第三章 デートへ行きましょう 6


「お待たせいたしました」


 ちょうど、やまぶきさんが予定帳をかばんにしまったタイミングで、店員さんがやってきた。ふたつのトレイを器用に手のひらへ載せている。


 ていねいにテーブルの上に置くと、「ごゆっくりどうぞ」とほほみながらもどっていった。


「きたきた。うーん、やっぱりおいしそう」


 やまぶきさんがごげんに目の前のトレイをながめている。トレイに載せられているのは、チーズケーキと紅茶のケーキセット。


 チーズケーキはふっくらとした仕上がりで、表面のきつね色が実にれいだ。側面の白はまぶしさを覚えるほど。上品な色味だった。


 紅茶ポットとカップがとなりに並んでいて、気品を感じさせる。これは確かにおいしそうだ。


「今日一日、これが楽しみだったの」


 今にも鼻歌でも口ずさみそうな陽気さで、やまぶきさんはフォークを手に取る。チーズケーキがゆっくりと切り取られるのが見えた。

 あーん、と彼女は小さく口を開くと、ケーキはそこへ吸い寄せられていく。


 しかし。


「くちゅっ」


 ケーキを口にふくもうとするそのしゆんかん。彼女はくしゃみをしてしまった。「あ」。ぼくやまぶきさんの口から、同時にそんな声がれる。


 次のしゆんかん、彼女の手からフォークがすりけ、皿に落ちてカツンと音を鳴らした。切り取られたケーキもいっしょにだ。そして、彼女のほおにはあの例の「STOP!!」というマークがかびがってしまう。彼女はもう物を手にすることができない。かんしようできない。ケーキだって食べられない。


「………………」


 彼女はフォークを落とした姿勢のまま固まり、ぼうぜんとケーキを見つめている。


 しばらくそれをながめたあと、放心した様子でぼくを見た。その眼には光が失われている。それも仕方がない。一日楽しみにしていたケーキがうばわれたのだから、ダメージの方もすさまじいのだろう。女の子はそういうものらしい。


 ぼくも妹の楽しみにしていたアイスを勝手に食べて、しゆごとくキレられたことがあるからわかる。



「……まぁ、何となくこんなことになるんじゃないかと思ってたんだけど」


 頭をきながら、彼女のフォークに手をばす。念のため、おくの席にしてもらってよかった。ここなら周りから見られないだろう。ぼくは彼女のフォークを手に取りケーキを拾うと、本来収まるべきだった口へ向かわせる。


「え」


「ほら、口開けて。あーん」


 ようやく正気にもどった彼女が、ぼくが持っているフォークを見ながら目を白黒させる。明らかにまどっている。ずかしいのはわかるけれど、こうでもしないとやまぶきさんは楽しみにしていたケーキを食べることができない。さすがに二時間も待てないし。これしか方法はないのだ。


「あ……、あーん」


 こうするのがベストだと彼女も思ったのだろう。前のめりになり、おそおそる口を開いた。その中にチーズケーキを置いていく。


「あぁ、やっぱりおいしい」


 口にしたしゆんかん、ほにゃっと彼女はほおゆるめた。本当に幸せそうな顔だ。そのおいしさの前では多少のしゆうは吹っ飛ぶらしく、彼女はぱかっと口を開いて次をさいそくしてきた。親にエサをねだる小鳥のようだ。望み通り、ぼくはチーズケーキをせっせと運んでいく。


あおくん、そろそろ紅茶欲しい」


「はいはい。砂糖とミルクは?」


「どっちも。砂糖はいっこ」


 今度は紅茶のさいそくをする始末。ぼくはフォークを置くと、カップにとくとくと紅茶を注いだ。ミルクを入れて、角砂糖を放り込み、スプーンでくるくるとかき混ぜる。


 これではめし使つかいとおひめ様だ。カップルとかんちがいされるのも困るけれど、この姿を見られるのもそれはそれで困る。つくづくおくの席にしてよかったと思う。


 ぼくがせっせと紅茶の準備をしていると、視線を感じて顔を上げた。さっきまでケーキと紅茶をせがんでいたやまぶきさんは、ものげな顔でぼくを見つめていた。何だろう。こんなにも近いというのに、彼女は遠い目をしているのだ。


「わたし、あおくんにあやまらなくちゃいけないことがふたつある」


 表情を変えないまま、彼女はぽつりとそんなことを言う。なに? とたずねると、彼女は小さな声で独白するように言った。


「〝青春ののろい〟のこと。のろいを受けたのはわたしだっていうのに、ずっとずっと、あおくんにめいわくかけてる。今日だってそう。わたしのために休みまで使わせてしまって。本当にごめんなさい」


 ……なんでまた、そんなことを。うつむいてしまっている彼女を見ながら、ぼくは何とも言えない気持ちになってしまう。さびしさを感じてしまう。


 なんで今さらそんなことを。


 いや、もしかしたら彼女はずっと言いたかったのかもしれない。自分の事情に付き合わせてしまっていることを。申し訳ないと思う気持ちがあったものの、今まで口にするタイミングがなかっただけなのかもしれない。


 けれど、ぼくはそれをさびしいと思ってしまう。そんなことをわざわざ伝えなくてもいい関係にもどれたと思っていたのに。


 ぼくはスプーンから手をはなしながら、ゆっくりと口を開く。誤解のないよう、しっかりと伝えたかった。


「いい。ぼくがやりたくてやっていることだし、まれたのも自分の意思だ。あやまる理由はないよ。それなら、ありがとうって言われる方がいい」


 ぼくがそう言うと、やまぶきさんはまぶしそうに目を細めて、小さく笑みを作る。ありがとぉ、とおだやかな声で言った。


 本当ならお礼だっていらないのかもしれない。ぼくこうは自己満足の色が強い。彼女が覚えていないだろう約束を、いまだに大事に取っておいて、いまさらそれを守ろうとしている。


 そうすることで、ぼくぼくしんをヒーローなんだと思いたいだけなのかもしれない。


「もうひとつは?」


 考え込んでいると良くない方向にいきそうだったので、話を次に進めることにした。すると彼女は、少しばかりよどりを見せる。言いにくいことなのだろうか。


 ようやく出てきた声も、ぽそぽそとしたものだった。


「子供のころあおくんをおこらせちゃったことがあったでしょう」


 ……あっただろうか。全く身に覚えがない。


 自分で言うのも何だか、子供のころぼくと彼女はとても仲が良く、ケンカなんてえんだったように思う。彼女のおくに残るほど、おこったことなんてあっただろうか。


 すると彼女は、思いもよらぬ言葉を口にした。


「わたしたちがえんになるきっかけ、かな。小さいころはずっといっしょだったのに、あおくんがわたしからきよを取ったときがあったじゃない?

 まえれがなかったから理由もわからなくて、きっとわたしが何かおこらせるようなことをしたんだって思った。


 あやまろうと思ったけど、理由もわかっていないのにあやまったらかえって失礼だと思って、それがわかってからあやまろうとしていたけど、結局わからずに時間だけが経っちゃってて。


 そうしているうちに、どうこうできる段階じゃなくなってて。もう取り返しがつかないぞってなっちゃって……」


 やまぶきさんは視線を上げる。遠くを見上げるようにしながら、「もっとわたしが努力してたら、ずっとこんなふうに遊べていたのかなぁ」としんみりするように言っていた。


 ぼくはそんな彼女に何も言えなかった。


 ただぼうぜんとしていた。


 そんなふうにやまぶきさんが考えていたなんて、想像もしなかった。できるわけがなかった。言わば、あれはぼくのわがままだ。


 特別すぎる彼女のとなりに立つことが申し訳なくて、ぼくは彼女からはなれた。

 もし、やまぶきさんがぼくを必要としてくれているのならそばにいようと思っていたけれど、結局それもかなわなかった。だからはなれた。それを、やまぶきさんはこんな風に考えていたなんて。


 じゃあ、なにか。


 ぼくは彼女から必要とされていないと勝手に思ってはなれ、やまぶきさんはぼくおこっていると思って追いかけなかった。

 きちんと心の内を明かしていれば、やまぶきさんの言う通り、ずっといっしょに遊べていたのではないだろうか。


 なら、それなら、一体この数年間は──。


「ね。あおくんは、一体何におこっていたの?」


 ぼくの考えがまとまる前に、彼女がそうたずねてくる。うでをテーブルに置いて前かがみになり、ぼくの顔をのぞむように。頭が上手く回らない。


 どう答えていいかわからず、ぼくがあやふやな返事をしていると、やまぶきさんはあわてて手をりながら身体を引いた。


「あぁ、ごめん。無神経だったわよね。それとも、昔のことだからもう覚えてないかしら。まぁどっちにしても、こうしてまた遊べているんだから、かえす必要もないわよね」


 ぼくに気をつかったのか、それとも話しても仕方がないと思ったのか、彼女は強引に話を打ち切った。話すべきだろうか。彼女が胸の内を明かしたように、ぼくも正直な気持ちを言うべきだろうか。


やまぶきさん……」


やまぶきさん」


 ぼくが言いかけると、なぜかやまぶきさんはぼくの言葉を復唱した。

 自分の名前を呼びながら、おのれを指差している。「あおくん」。今度はぼくの名を呼びながら、人差し指をぼくに向けた。


 何だろう。突然始まった彼女の行動に、話の続きをできないでいる。


「いつからだっけ。わたしたちがこんなふうに呼び合うようになったのってさ。あおくんにやまぶきさん。なんだか、にんぎようだなって。……ね、呼び方、もどしてみない?」


「えぇ」


 突然の提案にまどってしまう。確かに昔に比べると、ぼくたちの呼び方はかたい。にんぎようと言われても仕方がない。


 けれどそれは、同級生とかクラスメイトにしては適切だ。昔のきよが近かったというだけで。


 ただ、まどう反面、うれしくもあった。呼び方をもどすことによって、昔の関係にもどれたようで。そんなことはないんだろうけれど。それでも、提案されたのはうれしかったのだ。


「ほら、呼んで呼んで」


 かまんかまん、とやまぶきさんがさいそくをしてくる。ここで変にしたら、きっともう二度と昔の呼び名にはもどせないだろう。そんなの絶対こうかいする。


 ぼくは意を決して、顔が熱くなるのを自覚しながら、声をしぼした。


「あ、あかちゃん」


「はぁいー」


 のんびりと間延びした言い方で返事をされる。すぐに彼女はゆるむように笑った。くすぐったそうにしながら、やまぶきさんは口を開く。


なつかしいなぁ。今じゃわたしにちゃん付けする男の子なんて、いないからねぇ。これは光栄なことだよ」


 ぼくにぴっと指差しながら、おどけるように彼女は言う。明らかなかくし。


 実際、彼女を「あかちゃん」などと呼ぶとしの近い男は見たことがない。

 やまぶきさ──あかちゃんは男子ともきよは近い方だと思うけれど、それでも呼ばれるときは「やまぶき」か「やまぶきさん」だ。


 おそおおいんじゃないかと思う。これだけ可愛かわいくて人気のある女の子を、れしく下の名前で呼ぶことができないという思春期ゆえのきよかん

 つうの高校生なら仕方がない。



 そんな人をぼくがちゃん付けで呼んでいいのか、という心配はあるけれど、本人がいいというのだからいいのだろう。


「ねぇ、きぃくん?」


「…………」


 それよりも、こちらの方が問題だった。彼女はほおづえをつきながらぼくにそんなふうにささやきかけた。悪戯いたずらっぽい表情で。


 そんなあまい呼び名で呼ばれることに対するずかしさ、照れくささはじんじようではない。ぼくはろくな返事もできずに固まってしまう。それを見て、満足そうにあかちゃんは笑った。


 でも、どうだろう。世界で一番かわいい、みんなが好きなやまぶきさんから呼ばれている、というようなふわふわとした感情はかない。


 おさなじみの女の子。あかちゃんがそう呼んでくれるからこその、くすぐったさなんじゃないかと思った。

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