第一章 玉砕は始まりを連れて 8


 今度こそぼくは教室へ向かった。


 ふたりは教室の前で立ち往生していた。やまぶきさんはとびらを開けることができないからだろう。はるぼくを待っていないで開けてくれればいいのに。


 そう思ったものの、やまぶきさんは気にしている様子はない。……それどころか、はるに目を向けている視線が少々熱っぽかった。すっかり気に入ってしまっている。本当にかわいいものに目がない人だ。



 教室のとびらを開き、中へ入っていく。教室内は無人だった。放課後になってからずいぶん時間が経っているから、当然かもしれない。完全下校時間も近付いている。



 規則正しく並んでいる机との光景は、生徒がいないと全く別物に見えた。窓からは夕日が差し込んでいる。教室内を照らし、すみにはかげを落としていた。


 ぼくがゴミ箱を元の場所にもどしていると、はるまどぎわの席にこしけていた。


 そのとなりへ同じように座ろうとして、やまぶきさんがつかそこねる。「あぁ」と気落ちした声が耳に届いた。あわてて彼女のそばにる。


「──さて。話の続きをいたしましょうか」


 ぼくやまぶきさんが席につくと、はるはゆっくりとそう言った。空気が変わるのを感じる。これから彼女が話すことは、やまぶきさんにとって本当に大事なことだ。


すでけむりから話は聞いていると思いますが、あかさんののろいのげんきようは感情です。

 あなたへの好意、恋がじようじゆしなかったときの悲しみ、ねたみ、それらの感情がどうしようもないほどにふくがり、のろいをかたどりました。そこまではよろしいですか?」


 はるの言葉にぼくうなずく。それはあのけむりが言っていたことと同じだ。

 けれど、やまぶきさんは「……よくないわよ」と頭をかかえながら言う。


「告白されて、それを断っていたからのろわれた、だなんて。かわいいだけで、こんな仕打ち受けるなんて。なつとくできるわけないじゃない。わたしは何も悪いことはしていないのに……」


 確かに彼女の言う通りだった。やまぶきさんは悪いことなんて何もしていない。だというのに、彼女はおそろしい災難にわれている。ほほみようなマークを付けられて、物にれられない、という考えられないペナルティを受けている。


 それに対し、はるは「そうですね。あなたは何も悪くない」とうなずく。けれどすぐに、「ですが」と続けた。


「あなたに好意を持ち、のちに悲しみを覚えた彼らも悪いわけではないんです。人を好きになってしまうことも、その恋がかなわず悲しむことも、ごく当たり前のことなんですから。……ただ、もしあかさんに特定の恋人がいれば、また話は別だったんですが」


「え。それはなんで? つうの高校生なら、恋人がいた方がその人の悲しみとかねたみとかは強くなりそうだけど」


 告白してフラれるより、彼氏がいるって聞かされる方がつらそうなものだけれど。まるで勝負する前に負けてしまった、みたいで。


 ぼくの疑問に対し、はるは両手の人差し指を立てながら答えた。


「そうなった場合は、ねたみと悲しみで感情のほこさきが分かれますし。それより何より、あかさんに彼氏がいない、ということが問題なんです。そうなれば人は期待する。もしかしたら、と夢を見る。


 その気持ちがふくらむだけふくらんで、結局ダメだったときの感情のふりはばが大きすぎるんです。期待の先の絶望が一番つらいですから。

 最初から彼氏がいると知っていたら、そもそも好きにならなかったり、そこまで好意が育たなかった可能性は大いにあります」


 ……なるほど。思わず、なつとくしてしまう。もしやまぶきさんに彼氏がいれば、早い段階であきらめられて、彼女にぶつける感情の量は少なくなっていた。もしくは、彼氏の方にいかりやねたみの感情が届き、やまぶきさんだけに積み重なることはなかった。そういうことなんだろう。


 説明を受けたやまぶきさんは「う」と言葉をまらせる。ほのかに顔を赤くしながら、指先同士をくるくるとからませながら言う。


「そんなこと言われても……、恋愛とか付き合うとか、そういうのよくわかんないし……、付き合うにしても、ちゃんと……、ちゃんと? したいっていうか……」


 照れた様子で言っているやまぶきさんが可愛かわいすぎるので、ぼくは少しばかり目をつぶってやり過ごした。


 指をからませているやまぶきさんと、目をぎゅっとつぶっているぼくを前に、はるは話を進めていく。


「まぁ今になってこんな話をしても仕方ありません。これからの話をしましょう。そつちよくに言えば、あかさんののろいを解く方法はあります。こののろいはぼうだいな感情が形を作ったもの。すさまじいエネルギーの具現。ならば、同じように強い感情をぶつければ、こののろいをそうさいすることができます」


のろいを……」


そうさい……」


 ぼくたちの声が口々にれた。感情には、同じ強い感情をぶつければ消え去っていく。のろいが消えていく。そういうことらしい。しかし、人をのろうほどの感情にひつてきする感情、というのは一体どれほどの激情で、どうやってぶつければいいのか。


 その方法は今から、彼女の口から語られるのだろう。


 はるは、から机の上に座り直した。ぼくたちふたりを見下ろす。夕暮れのオレンジ色が彼女のぎんぱつと混じり合い、黄金のようにかがやいた。大きな三つ編みが机の上に転がっている。

 彼女のみどりいろひとみぼくたちをき、小さなくちびるおごそかに動いていく。


「それが、あなた方に与えられた試練。のろいから解放されるゆいいつの手段。感情に感情をぶつけろ。気がくるうほどの激情をたたきつけろ。青春を、ぶつけろ。

 そのために、〝青春ののろい〟から下される指令をこなすんです。いちろうさん。あなた、言いましたよね。あかさんを助けたい、と。そう言いましたよね」


「あぁ。言った」


 ぼくうなずく。彼女を助けるためだったら、何だってする。


 はるはそれを聞いて、大きくうなずく。そして、目の前に手を差し出した。手のひらには一枚の桜の花びら。それがふわりとかびがり、手の上でくるくると回る。


 すると、それが突然二枚に増えた。次は四枚。八枚。かえしていくうちに、彼女の手の上にはたくさんの花びらがぐるぐると回っていた。



 はるはそれに目をやることなく、ぼくたちをじっと見つめている。


ぼうだいな量の感情を集めるためのミッション。それがこれに書かれています。あなたは、そのミッションをこなせばいい。

 顔から火が出るほどのあかぱじ、心が焼き切れるとさつかくするほどのれんの情、立っていられないほどにすさまじい切なさ。

 異様とも言える感情のたかぶりを、このミッションが導いてくれる。あおいちろうさん。そのミッションをこなしてください。彼女を助けるために、青春ミッションをこなせ──」


 彼女の声とともに、花びらのたつまきはじんで消えていく。そして、花びらとわるように一冊の本がかびがっていた。大きな本だ。


 何かのかんのように巨大な本が、彼女の手のひらの上でぷかぷかといている。あやしげな光をまとっている。黒いそうていみような文字や模様がびっしりと書き込まれているが、そのどれもが全く見たことのないものだった。



「この本の名は〝青春ミッションボード〟。あなたを導くミッションが、この本にかびがります。あなたの運命は今まさにここへ。さぁ、青春ミツシヨンを始めましょう──」



 桜の花びらが一枚かびがり、そのまま静かに消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る