僕とお買い物

 シュワー。小さな店の自動ドアが開くと、香ばしいパンの匂いが彼を包む。灰色の小型のドラム缶に大きさも形もそっくりの身体に、チェック模様のセーラー襟の服を着、袖から二本の触手を出した彼は、触手の先を十本の触指に分かれさせ、トレイとトングを掴んだ。上半身の真ん中にあるライトグリーンの単眼を「ぷへへ」と笑ませる。

 楽しげに、棚に並べられたパンを物色する彼に、レジで会計をしていた店のおばさんが声を掛ける。

「おや、ファボちゃん。お久しぶり」

「おばちゃん、お久しぶり~」

 『ファボちゃん』と呼ばれた彼、陸生表着生物系触手型星人、ファボスはトングをカチカチ鳴らす。その声替わりのテレパシーと音に、奥の調理場から大柄なおじさんがやってきた。

「おっ、ファ坊、来たか。随分、久しぶりじゃねえか?」

「うん、ずうっと、宇宙船の船舶検査で忙しかったんだ」

 週に一度以上はちょこっと、月に一度、給料日後は大量に、店のパンを買いにくる、この珍妙な客が、ここ三ヶ月は一度も顔を見せなかった。そのことを指摘する夫婦に、ファボスは、はぁ~と器用にテレパシーで溜息をついた。

「事故を受けて、急に役所が検査をしろって言ったんだってな」

 この街、天の川銀河系、ペルセウス腕、恒星レント系、第四惑星カイナックのラグランジュポイントに浮かぶ、宇宙駅『神田』は宇宙船修理整備工場がずらりと立ち並び、それを生業としている者がほとんどだ。大小の工場と、その部品工場が並ぶ『神田』は、宇宙船乗り達に『ここで直らなかったら、諦めて廃船にしな』と言われるほど、腕の良い技術者が揃っているのが自慢だった。

 半年前、とある宙域で前代未聞の宇宙船同士の衝突事故があった。その為、銀河連邦の宇宙船舶管理局で、急遽、宙域を操行する全ての宇宙船に船舶検定の義務を押し付けた為、どこの宙域の工場も検定作業でパニックに陥ったのだ。

 それは、ここ『神田』で一、二本の指に入る、ファボスの勤める『神林かんばやし宇宙船修理整備工場』も同じで、社長で彼の養父である、神林大吾だいごとその息子で専務の健二けんじ、そして社員のファボスの三人の修理整備士で回す工場も予約が次々入り、ここ三ヶ月間まともに家にすら帰れない状態だった。

「もう、ずうぅぅっと工場に泊まり込みだったんだ」

 棚のパンを次々とトレイに乗せながら、また溜息をつく。ファボスの口は身体の天辺にある、食物を取る為だけの口だ。声帯はついてない。会話はテレパシーで行う。最もこれは会話の為だけの、一方的な発信専用のテレパシーで、他人の思考を読むことは出来ない。

「おじさん、これ新作?」

 ファボスが見慣れない、デニッシュ生地にクルミとシナモンシュガーを織り込んだパンを指す。

「おう、うまいぞ」

 おじさんがレジの隣に置いた、試食用の籠から、小さく切ったそのパンを一切れ、紙ナプキンに包んで差し出す。ファボスは、それを触指でひょいと掴むと、埃やゴミ除けに被った帽子を外して、口腔に押し込んだ。舌歯で噛み砕き「美味しい~」と眼を細める。

「じゃあ、これ十個ちょうだい!」

「まいど。今、焼きたてを持ってくるぜ」

 おじさんが調理場に消える。その間にファボスは、おばさんにトレイ二つに満載に乗せたパンを会計して貰った。

「背中のリュックに入れてあげるから、こちらに渡して」

「ありがとう、おばちゃん」

 背中に担いだリュックを渡すと、おばさんは袋に小分けにいれたパンを、大きな袋に纏めて入れる。 ポケットからカードを出して代金を払うと、おじさんが焼きたてのパンを別の袋に入れて、手渡してくれた。

「こいつはまだ暖かいから、手で持っていきな」

「うん!」

 袋の隙間からシナモンと砂糖とバターの甘い香りが漂う。

「まいどあり~」

 二人の声に送られて、ファボスは店を出た。



「マミー、マミー、僕、自分のお金で、お買い物が出来るようになったんだよ」

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