第3話 自由の代償

雨は必要だ。


 子供の頃、テレビでよく水不足がどうのと深刻そうにレポーターが話しているのをニュースで見た覚えがある。

親と一緒にポリバケツを持って給水車まで水を貰いに行ったりした。

「雨が降らないと水不足で深刻」ということを、なんとなく子供の頃に知った。

最近では日本中どこでもダムが出来て計画的に貯水できるようになったから、てんで聞かなくなったけど、雨が山に降り注ぎ、木々に水が染み込み、山が地下水を溜め込む。恵みの雨によって、草木が生い茂り、動物が食べ、排出したものがまた栄養となり大地に還り自然が豊かになる。この大自然の掟に対して、人の使命は植物にとって必要な二酸化炭素を排出することだと聞いたことがあるけど、生まれてからのたった数十年の間で、鳥の鳴き声は減ってしまった。人の生活は豊かになったというが、都会の喧騒は息苦しく、とにかく人が多くてうんざりする。そして、今はとにかくお腹が空いている。


 ここ数日雨続きだったが、今日の雲が空全体に伸び薄く色づいている。空腹感を煙草の煙にのせて虚しく空に吐き出した。白い煙が薄い空に滲んで消える。


 なぜ、こんなにお腹を空かせているかというと、朝は母親の癇癪を起こす声で目を覚まし罵声から逃げるように家を出て大学までたどり着いた。原因は、父親の母である祖母の認知症だ。


大学は最寄り駅から坂を上がった山の中腹にあり、ここからは海が見える。


「大学に進学させる金はない」


 それだけの言葉を高校2年になった頃、父親から言われた。自分は兄が二人の三人兄弟の末っことして育った。よく、兄がいると可愛がられただろうとか、女の子ひとりだと親も優しかっただろうと言われるが、兄二人は子供の頃から荒れていた。亭主関白の父親は子育てにあまり干渉せず、母親は兄二人の喧嘩の仲裁に疲れきっていて、身の回りの世話は同居している祖母がずっとしてくれた。父親は無関心ではあったが、当時は暴力を振るう人で、兄の喧嘩がいよいよとなってくると、いつも暴力で黙らせた。お腹が空いたと泣いていると、いつも祖母が別の釜で炊いたご飯とおかずを食べさせてくれた。

兄二人は暴力を振るう父親が嫌で、二人とも離れた場所に進学した為、下宿の寮費だとか、学費が高くつき、そして結果として三人目には資金不足になったというところだ。ただ、高校3年の冬に、母親が言ってくれた。


「パートで稼いだお金で半分だけ学費を出すから、あとの半分は自分でなんとかしなさい。」


進学を諦めていた自分に、急に道が開けたように感じた。ただ、行きたい大学もなにも全く考えていなかった為、慌ててまだ応募が出来る大学を探すこととなり、なんとか文系の現代社会の見る目を養うだかなんだかという学部に入ることになった。

講義はさほど興味はなかったが、選択で好きなものを選ぶことが出来たので、それはそれで楽しかった。

ただ、受験というものは本来もっと慎重に進学先を選ばないといけないはずだ。高校3年の冬に選ぶようなものは、なんとなく名前を聞いたことがあり、そのときの学力で行けるものを選ぶことになったから、その大学がどんな大学でなんて全く知らない。幼稚園からエスカレーターで進学することの出来るこの大学は、なんというか、金持ちが多かった。ずっと公立育ちで来た自分は、入学間もない頃、ご飯に誘われたりしたが、紅茶に500円もかかり、ケーキと合わせると1000円近くも出費するような遊びにはとてもついていけず、またアルバイトをする必要もあった為、放課後の遊びにも参加できず、入ってすぐに孤立した。たちが悪く、大学には学生専用の駐車場もあるが、どこにそんなお金があるんだろうと疑うほど、それまであまり見かけることのないような外車が並んでいた。


それでも、ある程度の満足はしていた。


高校を卒業し、まずボブくらいあった長さの髪を好きなようにカットした。服装も、メンズのだぼっとしたジーパンに、肩やら腰が妙にくびれていないさらっとしたTシャツ。レディースの服というのは、シャツのボタンは左開きになっているから右利きだと着脱がしにくい作りになっている。肩や腰は窮屈に締め付けられ、意味のわからない飾りがついていることが多く、当たり前であるものがずっと窮屈で仕方なかったのだと、このラフなズボンとシャツは教えてくれた。それと同時に、自分の体の好きなところが、肩幅がありお尻が小さいところだと知った。メンズのジーパンはお尻にふくらみがないので、丸みのある体型だと形がいびつに歪む。シャツも肩幅は広くなっており、レディースだといつも肩がミチミチとしていたが、メンズの肩の縫い目の部分自分の肩幅はぴったりとフィットした。

この大学生活も含めて、初めて自分の意志で生きていると感じた。

子供の頃、母親は手を焼いたらしい。


「せっかく女の子が生まれたから可愛らしい服を着せると、泣いて嫌がっていつも脱いでいた」と。


まだ世界のなにも知らない頃からきっと、この世界はなぜか窮屈だった。初めて、どたばたとはしたが自分で選んで自由を得ることが出来たんだ。


だが、自由には代償がつきものだ。空腹だが、もう1つパンを買うお金がないのだ。煙草ももう指に熱を感じるほどになった頃、名前を呼ぶ声に気がついた。

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