感情プログラムの停止・1

 美しいフルートの音色が寝室に控えめに流れ出す。

 ペール=ギュントの『朝』だっけ……。地球の音楽家の授業を思い出す。クラシックの名曲で、今でもデパート等の朝のBGMに使われる曲だ。

「えっ!?」

 いつにない目覚めの曲に、オレは思わずベッドから身を起こした。

「マスター、おはようございます」

 今日も快晴。朝モードに変えられた明るい部屋に、基準表情を映したジャスが浮かんでいる。

「御朝食の用意が出来ています。キッチンにどうぞ」

 抑揚のない声でサラリと話すと、ヤツはくるりと背を向け、ふわふわと部屋を出ていった。

「な……どうしたんだ?」

 いつもと全く違う様子に、戸惑いつつも着替えて、キッチンに向かう。テーブルの上には、みそ汁に卵焼きとハムサラダ、漬け物に、炊き立てのご飯が並んでいた。

 いつもの朝食のメニュー。汁物に卵とベーコンかソーセージかハム。サラダとご飯と、ご飯に合う漬け物か佃煮。調理法によるローテーションはあるものの、オレが子供のときから、ほぼ決まっている朝食のパターンだ。

「マスター、出社まで後一時間半です。ニュースはこちらになります」

 朝食の脇にはニュースサイトをDLしたタブレットが添えられている。

 …………。

 いつものジャスなら

『マスター、出撃まで後一時間半! カウントダウンする? 情報も入手してきたよっ!』

 ふわふわと周りを飛び回り

『落ち着いて飯を食わせろ!』

 最後にはオレに床に、はたき落とされるのに……。

 今朝のジャスは側を離れると、充電ボックスに入れた家事用のボディの脇に佇んでいる。

 取り敢えず、朝食に箸をつける。まず卵焼きを口に入れる。出汁のきいた塩味の、いつもの卵焼きだ。

 メモリーに異常は無いようだな。

 ただ、いつものツッコミ満載の珍妙な行動を取らないだけ。

 首を捻りながら、朝食と身支度を終え、昨日のラグビーのスペースカップの試合の記事を読んだ後、鞄を持って玄関に向かう。

「いってらっしゃいませ」

 ふわふわとついてきたジャスが見送る。

 いつもなら

『マスター、無事生還してねっ!』

『縁起でも無いことを言うなっ!』

 やりあうところだが……。

 何かモヤモヤしたものが胸に沸き起こる。オレは小さく息を吐いて、靴を履いた。



「お前、最近のニュースを見ていないのか?」

 昼休み、今朝のジャスの奇妙な様子を話すオレに、部長の呆れた声が飛ぶ。

「すみません。最近はラグビーのチェリーブロッサムチームの試合ばかり見てました」

 弁当を広げながら謝ると

「あー、どこでも、その話題で持ちきりだからな」

 部長は苦笑いを浮かべた。

 このコロニーの故郷である、例の島国のラグビーチームが今年、久しぶりにスペースカップの決勝戦に出場を決定したのだ。取引先も、仕入先も、その話題が中心で、最近は家に帰った後も、過去の試合を見たり、選手の情報をネットで探したりしていた。

「星間ネットで今、物騒なコンピュータウイルスが広がっているんだ」

 部長が、弁当をつつきながら教えてくれる。

「ロボットの感情プログラムに感染して、凶暴化させるウイルスらしい」

 それで、どこのメーカーでも、自社のロボットに緊急処置として、対策ソフトが出来るまで、感情プログラムの起動を停止させるコマンドを送っているのだ。

「簡単な感情プログラムでも感染するらしい。今は人間相手のロボットは感情の入ってないものの方が少ないし、どれも、星間ネットに繋がっているからな」

 そういえば、昨日仕入先から帰るとき、社員の人が見送りに出た社長に

『ファボから連絡です。明日から例のウイルス対策に『KIKUITIMONZI』支配下のロボットの感情プログラムの起動を停止させるそうです』

 と言っていた。

「工場群管理システムのオペレーターが同じ処置を取るってことは、相当厄介なウイルスなんだろうな」

 部長はやれやれと息をついた。

「うちの家事ロボットも、今朝から同じ状態でな。子供達や妻が気にしている。これは長引くかもしれんな……」

「そうですね……」

「でも、別にお前のところはいいんじゃないか?」

 ビル一階に入っている弁当屋で買ってきた、弁当のパックを開けて同僚が口を挟む。

「厄介な家事ロボットが大人しくなってくれて」

「まあな」

 確かに部長のところとは違って、オレは大人だし、毎日毎回ツッコむ手間が無くなって、ジャスは普通の優秀な家事ロボットになったのだ。

 おかずの唐揚げを一口かじる。

 いつもと同じ味の弁当。だが、何故かそれが隣の同僚のパックの弁当のように味気なく感じて、オレは冷えた鶏肉を噛みしめた。

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