかえり」

 まりんちゃんが持っていたスマホをおいて声をかけてくれる。

「ただいま」

「よかったの?」

「うん、まぁね」

 私の顔つきが違うのだろうか。まりんちゃんは、よかったことをはじめから知っていたような口ぶりだ。

「まぁ、さすがにあれだけ泣けばな」

「きっ、聞こえてたの!?」

 本津さんの聞き捨てならない台詞に間髪いれずに言う。

「当たり前だろ。泣き虫澪ちゃんで有名になるかもな」

「そ、そんなのいやだよ!」

「でもなー、あれだけ泣いたのを無しにはできないだろ」

 いつものように煽っているように見える。でも、どこかそれが弱いように感じる。

「だって――」

「嬉しかった、か?」

 私の言葉を奪い、本津さんははっきりと言い切る。それに対して首肯で返す。

「そうか、よかったな」

 本津さんは静かに、しかし思いのこもった言葉を吐いた。


「で、明日はまりんちゃんの検査発表日だな」

 視線の先を私からまりんちゃんに移した本津さんは楽しげに言う。

「何で知ってるわけ?」

「わいが知らんわけがない」

 少し表情に陰が落ちたまりんちゃんは、声を震わせる。それに気づかない本津さんではない。それでも本津さんは知らない振りを押し通し、いつも通りのテンションで言う。

「そういうとこ、ほんとに気持ち悪い」

「わいのどこが気持ち悪い? 絶対石井のがきもいだろ」

「それは否定できないけど」

 言い包められた感があるのか、まりんちゃんは少し残念そうな表情を浮かべる。先ほどの陰はどこかに消えたのか、いまはいつものまりんちゃんに見える。

「だろ?」

「う、うん」

「あ、それもしかして石井の真似?」

「そんなわけないでしょ!」

 まりんちゃんの怒ったような、でも実際は楽しんでいる声が室内に響いた。



 その日の夜。私はお母さんにLINEを送った。

『今日、検査結果聞いた。お母さんは昨日聞いたんだって? 私、絶対治すから。治して、みんなともう一回家で暮らすから』

 私なりの覚悟を、今度は生き延びるほうへの覚悟をきめ、お母さんに送る。しかし、時間は遅く送信時間は23時59分になっている。当然、お母さんは眠っているのだろう。しばらく経っても既読になる様子はなく、眠ろうか、そう思った時だった。ミュートバイブモードにしている私のスマホが、震え、バイブ音を立てる。

 お母さん、まだ起きてたのかな。

 スマホの画面を見ると、そこに表示されていたのはお母さんではなく、別の人。

 狼が雄たけびを上げているような画面を切り取り、プロフィール画像にしている中筋くんからのLINEだった。

「う、うそ!?」

 予想外の人物からのLINEに思わず声が出てしまう。

 あわてて周りを見渡すも、私の声に気づいてる人はいない様子。そのことに胸をなでおろしながら、メッセージ内容を確認する。

『今日はちょっと僕個人に用事があって行けなかった。本当にごめん』

 一行だけのそのメッセージには、絵文字も顔文字もスタンプもない。それでも私の胸は踊り、嬉しくなる。

『全然大丈夫だよ。私のほうも検査結果が聞かされてて、来てくれてても会えなかったと思う』

 廊下で会ったみこっちゃんと岡本くんを思い返しながらそう返事をすると、すぐに既読がつく。

『そうなのか』

 それが送られてからしばらくして、『大丈夫だったのか?』と続く。

 おそらく聞くか聞かないか、悩んでいたのだろう。中筋くんがスマホの画面に向かって悩んでいる様子を想像するだけでも、笑えて来る。

『大丈夫だったよ。予想以上に進行が遅いって言われた』

『よかった。今日は委員会もなくて特別伝えることはない、かな』

『わかった。ありがとう』

 その返事にもすぐに既読はついたが、それ以上メッセージが送られてくることはなかった。私はスマホを置き、目を閉じる。

 脳裏に浮かぶ中筋くんが送ってきてくれた言葉。昨日中筋くんが来てくれて話したこと。そのときの表情、声色。

 自分でも驚くほどに心臓がうるさく、脈を打つ。

 みこっちゃんと岡本くんの関係性は、いくら私が前向きになれたからって言って無関係なものだ。私が誰かを好きになって、もしも、もしもだけど誰かとお付き合いするってことになれば、その人をほかの人以上に悲しませてしまうから。だから、私には関係ないのっ!

 そう思えば思うほどに、胸は熱くなり頭の中で中筋くんが、みこっちゃんと岡本くんが手をつないでる姿がぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 どうしちゃったのよ、私。

 自分でも理解できない感情に、もやもやして、いらいらする。それらを誤魔化すように、私はイヤホンを耳に入れ、スマホから音楽を流し、目を閉じた。

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