第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 2


つうにやりましょう」


「……そうだね」


「じゃあ、はい」


 やまぶきさんが右手を差し出してくる。手をつなげ、とそういうことだろう。彼女は意識していないのだし、ぼくつうにしよう。そう思って手をばす。……しかし、ダメだった。顔が赤くなるのが自覚できる。


 女の子と手をつなぐ。それを平然とできるほど、ぼくは女の子に慣れていない。いやでも意識してしまう。しかも相手は、世界一かわいい女の子だ。おいそれと手をつなげるはずがない。


「そんなにきんちようしなくても。たかが手じゃない」


「……いや。つうの高校生なら、こんなの絶対にきんちようする」


 そういうもんかね、とやまぶきさんは楽しげに笑う。何ともゆうだ。そこは男女の差なのだろうか。


 しかし、あまりつまずいてもいられない。ぼくは意を決して、彼女の右手を自分の左手でにぎりこむ。そのしゆんかんに声が出そうになった。彼女の手の小ささと、体温の伝わり方に。目がぐるぐると回ってしまいそうだ。

 女の子って、こんなにも小さくてやわらかかったのか。はや心配になってしまう。ぐっと力を込めたら、つぶれてしまうんじゃないかと思うほど、ぼくの手の中にあるそれははかない。


 その反面、れているだけで心が満たされていくのがわかる。この温かい手をずっとにぎっていたくなる。


 すごいな、女の子……。



 ぼくがしみじみそんなことを思っていると、意外にも強い力でにぎかえされる。

 しかし、それはいつしゆんのことで、すぐにその手の力はけていった。やまぶきさんの顔を見る。

 そこでようやく、力を入れたのはおどろいたからだとさとった。


 彼女のひとみは見開かれていて、そのほほは赤く染まっている。くちびるはきゅっとまっていた。彼女ははっとして顔をこちらに向けると、真一文字だった口を開いた。


「お、男の子の手って、結構ゴツゴツしていて、かたいのね。大きいし……。ちょっとびっくりしちゃった」


 声のはしばしどうようが感じられる。自分では意識したことはないが、女の子からするとそういうものなのだろうか。「いやぁ、あおくんも意外と男の子してんのね……」とやまぶきさんは気まずそうに目をらした。


「あの、やまぶきさん。手をつないだまま、ろうはしからはしまで歩かないと」


「あ、う、うん。そうだったわね。行きましょう」


 ぼくうながすと、やまぶきさんはそのまま歩いていこうとする。しかし、ぼくと手がつながっていることを思い出して、あわてて歩みをおそくした。ぼくもすぐに歩き出す。


 たがいに歩調を気にしながら、ろうを歩く。ろうに足音だけがひびわたる。静かな空間だからか、みようひびいて聞こえた。


 何かを話せばいいのかもしれないが、頭の中が真っ白になって何も言えない。話題を探しても見つからない。ただただ、自分の左手に神経を集中させてしまう。


 やわらかくてすべすべした、彼女の小さな手。それをぼくが包み込んでいる。彼女の長い指先が、ぼくの手にれている。心臓がさっきからうるさい。あせをかいていないだろうか、とそんなことばかり心配になってしまう。

 女の子とふたり、手をつないで歩くというこうがこんなにもドキドキすることだなんて、思いもしなかった。

 世の中のカップルはみんな、こんな思いをしているんだろうか。


「あぁ、ダメだこれ」


 ぼくが前を向いたまま歩いていると、やまぶきさんが突然そう言った。そちらを見やる。彼女は空いた手で顔をおおっていた。


 そのせいでやまぶきさんがどんな表情をしているのかわからなかったが、耳まで赤くなっていることだけは確認できた。


「思った以上にずかしい。ていうか、きんちようする。ごめん、あおくん。たかが手って言ったけど、これはダメだわ。すっごくドキドキする」


「多分だけど、ぼくはそれの二万倍はドキドキしてる」


 ぼくが正直に言うと、やまぶきさんは吹き出した。笑いながら、本当にー? なんて聞いてくる。


「まぁ、世界一かわいいわたしが相手だからね。二万倍はドキドキしてもらわないと、がないかも」


 そう言って笑う。そのおかげだろうか、きんちようはある程度ほぐれてくれた。先ほどのようにガチガチになることなく、ろうを歩いていける。


 彼女の横顔をぬすると、ずかしそうにしながらもくちびるは笑みを作っていたのが印象的だった。多分、ぼくも同じような顔をしているんじゃないだろうか。


 ろうはしからはしまで、と言ってもそれほど長いわけでもない。歩いていればすぐに終わる。何事もなく辿たどきそうだ。これでミッションはクリアとなる、はず。よかった。ぼくひそかに胸をろしていると、危機は突然訪れた。


 階段を通り過ぎれば、あと数秒で終わり。そこでやまぶきさんの足が止まる。どうしたの、とたずねると、彼女が「しっ」と自分のくちびるに指を当てた。それでわかった。……声がしたのだ。階段だ。階段の方から、人の声が聞こえる。


「……だから、前から言っているように……」


「……でもそれは……」


 だれかの話し声。だれかが階段をのぼってきている。なんてことだろう。やまぶきさんと顔を見合わせると、案の定、彼女も表情にあせりをかべていた。これはまずい。


 彼女とつながっている手に目をやる。〝青春ミッションボード〟には、『決して人に見つかってはいけない』と書かれていた。人に見られてしまってはダメなのだ。ミッション失敗だ。ここで見つかるわけにはいかない──!


 とつに、目の前の教室にかくれようとした。しかし、とびらにはかぎがかかっている。あぁそうだ。教室は最後に出ていく生徒がじようすることになっている。


 ぼくたちの教室が開いていたのは、まだぼくたちのかばんが残っていて、下校していないのがわかっていたからだ。教室は使えない。


 ならば、ろうか? かくれられそうな場所があるか見てみると、ありがたいことにそう道具箱が置いてあった。


「あのそう道具箱のかげかくれよう」


 そう言って、ぼくは足をす。手をつないでいるのだから、当然やまぶきさんもいっしょに来るのだけれど、彼女はぼくの後ろから「それはダメ」とてきする。


「もう下校時間が過ぎてる。多分だけど、階段をのぼってきているのは、教室の見回りをしている先生たち。かぎが閉まっているか確認しているんだと思う」


「……それだと、こっちまで歩いてくるのか。そう道具箱のかげじゃ見つかる。でも待ってよ、それならどこにかくれればいい……?」


「…………」


 彼女はだまんだ。今からあわててぼくたちの教室へもどったとしても、先生がかぎの確認をしてしまう。開いていたら、確認のために教室の中まで入ってきてしまうだろう。そうなれば見つかる。見つかれば、このミッションは失敗だ。


 どうする。どうする。


 立ち止まって、辺りをわたす。ろうは左右に長くびているが、かくれられそうな場所はない。しかし、気が付く。トイレがある。


「そうだ、トイレ……」


 言いかけて、これはダメだ、と首をる。個室にかくれれば、あるいは見つからないかもしれない。

 しかし、もし先生がトイレを確認したらどうする。男女が同じ個室に入っているのを見たら、どう思うだろう。そんな危険なせんたくをするわけにはいかない。

 階段をのぼってしまうか? いや、問題を先送りにするだけだ。じようきようは変わらない。


 何かないか。何か。必死で辺りを見回しても、やはりそう道具箱くらいしかなかった。


「……! そうだ、そう道具箱!」


 ぼくは再びそう道具箱にり、とびらを勢いよく開ける。


 案の定、中には数本のほうきとちりとりしか入っていない。スペースは十分にある。何とか人ふたりくらいなら、無理をすれば入ることができる!


やまぶきさん、ここにかくれよう! 早く!」


「へ……?」


 やまぶきさんの手を引っ張り、急いでそう道具箱の中にむ。「ちょ、ちょっとあおくん……!」とやまぶきさんはこうめいた声を上げたが、聞いているひまはない。きたなくてもまんしてもらうしかない。

 彼女をれてから、ぼくそう道具箱に身をすべませる。


 しかし、無理に入ろうとしたせいか、中からほうきが一本ろうに落ちてしまった。かつん、という音とともに転がってしまう。あわてて手をばす。


 けれど、先生がもうろうへ進んでくる気配がして、拾うのはあきらめ、そう道具箱のかげに追いやった。急いでとびらを閉める。


 ギリギリで間に合ったようだった。閉めたしゆんかんに、先生がろうに入ってきたのがわかる。こちらは見つかってはいない。だいじようだ。


 はぁ、と大きくあんの息をく。


「あ、あの……、あお、くん……」


「ん……?」


 すぐそばで彼女の困ったような声が聞こえてくる。本当にすぐそば。息のかかるきよだ。あれ? と思って前を向き、ようやくこの異常なじようきように気が付いた。ちゆうだったせいで、こうなってしまうところまで想像していなかった。


 そう道具箱はせまい。当然ながら、人が入るような設計にはなっていない。そこにふたりもんでいる。結果、ぼくやまぶきさんはほとんどくっつくようにして、せまい箱の中に入っているのだ。


 彼女の身体のほとんどがぼくの身体にせつしよくしている。中には密着と呼んでしまっても過言ではない部分まで。細いかたも、なめらかな足も、きゅっとまったこしも、ぼくの身体が当たっている。当然、ふくらんだ彼女の胸も。


 どれもがれるだけでやわらかさを実感してしまう。が、やはり一番まずいのは胸だった。人の部位とは思えないほどにしなやかなものが、ぼくの胸にむに、とくっついている。せつしよくしている部分だけけてしまいそうだ。


 身体の至るところがくっついてしまっているのは、当然、やまぶきさん自身もわかっている。そのせいか、彼女は気まずそうにしながら横を向いた。見る見るうちに赤くなっていくのがわかる。


 そうなってようやく、ぼくがとんでもないことをしでかしたことに気が付いたのだ。

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