第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように

第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 1


「……ちょっと待って。のろいを受けているのはわたしなわけでしょ。でも、そののろいを解くミッションをあおくんがやらなくちゃいけないのは、変じゃない?」


 やまぶきさんがこんわくした様子で、はるが持っている本と、ぼくとをこうに見る。ぼくはやる気になっていたので、改めてそんなふうに言われると困ってしまう。めいわくだっただろうか。


 やまぶきさんの問いに、はるは感情を乗せていない声でたんたんと言う。


「そういうけいやくを交わしてしまいましたから。のろいを受ける際、いちろうさんが代わりに試練を受けると。あかさんを助けると。それはいまさら引っ込められません。ミッションをこなすのはいちろうさんの仕事です」


 はるはぴしゃりと言い切った。


 けむりの言葉を思い出す。確かに、あのとき『貴様が娘の代わりに試練をこなせ』と言っていた。女を助けたいのなら、貴様が走れ、と。望むところだ。

 ぼくがんってやまぶきさんを助けられるのなら、どれだけでもがんろうって気になる。



 しかし、やまぶきさんはそう思っていないらしい。まどいの表情は変わらないままだ。


「そんな……、あおくんはそれでいいの? これはわたしの問題なのに、あなたをんでしまって……」


「問題ないよ。ぼくがやる。……いや、うん。やまぶきさんがめいわくじゃ、なければ、だけど」


めいわくをかけるのはわたしの方じゃない……」


 しゅんとしてやまぶきさんはかたを落とす。申し訳ない、とは思われているかもしれないけれど、めいわくではなさそうだ。ならいい。


 その試練とやらはぼくがこなす。


 きっとやまぶきさんは覚えていないだろうけど、ぼくは約束をした。ずいぶん前にしたきりの約束。それをようやく、守ることができる。それだけでぼくは満足だ。


あかさんがいちろうさんに悪いと思うのなら、あかさんが手伝えばいいんですよ」



 そう言いながら、はるは持っていた本を机の上に置いた。開かれたページには何も書かれていない。白紙だ。先ほど、ここにミッションがかびがる、と言っていたが……。


「まだミッションは下されていません。そろそろ出てくるとは思うんですが」


 はるは白いページに指をすべらせる。ミッションはまだ来ていない。ならば、今は待ちということなのだろうか。そういうことなら、とさっきからの疑問をはるへぶつける。


はる。この本に、君の言う青春ミッションがかびがるって言っていたよね」


「はい。その通りですが」


「で、この本の名前が〝青春ミッションボード〟。そう言っていたよね」


「……言いましたが」


 何が言いたいのかわからないのだろう、はるげんそうにぼくを見る。しかし、となりやまぶきさんが「……わたしもちょっと、あれ? って思った」と静かに言う。やっぱりそうだ。


 ぼくはその本にれる。〝青春ミッションボード〟と呼ばれている、この本。本だ。


「……ボードじゃなくない?」


「……………………」


 ぼくの言葉に、はるだまんでしまう。無表情なのは変わらないのに、何とも言えない感情がかびがっているのが見て取れてしまう。言わない方がよかっただろうか。しかし、ミッションボード、と言っているのに本を出されたこちらからすれば、そう言いたくなるのも仕方がないだろう。


 ボードじゃなくてブックじゃん、と。


「……別にボードにしてもいいですけど」


 明らかにむっとして、はるは口を開く。


「本の方が見やすいかなと思ってこういう形にしたんです。いいですよ、そちらがそう言うのなら本当にボードの形にしても。でもそうなると、いきな洋食屋さんが外に出しているメニューみたいに、かなり大きな、明らかに見づらいデザインになりますが、それでもいいってことですよね」


「わかったわかったわかったごめんごめんごめん」


「本でいい、本で。あ、あの形式のメニューってちょっと見づらいわよねー」



 本をばんばんとたたきながら早口で言うはるの勢いにされ、あやまってしまうぼくたちふたり。まさかこんなにおこられるとは。不用意な発言はするべきではない。


 そうぼくひそかに決意していると、それはまるで見計らったように訪れた。


 はるが小さな手で本をたたいたあと、そのページが白く発光し始めたのだ。光があふす。泉に水がく様を連想させた。それがページ全体をおおっている。

 夕焼けの色をしのけて、机の上でそれはひかかがやく。「きました」とはるつぶやいた。


 彼女はミッションがかびがる、と言っていた。まさにその通りだ。白紙のページに文字がかんでいく。七色に光る文字が並んでいく。まるで、見えないだれかが目の前で書き込んでいるようだった。それが文章を形成し、ひとつのミッションを書き上げていく。



『夕暮れに染まるろうを ふたりの男女がい歩く 手はたがいに結びながら 行き先は始点から終点 決して人に見つかってはいけない 秘め事に宿るものこそが美しい』



「……これ、どういう意味?」


 ミッションボードをのぞみながら、やまぶきさんがこんわくした様子でつぶやく。そう言いたくなるのもわかる。

 ミッションと名が付くものだから、もっと「○○をしろ!」と命令してくるようなものかと思っていたのだけれど。


 はるは何も言わない。目をつぶって、眠るように動かなくなっていた。ミッションの内容についてげんきゆうするのは、最低限以上の手伝いになるのかもしれない。あまり手を貸せない。

 そう言っていたのはこれもふくめてだろうか。


 ぼくたちで何とかするしかないようだ。ぼくは再び、ミッションボードにかびがった文に目を通す。難解な文章ではない。想像していたものとちがっていたから面食らっただけで、落ち着いて読めばやらせたいことは伝わってきた。



「『夕暮れに染まるろう』っていうのは、別に学校のろうでいいと思うんだよね。夕方でさえあれば。『始点から終点』ははしからはしまでってことかな?

『手はたがいに結びながら』っていうのは、手をつなぐってことだと思う。『ふたりの男女がい歩く』って書いてあるし、きっと男と女で。

『決して人に見つかってはいけない』『秘め事に宿るものこそが美しい』ってあるから、だれにも見つからないように」


「つまり、放課後のろうで、男と女がこっそり手をつないで歩けばいいってこと? だれにも見つからないように」


「多分」


 おそらく、そういうことだと思う。残念ながら、はるは何も言ってくれないけれど。


 ぼくから立ち上がる。運がいいのか、それともそういうものなのか、今すぐにこのミッションにはちようせんすることができる。まだ太陽はしずっていない。


やまぶきさん、行こう。男女ふたりならそろっているし、今なら『夕暮れに染まるろう』もクリアできる。早くミッションを終わらせてしまおう」


 ぼくの言葉に、やまぶきさんは強くうなずいた。立ち上がり、ぼくとともに教室を出て行こうとするが、それにはるはついてこなかった。


 目をつぶったままのはるを置いて、ぼくたちはろうはしまで歩いていく。


 ろうは静かだ。すでにこのフロアには、生徒はぼくたちしかいないのだろう。一年生の教室がある二階には、特別教室の類がない。生徒が留まる理由がないのだ。生徒は帰宅したか部活に行っている。

 なので、よっぽどのことがない限り、だれかとせつしよくすることはないだろう。


 長いろうの先をえる。夕暮れの色に染まり、静かにそこへ存在している。条件は満たしている。


「でもさ、男と女が手をつないでろうを歩くって、それって青春かね?」


 となりやまぶきさんがそんなことをつぶやく。今から運動するわけでもないのに、ストレッチをしながら。長いかみれて、彼女の細い身体にれていく。白いセーラー服が夕方の色に変わっていた。絵画の一部を切り取ったみたいだ。


 あまり見ていると、そのままぼうっとしてしまいそうだったので、ぼくは視線を外しながら答える。彼女にならってストレッチを始めながら。


「付き合ったばかりのういういしいカップルが、人には見られたくないけど、学校で手をつないでみたい、っていうシチュエーションなら青春っぽいんじゃない?」


「あぁ、それは確かに」


 ぼくの言葉に、なるほど、と彼女はなつとくする。しかし、その表情はなぜか皮肉げなものへと変わっていった。


「でもどちらかというと、そんなことをするのはういういしいカップルっていうよりは、バカップルかな……」


「……そう言われると、そうだね」


 人に見られるのはいやなくせに、わざわざ学校で手をつなぎたがるところとか。いちゃつきたいなら、だれにもめいわくをかけないところで好きにやればいいのに。

 そもそも、「学校で手をつなぎたいけど、見られたくないから放課後にやろ?」って提案するのが実にバカップルっぽい。バカふたりだ。許されざるバカふたりだ。


 ぼくが空想のバカップルに腹を立てていると、やまぶきさんが力のけた声で言った。


「いっそさー、わたしたちもバカップルっぽくやってみよっか。バカップルの気持ちになれば、スムーズにやれるかも」


「えぇ?」


 ぼくのストレッチの手が止まる。今まさに、そのバカップルに殺意を覚えていたのだけど。


「ほら、あおくん。バカップルの彼氏っぽく!」


 へいへい、とかましてくるやまぶきさん。自分で言っておいてぼくにふってくるとはなんて人だ。こうなると引くに引けない。ここで乗らないのは負けた気になるし、かといってずかしがってちゆうはんにやれば、火傷やけどするのはこちらの方だ。


 ここでの正解は、全力で乗って相手を土俵に引きずり出すか、相手を下ろすこと。本気でやれば負けはない。行くしかない!


 ぼくは自分のかみをかきあげて、もう片方の手を彼女へ差し出す。頭の中でバカップルをおもかべながら言うのだ。


「へい、ハニー。ぼくの左手がさびしいって泣いているよ。このなみだは、ハニーのプリティな右手がきしめてくれないときっと止まらないよ。ぼくといっしょにランデブーしてくれるかい?」


 だんより何段階も高く、いきごえで言う。自分でやっていてすごく気持ち悪い。


 かんえながらやっているのに、やまぶきさんが「うわぁ……」っていう顔を見せたときは、さすがに窓を割ってしそうになった。


 しかし、やまぶきさんもスイッチを入れてくれた。これ以上ないほどのしなを作り、ねこごえを上げる。



「えぇ~ん、あかぃちょっとずかしぃ~。でもでもぉ、ダーリンがどうしてもって言うのならぁ、あかの手とダーリンの手、ちゅっちゅしてもいいよぉ~? きゃ~、ちゅっちゅ~」


 身体をくねくねさせながら、聞いたことないようなあまごえを出すハニー。くちびるもしっかりアヒル口である。かんぺきだ。あまりに堂に入っているせいだろうか、彼女が身体をらすたびに、ぷりぷり~という音が聞こえてくるほどだった。

 ……と思っていたら、やまぶきさんが自分で言っていた。ぷり~、ぷりり~、と言いながらおしりっている。こう言っては何だが、バカップルというよりははやただのバカだ。


「…………」


「…………」


 しばらくおたがいに身体をらしていたが、急に冷静になってやめた。たがいにおうちしながら、すでつかっている相手を見やる。


「これダメだわ。精神が持たない。二度とやらない」


 吐き捨てるように言う。……ぼくは結構楽しかっただけに残念だ。世界一かわいい女の子とバカップルごっこだなんて、なかなかいい体験だったと言える。

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