第12話 迫る文化祭

 まりんちゃんが病室から居なくなって二日が過ぎた。昨日、本津さんと一緒に個室に移されたまりんちゃんの様子を見に行くと、今までとなんら変わらないまりんちゃんが居たことにはほっとした。しかし、本人曰くあと一週間も持たないらしい。

 それから同じく昨日、お見舞いに来てくれた中筋くんが文化祭まであと四日と言っていた。

 時が過ぎるのは本当に早い。あと一ヶ月もある、と思っていたのがあと四日。ちょうど今週末にあると言うのだから。


「今日退院なんだ」

 紙を食べていたという小学生の伴くんは、両親に迎えられながらベッドから降りる。

「まぁね」

「また紙食べたらあえるよ」

 両親がいるにも関わらず、いつものスタンスを貫く本津さん。

「もう会いませんよ、っていいなさい」

 伴くんのお母さんが伴くんに指示した言葉。だがそれはこちらに丸聞こえである。

「いや、きっとまたあえるよ」

 伴くんがお母さんの指示に従う前に、本津さんはそう言った。

「生きているうちじゃなくても、そのうちきっとね」

 そう言ってから本津さんは伴くんに小さく手を振った。伴くんもそれに応えるように手を振り返し、「カードありがとね」と加える。

「気にしなくていい」

 短くそう返し、本津さんはパソコンを起動させる。

「元気でね、伴くん」

「うん。あの男の人と仲良くね」

 絶対わざとだよ、というタイミングで中筋くんのことを拾い上げる伴くん。

「それはもういいから!」

「好きなら好きって言った方がいい」

 何? いまの小学生ってこんなにマセてるの?

「伴くんには関係ない!」

「それもそうだね」

 短くそう言うと、伴くんは私たちに背を向けた。お母さんに残っていた荷物を渡し、すたすたとドアの方へと向かっていく。

「お世話になりました」

 伴くんのお母さんは私たちに短くそう告げた。そして部屋から出て行く。


「なんかあっという間に減りましたね」

 伴くん親子が出て行き、部屋には私と本津んの2人が残された形になる。

 騒がしかった数日前が嘘であるかのような静かさ。それを誤魔化すためにも何か話そうと思うが、その言葉が出てこず、時計の秒針の音だけがやけに大きく耳に届く。

「今までさ。澪ちゃんが来るまではいつもこんなだったんだよ。伴くんはいつも動画見てるし、まりんちゃんはスマホいじってるし」

「そうなんですか」

 伴くんは動画見てるイメージが強いけど、まりんちゃんも話さなかったのはすごく意外だな。

「だからさ、澪ちゃんが来て、みんなと話せたのは正直嬉しかった。でも──」

 本津さんはそこで言葉を切り、パソコンをパタンと閉じる。

「こんなに悲しい気持ちになるんだったら、誰とも話さないままのが良かったかも」

 しっかりと私を捉えた視線。しかし、目には遠い過去が映し出されているように見える。いつもみたいな不遜な態度の本津さんはいない。静かになった病室、広くなった病室、それらを見て顔を歪めている。

「それはダメだよ」

 言って欲しくない。話さなかったら悲しくならないなら、それでいいなんて絶対に嫌だ。

 悲しいのは嫌。でも、無関心でいられて何も思われないのはもっと辛いと思う。

 今までの私なら思わなかったこと。今までの私がしようとしていたことを、本津さんが口にした。


「本津さん言ってたでしょ? 誰かの中に残りたいって。絶対、まりんちゃんの中には残ってる。私も本津さんと話して、本津さんが私の中に存在してる。だから、話したこと、楽しかった日がなかったらなんて言わないで」


 私の言葉に、本津さんは下手くそな笑顔を浮かべた。

「わかってるわ。澪ちゃんにそんなこと言われる日が来るなんて思ってもみなかった」

 そう告げた言葉は弱かった。弱くて、らしくなくて、でもいつもの自分を装っているように見えた。

「たまには私だって言うわよ?」

「かっこよくない」

「うるさいわね」

 そう言うと、本津さんは笑った。今度は不細工で不器用な笑顔じゃない。本当の笑顔だと思う。

「あっ、そうだ」

 文化祭に行ってもいいか石井先生に聞いとかないといけないんだった。

「どうした?」

「文化祭、今週末なんだ。だから行けないかなって」

「中筋ってやつと回るんだな」

「なんでそうなるんですか!」

 口端を釣り上げ、意地の悪い表情を浮かべる本津さんに声を張り、部屋を出る。


 廊下を照らし出すのは蛍光灯。青白い色で照らし出されているはずの廊下は薄暗い。顔色も悪く見え、今にも死んでしまいそうな顔に見えるので、明るい色の照明に替えて欲しい。

「石井先生、どこだろ」

 院内のどこを歩いていても基本的に暑いとは感じない。窓の外から見た景色には微かな陽炎が見受けられるが、院内全体にかけられたエアコンのおかげで快適に過ごせている。セミはまだ鳴いていないが、そろそろ鳴き始めてもおかしくないと思う。

「こんなに暑かったら絶対アイスクレープは上手くいくと思うなー」

 あとは当日が晴れて、いっぱいお客さんが来ることを祈るだけだね。

 受付の方まで歩いていくと、順番を待っている人が椅子に腰をかけている。天井部からはウォーン、と音を立てながらシーリングファンが回っている。

「あれ? 澪ちゃん。どうかしたの?」

 慌ただしそうに一般診察室──主に風邪などで訪れている患者を診る──の方から出てきた川原さんが、私の姿を視界に捉えた。

「ちょっと石井先生に相談があったんですけど」

 そう言うと、川原さんは一般診察室の方を一瞥し「今はちょっと難しいかも」と言う。

「診察ですか?」

「そう。今日、外来の患者さんがいっぱい来てるの」

 受付の前に並ぶ、診察を待つ患者さん達に視線を向けてから嘆息気味に言う。

「最近暑いっぽいですもんね」

「季節の変わり目は風邪ひきやすいのかな」

 私の言葉を肯定するようにそう言うと、川原さんは小さく手を上げてから私の前から去る。そして、次の患者さんの名前を呼ぶ。

 変わらない体感温度に、変わらない景色。もう病院にいることが常となった私には、季節の変わり目なんてあまり関係ない。


 ここに居ても意味ないし、戻ろうかな。

 そう思い、踵を返す。

 受付を離れ、入院患者が生活するエリアに差し掛かる。入院患者の緊急時のためのナースセンターがあり、その前は少し開けた場所になっている。

 そこにはみんなで見れるようなテレビが置いてあり、周りには自動販売機が並んでいる。市民プールやショッピングモールで見受けられるアイスの自動販売機やコカコーラ、アサヒと名の通った飲料メーカーの自動販売機がある。

「澪ちゃん、元気そうだな」

 そこは言わば入院患者たちの憩いの場となっており、知り合いがいればこうして話しかけられることもある。

「一応、って感じですけどね」

 はっきりとした年齢は知らない。夏だというのに頭には紺色のニット帽を被り、やせ細った体躯にこけた頬で、もう危険ゾーンに入っていることは聞かずとも分かる。

「それでもいいよ」

 杖をつき、立ち上がったおじいさんは私にそう告げる。それを見た看護師さんがおじいさんに駆け寄り、背中に手を当てる。

「ダメじゃないですか、勝手に立ちあがっちゃ」

 叱る言葉には焦りが色濃く見て取れる。それほどまでに危ない状況なのだろうか。

 そんなことを考えながら、おじいさんに頭を下げてから自室へと帰る。

「おかえり、澪ちゃん」

「ただいまです」

 迎えてくれるのは本津さんだけ。ほんとに寂しい。

「おっけー貰えたか?」

「いえ。会えませんでした」

「石井調子乗ってんな。若い女の子が会いに来てくれてるのに蹴るとか、調子乗ってるとしか言いようがない」

 どこまで本気か分からない、楽しそうな口調。

「そ、そんなじゃないですよ。ただ、忙しそうって言うかなんて言うか」

 実際に仕事をやっている姿を見たわけではないのでハッキリとは言えない。しかし、川原さんの様子を見た感じではとても忙しそうで、現に川原さんも厳しいって言っていた。

「忙しくても女の子が来たら会うのが普通なんだよ」

 ぶっ飛んだ理論を、恥ずかしげもなく言い切る本津さんに呆れる。呆れても全く以て意味が無いのだが……。

「それが普通なのは本津さんだけだから」

 それだけ言って、私はスマホを弄りだした。それを確認したのか、本津さんはそれ以降何も言ってくる様子は無く、ただ無言でパソコンに視線を注いでいた。


 次に言葉を発したのは、昼食が運ばれてきた十二時すぎだった。

 いつもと変わらない味のうすそうな味噌汁に、しゃけの塩焼きとひじき。それと白米とたくあんがベッドサイドテーブルに置かれる。

「川原さん、石井は?」

「石井先生、でしょ?」

 本津さんの言葉に訂正を入れる川原さん。どうやら川原さんの仕事は一段落ついたようで、私たちに食事を配膳しに来てくれている。

「石井は?」

 訂正されても訂正してない本津さんに分かるように、大きくため息をついてから口を開く。

「本津さんくらいだからね、石井先生のこと呼び捨てにしてるの」

「面と向かっては、だろ? 裏ではみんな呼び捨てだって。下手したら、性癖野郎なんて呼ばれてるかも」

「怒られるわよ?」

 そう告げてから、川原さんは私を一瞥した。

「石井先生、午前中はずっと診察で忙しかったの。澪ちゃんが石井先生を訪ねてきてたっていうのは伝えたから、午前診が終わる頃には来てくれるとは思うわ」

「そうですか、ありがとうございます」

 薄く、具材も底に沈んだ味噌汁をかき混ぜながらそう言うと、「大したことないわ」と言い、川原さんは部屋を出た。


 それから二時間ほどが経ち、石井先生はやってきた。

「うん、遅くなってごめんね」

 相も変わらず、口癖のうんを挟む。

 本津さんじゃないけど、その口癖は変だから私もやめた方がいいと思う。

「いえ、大丈夫です」

「うん、ありがとね。それで、うん、何か用かな?」

 思うだけじゃ通じない。石井先生はうんを乱用しながら話を進める。

「今週末、文化祭があるの。私、実行委員だし行きたいの」

 私の願いを聞き届けた石井先生は、険しい表情を浮かべる。

「んー、それは……」

「無理……なの?」

「うん、外泊ってのは難しい……かな」

「えっと、外泊? 私、一時退院とかで大丈夫ですけど」

 別に泊まらなくてもいい。ただ、文化祭に行きたいだけ。

「うん、一時退院って外泊より長いよ? うーん、文化祭ってそんなに長いの?」

 自分の知っている文化祭ではないのか。そう言いたげな石井先生に、私は首を傾げる。

「一時的に病院を出るのってそう言うんじゃないんですか?」

 もしかしてまた別の言い方?

 入院なんてしたのは初めてで、詳しい用語を知らない私は自分の犯している過ちに気づいていない。

「うん、えっとー、そう言うのは一時外出って言うんだよ」

「あ、そう……」

 知ったかぶりをしていたみたいですごく恥ずかしい。顔はみるみるうちに熱くなり、穴があれば早く入ってしまいたい程だ。

「澪ちゃんの恥ずかしがってる顔、かわいー」

 煽るように、弄るように、本津さんは含んだ口ぶりでそう言う。

「もう! 本津さんはちょっと黙っててください!」

 恥ずかしさを誤魔化すように、私は声を張る。それを気にした様子もなく、石井先生は大きく首肯して「一時外出なら大丈夫かな」と言った。

 その言葉が嬉しくて、私は思わずガッツポーズをしてしまう。

「うん、喜んでくれて嬉しいよ。でも、うん、絶対にその日の八時までには帰ってきてね」

「分かりました」

 八時なら絶対に大丈夫だ。

 どれだけ長くても三時くらいで終わるはず。そこから少し話をしたりしても、その時間になら間に合う。

「話はうん、それだけかな?」

「はい、ありがとうございました」

「それじゃあ、うん、後で一時外出に必要な書類だけ書いてもらうから。また持ってくるね」

 そう言うと、石井先生は右手を上げて部屋を出て行った。


 その日の夕方。中筋くんはいつものようにお見舞いに来てくれた。

「体調はどう?」

「うん、全然大丈夫だよ。なんで入院してるのかって感じだよ」

「そうか」

 私の答えに、中筋くんは小さく笑う。

「あのね」

「どうした?」

「私、文化祭──」

「厳しいのか?」

 そうなる可能性のが高い。そう踏んでいたのか、俯き気味に中筋くんは呟いた。

「違うの。私、行けそうなの」

「えっ……」

 零れた本音、と言うべきだろうか。中筋くんは虚をつかれたようにあたふたとしている。

「よかったじゃん」

 他人ごと。本津さんにとってはそうなのだけど、何だかいつもの本津さんで無いような気がして、私は少し不安を覚える。

「う、うん。でも、一時外出だけどね」

「それで十分だろ」

 私の言葉に素っ気なくそう返した本津さんは、どこか寂しそうで、どこか虚しそうに見えた。

「御影さん、参加できるんだ」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに中筋くんは言う。

「それでね、ちゃんと実行委員の仕事したいなって思って」

「い、いいよ。御影さんは文化祭楽しもうよ」

 パタパタと手をはためかせながら、中筋くんは首も振る。手が右に動けば首も右に動く。その様子はあまりにも機械じみていて、思わず笑みをこぼしてしまう。

「でも、私……肩書きだけなんて嫌だもん。せっかく、毎日中筋くんがお見舞いに来てくれてたのに、それすらも意味がないものになっちゃう」

 私を楽しませてくれようとしてるのは、痛いほど伝わってくる。でも、それじゃ嫌なんだ。私は病人だけど、脚が動かないわけでも、手が使えないわけでも、言葉が発せないわけでも、脳に異常があるわけでもない。ただ、心臓がよわいだけ。せいぜい激しい運動が制限されるくらいだ。だから──

「細かい動きは出来ないかもしれない。でも、この中筋くんが前言ってた校内の見回りくらいはできるよ?」

 自分ができることを、私は伝えた。中筋くんはまだ何かを言おうとしている。それを遮ったのは本津さんだ。

「ならやればいいと思うよ。澪ちゃん、外出許可降りるくらいだからまだ大丈夫だと思うし」

 どこか他人事のような口調で、本津さんはそう吐き捨てた。中筋くんはそれ以上なにも言わない。ただ静かに立ち上がるだけだ。

「……待ってる」

 背を向け、ドアに向かって一歩踏み出してからそう言った。背中で語る、なんてかっこいいことは中筋くんにはできない。でも、だからこそ彼は声を出した。声を出して、言葉を紡いで、想いを、そっと吐露した。

「うん」

 少し篭った、音の小さな言葉。でも、それは確実に中筋くんに届く。中筋くんは小さく首肯し、そのまま病室を去った。


「このままでいいのか?」

 そう言ったのは本津さんだ。

「このままって?」

 何となく察しはついている。でも、言葉にするのは何だか気恥ずかしく、言葉を濁す。

「中筋ってやつのこと」

「中筋くんがどうかしたの?」

「たぶん、あの様子だと脈ありってのは確実だぞ」

 真剣な瞳が私を射抜く。あまりに真剣で、私のほうが先に目をそらしてしまう。

「そ、そうかな?」

 うれしい誤算、とでも言うべきだろうか。人間観察に長けた本津さんのいうことだ、おそらく信用できる。舞い上がってしまいそうな心を抑えて言う。

「たぶんな。でも、行動は起こさないな。澪ちゃんから起こさないと」

「やっぱりか」

 理解はできている。中筋くんは、たぶん恋愛そういうことに積極的じゃないから。それでも私に好意を抱いてくれている風に本津さんが見えたということは――

「私、がんばるしかないね」

「そうだな」

 いつもならもう少し、何かを言いそうな本津さんはそれだけをこぼした。いつもの本津さんからの違和感。でも、どこに対して違和感を覚えているのかと言われれば言語化はできない。私は何だか妙な胸騒ぎを覚えながら、明日に心を向けた。

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