最終章 もしも君が織姫だったとして 3


 自室のベッドに転がりながら、けいたいをイジる。今日は七月一週目の土曜日。七夕祭りの日である。リビングでおそめのお昼ご飯を食べたあと、特に予定がないぼくは自室でだらだらと過ごしていた。


『やっぱりいちろうは行かないのか? やまぶきさんも来るかもしれないのに』


 あきひとからそんなメッセージが届いたので、「うん、やめとく」と短い返事を書いておいた。

 結局、男子たちは何人かの女子とお祭りへ行くことに成功したらしい。だれが行くかまではわからない。

 その中にやまぶきさんがいるかどうかは、男子たちもわからないままらしい。


 ぼくも何度かさそわれていたけど、先日、行かない、と言ってしまっていた。理由は特にない。単に気が乗らなかっただけだろう。ぼくがいないと勝負する相手がいないので、つばさは何度か行こうとさそってきたけれど、結局行かないことにした。


 今日は家から出ないかもしれない。まぁでも、のんびりと休日を過ごすのもまたいいだろう。


 そんなことを考えていると、妹がぼくの部屋の前を通りかかった。とびらを開けっぱなしにしているので、ぼくを見ながら通り過ぎるのが目に入る。その数秒後だ。彼女は入口から「おにぃ」とひょこっと顔を出した。


「今日、七夕祭りだけど、おにぃは行かないの」


「あー、うん。今年は行かないことにした」


「ふぅん。そうなんだ」


さそって欲しかった?」


「バカじゃないの」


 短く言い放つと、はさっさと自分の部屋へもどっていった。


 夏は日が長いけれど、ばんはんを食べ終えるころには外はすっかり暗くなっていた。


 だというのに、いつもと空気がちがうのは祭りの熱のせいだ。遠くからの音のせい。わずかに聞こえるまつりばやの中で、どーんどーん、とだいの音がよりひびいているのがわかる。


 うちから祭りの会場まではそれなりにはなれているのに、ここまで聞こえてくるのだ。


 しかし、それよりも近くで何だかさわがしい声が聞こえてきたので窓に近付く。見下ろすと、小学一年生くらいの男女ふたりが家の前を走っていた。ふたりとも浴衣ゆかただ。手をつないで、きゃっきゃとうれしそうに走っている。


 その後ろから、「あんまり走らないでー」と母親らしき女性が声を上げているのが見えた。女性はふたり。それぞれの母親だろうか。共通しているのは、ふたりともほほましい視線を子供に向けているところ。


 はしゃいでいるふたりは本当に楽しそうで、まだ祭り会場に着いていないのに満面の笑みだった。楽しみで仕方がないといった感じ。ほんわかした気分になる。


 ……しかし、それと同時にえも言われぬ感情が自分に芽生えていることに気が付いた。


「………………」


 自分でもよくわからない感情なのだけれど、なぜだかぼくあせりを覚えていた。異様なまでのしようそうかん。ここにいてはいけないような気がするのだ。こんなことをしている場合ではない。頭のおくで、何かがそううつたえかけている。


 ぼくは、何かすべきことがあったのではないだろうか。


 久々に意識させられる、胸に開いた穴の存在。どうしようもないほどのそうしつかん。それがあせりと混ざり合って、そわそわと落ち着かない。しかし、どうしろと。何をしろと。わからないまま、ぼくの身体は動き出す。


 ぼくは階段を下りて、げんかんへ向かう。くつひもめていると、ぼくに気が付いた母親に声をけられた。


「あれ、なに。けるの?」


「えー、あー、うん。ちょっと、コンビニ」


 なぜうそいたのかはわからない。いや、本当にコンビニへ行くつもりだったのかもしれない。自分の気持ちもわからないまま、ぼくは家を出た。


 自然と足は祭り会場へ向かっていた。まるでまつりばやさそわれるように。さっきの子たちのように笑みをかべるわけでもなく、友達と待ち合わせをするわけでもなく、ぼくはただただ祭り会場へ足を運んでいた。ぼうっとしている間に、会場に着いてしまう。


 にぎやかだった。

 だんは何のへんてつもない道に光がともっている。屋台かられる光や、ぶらさげられたちようちんの光が合わさって、かつきような空気に呼応している。人も多い。


 屋台の間をたくさんの人たちが歩いていて、浴衣ゆかた姿の人も大勢いた。一様に楽しげにしながら、笑顔で歩いている。こうばしいにおいにつられると、ソースをがしながらじゅうじゅうと焼きそばが作られている。かしゃんかしゃんと音を鳴らしている。


 他にもたこ焼きやお好み焼きから始まり、チョコバナナにわたあめ、りんごあめ。夕食を食べたからお腹はすいていないはずなのに、おいしそうに食べ歩きしている人を見ると、つい買ってしまいたくなる。


 

 ここは楽しいふんに包まれている。歩いている人は、みんな笑顔だ。


 なのになぜ、ぼくはこんなところにひとりで来たのだろうか。はなやかな空気の中を、ぼうっと歩いていく。


 あまり見られたくない姿だというのに。もし、遊びに来ているつばさたちに見つかったら、どう言い訳をすればいいだろうか。


「あ、よかったらどうぞー。願いごとを書いて、ささにつるしてくださいー」


 そんな声が聞こえてきたので、視線を向ける。「パパ、たんざく!」と小さな子供がはしゃいでいるのが見えた。たんざくを配っているようだ。


 七夕祭りがつうのお祭りとちがう部分がこれだ。色んなところでたんざくを配っていて、会場の様々な場所に用意されたささたんざくをつるすのだ。


 近くのささを見ると、たくさんのたんざくがつるされていて、とてもれいだった。人の願いがこもったささかざり。

 それを見ていると、何だかうらやましくなってきて、ぼくたんざくをもらうことにした。


「………………」


 願いをさらさらと書いて、再び祭りの中を歩いていく。どこにつるそうか。別にどこでもいいといえば、いいのだけど……。


 そこでひとつ、思い出したことがあった。



 今ではずいぶん昔の話になってしまうけれど、世界一かわいい女の子、やまぶきさんとぼくおさなじみであり、いっしょにこの祭りへ来たこともある。本当に昔の話になっちゃうけど。


 そのとき、なぜか神社のけいだいまよんでしまった。明かりも何もない、だん通りの暗い場所だっていうのに、そこには一本の小さなささがあった。

 ほかの人はだれも気付いていない。


 それにはしゃいだ幼いころぼくやまぶきさんは、自分たちだけのささたんざくをつるしたのだ。



「今も用意してくれてるのかな、あのささ


 やまぶきさんといっしょに行ったのはその年が最後で、以降は妹といっしょに行ったり行かなかったりだったのだが、けいだいには近付かなかった。

 だから、あそこにささが置いてあるかどうかはわからない。


 思い出すと、何だかとても気になってしまった。せっかくひとりで来ているのだし、ふらりとのぞいてみるのもいいかもしれない。それが済めば帰ろう。


 さすがにひとりで祭りの場に留まっていても、楽しいことはないだろう。


 そうと決まれば、すぐにけいだいへ向かった。自然と早足になる。多くの人とすれちがいながら、ぼくあせりをおさえて石段を探す。なぜかあせっていた。すぐにでもそこに向かいたい。


 しようそうかんが背中をき、されるようにして足を速める。


 祭りのけんそうからそっとはなれ、ぼくは石段に足をかけた。長い階段だ。だんでもここをのぼることはないけれど、祭りの場なら余計だ。近付く理由がない。


 ぼくはせっせと階段をのぼっていく。

 いや、がっていた。長い階段をゆっくりのぼることがまんならず、勢い良く石段をる。


 足を上げるごとに光からはなれていき、けいだいに近付くほど夜の姿へもどっていく。実に暗い。


 のぼってみると、そこには明かりも何もない、ただの神社の姿だけがあった。鳥居を前にして、ぼくは一度深呼吸する。すっかり息が上がっていた。ほおを伝うあせぬぐいながら、息を整えようと努力する。


 静かだった。

 木々に囲まれた場所で、参道の先に小さなはい殿でんが構えている。それ以外にめぼしいものもない。



 しかし、しかしだ。


 おどろくべきごとに、何の明かりもない場所だというのに、参道の上に宿る小さな光がある。かがやきだ。ぼくはそれが目に入ったとき、神社に宿る人ならざる者かと思ったくらいだ。けれどちがう。あれは人間だ。


 ……しかし、ただの人ではない。


 すずしげな青い浴衣ゆかた。それに白くれいな花がいろどられ、赤い帯がりよくをより引き立たせる。


 浴衣ゆかたからのぞく足はわずかだけれど、ぞうには形の良い指が並んでいた。浴衣ゆかた姿の女の子。


 それだけでも「おっ」となるのに、その顔を見ればリアクションはそれで済むはずがない。長いかみを後ろでまとめ、しとやかな首筋が見えている。彼女は浴衣ゆかたもばっちり着こなせるんだな、と感心してしまっていた。うっとりするほど可憐な姿だ。人外とまがうのもいたかたない。


 彼女の名前はやまぶきあか。世界で一番かわいい女の子である。


 なぜ彼女がこんなところにいるかはわからない。けれど、それはぼくだって同じだろう。


 足音でだれかが来たことはわかったらしく、やまぶきさんはぼくの方に目を向ける。そして、その表情をおどろきで染めた。


 何が言いたいのかはいちもくりようぜんぼくたちはたがいに指を差した。


、どうしてここに?」


、なんで君がこんなところに?」


 そう言いつつも、まさか、と思う。


 彼女の手にはたんざくにぎられている。ぼくと同じだ。


 つまり、つまり、それは──、って待ったちょっと待った。

 今さっき、彼女はなんと言った? 再び同じタイミングで、ぼくらは言葉を口にする。


「きぃ、くん……?」


あか、ちゃん……?」



 なぜそんな大昔の呼び名が飛び出したのだろうか。

 しかも、ふたりそろって。あまりにも自然に呼ぶものだったから、最初はかんに気が付けなかったくらいだ。


 ぼくたちはおたがいをじっと見つめ合う。まどいとわずかな興奮の中で感情がれていた。なぜここに彼女が。どうして昔の呼び名が出てきてしまったのか。全くわからない。


 わからないのに、なぜかぼくは答えを知っている気がした。


 そのときである。


 急に風が巻き起こったのだ。勢いのある突風に目をつぶってしまう。


 ぼくやまぶきさんとの間に入り込むように、その風は発生していた。それはうずのようになっている。


 小さなたつまきだ。周りの木の葉を巻き上げていくのが見える。勢いがかなり強く、かみと服がばたばたとれていくほどで、ぼくうでで顔をおおった。うでの間からなぞの強風を見つめる。


 そこで気が付いた。


 木の葉を巻き上げているように見えたのだが、よく目をらしてみるとそれは葉っぱではないようだった。もっと小さなもの。そのひとつがぼくの顔に向かってきて、ようやくそれが何かわかった。


「桜の花びら……?」


 顔に張り付いたものを指で取ると、ももいろの花びらがはさまっていた。桜の花びら。


 しかし、おかしい。

 季節はすでに夏に入っていて、桜なんてとっくの昔に散っている。散った花がどこかに残っていたのだろうか。


 いや、そうではない。

 っている花びらの数は一枚や二枚どころではないのだ。


 いつの間にか、大量の桜の花びらが風にまれ、桜のたつまきを作り上げていた。


 なんだあれは。


 花びらのたつまきはなおも数を集めながら、じよじよに宙へがっていく。あつに取られていると、その光景はさらに不可思議なものへと変化していった。


 大量の桜の花びら。がった先で人の姿をかたどったかと思うと、いつしゆんきらめきのあと、本当に人の姿へ変わってしまったのだ。


 それは女の子の姿をしていた。

 銀色にかがやく髪を三つ編みにして、身長と同じくらいの長さまでばしている。はだの色は浅黒い。なぜかぼくたちの高校の制服に身を包んでいた。彼女は空中で両手をばし、ゆっくりと地面へと降りてきている。


 あまりにもげんそうてきな姿に、何かのせいれいではないかと思うくらいだった。



「──たましいのこもった青春は、そうたやすくほろんでしまうものではない」



 彼女はつぶっていた目を開けると、感情のこもっていない無機質な声で言う。だが、ちゃんとした女の子の声だ。人の声だ。


 彼女は一体何なのだ、と混乱しているぼくは、ただただ彼女を見つめることしかできない。山吹さんも同じだ。ぽかんとしてしまっている。



「ドイツの詩人、ハンス・カロッサの言葉です。本当にその通り。たやすくほろぶものではなかった──」



 彼女が地面へ下り立つと、まとっていた風が八方へと流れていく。ふわりとスカートがった。

 そして、彼女は手のひらを差し出す。

 その上にあるのは大量の桜の花びら──だが、それはいつしゆんで分厚い黒い本へと姿を変えた。彼女はそれ開きながら、静かに言い放つ。


「すべては忘れ去られた物語。けれど、ほろばなかった物語。未だ長き道は遠い先まで──さぁ、再び青春ミツシヨンを始めましょう」

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