第2話 痛みを伴う改革

 2000年の初め頃、未成年だったがクラブイベントやバーに出入りしていた。この頃は時代の過渡期で、日本経済は傾いていたが、ITの出現によってメーカーが高度経済成長期再びというような勢いで各社が競走し、テレビではデジタル放送の開始や、携帯電話でインターネットができるなど、人々の生活に変化をもたらした。

一方で、団塊の世代はまだ働いていたが、各社で早期退職を募ったり、給料や退職金の減額が行われ、明るい未来に陰りがみえてきた。

その子供たちにあたる学生は、親が支払い困難になった学費をまかなうために、「痛みを伴う改革」のもと、そこらでするアルバイトよりは少し高額な派遣社員や、本来は暗いイメージを持つ日雇い派遣で小遣いを稼ぐといったことも普通にあった。

風営法もまだ適当で、未成年であっても証明書を求められず夜の町を出歩くこともできた。

RUSHという今では違法となった薬物も、アルコールと併用すると性的興奮が高まるらしく、夜の繁華街近くであれば、その辺のアクセサリーショップの棚に他の商品と同じく並べられていた。


あらゆるものが、少し手を伸ばせば手に入るように思えた。


 そして、その当時学生であった身として、初めはサークルに入ったが親から学費の支払いが難しいと宣告され、アルバイトを掛け持ちしながら、学校に通っていた。サークルは楽しかったが、通うことが難しくなり辞めた。

午後の授業が終わると、アルバイトに向かった。土日と、平日と、それぞれ別のアルバイトをしていた。平日のアルバイトは、冴えない町になぜかあるボーイッシュバーというオナベやトランスジェンダーや見た目がボーイッシュな女が働く店だった。


雑居ビルの2階の鉄扉を開け、まだ客のいない店内は音楽がかかっており、控え室とは言っても名ばかりの洗い場へ向かった。


「おい、今日来るって言ったよな。今すぐ走って来い!」


怒鳴り声に目をやると、ユウキ先輩が携帯電話で客に「営業」をかけているところだった。


このアルバイトを紹介してくれたのもユウキ先輩だった。数ヶ月前にクラブイベントで知り合い、適当に話すうちにこの冴えない町の話になり、ボーイッシュバーで働いていると聞いた。この冴えない町に、そんな店があったのか?と驚いた。

先輩も「そうだ」と笑い、酒は苦手だと言ったが裏でアルコールを抜いたりするし大丈夫だと誘われて若さ故の好奇心もあり二つ返事で承諾した。

本名はお互いに知らないが、年上で、見た目は美少年といったところで、声は変声期の少年のようだった。


「お店、トランスの人が多くて肩身が狭いんだよね。」


トランスとは体は女性であるが心は男性である人のことを指し、今ではその治療に

保険適用されるが、この頃はまだ診断のできる病院も限られており、インターネットで海外からホルモン薬を買って飲むか、産婦人科等でホルモン注射を自己責任という形で打っていた。


初めは先輩は形見が狭いと言っていたが、他の先輩から勧められるうちに、ホルモン薬を買って飲むようになっていた。洗い場にある鏡の棚には、ヘアスプレーやワックスがあり、自由に使うことができた。顔をさっと水で洗い、髪を湿らせ、ワックスをくしゅくしゅと後頭部からかきあげ身支度をしていると、先輩の「営業」は終わったようだった。


「藍くん」


「先輩、おはようです。」


藍という名前は偽名だった。お店で働く時、夜のお店特有の名前を決める段階になり、全くなにも考えおらず先輩がユウキなら、愛と勇気で愛にします、と適当に決めた。ただ、愛という字づらだと女っぽいから藍にしようかと他の先輩から促され決定した。


「藍くんは、男にならないの?」


「うーん、男とか女とかよくわからなくて。男として生きる未来っていうのも想像がつかないし、お酒もあまり飲めないから。」


「女が好きなんでしょ?」


「そうだね」


「恋愛は男と女でするのが当たり前なんだからさ、女が好きなら男になりなよ。」


あれだけ抵抗を示していた先輩が、自らもホルモン薬を飲むようになり、それが社会の仕組みだと言いたげな調子で話しを続けた。


正直、男とか女とか。

女として生まれたけど、初恋は女の人だった。女だという自覚はあるから、子供の頃は男も女も関係なく女を好きになるものだと思っていた。思春期を迎えるまで、疑問すら持たなかった。当たり前だと思っていた世界は急に疑問に満ちたが、レズビアンという言葉も、男になるということもしっくりとは来なかった。

仕組みに当てはまらない自分は一体何者なのかと、恐怖すら感じた。インターネットで色んな文章を読むことができるようになっても、その答えはどこにも書いていなかったし、子供は親を見本とするらしいけど、自分が生まれているということは、両親は異性愛者ということだから、道を照らす希望には成りえなかった。


ただ、当たり前の人生は生きられないということだけは理解できた。


男になりたいわけではない。


 その日、3組程度の酔っ払い客を相手にして、店は辞めた。

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