最終章 もしも君が織姫だったとして 2


 教室に入っていくと、あきひととクラスの男子が数人で何やら集まって話をしている。ぼくたちに気が付くと、あいさつといっしょに「あおづか、ちょうどいいところに来た。今日放課後に遊びに行こうぜ」と朝から遊びのおさそいだ。


「どこ行くの?」


「いつものショッピングモールだよ。おれも行くから、ふたりとも行こう」


 あきひとの言っている場所は、電車で数駅行った先にあるショッピングモールだ。ぼくらの定番の遊び場である。


「お、いいじゃん。おれは行く。いちろうも行くだろ? たつきゆうしようぜ」


「ん、そうだね。行こうかな」


 今日は特に予定もない。つばさをたおして、何かをおごってもらうのもいいだろう。


 机にかばんを置くと、ぼくたちは何をして遊ぶかだとか、ちょっと夏物の服が見たい、とかそんな話をしていた。すると、その中のひとりがおもむろにこんなことを言い出す。


「そういえば、この前チラシ見たんだけど、あおの家の近くで祭りがあるんだよな?」


「七夕祭りのこと? あるけど、そんなでっかい規模の祭りじゃないよ?」


 期待されても困るので正直なことを言うが、彼は「えー、でも祭りっていいじゃん。みんなで行こうぜ」とうきうきしながら言った。周りの男子も「おお、行きたい行きたい」「おれ焼きとうもろこし食べたい」「おれはかき氷。ブルーハワイ」「なんだよ、食べることばかりか?」とノリノリで話をし始めた。祭りの内容や規模に関わらず、単にそういうことして遊びたいだけのようだ。


づかは? 行くだろ?」


「あぁ行きたい。つーか、行く。おれは射的やりてぇし。この前、たちにもさそわれたからな、行くよ」


「あれ? そうなの? じゃあ、づかはほかの女子と行くってことか」


「なんで? お前らも行くんだろ? 祭りなら大勢の方が楽しいだろうし、いっしょに行けばいいだろうがよ」


 かつすぎるつばさの言葉に、しゆんに固まってしまうクラスメイト数人。その気持ちはよくわかる。


 男だけのアホでかいなおまつさわぎのはずが、つばさの一言でドキドキな夏の思い出に変わろうとしている。

 そして、後者を望んでいることは彼らの表情を見ればわかった。


 そんな中、ひとり冷静なあきひとがつばさに疑問を口にする。


「大人数の方が楽しいのはそうだけど、づかが勝手に決めちゃまずいんじゃないか? まずは女性じんいてみないと」


「わかったよ。じゃあ聞いてくる」


 つばさはさっさと女子のグループの方へと歩いて行ってしまった。相変わらず行動が早い。


 まどぎわで話し込んでいる女子のグループには、やまぶきさんの姿もあった。彼女たちの元へつばさは近付いていく。


「マジ? もしかして、やまぶきも来るの?」


 盛り上がってしまう男子グループ。みんながみんな女子のグループを見ないようにしながらも、必死で耳をそばだて、眼球だけを動かして様子をうかがう。


やまぶきさんも来るなら最高だよな……、もしかして、浴衣ゆかた姿とか見られるのかな?」


「見たら死ぬ系のやつじゃないかそれ。俺の血管はえられるだろうか」


「お。やまぶきさんも来るとなったら、もちろんお前も行くよな、いちろう?」


「んー……、いや、どうしよう」


 あきひとうれしそうにかたたたいてくるが、ぼくの表情は明るいとは言えない。ぼくは答えをしぶってしまった。

 なぜかはわからない。

 いつもならふたつ返事だったろうに、どうしてだろう。自分でもわからなかった。女の子たちといっしょにお祭りだなんて、心おどるイベントだっていうのに。


 ほかに予定があるわけでもないだろうに。


 つばさがあれこれと女子たちに説明しているのを、男子たちはひっそりと聞き耳を立てる。「えー? どうするー?」「男子といっしょかぁ」なんて声が上がるたびに、ぴくりぴくりと身体が動いていた。


 その話の中で、つばさはごく自然にやまぶきさんにも声をける。


あかはどうする? あかの家の近くみたいだし、ひまなら行こうぜ」


 つばさのその言葉に、ことさら反応する男性じん。これはしょうがない。


 クラスの女の子たちといっしょに行くお祭りはもちろん特別だし、夏の思い出としては申し分ないのだろうけど、そこにやまぶきさんがいるかどうかで大きく意味が変わってしまう。ほかの女子には申し訳ないけれど。


「えー? いやでもわたし、多分その日、予定あったと思うんだけど……」


 かみれながら、困ったようにやまぶきさんが言う。すぐさまらくたんの声を上げる男子たち。


 しかし、やまぶきさんが予定帳をぱらぱらめくるのを見て、復活する。予定の内容によっては、やまぶきさんも来られるかもしれない。

 わずかな希望にすがりついたのだ。


「……あれ?」


 やまぶきさんがきょとんとした声を上げた。予定帳のページを開いたまま固まる。つばさが予定帳を覗き込むと、そのページの一部分を指差した。


「七夕祭りってこの日だぞ。何も書いてねぇじゃん。この日に予定なんて、ないんじゃねーの?」


「あれ……、おかしいな。本当だ。何か約束があった気がしたんだけどな……」


 そう言って、やまぶきさんは何度も首をひねっていた。


 その約束事は結局彼女の口から出ることはなく、話は女子が男子と行くかどうか、というものへもどっていく。

 その様子を見ながら、あきひと以外の男子はどんどんヒートアップしていた。


 ぼくの周りの男たちが盛り上がってしまっている中、なぜだかぼくやまぶきさんに共感を覚えていた。


 ぼくもその日に約束をしていた気がするのだ。

 大事な、大事な、とても大事な約束を。


 あぁだから、ぼくは祭りに乗り気じゃないのか。約束があるから。

 でも、どんな約束か思い出せない。本当に約束したかもさだかではない。そんな気がするだけ。だれかと約束をした、何かの約束をした。


 ……ような気がする。


 そんなあいまいな、予定ですらないことにぼくしばられている。


 気のせいなのだろう。きっとそうなんだろう、とぼくは思う。


 何か意味があってしたわけじゃないけれど、ぼくはポケットからけいたいを取り出した。そこに何かがある気がしたのだ。


 朝からずっとまとわりつくかん、その正体に気が付ける何か。そのヒントがけいたいにある、気がする。


 ぼくけいたいをひっくり返す。


「………………」


 裏返した面には、何もなかった。けいたいの無機質な背面があるばかり。何かがってあるわけでもない。


 なぜ、ぼくはこんな確認をしてしまったのだろう。ここに何かがあると思ったのだろうか。だとしたら、それはなんだ?


「? どうかしたのか、いちろう


「いや……、何でもない。何でもない、はず」


 そこでれいひびく。「この話はまたあとだな」というアイコンタクトを取りながら、ぼくたちは自分の席へともどっていった。


「はぁい、みなさんおはようございます」


 りちほんれいと同時に教室へ入ってくる、ぼくたちの担任のもも先生。彼女のおっとりとした声は朝だとどうしてもねむさそう。彼女は眼鏡の位置を直しながら、教室をわたしていた。


「今日は欠席者もおらず、全員出席ですね。みんなえらい。それでは、朝のホームルームを始めます」


 生徒が全員そろっているだけで、にこにこと本当にうれしそうにしているもも先生。そのおだやかな笑みにいやされながらも、彼女の言葉が何だかかった。全員出席。


 それにしては、生徒の数が足りないのではないだろうか。


 ぼくはそっと教室の様子をうかがう。確かに用意された席には生徒が全員座っていて、一見、欠席者はいないように見える。……見える。でも、おかしくないだろうか。


 だれか忘れているんじゃないか?


 そうじゃなきゃ、こんなことを考えないだろう。きっと、存在感のある人がいないのだ。それがだれかはわからない。ただ、だれかが足りないということだけがわかる。


「……ねぇ、つばさ。うちのクラスってこれで全員そろってる?」


「は? 当たり前だろ、何言ってんだ。見りゃわかんだろ」


 前の席のつばさに小声でたずねると、乱暴な声が返ってくる。その声が思いのほか大きい。


 もちろんもも先生は気が付いていて、「そこのふたり、静かにしようね?」と人差し指をくちびるに当てていた。ばつが悪いので、ぼくはそれ以上追及するのをやめた。


「………………」


 おかしい。そう思いつつも、ぼくは首をひねるだけで何も口にはしなかった。






ずいぶんあまい球だな、いちろうッ! ぬるいぜオラァッ!」


 ふわりとかんだ白球を前に、つばさの身体が飛ぶ。スカートをはためかせながら大きくりかぶると、ぜんしんぜんれいを込めた球が思い切りぼくの場へと打ち込まれた。勢いが強すぎる。


 カットなんてできるわけもなく、はじんだ球が顔のすぐ横をけていくのを、ただ見ているしかなかった。



 彼女は白球をにぎってサーブの体勢に入りながら、にやにやといやな笑みをかべている。


「今日は集中できてないんじゃねぇーの、さっきから返ってくる球があまいぜ。こりゃらーめんはおれのもんだな」


 くやしいが、言い返すこともできない。だんはそれなりにいい勝負をするぼくだけど、今日はそりゃもうやられたい放題だった。彼女の言う通り、集中力が欠けているのかもしれない。


 放課後、クラスメイトたちと約束した通り、ぼくたちはショッピングモールへと遊びに来ていた。今はその中のスポーツせつにやってきている。


 そこで始まったのがこのたつきゆう勝負だ。らーめんをけたこの戦いはぼくれつせいで、後ろで観戦している男子たちが「気合入れろよ、あおー」と野次を飛ばしてくる。いつもつばさの相手をぼくけてくるっていうのに、のんきなものだ。


「このままだと、前回に引き続いておれの二連勝になりそうだな。ごちそうさん」


「ん? いや、二連勝はおかしいでしょ。前回はぼくが勝ったじゃない。ケーキおごってもらった」


「あ? 何言ってんだ、ケーキなんてってねぇぞ。前はたこ焼きだったじゃねぇか」


「あれ、そうだっけ……?」


 そう言われると、そんな気がしてくる。前はそれなりに快勝だった気がしていたんだけど、これも気のせいだろうか。うーん。集中力どころか、おくりよくさえも欠けている気がする。


 そんな精神状態で彼女の球をさばけるほどあまくはなく、今回はズタボロに負けてしまった。


 それどころか、その日一日はずいぶんとぼうっとしてしまっていた。


 スポーツせつのあとはゲームセンターで遊び、服を見たいという人がいたので服屋に行き、帰り道でらーめん屋へ寄った。


 何となくプリクラを見ていたら、「何だよ、いちろう。せっかくだからおれっておくか?」とあきひとに笑われてしまい、レディースの服をながめていたら、「お前にそれは似合わねーだろ」とつばさにからかわれた。


 そんなことばかりだ。どれも別に意図があって見ていたわけでないのだけど、気が付けば視線が吸い寄せられてしまっていた。



 何だろう。


 何なんだろう。


 自分から何か大きなものが欠けてしまっている感覚。小さいころから大事にしていたタオルケットを取り上げられてしまったかのような、何とも言えない心細さ。


 それがずっとぼくに付きまとっている。


 ぼくは何か忘れているんじゃないだろうか。


 それも大事な、本当に大事なことを。


 いつもと変わらない一日を過ごしているというのに、そうしつかんが胸に穴を開けている。何かが足りない。確実に足りないものがある。


 穴は大きく広がっていて、そう簡単にまりそうはない。その大切な何かを思い出さない限り、ぼくは半身を失ったかのような不安をぬぐえない。

 そんな気がする。


 けれど、答えが出ることはなかった。ぼくはぼんやりとしながら、そのまま月日は過ぎていく。


 穴が開いたまま過ごしていく。


 そうしているうちに、そんなかんにも慣れていってしまっていた。

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