感情プログラムの停止・2

 マンションのオートロックを抜け、五階の自分の部屋の鍵を開ける。

 ガチャリとドアを開けると、オレの生体反応に気付いたのか、玄関にはふわふわとジャスが出迎えに浮いていた。

「お帰りなさいませ」

 朝同様、基本表情のまま、抑揚の無い声で答える。

「ただいま」

 さっとオレの体調をサーチして、邪魔にならないよう、少し離れた位置を飛ぶ。

 いつもなら

『マスター! 無事帰還! お疲れ様ですっ!』

 オレの機嫌を伺いつつ、子犬のようにじゃれてくるのだが。

 部屋に入り、部屋着に着替える。丸いボディに洗濯に出す、Yシャツを掛ける。

「御夕食の支度が出来ています。いつお出ししましょうか?」

 オレはベッドの枕元の時計を見た。

「少し、ゆっくりしたいから……七時半に」

「はい」

 これで用が済んだとばかりに、ジャスがくるりと背を向ける。

「……ジャス、今のお前は感情プログラムが起動していないと聞いたが、本当か?」

 オレの問いにヤツは振り返った。

「はい。ウイルス対策の為に、基本プログラムだけで動いております。マスターには、御不自由をお掛けしているかもしれませんが」

「いや、不自由はしてないよ。どっちかというと、以前のジャスの方が不自由だった」

 同僚の言うとおり、珍妙な言動をすることがなくなったのだ。むしろ、今の状態の方が以前より快適のはずだ。

 なのに、さっきから感じる、この妙なモヤモヤはなんだろうか?

 ゆるく首を振る。そのときジャスがオレに告げた。

「そういえば、彩絵さえ様より、お帰りになりましたら、地上に通信を送るようにとメッセージを預かっております」

「……彩絵? ああ、姉貴か」

 いつものジャスは、研究職の姉のことを『博士』と呼ぶので一瞬解らなかった。

「解った。通信の準備をしてくれ」

「はい」

 ジャスが、ラグランジュポイントのコロニーからカイナックへと、衛星通信を経由する通信ソフトの入ったPCを立ち上げる。

「マスター、彩絵様のメッセージが溜まっています」

 しばらく立ち上げてなかったPCのメッセージソフトのアプリの上に、ニケタのメッセージログを知らせる通知が浮かんでいる。

「ヤベ……」

 通信を開いた直後の姉の怒鳴り声を予想して、オレは頬をひきつらせた。



『アンタねぇ!! 家族で使うメッセージアプリは、バリカに常駐しとけってアレほど言っているでしょうがぁ!!』

 モニターの向こうで、整った顔立ちの黒髪の女性が吠えている。

 河和田かわださん、これのどこが良いんだろう……。

 近く義兄となるだろう、姉の交際相手の顔を浮かべながら、オレは取り敢えず、へこへこと謝った。

「ごめん。バリカは仕事とコロニーの人達とのメッセージに使いたくてさ。それに、そのアプリは重いし……」

『じゃあ、常駐させなくてもいいから、一日に一度は確認出来るように、入れるだけ入れておきなさい!!』

「はい……」

 散々叱られてバリカ、多機能万能カード、バリーカードを出し、言われたアプリをDLして画面を見せる。 ようやく柳眉を下げて、姉はオレの周りを伺い見るようにして訊いた。

『で、ジャスは大丈夫なの?』

 PCのメッセージもそれが大半だった。ウイルスの出現を知ってから、姉はウイルスの攻撃を丁寧に説明したうえで、ジャスの感情プログラムの起動を手動で停止する方法を書いたメッセージを、何度も送ってくれていたのだ。

「大丈夫。感染はしてない。……メーカーのコマンドのお陰で」

『全く……』

 姉ががっくりと肩を落して、画面の外にいる母に声を掛ける。『本当? 良かった』母の嬉しそうな声が小さく聞こえた。

『じゃあ、今のジャスは、普通の家事ロボットなんだ』

「ああ、お陰で無駄な手間が省けて快適だよ」

 感じるモヤモヤは話さず、何気ないふりをしてみる。

『嘘ばっかり。顔に気にくわないって書いてあるわよ』

 仕事で忙しい母の代わりに、面倒を見て貰っていた姉には、それは通用しなかったらしい。画面の向こうで笑われて、オレは、むっと顔をしかめた。

「それは姉貴の方だろ?」

 ジャスのあの趣味は、今でも特撮ヒーロー、ロボットものが大好きな姉の趣味のせいだ。

 反論すると、呆れた顔をされる。

『アンタ、忘れたの? ジャスが正義のロボットに憧れ出した切っ掛けは、アンタの為じゃない』

「へっ?」

『あ、本当に忘れているんだ』

 姉が苦笑を浮かべた。

「……オレの為……」

 記憶をざっと探ってみるが、全く思い当たりがない。考え込むオレに

『とにかく、このウイルス騒動はしばらく続くから、メーカーから許可が出るまで、絶対に感情プログラムは起動しないでよ』

 念を入れて注意される。ウイルスに感染すると、もう感情プログラムを初期化する以外、修理する方法がないらしい。実際、かなりの数のロボットが感染、初期化されたらしく、嘆きの声が星間SNSにあふれていると、姉は真剣な顔で告げた。

「解った。絶対に起動しない」

 オレが真面目に答えると、安堵の息をつく。

『尊、どう? あなたも元気?』

 母が画面に入ってくる。そのまま、三人で近況の話をしているうちに夕食の時間になる。

「マスター、御夕食が出来ました」

 呼びに来たジャスの声に、通信を切ることを告げると、最後に姉はニヤリと笑った。

『気になるなら、ジャスのこと調べてみたら? 良い気晴らしになるでしょう? アンタ、さっきからずっと、あのときみたいに、しょげた顔しているし』

 おかしそうにケラケラと笑い出す。

 あのときってなんだ……?

「そうしてみる」

 オレは笑う姉を睨んで、母に手を振ると通信を切った。

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