第三章 デートへ行きましょう 8


 しばらく歩いているうちにあかちゃんのあしこしも回復し、そのあとはつうにいっしょに帰った。


 最初の方はしおらしく、何度かお礼をかえしていたあかちゃんだったけど、さすがにちゆうからはつうにしてくれた。おかげで助かった。

 しゅんとしている彼女は結構心臓あたりにクる。


 家が近所なので近くまでいっしょに。小さいころ、暗くなるまで遊んだあと、いつも別れていた場所までだ。住宅街の交差点。少し歩けば彼女の家にはすぐに着く。すでに日はしずみかけていて、すっかり夕方の色に染まっていた。


「それじゃあ、あかちゃん。来週、また学校で」


「うん。またね、きぃくん。今日は本当にありがとう」


 彼女は交差点で立ち止まり、小さく手をる。ぼくもそれに手をかえしてから、彼女に背を向けた。ゆっくりと歩く。背中の痛みはすでに消えてくれていた。


「きぃくーん」


 少し歩いたところで、彼女に呼び止められた。


 かえると、彼女はその場で立ち止まったままだった。その位置から声をけてくる。


「ひとついていいかしら」


「なに?」


 ぼくも足を止めて、彼女の問いかけに応える。


 あかちゃんは夕日をバックにしながら、ぼくえていた。手を後ろに回し、少しだけ首をかしげて。


 くちびるほほみを作っている。目をわずかに細めながら、あかちゃんはやさしい声で問いかけた。


「きぃくんは、いつもわたしを助けてくれるね。のろいのことも、さっきのこともそう。自分の危険をかえりみず、飛び出してきてくれる。……昔、みたいに。ねぇきぃくん。きぃくんがいつも助けてくれるのは、どうして?」


「────」


 その問いに、すぐに答えられなかった。どうして彼女を助けるのか。簡単だ、ぼくは彼女とそういう約束をしている。それがあるから、ぼくはすぐに動けるのだ。


 でもそれはきっと、ぼくだけが覚えている約束。彼女はきっと覚えてはいない。


 と思っていたのに。


 何だろう、これは。この質問は。もしかして、あかちゃんも覚えているのだろうか。だって、そうじゃなきゃ、わざわざ〝昔みたいに〟なんて言わないのではないか。


 あかちゃんはそっと視線を下ろす。

 けれど、ちらちらとぼくを見上げる。そのひとみには期待の色が宿っている。気がする。ほおは赤く染まっていた。


 それは、背中にある夕日のせいだろうか。口元にかぶ小さな笑み。その笑顔が意味するものは何だろう。


 あかちゃんに約束のことを話すのは簡単だ。昔、こんな約束をしたんだよ。そう言えばいい。

 もし、それが彼女の期待する答えだったら、それはとても幸せなことだろう。


 けれど、そうでなかったら。


 あかちゃんが約束のことなんて覚えていなければ。……それだとちょっと、いや、かなりづらい。大昔にした約束をぼくだけが勝手に覚えていて、それをりちに守ろうと必死になっているなんて。

 気持ち悪いと思われないだろうか。いや、思われてしまいそう。


 そんなふうに思われたら、死んでしまう。いやすぎて死んでしまう。


「……とつに身体が動いちゃうだけだから。何か考えがあったわけじゃないよ」


 ぼくが目をらしながら言うと、「ふぅん」とあかちゃんは声にふくみを持たせる。


 彼女は目を細めながら、こちらの顔をのぞむように見上げていた。


「そうなの。ざーんねん」


 と、全く残念じゃなさそうに言う。

 残念って何が。ぼくが問い返す前に、彼女は「それじゃねー」と手をひらひらさせながら歩いて行ってしまった。


「……どう答えるのが正解だったんだろう」


 置いていかれたぼくは、ひとりでそうつぶやくことしかできなかった。


 いろいろあったものの、そこからはいつも通りの休日だった。家に帰ってからおに入り、ばんはんを食べる。ただ、母さんには申し訳ないけれど、あまりばんはんの味はわからなかった。


 夕食を終えたあと、リビングでテレビをる。ソファにもたれながらダラっとしていると、いきなり頭に手を置かれた。見上げる。フード付きのスウェットと短パンという部屋着のがそこにいた。ぼくの顔を見ずに、無愛想に言う。


「コンビニ行きたいんだけど」


「……行けばいいじゃない」


「夜こわいんですけど」


 コンビニへは行きたいけど、夜道はこわい。そういうことらしい。時計を見ると、すでに二十一時を回っている。確かに妹ひとりで行かせるには危ないかもしれない。


 ぼくは身体を起こしながら、「お兄ちゃんにちゃんとお願いできたら行ってあげよう」とに言うが、彼女はさっさとげんかんへ向かってしまっていた。


 ふたりしてサンダルをいてコンビニへ向かう。


 近所のコンビニへ行くには公園の前を通らないといけない。ここが危ない。


 街灯も人通りも少なく、公園のいけがきが身をかくす場所を作るので、ひとりで通るにはいささかこわい。


 ……まぁ、それを利用してカップルがイチャついているときもあるんだけど。


 公園の前を通り、コンビニへ入っていく。ぼくは買うものもないので、適当に店内をうろつく。妹は早かった。慣れた様子で雑誌と筆記用具をいくつか買うと、すぐにぼくの元へもどってきて、すそを引っ張ってくる。くくったかみが静かにれた。


「おにぃ、アイス食べたい」


「自分で買いなよ……」


 そう言いつつも、妹にねだられてしまうと兄としては弱い。

 結局、ぼくの分の棒アイスを買った。はチョコでぼくはバニラ。帰り道に食べながら歩いていく。


「おにぃ、一口ちょうだい」


「ん」


 アイスをすと、がじっとかじっていく。


ぼくも一口」


「やだ」


うそだろ……」


 やりたい放題か、この妹……。


 ふたり並んで歩いていたのだが、公園の前でぼくの足が止まる。が「なに?」という顔で見上げてきた。それには答えずに、耳をます。


「……何か聞こえない?」


「やめてよ。おどろかせるつもりなら、つまんないから」


 しんらつすぎる。そんなつもりは毛頭なくて、確かにさっきみような音が聞こえたのだ。いけがきの前でしばらくたたずむ。


 すると、はっきりと「がさっ」という音とともにいけがきれた。ガサガサと音と動きが大きくなる。ねこでもいるのだろうか。


 いや、これはちょっと大きすぎる。妹がぼくうでにすがりついて、ぼくかげかくれるのがわかった。でもお兄ちゃんもかなりビビってしまっているので、あまりたよりにはならなそうなんだけど。


 ひときわ大きいガサッ! という音とともに、それは正体を現した。


 いけがきの中から人の顔が飛び出す。夜道でもひかかがやく銀色のかみねむたげなひとみ。三つ編みが勢い良く飛び出したかと思うと、いけがきたたきながら着地する。|


 いけがきの中に身体をめながら頭だけを出す少女。ねこではなく、しろくまねこ


 はるがなぜか、いけがきまりながら声をけてきた。


「どうも、いちろうさん。ぐうですね」


「……どうしたの、はる。こんなところで、なんでまっているの」


「お気になさらず。コンビニへ行くちゆうですので」


 どうやったらコンビニへ行く道のりで、公園のいけがきまることができるのか。それに関しては何も言わないことにした。代わりに、「はるもコンビニ行くんだ」と口にする。


 生活けんが不明というか、だん何をしているかわからないせいれいなので、コンビニという場所に行くのが何だかおかしかったのだ。


「………………」


 しかし、ぼくの問いになぜかはるは答えない。だまんでみどりいろの目をぼくに向けている。


「そちらは、どなたですか?」


 彼女の目がぼくから、ぼくにくっついている妹へ向けられた。あまりにもエキセントリックな登場の仕方をしたはるに対して、けいかいしんを出しながらぼくかげかくれている。


「あぁ、妹。妹の。ほらあいさつして。この子はクラスメイトのしろくまねこはるさん」


「……どうも」


 ぼくうでつかんだまま、ぺこりと頭を下げるだけだった。だんなら無愛想な、と注意するところだけれど、相手が相手だからなぁ……。いけがきまってるし。


 はるも気にした様子はなく、いつもの無表情顔をさらすだけだ。何も言おうとはせず、ぼくたち兄妹きようだいをただ見つめていた。


 このまま立ち去ってもよかったのだが、はるきたいことがあったのを思い出して、彼女に顔を近付けた。には聞こえないように、ぼそりと。


はる。ミッションってどうなった?」


 いてはみたけれど、ダメ元だ。本当に達成しているのなら、その直後にはるが姿を見せているだろう。

 案の定、はるは「何も」と短く否定するだけだった。


「……そっか。ありがと」


 やはり達成には至らず、だ。こうなってくると、いよいよミッションの内容がわからなくなってくる。見当もつかない。ため息が出てしまいそうだ。


 これは週明け、またあかちゃんと話し合わないといけないだろう。


 はるは別れのあいさつもないままにいけがきの中へもどっていった。


 最初からそこにはだれもいなかったかのように、公園にせいじやくもどってくる。


「おにぃの友達って、ずいぶん変わってるね……」


 ぼくうでつかまったまま、あきれるように言った。はるを基準にされるとぼくも困るのだが。ぼくは何も言わずに、そのまま歩き出す。


 すると、なぜかぼくうでつかまったまま、歩きづらそうにしながらついてきた。


「……いや、歩きにくいから。はなれてよ」


「……こしが……けて……」


 ぼくの顔を見ないまま、苦虫をつぶしたような表情でそう言う。おどろき過ぎでしょ。ぼくあきれながら、仕方なくそのまま妹を引きずっていった。今日はこんなんばっかか。


「ん?」


 そのなかみような視線を感じてかえる。そこには暗い道が続いていた。たよりない街灯がわずかに道を照らしている。


 そこに見知った背中を見た。……気がした。暗くてよくは見えない。けれど、げるように走っていく人がいる。かみの長い女性だ。れるかみを見て、ぼくはひとりの人物をおもかべた。


あかちゃん……?」


 その背中はすぐに見えなくなってしまう。ぼくつぶやきに返事をするわけもなく、げんそうな顔でぼくを見上げていた。


 ……いや、多分ひとちがいだろう。彼女のことばかり考え過ぎだ。かみが長ければみんなあかちゃんに見えてしまうのではないだろうか。


 ひとりで勝手にずかしくなって、ぼくほおく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る