お星様みかん

 神田気象管理センターが夕刻を演出し始めると、更に冷たい空気が漂う。はあはあ……。口から荒い息を吐きながら、ヒデキは暗くなっていく町並みを見回した。

 彼の目には次々と明かりが灯る薄暗い町が、昔、実の父と母と暮らした、宇宙港沿いの薄汚い町並みに見える。

「……アカネ……」

 ヒデキの実父は、アルコール中毒の暴力男だった。宇宙港で倉庫や荷物を管理する管理会社に勤めていた父は、何かというと酔って家族に暴力を振るった。母親はヒデキとアカネには父の暴力が向かないように、身を張って守ってくれていた……が……。

『ごめん。お母さん、疲れちゃった……』

 ヒデキが六歳のとき、母は二人を置いて、勤め先の男と逃げた。

 そして……。

『畜生!! あのアマ!!』

 父の暴力が同じ『女』である、まだ三歳のアカネに向いたとき、ヒデキはアカネを抱えて、大きな荷物のコンテナが重なる、近くの宇宙港に逃げ込んだのだ。

 暗闇の中で震えながらコンテナの影に身を隠していたとき、出会ったのが、同じく宇宙港に潜り込んでいたシュウだった。彼はアザだらけのヒデキと声を殺して泣くアカネを見て察したのだろう。二人を自分のスペチルグループのメンバーに入れてくれた。

『メシは少ないけどな』

 シュウはスペチルのリーダーの中でも、面倒見の良いリーダーだった。それに、母がいなくなってから、酔いつぶれた父の食べ残しで、なんとか食いつないでいたヒデキとアカネにとっては、まだスペチルになってからの方がマシだった。

 ……でも。

 ちょびっとの宇宙食を美味しい美味しいと食べるアカネ。ゴミ箱から拾った絵本を大事に抱えて眠るアカネ。変なヤツに襲われないように、女の子だということを隠して、いつも顔を汚して、髪もぺんぺんに短く切ったアカネ。

 アカネをスペチルにしたのはオレだ。だから、オレがアカネを守らなくちゃ……。

 ヒデキは、手に握り締めたみかんを見た。

 アカネの大好きなみかん。これを届けて喜ばせてやるんだ……。

 また走り出す。商店街の路地。公園。お寺の裏。神社。あちらこちらを探す。でもアカネはどこにもいない。

「……アカネ……アカネ……」

 まさか、オレが気づかないうちに悪い大人に捕まったのか?

 シュウが、アカネの髪を切りながら言った注意が頭を流れる。スペチルを、特に女の子を捕まえて売る大人がいると。売られた子は買った大人の『おもちゃ』にされて、散々非道い目に合ったあげくに、殺されてしまうことがあると……。

「……アカネ……」

 探しても探しても、どこにもいない妹に身体の力が抜けて、がっくりと膝をつく。

 そのとき、薄闇の向こうから、大きな影がゆっくりと歩いてきた。動物の絵本の猪のような頭部の男。突き出た鼻に皺のよった顔が厳つくて怖いが、小さな黒い目が何故かとても優しくみえる。

 男は膝をついたままのヒデキの前に屈み込んだ。身体を小さくしてヒデキの顔を覗き込む。

「なあ、坊主。お前、妹と一緒におじさんの子供にならないか?」

 ヒデキの目が大きく開く。

「……父さん?」

 右手からみかんが落ちて、てんてんと転がった。



 英樹が気が付くと、そこは『神田』の神社、金比羅権現を祭る社の前だった。玉砂利を真っ直ぐに突っ切るように敷かれた石畳の参道に自分と父がいる。

「……あれ? 父さん、オレ……」

 靴は無く、寒いからと母に履かされた厚手の靴下がすり切れたように薄くなって、石畳の冷たさを伝えてくる。参道に転がったみかんに首を傾げると、猪吉は優しく笑って、英樹の頭を撫でた。

「お前、ちょっとフラッシュバックしていたんだ」

 太い腕で抱き締めてくれる。

 あの旅客船が寄港した『神田』でヒデキ達は保護され、児童福祉施設に渡された。いつもなら、皆、二、三日で施設を抜け出し、また宇宙船に忍び込むのだが、翌日、『神田』の総大将と呼ばれる、神林茂雄に会ったシュウは突然『ここの大人を信じてみようと思う』とグループを解散した。そして、次々と仲間が自治会を通して養子に行く中、最後まで残ったのが、兄妹一緒でないと、どこにも行かないと言い張ったヒデキとアカネ、最後の一人まで仲間を見送ると決めたシュウだったのだ。

 アカネをスペチルにしたのはオレだから、オレが最後までアカネを守るんだ……。

『なあ、坊主。お前、妹と一緒におじさんの子供にならないか?』

 そんな兄妹の前に現れたのが、猪吉だった。

『おじさんとおじさんの奥さんはな、違う星の人間同士で子供が出来ねぇんだわ』

『んで、誰か養子でも、って考えていたら、大将がすっごく妹思いの頑張り屋の男の子と、可愛くて優しい女の子がいるっていうからさ』

『こんな怖い顔のおじさんでも良ければ、うちに来ねぇか? あっ、奥さんは美人だぞ』

 春の淡い空、吹きこぼれた桜の花びらが、道を転がり、辺りをピンクに染める中、二人はシュウに見送られ、猪吉と静に手を引かれ、彼等の家に行った。

『ここが、二人の部屋だ』

 そう言われて通された子供部屋は明るい白い日の光が差し込み、真新しい学習机が二つと、真っ新のカバーの掛かった布団が敷かれた二段ベッドが置かれていた。その後、一年間、秀と児童福祉施設の学級に通いながら、家族四人の生活を送った兄妹は、また桜の花の咲く頃、施設の最終意志確認の面接を受け、正式に猪吉夫婦と養子縁組を結んだ。田中の姓に合わせて、ヒデキは『田中英樹』、アカネは『田中茜』となったのだ。

 英樹は学力のせいで、一つ下の学年に通うようになったが、遼という友達も出来た。今年の父の日に二人の書いた作文を、猪吉は仕事用のファイル端末にコピーして、時々読んでニヤニヤしては、母と従業員にからかわれている。

 真面目で働き者の父と綺麗で優しい、料理上手の母。ずっとずっと憧れていた、暗い宇宙港の隅から覗いていた、明るいロビーを笑顔で歩いて行く親子のような『幸せな』生活をしている……はずなのに。

「ごめん……父さん……」

 でも時々、小さな事が重なって、英樹はフラッシュバックを起こし、スペチル時代の『ヒデキ』に戻ってしまう。今回は、みかんと冷たい晩秋の風が重なって戻ったらしい。

 申し訳なさに拳をギュッと握ると

「お前は、こんなにちっさいのに辛い目に合いすぎたんだ」

 猪吉の英樹を抱く腕に力が込る。

「三年。『まだ』三年なんだ。そう簡単に『普通』になれるわけがねぇ」

 手を伸ばし、石畳の上のみかんを拾い、猪吉は、それを英樹の手に乗せた。

「後で、父さんと母さん、茜とお前の四人で分けて食おう」

 辛い悲しい思い出に、優しい楽しい思い出を重ねていこう。

 いつか『ヒデキ』が『英樹』に包まれて、表に出なくてもよくなるように。

 太い優しい声が耳元で語りかけてくれる。

「うん……」

 英樹は父の大きな背中に手を伸ばして、思いっきり抱き付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る