第9話

「……はい?」

 ぼうっとしていると、隣の伊勢くんが笑って言った。

「北見の胸元、ちゃんと見てみ」

 言われて目を向けると、彼の胸元には、小振りながらも可愛いピンクの薔薇の花が一輪、綺麗に咲いていた。

「え? 文字じゃないんだ……」

 少し、ほっとした。

 変なことが書かれてなくて良かった。しかし、安堵したのも束の間。

「いや、もっとよーく見てみ。弾丸は二発、当たったからね」

「え? 二発って……」

 再度、伊勢くんに促され、よくよくその薔薇を見てみると、その隣に小さな小さな文字でこう書かれていた。

『あなたが気になります』

「きゃあああ!」

 今度こそ、顔を真っ赤にして私は悲鳴を上げ、そのまま恥ずかしさに卒倒しそうになる。

「ちょ、ちょっと、落ち着いて!」

 北見くんに体を支えられ、私はますます落ち着かない。じたばたしていると、後ろから野村の怒った声が聞こえてきた。

「おい、何やってんだよ! 俺はまだ、撃ってないんだぞ!」

「もう、うるさいなあ、今、それどころじゃ」

 苛立ちながら振り向くと、真っピンクの顔をした野村が傘を片手に仁王立ちしていた。

「何だ、その顔」

 一瞬の沈黙の後、佐藤がそう言って笑い出した。それに誘発されて他の連中も、勿論、私も吹き出してしまう。不服そうな顔をしていた野村本人も、つられて最後には笑い出してしまい、この奇妙な傘での撃ち合いは何となくこれでお開きとなった。


「結局さ、何が言いたかったのか判らなかった」

 顔を染めていたピンク色を水道で洗い流して、普通の顔色に戻った野村がぶつぶつ言った。

「まさか連射してくるとは。文字が塗りつぶされて読めなかったぞ」

「いいよ、別に」

 私は何だか満足して頷く。

「それなりにすっきりしたから」

 周囲を見渡すと、サクラくんのかけていた結界とやらは解かれていて、そこはいつもの夕暮れ時の学校の風景だった。

「あんたは面白くなかったかもしれないけど」

 制限時間の一時間はまだ終わっていないけど、野村は結局、三十発を撃ちきれないままだ。不満かもしれない。けれど、意外とさっぱりした顔で言う。

「別に。俺は、やられたからやり返してやろうと思っただけで、別にお前にコクリたいことなんてないから」

「まあ、そうよね」

 私は苦笑する。

「五千円も無駄遣いさせてごめんね」

「だから、別にいいって」

 と、そっぽを向いた。

「じゃあ、帰るから」

 校門の前で待つ五人組のところへ行きかけて、野村はふと私を振り返ると言った。

「……なあ、お前、北見のこと、好きなのか?」

「は?」

 唐突に言われて、私は慌てる。

「な、何言ってんの! そ、そんなこと……」

「あれはやめとけ」

「はあ? どうしてあんたにそんなこと言われなきゃならないのよ」

「だ、だから」

 気のせいだろうか、野村は、ほのかに頬を上気させ私を見る。

「あいつら、やばいって」

「あいつら?」

「伊勢と北見。出来てるんじゃないかって噂だし」

「え? 本当に?」

「いや、知らんけど」

「……何、それ」

 呆れる私に、野村は慌てて言葉を継いだ。

「と、とにかく、止めといた方がいいぞ、ゆりや」

「え。今、ゆりやって言った? 平たい顔、じゃなく?」

「な、何だよ。名前を普通に呼んだだけじゃないか。じゃあな!」

 あたふたと走り去っていく野村の後ろ姿を、私は冷たく見送った。

「何なのよ、まったく」

「君の可愛い薔薇のトゲが彼のハートに刺さったのかもね」

 気が付くと、至近距離にサクラくんが立っていた。気配が無くて私は飛び上るほど驚いた。

「……って、まだいたの?!」

「ひどいなあ。いますよ、いてもいいでしょう?」

「はいはい。どうもご苦労様でした」

 そう言って、立ち去ろうとする私に、サクラくんは、邪魔するように例のカタログをぐいと差し出した。

「では、お近づきの印にこれをどうぞ」

「え? 貰っていいの?」

「はい」

 にこにこと不穏に笑うと、彼は言う。

「また、『飴と傘』が必要になるかもしれないでしょうから」

「え? どういうこと?」

「勿論、野村くんと北見くんが、ゆりやちゃんを争って決闘なんてことになるかもしれないでしょう? この『飴と傘』を使えば、平和な決闘で済むから」

「……そんなことにはならないから」

 うんざりして私が言うと、サクラくんはそれでも笑って言葉を続ける。

「まあ、そうだとしても、また、コクリ飴が必要になるかもしれないでしょ。どうぞこのカタログを」

「いいよ。いらない」

 私はきっぱりと言った。

「今度、何か言いたいこと、告白したいことがあったら、ちゃんと自分の口で言う。だから、いいよ」

「ああ、なるほど」

 得心したように頷くと、サクラくんは差し出していたカタログをあっさりと鞄の中にしまった。その様子を見ながら、私は言ってみる。

「ねえ、サクラくんって、ただの配達員って言ってたけど、本当は敏腕営業社員だったりして?」

「ええ?」

 見るからに動揺して、サクラくんの目が泳ぐ。

「どうしてそう思うの?」

「だって、配達員がカタログを持ち歩いていること自体、変だし、私の傘に入っていたコクリ飴。あれって本当に誤配達だったの?」

「え? ええっと」

「まあ、いいよ」

 私はサクラくんに優しく微笑みかける。

「面白かったし、それに」

「それに?」

「『飴と傘』の商品説明は嘘じゃなかったから。確かに明日の空は『きれいな青空が広がること』になると思うよ」

「それは良かった」

 サクラくんは頷くと、また何かありましたらお呼びくださいと、営業スマイル全開で丁寧に頭を下げた。

「では、僕はこれにて」

「あ、うん。さよなら……」

 何となく、名残り惜しい気持ちになりながら、私はサクラくんを見送った。

 うーん、何だろう。

 どうも、何かすっきりしない感じが胸に残る。

 何か、彼に言いたいことでもあったかな?

 ふと、足元に目をやると、野村が残していった例のピストル柄の青い傘がそこに転がっていた。

「ねえ、サクラくん!」

 うん? と肩越しに振り返るサクラくんの、その背中に、私は野村の青い傘を構えて、そして発射した。

 どんっと銃口は派手に火を吹き、サクラくんの背中に見事命中する。

 その衝撃に少し、驚いた顔をしたサクラくんは、身を捩って自分の背中を見た。それで背中の文字が読めたのかどうかは怪しいが、サクラくんは何も無かったような笑顔で軽く私に手を振ると、そのまま再度、歩き出していく。

 私はというと、彼の背中に貼り付いた文字を見て、心から笑っていた。

 野村の傘を勝手に借りちゃったけど、これはきっと野村だってサクラくんに言いたかったことに違いないから、別に構わないだろう。


 去っていくサクラくんの緑の背中には、極太のゴシック体でこう書かれていた。

『飴一個で二千円はぼったくり!』

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飴と傘 夏村響 @nh3987y6

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