第一章 玉砕は始まりを連れて 7


 ぼくらが近付いていくと、あまぁい声が聞こえてくる。だんのつばさとはほどとおい声だ。



「よしよしよぉし、ここがいいのかにゃ? 気持ちいいのかにゃ? もっと欲しい? もっと欲しいでちゅか~? かわいいにゃあ、お前はー。んふふ、かわいいでちゅねぇ~」



 つばさの足元にはねこがいた。あれはねこだろうか。ねこごえに赤ちゃん言葉を織り交ぜながら、つばさはねこでている。


 ねこは地面に転がりながら、気持ち良さそうにしていた。かと思うと、鳴き声を上げながらつばさの足にる。その姿につばさの顔がさらにゆるんだ。


「どちたのー? お腹すいたのー? でもごめんにゃあ、ご飯はあげられないんだにゃあ。代わりにマッサージしてあげまちゅねー」


 孫を見る祖父母のような、だらしないほどの満面の笑み。ゆるった顔でねこをあやしている。その姿におどろくところはない。つばさはねこを相手にすると、いつもあんなふうになる。


 おどろいたのは、つばさの元へ近付いたはるとのやり取りだった。


「こんにちは、つばささん。ねこですか?」


「ん? おお、はるか。そう、っぽいんだけどよ、ひとなつっこくてかわいいぜ。お前もさわるか?」


「はい。それではわたしも、ここでひとつ失礼を」


 よどみないやり取りだった。ごく自然にしゃがみこみ、ねこでるはる。その姿をつばさはうれしそうに見ていた。


 そのふたりを、ぼくやまぶきさんはぼうぜんと見つめる。


 はるはしばらくねこでていたが、やはりつばさの技量には遠く及ばないらしい。ねこが起き上がってしまい、そのまま去っていった。「ばいばーい」とつばさは手をる。


「さて。満足したし、おれは帰るわ。じゃあな、はる。また明日な」


 つばさは立ち上がると、そばに置いていたかばんを持ちあげる。はるに手をった。はるは座ったまま軽く手をかえす。


 そこで、つばさはぼくたちが近くにいることに気が付いたようだ。つばさは「あれ?」という表情をかべたものの、すぐに再び手をる。


「おー、いちろうあかも。そう当番か? ご苦労さん。また明日な」


「う、うん。また明日」


「ま、また明日ね」


 ぼくたちのぎこちない返事を受け取ると、つばさはたったかたーと校門をはしけていった。スカートをひるがえしながら、風のように去っていく。


「ね。クラスメイトらしいやり取りでしたでしょう」


 はるかえると、無表情のままにかたすくめた。


 どうやら〝青春ののろい〟というのは、ぼくが想像するよりもずっとえいきようが強いものらしい……。


あかさんを〝青春ののろい〟から解き放つためのサポートとして、いつもそばにいる方がいいんです。なら、同じ学校のクラスメイトということにしておいた方が都合がいい。なぜなら」


 はるは、しようこうぐちとびらに手のひらを向ける。やまぶきさんにさわれ、と言っているようだ。やまぶきさんは素直に手をばす。


 しかし、彼女の手はとびられることなくどおりし、力なくからりした。


「このように、あかさんはとびられることもできません。私生活もままならない。それでは話が進みません。なので、のっぴきならないじようたいおちいったときはわたしが手を貸します」


 彼女はそう言うと、校舎の中へ入っていく。のっぴきならないとか久しぶりに聞いた。


 ぼくとびらを見つめた。しようこうぐちとびらは夜間以外は開けっ放しだから問題ないが、やまぶきさんは閉まっているとびらもひとりでは開けられない。のっぴきならない。教室にも入れない状態だ。

 それなら確かに、サポートしてくれる人がいた方がいいに決まっている。



 本当に前からここの生徒だったかのように、はるは迷わずばこへ向かった。ぼくたちと同じクラスの場所へ行き、ごく自然にうわきを取り出している。手慣れている。


 それをながめながら、ぼくうわきにえていると、となりやまぶきさんが「あ」と声を上げた。見ると、自分のばこの前で固まっている。手はびたままだ。


 ……あぁそうか。

 彼女の横顔には、あのかんしようのマークがしっかりときざまれている。彼女は物にかんしようできない。うわきも取り出せないのだ。


はる。悪いんだけど、うわき取ってくれる?」



 やまぶきさんが困ったような顔で、はるにそう言った。さっき手を貸すと言ったばかりだし、てっきりすぐに手伝ってくれるのかと思いきや、彼女は小さく首をってみせる。



「あくまでわたしがするのは、最低限のものです。あまりわたしが手を貸すのはよろしくありません。りつしているならともかく、あなたの事情を知る人がすぐそばにいるのですから、できるだけ彼の手を借りるようにしてください」


「え、ぼく?」


 まさか、こんなところで指名されるとは思わなかった。はるが手を貸すのがよろしくない理由はわからないが、言われてみれば従うしかない。


「……ごめん、あおくん」


 申し訳なさそうに言う彼女に、「いや、これくらいぜんぜんいいけど」と返しながら、彼女のばこからうわきを取り出す。ゆかに並べると、彼女は小さく「ありがと」と言ってえようとした。


「む」


 しかし、彼女の動きが再び止まる。足を折り曲げ、ローファーをごうとした彼女の指が空ぶりする。……これもか。


「身に着けているものにも、かんしようできないってこと……?」


「はい、できないです。でも、くつげないわけでもけないわけでもないですよ。人にしてもらう分には問題ないです」


 どうやら、そういうルールらしい。


「……あおくん」


「いい、いい。気にしなくても」


 彼女はれられない。はるも手伝ってくれない。なら、ぼくくつがせてかせるしかない。うなだれるやまぶきさんの足元にしゃがみこむ。彼女の手がぼくかたに置かれた。支えにしているのだろう。


 そこでおそまきながら、気が付く。


 ぼくの目の前に彼女の足がある。色が白くてなめらかな足が。形の良さとその細さに目をうばわれてしまう。太ももに至っては犯罪的だ。


 もしぼくが手を軽くばせば、このれいな足にれることができてしまう……。


 それだけではない。この足を見ながら視線をちょいと上げれば、その先にはスカートがある。スカートの中が見える。この世のものとは思えない絶景が、ぼくのすぐ真上に広がっている。それを見ることさえ可能なのだ……!


「…………」


 いやまぁ、そんな度胸はないのだけれど。


 それに、そんなことをしなくても、目の前には大仕事があるわけで。この、くつがせてかせるというこう、思った以上にアブノーマルだぞ。立ち位置がすであやうい。


 まず、スカートの女子の足元にひざまずく時点でかなりアウトだ。その上、足を持ってくつがせ、同じようにかせるという。どういうじようきようなんだこれは。なかなかやれることではない。


 思った以上にずかしいこうだということに気付いたのか、やまぶきさんが息をむ気配がした。確かめる術はない。見上げればきっと、彼女の顔を見る前にちがう光景に目をうばわれるからだ。

 それはダメだ。彼女をこれ以上傷つけることなく、クールに物事を終わらせなければ。



 ぼくはがっちり視線を固定したまま、彼女の足に手をばす。左手で足首を軽くつかみ、右手でローファーを外す。左手にはくつしたかんしよくが残る。息をみそうになるのをこらえて、うわきを彼女の足にかせた。


 もう片方も同じように。はるの言う通り、人の手からなられられるようで、きちんとかせることができた。


 なんというきんちようかん。そして、なんという達成感。……人にくつかせてあげる達成感ってなんだ。


 上を見ないようにしながら身体を引くと、やまぶきさんは「ご、ごめんね、ありがとう」と早口で言って、ぱたぱたと先に行ってしまった。その背中をながめながら、ふぅ、と大きく息を吐く。


いちろうさんなかなかに理性がお強いようで」


 いつの間にか背後に立っていたはるが、身体を寄せながらそんなことを言ってくる。


「どういう意味さ」


「ちょっと上を向けば女子のパンツが見られるのに、そんなりも見せなかったものですから。そういうの、興味ないですか?」


つうの高校生なら、女子のパンツに興味がないはずないよ。あのじようきようぼくのぞいたら、やまぶきさんから丸わかりでしょうよ」


「あぁ」


 ぽん、と手を打ってはるなつとくしたような声を上げる。


「ならば、もし彼女にバレないなら、のぞいてました?」


ちがいなく」


 ぼくの答えが満足のいくものだったのか、彼女は目をつぶってしっかりとうなずいた。そして、くちびるはしを持ち上げると、ささやごえで「このすけべ」と無感情に言う。わざわざぼくの耳元で。


 ぼくからはなれると、そのままやまぶきさんのあとを追っていった。


「……別にすけべではない」


 つうだ、つう。置いておいたゴミ箱をかかえ、ぼくも教室へ向かう。


 すると、曲がり角の先で「おー、また明日」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。まもなく、その声の主がろうを曲がってきて、ばったりとぼくと出くわす。


「あぁ、いちろう。なかなかゴミ捨てから帰ってこないから心配したぞ。みんなはもう帰っちゃったし」


あきひと


 ぼくの親友であり、同じそう当番のあきひとがそこに立っていた。彼はぼくを待っていてくれたようだが、さすがにもう帰るところみたいだ。手に学生かばんを持っている。


 なら、さっきははると別れのあいさつを交わしていたのか。つばさと同じく、あきひとはるをただのクラスメイトとにんしきしているらしい。



 あきひとほほみながら、自然な動作でぼくの手からゴミ箱を受け取る。


「もう帰れるだろう? 教室まで付き合うから、いっしょに帰ろう」


「あぁ、ごめん。ぼく、まだちょっと……」


 何もなければ、喜んであきひとの提案に乗っただろう。しかし、今はまだ帰れない。いつ帰れるかもわからない。何せ、今からぼくたちが聞くのはのろいを解く方法である。


 ただ、それを正直に言うわけにもいかない。何と言ったものか。なやんでいると、あきひとぼくにぐっと顔を近付けてきた。ないしよばなしをするかのように声をひそめる。


「……さっき、やまぶきさんとすれちがったけど、もしかしてあの子と関係あるのか」


 あきひとは時折、みようかんするどくなる。ぼくおどろきながらもうなずいていると、彼はぱっと表情を明るくさせた。


「なんだよ、そういうことか。なら、さっさと行ってやれ。待たせちゃいけない。おれはひとりで帰るとするよ」


 彼はごげんに言葉を並べると、ぼくにゴミ箱を返してさっさと帰ってしまった。みような誤解をされてしまった気がする。あきひとが考えているような楽しいことは、きっと今から起こりはしないのだけど。


 ただ、あきひとは余計なことを周りにらすような人ではないので、あとでていせいすればいい。

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