アカネと茜

 英樹の通う神田大手小学校は、カイナックにあるコロニーの一つ、高い修船技術を誇る宇宙船修理整備工場が集中していることで、有名な第八コロニー宇宙駅『神田』の北区大手町にある学校だ。

 住人がほとんど農業に従事し、家々が広大な農地にぽつりぽつりと点在している農業惑星や、住人が少ない辺境惑星を除き、この宇宙時代でも、学校は昔ながらの子供が通う学校が多い。特に商業、工業惑星やコロニーは、共働きの夫婦が多い為、朝から夕方まで子供を預かってくれるタイプの学校が重宝されていた。

 英樹は厚手のジャンパーを羽織ると、教科書用のタブレットとノート用のタブレット、プリント用のファイル端末を入れたカバンを担ぎ、児童玄関の階段を降りた。

 ひゅうと音を立てて、冷たい風が正面から吹いてくる。『神田』には四季がある。なんでも『季節があることで生活にメリハリが付き、作業効率が上がる』という理由らしいが『単に気象管理センターが宇宙空間に浮かぶコロニー内でも、四季を作れるか試してみたかっただけだろ』というのが定説だ。

『おいおい、俺達は試作の中で暮らしているのかよ』

 文句を言う住人もいるが、お陰で『神田』の細やかな気象管理システムを買い入れるコロニーがあるという。

 英樹は、この四季がとても気に入っていた。ずっと宇宙港周りと宇宙空間を行く船で暮らしていたので、赤、黄色、茶色に変わる木の葉も、澄んで見える空も、その高い位置に浮かぶ雲も大好きだ。

「良いところに来たよな」

 にっと笑ったとき、首元を冷たい風が吹き抜けた。英樹の目が遠くなる。

「……待ってろ、アカネ。直ぐにお兄ちゃんがみかんを届けてやるから」

 ぼそりと呟き、帰りの会の後、引き出しから取り出し、ズボンのポケットにねじ込んだみかんの表面を指で撫でる。

 そのとき「おーい、英樹! 今日はどこで遊ぶ!」背後から駆けてくる軽い足音がして、遼が前に回り込んできた。寒さなど感じさせない元気な笑顔を向ける。

「工場に宇宙船を見に行こうぜ~」

「バーカ、また神林のおっさんに怒られるだろ」

「ファボに頼めば大丈夫だって」

 遼と幼稚園の頃から付き合っているという二人の友人も口々に誘う。だが、英樹はまだ遠い目のまま、ぼんやりとポケットのみかんを撫でた。

「……アカネにみかんを届けないと……」

あかねちゃん、具合でも悪いのか?」

 遼が首を傾げる。

「茜ちゃん、今日、ちゃんと英樹と一緒に学校に来てたよな」

「オレ、茜ちゃんと同じ掃除の班だけど、茜ちゃん元気だったぜ」

 三人が訝しげに顔を合わせる。

「……アカネにみかんを……」

 英樹は遼達の脇をすり抜けて、走り出した。

「おい! 英樹!」

 紅葉した町並みをどんどん駆けて行く。冷たい風が音を立てて吹く中、英樹は『神田』の町並みの向こう、部品工場の並ぶ工場町へ向かう角を曲がった。



 賑やかな機械音が今日も町工場に響く。『田中機械部品製作所』。『神田』でも指折りの技術工が社長をしている、宇宙船の部品だけでなく、研究機関や大手メーカーから探査機等のオーダーメイド部品の受注も請け負う工場に

「英くん、おかえり!」

「英樹くん、おかえり!」

 機械音にも負けない従業員の声が響く。

 その声に、事務所で事務をしていた社長夫人、田中しずかは椅子から立ち上がった。

 シュウ……。軽い音がして事務所と工場を仕切る壁のドアが開く。

「おかえり、英樹」

 しかし英樹は彼女の声には答えず、どこかぼんやりとした顔を上げた。

「……アカネは……?」

「茜? 茜なら、さっき帰ってきたわよ」

 様子がおかしい息子に眉をひそめて歩み寄る。だが、英樹は心配そうな静には見向きもせず、ズボンのポケットから出したみかんを右手に握ると、スタスタと奥に向かった。奥には自宅に繋がるドアがある。

「英樹? もしかして具合でも悪いの?」

 息子の背を追ったとき、軽快な電子音がして、卓上の通信機が鳴った。

「はい、田中機械部品製作所です」

 受信機を取る。シュウ……。また軽い音が鳴って自宅のドアが開く。みかんをしっかりと握り、英樹は家の中へと入っていった。



 背中でドアが閉まる音を聞きながら、ヒデキは玄関のタタキで靴を脱ぎ、廊下をパタパタと歩いていった。

「……アカネ……」

 みかんを確かめるように握り直す。

 冷たい空き部屋で一人毛布を被って絵本を読んでいる妹に渡そうと、突き当たりのリビングに続くドアを開ける。

「お兄ちゃん、おかえり」

 そこにいたのは脳裏の妹とは全く違う女の子だった。

 パサパサに短く切っていた黒い髪を肩まで伸ばし、顔に掛からないように耳の辺りで赤いピンで止めている。痩せこけた頬はふっくらと健康的にピンクに染まり、八歳の女の子らしい曲線を描いていた。筋の消えた白い喉、それを包む暖かそうなセーター。伸び放題だった白い爪は、桜色のきちんと切り揃えられた爪に変わり、汚れていた手は、指の節まで綺麗で、キツネ色に焼けた美味しそうなブルーベリーのマフィンがのった皿を握っていた。

 女の子はテーブルの上の宿題のタブレットの脇にマフィンを置くと、ヒデキににっこりと笑い掛けた。

「今日のおやつは昨日、茜とお母さんで焼いたマフィンだよ。お兄ちゃんの分も暖めよっか?」

 踵を返して、隣の台所に向かう。「最後の一つはお父さんのだよ~」楽しげな声が聞こえた途端、ヒデキの身体がガタガタと震え出した。

 ……あれは誰だ? オレのアカネは……?

「アカネ!!」

 一声叫ぶとヒデキは走り出した。入ってきた廊下を戻り、靴も履かずに自動ドアを潜り、事務所を突っ切る。

「英樹!?」

 受信機を置いた静が、突然靴下のまま飛び出してきた息子に目を丸くする。

「英樹!!」

 母の呼び声を背に、工場町の道を見回し

「アカネ!! どこだ!!」

 もう一度叫ぶと、ヒデキはみかんを握り締めたまま、冷たい風の吹く町の中を走り出した。

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