第四章 心に最後に残るモノ

第四章 心に最後に残るモノ 1





 中学に上がったばかりのころ。彼女と同じクラスになったことがある。


 もちろんぼくは彼女にせつしよくしようとはしなかったし、彼女もそうしようとはしなかった。


 けていると言えばそうなのかもしれない。


 ある日の放課後、ほかのクラスの男子に声をけられた。だれかは覚えていない。けれど、きっと話す程度の仲ではあったのだろう。彼はろうから、教室内にいるぼくに手招きをした。


「悪いんだけど、やまぶきを呼び出してくれないかな」


 彼はきんちようかくしもせずに言う。あぁきっと告白でもするのだろう。ぼくでも一目でわかるようなわかりやすさだった。


 彼女はモテた。中学生になって、より大人っぽくなって、れいになって。新しいかんきようにおいて、彼女の存在はよりきらびやかになっていた。告白もめずらしくない。


 もうすっかり、ぼくの手が届く位置からははなれてしまっていた。


 たのまれてしまったので、ぼくは彼女に近付く。久しぶりだった。初めて彼女をけて以来、一度も話したことがなかったのだ。


 彼女はクラスメイトとおしゃべりをしていた。みんな、くつたくなく笑っている。クラスの中心人物ばかりのきらきらした集まりだった。彼女はそこがとても似合う。


「あの」


 そのグループに声をけると、おしゃべりが止まってぼくに目を向けられる。「なに?」「どうしたの?」と声をけてくる中、彼女だけはおどろいた顔でぼくを見ていた。


 そして、すぐにその表情がゆるむ。期待と少しのこうようがそんな表情をさせていた。

 ──と、思うのは自惚うぬぼれが過ぎるだろう。ぼくはそれを見なかったふりをして、彼女に声をけたのだ。


やまぶきさん」


 初めて口にするその名前。それを聞いたたん、彼女からは表情が消えた。固まってしまった。けれど、ぼくは気にせずに言葉を続ける。


「あの人が、用があるから来てくれってさ」


 ぼくは教室の外を指差す。やまぶきさんはゆっくりとその指先を追っていった。表情がないまま。


 そうして、少しだけ笑う。あきれたような、がっかりしたような顔で、少しだけ笑ったのだ。


「ありがとう、あおくん。すぐに行くわ」


 立ち上がって、教室の外へ向かっていく彼女。伝言を終えたぼくは、彼女に背を向けて歩き出した。





 週明けの月曜日。


 教室内の空気がいつもとちがう。


 ぼくが入ってきたしゆんかんに、ぴたりと静まり返った。おどろいて足を止めてしまう。


 周りをわたすと、クラスのみんながぼくに目を向けていて、何人かがひそひそと話し込んでいるのが見えた。


 こうしんに満ちた笑みや、しぶい表情を作っている男子など、浴びたことのない視線がさってくる。


 何だろう……。


 ぼくかんを覚えながらも、いつも通りに自分の席へ座る。そばを通るときに、前の席のつばさに「よう、色男」と声をけられた。


 次は「だいじようなのか、いちろう」という声。あきひとだった。彼はぼくの席までってくると、心配そうな表情でそう言うのだ。


「どうしたのさ、ふたりとも」


 かばんを下ろしていると、つばさがかえりながら口を開いた。


うわさになってるぜ。お前、休みの日にあかとデートしてたんだろ? えんおさなじみって言ってたくせに、なかなかやるじゃねぇか」


 つばさのシンプルな一言に、ぼくぜんとした。うそだろ。なぜそんなことを知っている。だれかに見られていたのだろうか。


 そこであきひとの顔を見てしまう。ぼくがデートに行くと言ったのは彼だけだ。だが、あきひとちがう。あきひとらすような人ではない。


 きっとあきひとならデートの相手を察していただろうけど、察した上でだまっていてくれたはずだ。


 どうしようもないしようそうかんが身体の中をいずりまわる。やってしまった。考えてみれば当然だ。


 あかちゃんの容姿は目立つ。外を歩けばだれもが視線をつられるくらいに、彼女の容姿はきわっている。


 その視線の中に知り合いが混じっていたのだろう。彼女のとなりぼくが立っていれば、あの男は何だ、という話になる。あらぬ誤解を与える。


 そうなれば、あとは話が大きく転がっていくばかり。


 かつだった。知り合いがつうにいるような場所で、ふたりで遊ぶべきではなかったのだ。


 ぼくがどう弁明したものか、と考えているうちに、ぼくの席にどっとクラスの男子がせてきた。

 つばさの話に乗るようにしながら、興奮気味に声を重ねていく。


「おいおいあおかんべんしてくれよ。あのやまぶきとデートだって? おれはこんなにも人をにくいと思ったのは初めてだよ。彼女持ちってだけで腹立つのに、相手があのやまぶきって」


おれなんてやまぶきにフラれてさぁ、『そういうのよくわかんないから』って言われてたのに、すげーショックだよ。マジかよ、あお、お前マジかよぉ」


「聞いたんだけど、お前らおさなじみなんだって? やっぱつえーのかよ、おさなじみ。生まれで差ぁつけられたらどうしようもねーじゃん」


「くっそぉ、死ぬほどくやしいぞ、あおァ。いいよなぁ、あんな彼女。うらやましー」


 ぼくが何かを言う前に、彼らは一方的に好き勝手なことを言ってくる。止める間もない。すでに彼らは、実物のぼくらの話をしていない。


 ふくらんだうわさばなしをさらにふくらませて、盛り上がって楽しんでいる。盛り上がっているだけならまだいい。


 中には、本気でぼくうらみがましい視線を送る人もいた。


「ちょっと待てって、お前ら。いちろうはまだ何も言ってないだろ。勝手なこと言うなよ」


 あきひととがめてくれるが、ほかの人たちは聞いていない。止められていない。


 確かにぼくあかちゃんはデートをした。しかしそれはミッションのためであり、特別な関係になったわけではない。そんな誤解をされるのは、彼女に申し訳ない。


 これはぼくが一番おそれていたことだ。こんなふうに関係を誤解されてしまうことが。


 あれだけれいで人気のある女の子の相手が、ぼくみたいなへいぼんな男であっていいはずがないのに。


「ま、待ってって! 誤解だよ、ぼくとあか──やまぶきさんはそんなんじゃない!」


 あわてて、ぼくは大声を張り上げる。そんな声がぼくから出てくるとは思わなかったのか、みな一様におどろいた目を向けてくる。それで彼らのおしゃべりも収まった。


 あきひとだけが心配そうな目を向けてくるが、ぼくは改めて言う。


「別にぼくやまぶきさんと付き合っているわけじゃないし、そんな関係でもない。確かにこの前の休みはいっしょに遊んだけど、あのときははるだっていた。ふたりきりってわけじゃない」


 ぼくの言葉に、そうなの? と彼らは顔を見合わせた。とつに出てきた話にしては上出来だ。らーめん屋だけだったとはいえ、あのときははるもいた。うそいているわけじゃない。


 水を差すことができたのか、彼らの勢いは明らかにがれていた。代わりに、つばさが手を頭の後ろで組みながら、ぼそりと言う。


「でも最近お前ら、何だか仲が良さそうじゃん」


 かみらしながら、彼女は無責任にもそう言う。言い返そうとしたが、それより早くに周りの男たちが声を上げた。


「そういえば、おれあおやまぶきがいっしょにいるところを見たぞ」


「あ、ぼくも。一回、弁当箱持ってどっか行くの見たことがある」


「でも、そのときもしろくまねこがいたな。なに、あおお前は結局どっちねらいなの?」


「というか、そんな両手に花で、しかも片方がやまぶきさんっていうだけでおれは許せん」


おれだってできるならやまぶきといっしょに昼飯いてえよ」


 先ほどまでの熱はないものの、それでもりずに彼らはぼくたちの関係をさぐろうとしてくる。何もないと言っているのに。


 ぼくの口からどれだけ否定しようとも、もしかしたらあまり関係ないのかもしれない。発言権がないとでも言おうか。


 ぼくがひとりでわめいていても、きっとダメなのだ。


 

 これを否定できるというのなら、それは。



「お、やまぶきがやってきたぞ。これではっきりするな」


 教室の出入り口からあかちゃんが入ってくる。彼女はいつものように、まぶしい笑顔でクラスの人たちにあいさつをしていた。


 それを見て、すぐに彼女の元へと集まっていく男たち。男だけではない。今度はクラスの女子たちもそこに加わっていた。


「え、なに、どうしたの」


 急にクラスメイトに囲まれて、まどいの表情をかべるあかちゃん。


 そして、先ほどのぼくと同じように彼女はめられていた。「あおとデートしていたのは本当なのか」「もしかして付き合っているのか」。今度は男女ともにである。


「あぁ、なに。もしかして、だれか見ていたの?」


 参ったな、と彼女は照れくさそうに笑う。ほのかにほおを赤く染めて、ずかしそうに笑みをかべている。



 ──待ってくれ。


 心臓が大きくねる。ダメだろう、その反応は。そんな誤解されるような反応をしちゃダメだ。


 思った通り、みんなおどろきをかべている。男子は信じられない、とぜんとして、女子たちはっている。「あぁでも、別に付き合っているわけじゃないわよ」という彼女の言葉は、きちんと届いているのかどうかあやしかった。


 何人かがかえり、ぼくの顔を見つめている。その表情が物語っている。なんで、あんなえない男に、と。


 そう、あかちゃんはずばけてかわいい。

 世界一だ。世界一かわいい女の子だ。そんな彼女が、こんなふうにつうの男と付き合っていていいはずがない。つうの高校生ならわない。


 あかちゃんも、なぜそんなふうに笑ってしまえるのか。

 自分がどれだけ好かれているのか、その気持ちがつのってのろいと化したことを忘れてしまっているのだろうか。


 このままではダメだ。許されていいじようきようじゃない。


 ぼくは急いで、彼女たちの元へと走っていった。ぼくの顔を見て、「お、おい、いちろう」とあきひとが不安げに声をけてきたが、ここは無視をさせてもらった。


「そんな誤解されるようなことは言っちゃダメだ。やまぶきさん、はっきりとぼくたちは何の関係でもないって言うべきだよ。この前の休みは、ただちょっと用事があって、遊んだだけだって」


 ひとがきになってしまっているところをかき分けて、ぼくあかちゃんにそう言う。はっきりと言う。


 すると彼女は、ぼくがそこまでして否定しに来たことにおどろいたようだった。そして、ちょっと不満げにあごを引く。



「……なに、その言い方。わたしとうわさになるのがそんなにいやなの? 困るの?」


「困るでしょう」


 君が。


 特別である君が、選ぼうと思えばいくらでも選べる君が、のろいのせいでいっしょにいたぼくと誤解を受けるなんて、あってはならないことだろう。


 ぼくのはっきりとした物言いに、あかちゃんは目を見張った。その表情のまま数秒ほど固まってしまう。


「……あぁ。やっぱり、そういうことなのね」


 ぼくからそっと視線を外したかと思うと、彼女はなぜかちよう気味な笑みをかべた。そして、小さなため息をく。


「はい、みんな聞いたとおり。わたしとあおくんは別に何もないわよ。ていうか、あおくん、彼女いるし」


「え」


 彼女のみような言動に、今度はぼくおどろかされる。それは周りも同じようで、男子たちが「え、なに、お前彼女いたの?」と取り囲んできた。いや、ぼくも知らないんだけど。


「前の休みは、あおくんが彼女にプレゼントをおくりたいっていうから付き合ってあげただけよ。はるもいっしょにいたしね。ラブラブな彼女なんだってさ、うらやましいわよね」


 あかちゃんはなくすらすらと言う。まるで本当にそんなことがあったかのようだ。そんなばくだんめいた言葉を残して、あかちゃんはさっさと自分の席へ歩いて行ってしまった。


 急速に場の空気が元にもどっていく。「やまぶきあかが男とデートをしていた」という話のしんが判明した今、盛り上がるべき話題がなくなったからだ。



 実際のところ、こういう話は何度かかえされている。「やまぶきあかに彼氏ができた」。こんなうわさが持ち上がっては、本人が否定して終了。


 うわさになった男の方にいてみても、ちがうくせに思わせぶりな態度を取ったり、何も言わなかったりするパターンが多いのだが、たいていあかちゃんの方が否定して終わるのだ。


 今回は新たな火種はあるものの、「やまぶきあかの彼氏説」に比べると、熱量の差は歴然としている。ぼくの彼女に興味があるのは男どもくらいなもので、その度合いも大きくはない。


 ぼくはクラスメイトに実在しない恋人のことをかれながら、目はあかちゃんだけを追っていた。


 ほかの人にはあいまいな返事を続けながらも、あきひとの「いちろう。一度、やまぶきさんとちゃんと話をしておいた方がいいぞ」という言葉だけには力強くうなずいていた。

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