第三章 デートへ行きましょう 7


 ショッピングモールからの帰り道。


「ふんふんふーん」


 あかちゃんはごげんだった。後ろ手を組み、鼻歌を口ずさむ。身体をらすようにしながら、ぼくの前を歩いている。本当にげんがいい。ここまでじようげんな彼女を見るのは、一体いつ以来だろうか。


 彼女の後ろ姿を見ているのはほほましくはあったけれど、ぼくは彼女と同じように楽しそうにすることはできなかった。


 さっきから、彼女の言葉がぐるぐると頭の中を回っている。


 あかちゃんは言った。

 昔、ぼくおこらせたことがあると。そのせいで、きよを取ることになってしまったと。言うまでもなく誤解だ。ぼくおこってなんかいない。

 へいぼんすぎることが、つうの人間でしかないことが、後ろめたかっただけだ。


 しかし、そのむねぼくが正直に打ち明けていれば。


 あかちゃんが何も考えずに「何をおこっているの?」と言ってくれていたならば。


 もしかすると、ぼくたちはずっと楽しく過ごしていたかもしれないのだ。


 ……頭が痛くなってくる。

 もしそうだとすれば、この数年間は何だったんだ、という話だ。


 急にいろせて見える。灰色へ変わっていく。過ぎたことだから仕方がない、と言ってしまえばその通りだが、とてもそんなふうに割り切れそうになかった。


 けれど、そのモヤモヤでさえ口にすることはなく、ぼくはぐるぐると考えてしまっている。


 一方、あかちゃんはかれていた。何がそんなに彼女のお気にしたかはわからないが、彼女は気分がうわついていた。


 ぼくはぼうっとしている。


 彼女はかれている。


 もっと気を付けるべきだったのだ。忘れてはならなかった。


 言ってしまえば、きっと多少慣れてしまっていたのだろう。何度かそれをかえすうちに、少しずつ危機感がうすれてしまっていた。


 彼女はのろわれている。のろいを、受けている。


 たくさんのマイナスの感情を集めてしまい、今まさにそののろいが発現してしまっているのだ。だからもっと、気を付けるべきだった。危機感を持つべきだった。その事故を引き起こしたのは、ぼくと彼女の不注意だろう。


 ぼくたちはせまい歩道を歩いていた。ガードレールとへいはさまれた道だ。ふたり並べばいっぱいになってしまうだろう。


 だからこそ、あかちゃんは少し前を歩いているのかもしれない。空を見上げながら、今も鼻歌を口ずさんでいる。


 だから、前方から自転車がせまっていることにギリギリまで気が付かないでいた。自転車に乗っているのはおじいちゃんで、危なっかしい手つきで運転している。


「っと」


「あぁ、ごめんよ」


 直前で自転車に気付き、あわててあかちゃんはける。自転車は無事に彼女をけ、ぼくの横を通り過ぎていく。


 しかし、そこで問題が起きた。あかちゃんがふらついたのだ。あわてて自転車をけたせいでバランスをくずし、よろめいてしまう。彼女はガードレールに手をばした。それで安心だ。あかちゃんはガードレールに手をつき、「あぶなっ」と息をく。



 はずだった。



「──え」


 その声は彼女かられたのか、それとも見ていたぼくか。


 あかちゃんは手をばした。車道と歩道をへだてるガードレールにだ。つうなら、そこでくずれた姿勢は正されるはずだった。


 けれど、そうはならない。


 彼女は今、〝かんしようのろい〟を発現させている。


 ……ガードレールに、れることはできない。かんしようできない。手はにガードレールをすりける。それに引っ張られるように、身体までガードレールをどおりしていった。


 手をつこうとしてからりしたとき、身体は思った以上にバランスをくずす。彼女もそうだった。せいだいに転んだ。だんなら一笑い起きそうなくらい、べちゃっと地面にたおしてしまった。


 笑えないのは、転んだ先が車道だったこと。


 それに加え、勢い良く突っ込んでくる車がいたこと。


 ドライバーからすれば、災難な話だ。信号がない道を走っていたら、歩道から女子高生がたおれてくるのだから。


 突然車道に投げ出され、あかちゃんはじようきようが判断できないようだった。


 おのれに突っ込んでくる車を見上げ、ただただぼうぜんとしていた。けたたましく鳴らされるクラクション。


 けれど、意味をさない。彼女は何が起こったか理解できていない。そして、車側もやすく停まれるような速度ではなかった。


あかちゃんッ!」


 反射的に地面をる。しかし、どうすればいい。どうすればいい?

 今、もうぜんと突っ込んでくる自動車相手に、ぼくが取れるせんたくは多くない。今もつい飛び出してしまっただけだ。何かを考えていたわけではない。


 だってぼくは、もうヒーローなんかじゃない。つうの高校生だ。そんなぼくに何ができる?




〝ねぇ、あかりちゃん。ぼく、やくそくするよ〟


〝なにを?〟


〝あのね──〟




「──────っ!」


 約束。そう、約束だ。難しいことなんて考える必要はない。まだヒーローだったときのように、飛び出していけばいいだけの話だ!


 ガードレールを飛び越える。

 以前、校門を飛び越えたときのように、つんのめることはなかった。着地すると同時に、あかちゃんのかたつかんで引き寄せる。胸にく。


 車は目の前にせまっている。しようとつする、と本能が危機をうつたえる中、ぼくはさらに地面をった。後ろへ飛んだのだ。


 ガードレールに背中を激しく打ち付ける。


 それと同時に、自動車がかなり無理に進路を曲げた。ぐにゃりとれる。タイヤと地面を激しくこすわせながら、どうにかぼくたちをかわした。ごうかいに反対車線にはみ出し、しりりながらも車は走り去っていく。


 ぶつかっては、ない。


 おそろしくあらい息の中、投げ出された足を見る。そのすぐそばを、車のタイヤこんが通っていた。ギリギリ。ギリギリだった。


 だけど、どうやら助かった、らしい。


「…………………………」


 あせしてくる。

 上手く息ができない。運良くだいさんにはならずに済んだが、身体がきんちようを解こうとはしない。みようしびれが全身をおおっている。


 それは、あかちゃんも同じようだ。ぼくの胸の上に頭を乗せている彼女は、青い顔で目を見開き、ぼくと同じようにあらい息をいている。はっはっ、と息苦しそうにしている。


「──だ、だいじようあかちゃん?」


「う、うん……。生き、てるのよね、わたしたち……」


 ふたりして、はーっと大きく息をく。よかった。……本当によかった。


 まさか、のろいがこんなふうに機能するとは思ってもみなかった。完全に油断していた。

 ドライバーがけてくれなかったら、ぼくがあと一秒おくれていたら、仲良く車にねられるところだった。今度からはもっと気を付けよう……。



 身体からようやく力がけていくのを感じながら、あかちゃんのぼうが転がっていることに気付く。引き寄せたときに落ちたのだろう。


 ぼくはそれを拾い上げると、「よかったよ、無事で」と彼女の頭にそのぼうを乗せた。


 すると、彼女はきょとんとした顔を作る。自分のぼうを見上げ、そろそろとぼくの方に視線を向けた。そこでカァっと顔が赤くなる。もぞ、と胸の上で彼女が動く。

 目線をせわしなく動かしながら、彼女はこほ、こほ、と小さくせきをした。


「あ、あの、きぃくん……」


「ん?」


「助けてくれたことには、とっても感謝しているんだけど……、その……、ちょ、ちょっと近いかなって……」


 言われて、気が付く。


 ぼくは彼女をせたままだったのだ。


 あかちゃんのこしをがっちりつかみ、力強く自分に引き寄せている。身体が密着している。そのこうそくがあるせいで、あかちゃんは未だぼくに折り重なったままだし、顔だってものすごく近い。


 彼女の顔はすっかり赤くなってしまい、ぼくの視線からけるようにしてむなもとに固定されている。彼女のかみぼくの上で広がっている。熱くやわらかいあかちゃんの身体がぼくに密接していることに対し、ぼくはパニックを起こしかけた。


 けれど、彼女のろうばいする姿を見て、冷静さをもどす。頭がまだふわふわしていたのも大きい。


「ご、ごめん。夢中だったもので。えっと、立てる?」


 あわててこうそくした手をはなし、顔の前でってみせる。彼女はぼくに乗ったまま。あかちゃんがどいてくれないと、ぼくも立つことができない。


「あ、ありがと……、よ、よいしょ……、あっ」


 立ち上がろうとして、くずれそうになるあかちゃん。あわてて、ぼくが支える。明らかに力が入っていない。足は小刻みにふるえていて、ぼくが支えていないとその場で座り込んでしまいそうだった。


「ご、ごめん……、なんか力入んなくて……、今になってこわくなってきちゃった……」


「いいよいいよ。ほら、つかまって。ゆっくりでいいから」


 あかちゃんのこしにそっと手を回す。


 かなり申し訳ないけれど、この場合は仕方がないだろう。彼女もぼくこしに手を回し、もう片方の手は胸あたりをぎゅっとつかんだ。


 そこまでしてようやく、ぼくたちは車道からす。よろよろとゆっくり歩き出す。


「んぎ……っ」


 背中が急激に痛んだ。先ほど、激しく打ち付けたせいだろう。自動車にかれることを考えれば軽いケガだが、ぴきっとした痛みに顔をしかめる。


「だ、だいじよう? さっきので、どこかケガした?」


 あかちゃんがあわあわとして、ぼくつかまったまま身体をぺたぺたとさわる。


「い、いや、だいじよう。さっき背中打っただけだから。ちょっとおおに痛がっちゃっただけだよ。あかちゃんこそ、ケガはない?」


 本当にそれほど大した痛みではない。安心させるために、笑いながらあかちゃんに言う。


「──────」


 すると、どうだろうか。


 彼女はぼくの顔を見上げたまま、だまんでしまった。何も言ってはくれない。ただ、だまってぼくの目を見つめるだけである。


 そのひとみほのかにうるんでいて、見ているこちらをどきりとさせる。ほおも赤い。熱を持ったようだ。くちびるからは熱い息がほう、とこぼれ、ぼうっとしてしまっている。


「ど、どうしたの」


「いや、あの……、うん」


 ぼくが問いかけると、彼女は口ごもりながら下を向いた。耳まで赤くなっているのが見える。ぼくの服をつかむ手に力が入る。そうしながら、彼女はぽそりとつぶやいた。


「こんなん……、恋に落ちるっちゅーねん……」


「はは。そりゃうれしい」


 明らかなじようだん調ちように、ぼくの返す言葉も軽い。じようだんでもうれしいけど。もっと言ってくれないかな、と思ったけど、彼女はそれ以上何も言ってくれなかった。

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